神話のススメ(また長くなってしまいました…)

2010.07.17 Saturday 23:30
最近、店内中央の3本柱の上にある半円形の枠にイラストボードが入りました。
あの半円、欄間のデザインの様なフリをしていましたが、実は絵窓の様にアクリル板を入れるための枠だったんです。
ずーっと作業が止まったままだったんですね。(;^_^A
素人作成でアラが目立つので、見る時は遠くから目の焦点をボヤーッとさせて見て下さい。
近くでじっくり見てはいけません。

高い位置なので、何となく星空と幻獣のイメージでデザインしてみました。
元ネタは「脅威の部屋」と言うタイトルの本の中に見つけた中世の酒杯のデザインです。

中世の幻獣はカッコいいですね。
神話や伝説が権威を持っていた時代には人々の恐怖感や目撃談の興奮が折り重なって自然とあんな想像を超えるデザインが出来上がるのでしょうか。
現代の「こんなのいたらスゴイなあ…」というファンタジー的な空想と、当時の「本物の龍の姿はこんなんだろうか、はぁはぁ(興奮の吐息)」という恐怖を伴う想像とでは、イメージ力の質が違いそうですよね。

僕は昔、上野の科学博物館などに行くと、決まって恐竜の全身骨格を正面から見上げる位置に立ち「こんなのがホントに歩いていたんだ」という事実を強く思いつつ、想像力をフル回転させて骨格に肉付けをし、ここは古代のジャングルだと思い込み続けると、ある瞬間に想像が現実を凌駕してイメージを結び、その巨大な実在感が襲いかかるように実感されぞわわーっと鳥肌が立つ所までいく、という遊びをして喜んでいました。

こう書いてみると結構ヤバい子ですね。友達いなかったんでしょうか。
コツを覚えているので、今でも出来ると思います。

書棚にある「イスラム」というイスラム文化を紹介する書物の中に古い時代の動物図鑑が少し紹介されているのですが、そこでは当時の人々があまり目にする事の無かった異国のゾウやヒョウ等が科学的事実と伝承、呪術的な話のごちゃ混ぜで、かなり神秘的に紹介がされていて、興味深いです。
情報が少なく学問も整理されていない時代には、現存する生物にも神秘性を感じることが出来たのがとてもうらやましいです。

そこで、今月は神話や伝承の本をオススメしてみたいと思います。

現代、我々の常識には科学が根付いているので、幻想的な存在を本気で信じることが中々難しくなってきました。
我々の体験を超える多くの事柄が科学的に解明され、その背後に広がる広大な未知のスペース(不思議さが生じる曖昧なままの余地)の存在を感じさせなくなってしまったからでしょう。
そんな現代は、特に神話や言い伝えの面白さが際立つように感じます。

人がその認識を科学的根拠で固めようとする理由の一つに、世界全体を整理された形でスッキリと認識し、全て分かり切った心境(もしくは専門家に分かってもらって)で安心していたい、という願望があるのではないでしょうか。

我々が普通に教育されてきた論理的、分析的な認識方法は言ってみれば、事物に名前をつけて大きな分類の枠のどこかに入れることでそれを認証し(知っているとし)、そうして出来た分類棚が世界だ、とする見方と言えます。
事物そのものから受ける印象や感触よりも、その位置づけ、他の事物との関係性に重点を置く捉え方ですが、ここでは実感や印象、恐怖感など客観的事実でないものがあまり重要視されません。

また、この認識は知っているものだけで世界を構築するので、知らないものが覆い隠されてしまう所があります。
パソコンを前にして「コレが何か知っているか」と問われれば、その機能や機種についてその人が知っているわずかな情報のみを意識して「知っている」と感じることが出来ますが、その際にプログラミング言語や細部の構造、部品の一つ一つ、その素材、どこの工場でどんな人々の手によって作られたか、等背後に無限に広がる膨大な「知らない事」は全て認識されません。
この意識で周囲を見渡しても知らないものは見当たらない(意識に上らない)ので、世界が知っているものだけで構成されているような安心感を持ってしまいますね。
更に曖昧なままのスペースがないので、想像の幅も狭められてしまいます。

本当はその背後の分類すら出来ない膨大な未知の塊こそ世界そのものだと思うのですが、これの認識は生半可じゃないですね(禅や道などが体感的にアプローチする所でしょうか)。

体系的な世界観が無かった時代の人間は「自分達が混沌の中に理由もなく存在している」という感覚と供に生きていたのかも知れません。
自我を持つ人間にとってこれはちょっとしんどいので、世界や人間の成り立ちを説明してくれる物語が必要とされ、先ず神話が生まれたのではないでしょうか。
やがて世界観のマジョリティが宗教や科学に取って代わられるのは、やはり神話が人々に安心感を与えるタイプの話ではなかったからじゃないかと感じます。

