冬の空気とまどみちお

2012.02.04 Saturday 00:27
 「皆様、明けましておめでとうございます」…ってもう2月ですね…って、去年もこれやりましたね。

ただでさえのろま更新の上にこの所少々バタついてしまい、こんな時期に新年のご挨拶ですが、本年も変わらぬおつきあいをどうぞよろしくお願い致します。

相変わらずヒドい時節感覚ですが、外はしっかりと冬ですね。
何か今年の冬はちゃんと寒いです。
東京にも乾いた冷たい風が吹いて雪もちらついたりして、冬っぽい感じです。

冬場はいつも朝(昼近くですが)シャッターを開けて店に入ると、暗い室内で空気がヒンヤリと気持ち良いです。

全国的には色々と大変なことも多い寒波の冬ですが、良い所を上げるなら、水道水や空気が冷たいというのは個人的に冬の好きな所です。

冷たい水や空気って、きれいに澄んでいて、静かで落ち着いた感じがします。
温度が低いというのは物理的にも分子の活動(振動)が静まっているということだし、低温の空気中では微生物の活動だって控え目になります。

もしかしたら人間の感覚ってそんな所まで感じとっているのかも、とか思ってしまいます。

だから寒い日は静かな物音に耳をすませたりするには良いですね。

僕がアール座のテーマ曲と勝手に思っているエリック・サティのジムノペディがBGMのレパートリーに入っておりまして、お好きな方もとても多い名作かと思いますが、開店前のまだ冷たい空気の中でこれをかけるとなかなかハマります。

音数の少ない神秘的な旋律の中では全てのことが意味を失い、開店作業中にも関わらず、店おっぽり出してこのまま旅に出ようか、とかいう気になっちゃいます。

まぁ出る度胸はありませんが、様々な迷いごとや情報が心を離れて、何だか気持ちがスッキリとします。

ずっとそんなシンプルな心境で生きていけたらいいなぁと思います。
こうした冬の静かな空気の中にいると、日頃自分がどれだけムダな情報や知識に振り回されて暮らしているか気づきますね。

読書室を営業し、ブログまで書いておいてこんなこと言うのもなんですが、思えば我々現代人はただでさえアタマの中に多くの悩みを持っている上に、TVやネット、書物や人とのコミュニケーションから侵入して来る、ちょっと異常な量の情報に囲まれて生きているんですね。

特に人の神経を引こうとする新しい情報には感情をあおるものが多く、中毒性もあって、心の中をザワつかせるばかりです。

冬の朝にサティとか聞いてると、読書好きの僕ですら「モノを知る」ということが、何だかロクでもないことのように思えて来ます。

そんな気分の時は情報収集や他人とのコミュニケーションを一時シャットアウトして、一人の時間を作ってゆっくりと辺りを見渡してみると、なかなか素晴らしいことが起こります。

大昔から普通に周りにある物事が、流布している奇抜な情報に覆い隠されていたことが見えてくるんですね。

豊かな空気があり、透明な水があり、日の光が射し、路端に草が生えていて、美味しい食べ物と衣服、夜眠れる場所があり、それを知る感覚があり、それを感じる心があって…と、数え上げたらきりがない恵みにじぶんが囲まれていて「もうこれ以上何もいらないし、何も知らなくていいな」という気分になったりします。

大抵僕のこんな気分はいつもただの気まぐれで、すぐにまた色々欲しくなるに決まっているのですが、恵みに囲まれていることをちゃんと見続けることが出来れば(境遇によっては簡単なことではありませんが)、きっと人はどんな状況の中でも幸せになれるんじゃないかと思えて来ます。

それが出来なければ、何不自由ないお金持ちの王様でも幸せになれないのではないでしょうか。

最近はそんなことを思いつつ、もっとシンプルに生きてゆけたらと願うようになりました。
本当に必要な知識ってそんなに沢山はなさそうだし、そういう心持ちで暮らしていると、必要な情報だけが向こうから飛び込んで来る気もします。

詩人まどみちおは齢100歳になるよぼよぼのじいさんですが、散歩の途中に道端で見かけるような恵みや驚きを、稲妻のような感受性で切り出して、我々に提示し続けてくれる達人です。

元々童謡の作詞家なので、幼児向けのリズミカルな言葉遊びっぽい作品が多く、大抵やさしい言葉で綴られていますが、はっとさせられるような発見やこの宇宙の謎を解き明かすような言葉、一撃で人生観を変える力強い啓示に満ちていてすごいです。

説明しても分かりにくいので、一つだけここに上げておきましょう。

「根」

ない

今が今 これらの草や木を
草として
木として
こんなに栄えさせてくれている
その肝心なものの姿が

どうして ないのだろう
と 気がつくこともできないほどに
あっけらかんと

こんなにして消えているのか
人間の視界からは
いつも肝心かなめのものが


ね。すごいですよね。
とても真摯な姿勢で世界を見ながら生きてるんです。

そんな素敵な詩人の全詩集(735ページ!)、他エッセイ2冊を書棚の左から3列目、上から3段目、詩集のボックスに、新入荷しましたので、興味のある方は是非触れてみて下さい。
心が洗われますよ。


さて、現在店内ギャラリーコーナーにはコラージュ作品&アクセサリーが飾られています。
故人の魂を送り出すレクイエムをテーマに、ヨーロピアン・アンティークの装飾品やそれらを題材にしたコラージュ作品、オリジナルアクセサリーなどを展示中。

Requiem 知紅個展
現在展示中〜2/14(火)まで

箱の中に時間を閉じ込めたような厳かな雰囲気の作品が目を引きます。
是非お茶を飲みがてら、静かな鎮魂歌と古い異国の空気をご覧になって下さい。
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今年もお世話になりました。 2011

2011.12.30 Friday 00:24

さて、2011年も残す所あと数日です。

今年も本当に沢山の方にご来店頂きました。
ご来店頂いた全ての皆様に、心より御礼申し上げます。

毎年末に同じ感謝の言葉を繰り返すとくどいのですが、結局今年も同じ思いです。

精神的にも経済的にも、皆様のおかげで生きております。

また、今年後半の一時期は土日のピークタイム(15時前後)などに混雑が続いてしまい、ご迷惑をおかけしてしまった期間もありました。

ちょっと珍しいタイプの店なので、雑誌やサイトでの掲載が幾つか重なったりした時期には一時店内が混みあい、若干カフェ寄りの雰