しかし神話のポイントは、この本能的な恐怖感や不思議さを誤摩化す術もなくそのまま表現している所だと思います。

一見荒唐無稽なギリシア神話もあらゆる自然界の暗喩に満ちていて、自然に対する畏怖に貫かれた表現には科学にはないリアリティがあります。

自然の影響をもろに受けて生きていた時代の神話に見られる「我々の存在等気にもかけていない、強大で横暴でスケベでワガママな神々(自然)に、組み敷かれつつ守られつつ生きている人間」というような意識は、高い人格を持つ神様や安定した物理法則に守られた人間存在の理念よりも、ずっとリアルに感じます。
森や海を神話でとらえていた時代の人は、自分達を取り巻く広大な未知の部分を未知の部分として意識していたからでしょうか、翻弄される人間の立場、人間の無知と無力を良く理解していたということが神話や言い伝えからは伝わってきます。

また多くの神話には滅びの予言があり、人々はいつか世界がバランスを欠いて崩れてしまう、という恐怖に日々怯えながら暮らしていたそうですが「危なげなバランスの上に立っている」とか「生かされている」という感覚は今こそ必要な意識かも知れませんね。

もちろん科学は素晴らしい恩恵を与えてくれる、我々の生活とは切っても切れない大切なものです。
でも賢明な科学者程、掘り進む程に「人間なんて何一つ知らない」という事実を感じるというようなことを言いますね。
正しい認識の科学はテングのハナにならないのでしょう。

最近考えていた事まで、つい長々と書いてしまいましたが、もちろんこんな事は意識しなくても神話は十分楽しめますよ。
絵画のような美しい表現や詩的な展開と、現代では許されないようなエロスとグロテスク、残虐性と荒っぽさのダイナミックな表現に心を奪われます。
科学的常識に毒されていない時代ならではの驚きの発想力が大変魅力的です。
現代の文学のようにストーリー展開に期待するよりよりも、この発想と感覚を楽しむと良いと思います。

また、科学的常識は忘れ去って挑みましょう。
世界の始まりが「熱も音も無い暗闇からかすかな動揺が始まり、ささやきとうめき声が起こり、光明が現れ昼にまで成長した」と説明されれば、その様を思い浮かべ、それが発展して今にまでつながってるんだなぁ…と、本気で信じながら読みましょう。
太陽神の話なら「お日様は宇宙空間に浮かぶ恒星で地球の方が回っている」という固定観念を捨て「あの空の光は神様だったの?!」と思い込み、輝きながら毎日天空を旅する神の姿を太陽に見て読んだ方が楽しいです。
「昔の人はそう考えたんだ」という姿勢で読んでしまうと、面白さは半減します。

どうぞ全ての常識を忘れ去って、いにしえの世界観にどっぷり浸かって見て下さい。

果たしてこんなくどくどした長話に最後までつき合って下さる方はいるんでしょうか?
そんな奇特な方には感謝を込めて、大した話ではありませんが一つお教えします。
夜の時間帯に店内ガラスショーケースの前に立って入り口側のラン間を見上げると、その角度からだけ天井板に絵窓の星が写り込んだ様子が見えて、ちょっとキレイです。
ごめんなさい、それだけです…。


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例のヤツ出ました。

2010.07.08 Thursday 01:07
いよいよ暑くなってきましたが、時々降る雨が程よく熱を冷ましてくれますね。

先日開店前の掃除をしている時にぶーんぶーんという強い羽音が聞こえたので、もしやと思ってプランターを探してみると、一匹のカブトムシが植木にとまったまま羽ばたいておりました。
この前お話しした(→生き物の色と姿)例のヤツが、土の中から上がった直後で羽を乾かしていたようです。
女の子です。
取りあえずカゴに入れて、翌日樹液ゼリーをやりました所ちゅうちゅうと吸い始めたかと思うと、そのまま固まったように10時間以上も吸い続け、結局体程もあるゼリー1カップを一匹で空けてしまいました。
羽化後の摂食を後食というのだそうですが、長い断食生活の後で死ぬ程お腹が空いていたのでしょう。

子供の頃には目もくれませんでしたが、こうしてじっくり見るとメスカブトは丸っこくて中々かわいらしいです。
薄いビロードの様な毛に覆われていて、窓の光に当てるとキラキラします。
などと思っていると2日後にはバカ力でカゴの上蓋を開けて脱走し、昼間にお客様(女性)のいらっしゃるベンチの肘掛けに突然現れてしまったりするので、油断なりません(もうさせません<(_ _)>)。

しかしあんなイモムシみたいのを土に放り込んで水だけやってたら、ちゃんと自分で変態をして、立派な節を持った美しい甲虫が出てくるのだからスゴいシステムですよね。
実際目にすると、アレがコレになるって、ちょっと意味分かんないです。
そいつが、誰に教わるでも無くこれからの生活に備えてエネルギーで体を満たしている様子は感動すら覚えますし、無心でちゅうちゅうする姿を見ていると「自然てスゴいなあ」と思うことすら、傲慢なんじゃないかと思えて来ます。
文明は力とかスピードとか計算力とかいらないものばかりが大きくなって、それでヒトはついつい自然を克服したかの様な感覚を持ってしまいますが、とんちんかんもイイとこですね。
何だか、もしこのまま人類が滅んでも自然界はそのまま残ってたらいいのに…とか、ニヒリスティックなことまで考えてしまいます。

所で、もう一匹いた幼虫はどうしたのでしょうかね?
そのまま土になってしまったんでしょうか。
うーん…でしょうねぇ…。

さて、ギャラリー情報です。
アール座展示コーナーでは、7月後半から秋までギャラリー展が続きます。

一発目は、人形作家日野まきさんのpaperdoll展です。
「紙の上の空」7/16(金)〜/29(木)
立体も手がける作家さんですが、今回は不思議なお話のような世界観を放ちつつ、ひらひらと揺れる繊細な紙人形作品の展示です。
詳細→http://www.kitchen-kiki.org/information.html

ご観覧の方には、1ドリンク以上のご注文を頂いております。
店内では作家さんとの、またはお客様同士のお話が出来ませんので、ご了承下さい。

その後8月前半には去年もご好評を頂いた、脊髄の反射神経でシャッターを切る謎の写真家、知紅(トモコ)さんの新作写真展第2弾「ジョウケン反射」が控えております。

その後もバリエーションに富んだ展示が続きますので、乞うご期待です!

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詩の力

2010.06.08 Tuesday 23:02
次第に空気が湿って来ましたが、このまま梅雨入りするのでしょうか。
今年は雨音が鳴り出したら、室内にこもって(毎日こもってますが…)詩の世界に浸ってみるのもいいかな、とか思っています。
というのも、この前TVで詩人まどみちおのドキュメントを見て、現代にもこんなスゴい偉人がいたんだなぁと驚き、思わず詩集を買ってしまってからのことなんです。

御年100歳になるこの老詩人は、散歩中に出会うアリや枝先に芽吹く新緑、池の水面の波紋などにただならぬ好奇心を示し、何時間も眺め続けたりする素敵な人です。
身の周りに起こる全て出来事と真摯な姿勢で向かい合い、この世界の不思議さ、生命への畏敬の念を唱い続けています。

日本人なら誰でも知っている「ぞうさん」という童謡がありますが、作詞をされたまどさんが番組の中であの歌の真意について語っておられました。
「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね」という冒頭部分には、実は皆で仔ゾウをからかっているニュアンスがあるのだそうです。「お前ずいぶん鼻が長いなあ、鼻が長くてヘンなヤツだなぁ」と。
普通こんな風に言われたら「本当にボクだけ何でこんなに鼻が長いんだろう」と傷つき、自分を卑下してしまう所ですよね。

ところがあの歌のゾウ君は、皆とは違うその特徴を、悲しむどころか少しも恥じることなく「そうだよ!ボクは鼻が長いんだ」と堂々と肯定してみせます。
この世に持って生まれた自分らしさを恥じる気持ちなど、みじんもありません。
そしてさらには「ボクの大好きなお母さんも鼻が長いんだよ」と誇らしげに言ってのけます。
親から受け継ぎ、神様から頂いた個性を喜び、誇りに思う気持ちが歌われている詩なんだそうです。

ヤバいですよね、この歌。説明しながらも泣きそうです。
何も知らずにお遊戯で歌わされる歌ですが、場合によっては人生観を変えられてしまうような強いメッセージです。
ともすると人は他人の価値観で自分まで評価してしまいがちですが、このゾウ君を思うと、人と違うとか皆とズレてることって素晴らしいことなんだなぁと思えてきます。

詩の威力はすごいですね。
他の言語情報とは違って、作者がその時感じた情感が直接心に届く感覚は絵画や音楽に近い気がします。
色彩や音符を扱う様に、一つ一つ単語のイメージを配置してゆくからでしょうか。
文章を組み立ててしまう僕などは、直感的に言葉をつづる「詩」というものが中々書けないのですが、それでも時々無性に詩集などを読みたい気分になることがあります。

そこで今月は詩集をおすすめしてみたいと思います。

アール座の書棚にも、多くはないですが詩集を集めたボックスがあります。
そこから抜粋したものを例によって長机のおすすめコーナーに陳列致します。

僕が最初に詩に興味を持ったのは萩原朔太郎だったと思います。
感受性むき出しの深く傷ついた病的な表現がとても美しく、またカッコ良く感じました。
その時代はセンシティブな感覚がネクラと言う言葉で疎まれてもいましたが、その反面強いカリスマで、ある種の人々を惹き付けていました。
中原中也銀色夏生なんかも人気だったでしょうか。
僕もどうしてか暗いものに心が安らいでしまう質なので、迷わずどっぷり浸かっていました。
病める朔太郎が見た戦慄と恐怖の表現などは、今読んでもぐっと来ます。

他に歯切れ良いリズムで鮮やかに詠い上げる室生犀星や、感性豊かで深みのある高村光太郎などの詩も好きです。
どちらも美しい情景描写に透ける様に詩人の信仰や思想が写っていて心地よいです。

自然と哲学、この世界への尽きない興味、という視点において、まどみちおの先駆は宮沢賢治でしょう。
とにかく色彩感覚とビジュアル表現が鮮やかで、実在の色や光では再現出来ないと思えるような超越した美しさがありますが、美しい森の写真に賢治の言葉を添えた写真詩集「シーズン・オブ・イーハトーブ」は、そんな限界にも迫っています。

一つ一つのことばを丁寧に紡いで詠う岸田衿子の詩も良いです。
詩画集「ソナチネの木」では、安野光雅の柔らかくもエキゾチックなイラストと美しく溶け合い、何とも幻想的です。

有名な「たいようのおなら」は7、8歳以下の子供達の作品を集めた詩集ですが、その見事なリズム感と斬新な発想たるや職業詩人を凌駕する感があり、初めての方には必見です。

他に詩ではありませんが、さすらいの俳人山頭火の味わい深い句集も良いです。
僕が崇拝する乞食坊主良寛の漢詩は、是非、絶品の筆跡及びその解説と共にお楽しみ下さい。
道を切り開こうとする者には大変な力をくれる岡本太郎の言葉たちも、魂のこもり方が詩的ですらあるので(こじつけ)一緒に並べちゃいます。

詩というと繊細でロマンチックなイメージばかり強いですが、実際にはたくましさや力強さ、きっぱりとした潔さ、カラッとした心地よさに貫かれているポジティブなものの方が意外に多い様に感じます。

我々が当たり前に手にしているものの素晴らしさを教えてくれるまどみちおの詩の様に、ポジティブな感覚の言葉はうまく感性が合って内面にまで響いてくると、ただならぬ力を与えてもくれます。
言葉一つで人生が変わったと言うような話はよく聞きますよね。
場合によっては長い憂鬱の時期を切り替えるターニングポイントにもなるでしょう。

もちろん難しいことは考えずに、ただ単純に詩を楽しむ時間も素敵ですよね。

梅雨時は内面をチャージするのに絶好の季節ですので、喫茶店で詩にどっぷり浸かってみてはいかがでしょうか。

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生き物の色と姿

2010.05.12 Wednesday 00:05
こんにちは。
長い冬が終わって少し夏になって梅雨…と言う感じの分かりづらい季節の巡りに、野の花も「もうイイのかな」と戸惑いつつ咲いているように見えるのは気のせいでしょうか。
こうへんてこな季節だと、時候の挨拶も小難しくなってきます。

この春に、近所のホームセンターでカブトムシの幼虫を配っていたので、2匹程頂いて来て、店の一番大きなプランターの湿った土の中に腐葉土と共にぐりぐり埋めこんでおきました。
パック詰めで置かれていた時点でふにゃっと弱っていた感じだったので、そのまま土の養分になってしまう可能性も大ですが、この変な季節をやりすごして無事変体を遂げてくれるのか、水やりしつつも土の中が気になる今日この頃です。
この夏に金魚鉢の席の後の木に、黒光りする甲虫が這っているのを見つけた方はお知らせ下さいね。
  
そんな僕が最近ハマっているのは、生き物のデザインです。

力学的に洗練されムダがないからなのか、そもそも自然界の姿が我々の美的感覚の基準になっているからなのか、とにかくどれを取っても素晴らしいフォルムと色彩ですよね。
誰もが美しいと認める色鮮やかな連中から、ちょっと見には地味だったり気持ち悪いようなもの(蛾やクロゴキブリすら)でも、先入観を外してよく見てみると結局どれをとっても完璧なデザインだなあと感心してしまいます。

自然美と人間が作った美しさの根本的な差は、きっと作為の有無にあるような気がします。
どんなに悟った芸術家の作品も、純真な子供の作品も、アート(人間が作る美)からは「こんなのどうよ」という気持ちを完全に消し去ることは出来ないように感じます。
長所にも短所にもつながる所ですが、アートのモチベーションの根源にある「他者に伝えたい」と言う姿勢は、自然の美しさの中には存在しないものです。
異性にモテるための美しさというのは自然界にも存在しますが、それとて、長い時間をかけて自然と形作られたものであって、感情から意図的に作られたものではありません。

当たり前の事ですが、誰に褒められなくても山奥の谷間の絶景に静かに雪が降りつもったり、深い森の泉の水面に満天の星々が映し出されたりと、誰も見ていない所で世にも美しい情景が、美醜の概念も無く「ただ展開している」というような超然とした自然美には、何だか人間のアートとは次元の違うスゴミをも感じてしまいます。

そんな興味から生物写真関係の書籍を増やそうと、最近動植物や昆虫関係専門の書店に行ったりしました。

無数のジャンルに分類された生物学の専門書籍の棚を前にすると、「生物というものはよくもこれだけ無数のデザインに分化したものだなあ」などと感じてしまいます。

また、それにもかかわらず「種」という概念を進化全体でよくよく考えると、全ての種は微細な変化の繰り返しで分化してきたもので、必ず切れ目なく他の種と繋がっています。
進化史を早回しにて見ると、実際には種と種の境目など存在しないので、生物界全体は無数の生死を繰り返しつつ無数の姿に変形し続ける一種類の「不定形軟体生物」のようにも思えてきます。
「キノコからクジラまで全ての生物は区分出来ない一かたまりの一族なんだなぁ」などと、虚ろな目をしつつ書棚の隙間で考えたりしていました。
はた目に見たら怪しいですね。
マニアックな空間には人の思考を怪しい方向に向かわせる磁場があります。

アール座読書館では、専門書よりも写真集や図鑑のようなビジュアル的に見ごたえのある動植物本を中心に揃えてあります(中央、3、4段目)。
クジラや恐竜、クラゲ、馬、その他様々な生物の写真集、図鑑など、中々見ていて飽きないですよ。

特に今月はその中から、蝶と蛾、深海生物、動物の全身骨格(「EVOLUTION」 必見!)等の写真集をピックアップして、壁際の長机に陳列してありますが、どれもかなり見応えがあります。
お茶を飲みながら様々な生物のフォルムを楽しんでみてはいかがでしょうか。

昔、こんな風に様々な動物のフォルムを眺めた後に外に出た時、街を歩く人間達の姿体が、なんだかウネウネと動くへんてこな生物の群れに見えて、ちょっと「うわわっ」てなったことがあります。
僕は大丈夫なんでしょうか。

さて、6月に開催される朗読会のお知らせです。
6月4日(金) 20時〜
朗読「二十歳の原点」 原作:高野悦子 朗読:春日怜
昭和44年、二十歳で自殺した女性の日記が父親によって整理され、刊行後、ベストセラーとなった「二十歳の原点」。
まっすぐな意思に貫かれたセンシティブな心情の世界を、朗読者、春日怜さんが30分に編纂し朗読します。
春日さんが、ライフワークのように毎年幾つかの喫茶店で開催している本気度の高い企画で、僕もかなり楽しみにしています。

ご予約、詳細はこちらからどうぞ→http://plaza.rakuten.co.jp/yueerde/
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取留めもない話ですが…

2010.03.28 Sunday 23:46
前に,店内のシルクジャスミンの花が咲き始めた事をお知らせしましたが、この前掃除をしている最中にふと見ると、今度は何と真っ赤な実がついていました。

花はあれ以来、時々咲いては散っているのですが、実を付けたのはおそらく今回が初めてです。
虫も飛ばず風も吹かない店内で、どうやって受粉したんでしょうかねぇ。
室内で育てているので季節感はかなりイカレていますが、種が採れたら適当な時期に欄干のプランターにでも植えてみようかと思っています。

もう一段暖かくなるとこのプランターも花を付け始めるので楽しみです。
元々は入口看板の花が終わった時に移植していた宿根植物が根付いて毎年花をつける様になったものが多いですが、中には一度種を捲いた朝顔が毎年こぼれ種で勝手に発芽する様になったものや、いつの間にか生えていた野草もあります。
こういう意表をついた発芽や開花はちょっと嬉しいですね。

自分で土を配合して水やりや養分まで気を使って育てる植物は少し気を抜くと弱って死んでしまいますが、不思議な事に勝手に根付いて勝手に育った植物というものは本当にたくましくて、ほっといても丈夫なんですね。
逆に丈夫といわれる雑草も、引っこ抜いて、見た目には同じ様に見える場所に移しても、中々根付いてくれません。
自分で移動出来ない植物は、きっとその環境との相性が切実な問題なのでしょう。

僕の祖母は園芸の達人で、垣もない庭の地面のあちこちに雑草の様に花を咲かせていましたが、今生きていたらコツなど聞いてみたかったです。
ただ、植物の世話はとにかく時間をかけて行く事が大事で、思い付きで一気に状況を良くしようとしても上手くいかない所が、色々と勉強になります。

これからの季節は花が咲いて気持ちが前向きになるので、僕は楽しみです。
人が花を見るとこんなにも気持ちが和らぐのは、厳しい冬の暮らしを乗り越えた昔の人々の記憶が残っているからなのでしょうか。
ただ、花粉アレルギーの方はそれ所ではないのかも知れませんね。
一応アール座でも、花粉がヒドイと思われる日はなるべく開店前の換気を控える様にはしております。
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混雑する日について/次回ギャラリーのお知らせ

2010.03.05 Friday 00:30
こんにちは。
相変わらず寒いですが、フェイントの様に暖かい日があるので、春が来たかと思ってしまいますね。

お陰さまでアール座読書館も、より多方面からのお客様にご来店頂ける様になり、本当にありがたい限りです。
へんてこな店なので、人様にご理解頂けることには特別に感謝の思いを感じております。

そんな中でも心苦しいのは、週末のピークタイム(3時〜6時頃)などせっかくお越し頂いても満席でご利用頂けない場合があることです。
平日に満席ということはほとんどないのですが、どうしても土曜日曜の夕方前にご来店の方が多くなってしまうため、混雑する時間帯が出来てしまいます。
これまでも、お越し頂いたのにご利用頂けなかった方、本当に申し訳ありませんでした。

一つの座席が広いスペースを取っているので、部屋面積の割に座席数が少ないのもその原因の一つです。
そこでこの度、かろうじて一席だけ増設しました!
机は手作りなのでグラグラです!

といってもまぁ一席増えただけの話なのですが、混雑する日に3組様でも多くご利用頂ければと思っております。
ちなみに、今までここに置いてあったチラシ類は、次の置き場所が決まるまで一旦お座席ごとの引出しなどに分けて置きますので、そこからご自由にお持ち下さい。

またご来店時に満席でも、携帯電話の番号をお伺いして、お席が空いたらお知らせするサービスもしております(お待ち人数、3組様まで)。
場合にもよりますが、大抵30分以内にはご案内出来ることが多いですので、来られる機会の少ない方はぜひご利用下さい。

また、こういう時間帯は最初からお好きなお席を取ることが難しく、先ずは回転が速い窓際の一番後ろやエアコン下のお座席にご案内することが多いので、先ずはそこにお座り頂いて、お好きなお席が空いてから移って頂くと良いかもしれません(基本的にお座席の移動はご自由ですが、たまにお二人で狭いお席の方などを先にご案内させて頂く場合もございます)。

などなど、色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません。
難しいシステムの店になって来てしまいましたが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
こんな事を書きつつも、平日など相変わらずガラガラの日もありますので、狙ってみて下さいね。

さて、今月のギャラリー展のお知らせです。

去年夏に開催し、ご好評を頂いた「ノックの帽子屋」企画、第2段です。
個性的な帽子達が、店内所狭しと飾られます。
お好みの帽子が見つかれば、作家さんからご購入も出来ます。
是非お茶を飲みながら、春の帽子を吟味して見て下さい。
会期:3/9(火)〜3/22(月)
詳細は後程…。

尚、ご観覧のお客様には1ドリンク以上のオーダーを頂いております。
また、店内は読書室になっておりますので、お話声をお控え頂いております。
よろしくお願い致します。
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トラ年ですが、ライオンのように過ごしたいです。

2010.01.24 Sunday 00:56

本格的に寒くなって来ましたが、今年はもっと季節と空気を感じながら淡々と過ごして行きたいなぁとか思っています。
 

イイおっさんが森ガールのようなことを言っておりますが、それを思いつつもここ2、3年は、細かな雑務を記したTo Doリストに追い立てられるようにせわしなく過ごしてしまい、人様にゆったりと時間を過ごして頂くための店をやっている人間としてはどうなんだろう、と疑問を感じたりしています。

お座席のご感想メモを見ても、精神的、肉体的な疲れを癒すためにご利用頂いている方は多いようで、そういう方のお役に立てたらと始めた店なので嬉しい限りですが、本当に今の世の中には疲れていらっしゃる方が多いんだなぁと感じます。

古いSFに出て来る21世紀の世界では、ロボットが掃除をし、壁の中から自動的に料理が出て来て、奥様はヒマそうにTVを見てるという絵が良く見られましたが、そこまででなくても、なぜ生活がもっとヒマにならないのかと、昔から疑問でした。

 

現代は湯沸かしも炊飯も洗濯もスイッチ一つで出来ます。道具も通信手段も交通機関も格段に進歩しているので、川で洗濯をし、薪で火をおこしていた頃の一日分の仕事量から考えると、今の主婦なら2時間くらい家事をやったら後はゴロ寝で良さそうなものですが、そうはなっていませんね。

これはきっと現代人が、空いた時間を休むよりも更なる別の仕事に取りかかる方を選んでいるからですよね。

昔は時々すれば良かった風呂、洗濯が簡単になると、同時に衛生感覚のレベルが上がって日課になり、移動能力が増すと、より頻繁に遠くへ出かける様になる等、昔に比べて日常的にやらなければイケナイことが格段に増え、短時間で多くのことが出来る分、生活のテンポ自体が速くなりました。

 

もし現実に家事ロボットや全自動料理装置が発明されても、ヒマな奥様だけは永遠に現れないのかもしれませんね。

なんだかんだ言って、人間はヒマが好きじゃないんですね。本質的にせっかちで、イッパイイッパイな位何かをやっていないと気がすまないのでしょう。

 

最近読んだ「ネオフィリア」という生態学系のエッセイ本(R座の書棚左から4列−3段目、生物学コーナー)で知ったのですが、動物は生態的に、生来の怠け者で極力努力を避け、慣れ親しんだものを好むライオンのようなタイプと、神経が無為を嫌い、すぐに退屈して落ち着けずに新しい状況を求めて動き回るトラのタイプの2種類にはっきり分けられるんだそうです。
 

もちろん人間は本質的に後者の最たる種族で、だからこそ高度な文明を築き上げ、都市のような劣悪な環境にも様々に対処して生きて行けると言うような事が書いてありました。

僕はさらにその中でも、日本人が特にその気質が強いような気がします。
創造力豊かで現状に飽き足らず、猛烈な探究心で創意工夫を重ねる民族で、よく言われる、日本の果物の改良品種はズバ抜けているという話もその分かりやすい一例でしょう。

 

また外国に赴くと、日本人程飽きっぽくて古いものを大切にせず、時間区切りでせかせかと生きている人間て特別なんだなぁと、いつも感じます。

現代ではこういう生き方に対して賛否両論の様々な思想や考え方があります。

 

豊かな文明と奥深い精神文化を築いて人類に多大な恩恵を与えたのも、生活からゆとりを削り、地球環境を散々に壊して来たのもこの気質だからでしょう。
 

(ライオン型思想の書籍→R座の書棚左から1列−6段目「求めない」、4列−2段目「パパラギ」、6列−6段目「老荘の思想」など)
(トラ型思想の書籍→3列ー1段目「強く生きる言葉」「壁を破る言葉」)

足るを知る気持ちや当たり前にあるものの価値を見い出す事は、今とても重要な事だし、創造力豊かな生活や忙しくやる事があると言う状況もとてもありがたい事だと思います。

ただ現代の都市型の社会ではトラの様に暮らしてゆかないと、まともに受け入れてもらえないような環境もありますね。
当然、疲弊してしまう人も多いと思います。

 

そんな中では、その忙しさの先を見据えていること、日課の中にも自分がこの世に生まれ生きていることを度々感じることがおろそかになりがちなので、一時でもスケジュールから外れてみる、ちょっと目線を変えて違う感覚のひとときを過ごしてみることが大切になって来るんだと思います。

このための空間をご用意させて頂く事がアール座読書館を経営する第一義だと、僕は考えています(もちろんその他でも、ご利用方法はご自由です)。


スケジュールや現実的な諸事情を一とき忘れるには感覚を開くのが一番です。
 

それらは全て頭の中で考えてしまうことなので、試しに思考を止めて感覚を開き、その時そこにあるものー情景や音、空気、味や香りーに身をゆだねて見て下さい。
 

体が感覚的になってしまうと、後は人生観を見下ろすも空想にふけるも、小説や芸術やファンタジーに没頭するも、自由自在です。

流れるような展開(?)で店の宣伝につないでしまいましたが、別に心安らぐ静かな場所であれば、例えば近所の公園にお湯と茶葉とお茶セットを持って行っても出来ちゃいますね。

で、僕はというと、生来の怠け者の上に祖父の代から続くせっかちな性格です。

 

トラとライオン両者の悪い所を兼ね備えてしまいましたが、それでも創意工夫が好きで気分転換が苦手なので、どちらかと言えばトラの方でしょう。
 

だから、ライオン型の思想や生き方に強く憧れます。
 

そこで今年は季節と共に淡々と生きるライオン型のおじさんを目指そうと思うのです。
 

「ライオン型のおじさん」とか、何を言っているのかヨク分からなくなって来ましたが、トラ型ライオン型等という区切り方は世間にはないものなので、悪しからず…。
 

そう言えば両種のハーフでライガーとかタイゴンとかいますが、性格はどうなんでしょうね。

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今年もよろしくお願いします。

2010.01.08 Friday 00:10
皆様 明けましておめでとうございます。
アール座もいよいよ3年目に突入しますが、このままのコンセプトとスタンスを維持しつつ色々と更なる可能性を拡げて行けたらと思っております。
話に全く具体性がありませんが、本年もどうぞよろしくお願い致します。

去年の年始めのご挨拶では、このブログの更新の遅さ(月イチ)をお侘びした上、今年はもう少し頑張りますと言うようなことをぬかしておりましたが、結局、自分でも驚く程改善されませんでした。ごめんなさい。

それにしても、こんなに更新が遅くてこんなに長たらしい文章ばかりのお店のブログって他にあるんでしょうか。
よくよそのカフェブログなど拝見すると、日常的な事柄が軽いタッチでさらさらと面白く書かれていて、読みやすいし、毎日の様に更新されるので飽きなそうだし、こんなの作れないかなぁと一瞬は思うのですが…まぁムリなことは始めから分かっているんです。

店にネット回線がないので書く時間がないと言うこともありますが、そんなことより何より、僕にはそんなブロガーの素質が決定的にないのですね。
書けない僕には、そうとしか思えません。
文を書こうとすると、がっちりとした重い作文を作り込んでしまいます。
「ふと思ったこと」をカンタンに書こうにも、日常的に、ふと思ったりしないんです。がっちり考え込んでしまうんです。
クダラないことについても病的な妄想癖がむくむく沸き上がってしまいます。
現実のコミュニケーションでも創作的なことでもそうなのですが、気軽にさらっと表現することが苦手なんですね。

なのですみませんが、今年もこんなペースで行く事になりそうです。
月の営業予定以外はどうでもイイ話ですので、おヒマな方はどうぞ読んで頂けたらと思います。
年明けからヒドイ意気込みですが、今年もこんなだめブログをどうぞよろしくお願い致します。
category:2010 | by:アール座読書館 | - | - | -

今年もお世話になりました。

2009.12.28 Monday 18:59
お陰さまで、ようやっとアール座読書館も3年目に突入です。
今年ご利用頂いた全てのお客様に、心よりの感謝を申し上げます。
アール座読書館まで足をお運び頂き、大事なお時間をアール座読書館で過ごすひとときに当てて頂き、本当にありがとうございます。

開店当初から営業形態の特殊性や趣味、経営の未熟さ等不安がいっぱいの自分ですが、日々の皆様のご来店に、未だに救われ続けております。
接客上の手落ちや不手際、少分かりづらい営業形態や種々の騒音など色々とご面倒、ご迷惑をおかけした方々には、心よりお詫び申し上げます。

元々コミュニケーションが不得手の私でも、2年も自分の店をやれば、かゆい所に手の届くスマートな対応が出来るようになるだろうと本気で思っていましたが、とんでもないアホでした。
暖かく見守って下さる方、気分を害されてしまった方には何と言って良いのか分かりません。

また、営業形態を分からずに来られて戸惑われた方や、静けさを求めつつもお話し声や外からの騒音に煩わされてしまった方にもお詫び致します。
店のシステム上の問題点には、今後明確な線引きや対策をして行かなければと思っております。

色々と未熟な店ですが改善を目指しますので、どうぞ来年からもよろしくお付き合い頂ければと思います。

今年からお座席にご意見ご感想メモを置き始めました。
毎日クローズ作業の合間に皆様の心のこもったお言葉やご感想を拝見して、一日の疲労が吹き飛ぶのと同時に大変身の締まる思いがします。
皆様がアール座でのお時間をどんな心持ちで過ごされているのか、日々何を感じ、何を大切にされているのかを知り、ただならぬ親近感(気持ち悪い?)と同時に色々なことを考えさせられます。

またお会計時などにかけて頂くお言葉からも、大変お力を頂き、このエネルギーで日々の精神面を持続させている面があります。
放っておいて欲しい方が多い店だと思いますので、あまりこちらからは声をおかけしていないのですが、小声の短いお話は構いませんので、何かありましたらいつでも気軽にお話し下さいね。

さて、お知らせです。
今年の末に「本のある時間」というサイトが立ち上げられたそうです。本や読書に関する情報を集めた素敵なサイトで、当店もご紹介頂きました。読書好きの方、興味のある方はどうぞ。→http://www.timewithbooks.com/

2010年は1/5(火曜)から通常営業となります。
年末は、例の如く家でゴロンゴロンと転がっていようと思います。
不況が続きますね。もう好景気ではなく、皆が溢れることなく均等に「貧しくもソコソコ食べて行ける程度の景気の安定」というものに世の中が向かうといいなぁと感じますが、そういうの難しいんでしょうか。シェアと言う概念や「足るを知る気持ち」は重要な時代になって行く気がしますが、まぁ経済の事はからっきしダメな私のたわ言です。

それでは皆様、良いお年をお過ごし下さい。

category:2009 | by:アール座読書館 | - | - | -

アール座的時間の過ごし方

2009.12.09 Wednesday 00:33
あっという間に師走です。そして、あっという間にもう2010年ですね。
ミレニアムとか言って湧いてたのなんてついこの前のことの様に感じますが、年のせいなんでしょうか。
外の世界と時間の流れ方が違うような空間(ウチの店のこと)にずっといると、こんなことをよく考えてしまいます。思えば小学校の6年間なんて、感覚的にこの10年間の20倍くらいの長さがありましたよね。夏休みだって半年位はありました。

とにかくアール座読書館は室内にずっといると、窓の外の世界が勝手に先に進んで行く様に感じる事もしばしばです(特に人の少ない静かな日は)。設計当初に「外の世界と時間の流れ方が違う空間」という一文を起業コンセプトの中に含んでいましたが、結局何をどうした訳でもないのに本当にそんな感じになってしまいました。
なので、お客様から「なんかココ時間の流れ方が違う」と言うご意見を聞くと、個人的にとても嬉しいです。

近代物理学では、時間の流れる早さがが絶対的なものではないということが証明されています。
また、体の大きな動物ほど心拍が遅く、時間の感覚がゆったり流れているというのはよく聞く話ですね(ゾウの時間ネズミの時間が店内書棚にあります)。
人の感覚の場合は年令や体温でも変わってくる様ですが、やはりこれらも心拍数に起因している様です。
まぁこの手の話は、科学特有の「状況を単純化した場合の原理的な話」なので、無数の微細な原理や要因が集まって出来ている複雑な現実を説明し切れるものではないですが、興味深い話ですね。
でも時間が早く感じたり遅く感じたりなんて、やっぱり不思議な事です。

店でひとときを過ごされたお客様は「いつの間にか、こんなに経ってる」と感じられる方が多い様ですが、逆に「まだコレだけしか経ってない」と言う方もいらっしゃるようですね。
僕も過ごし方によって、例えば読書に夢中になると時計が速いし、水槽にぼーっと見入りつつ水底を散歩している(もちろんイメージで)と遅いというような違いがあります。
僕としては、とにかく「日常から一時離れるための場所」と言うのがアール座の役割と思っていますので、「アレ?」と言う感覚があるなら、どちらも良いことなのではないかと思っています。
固定された日常的な時間感覚一本で暮らして行くよりも、色々な時間感覚をシフトしながら生きて行った方が絶対色々トクだと思うからです。
もちろん、お店のご利用方法はお客様次第ですよ(お話以外は)。

さて話は変わりますが、2009年は世界天文年だったのだそうです。
その締めくくりとして、現在店内卓上展示コーナーでは不思議な宇宙研究所「オリオンラボ」さんが小さな展示会「夢見る宇宙展」を開催してくれています(12/24まで)。天文に関するいんちき研究発表やコラージュ作品、謎の惑星採取標本などを集めた不思議な研究発表会です。理科室好きの方など是非楽しんで行って下さい。

オリオンラボ、所長さんブログ→http://d.hatena.ne.jp/halujion/


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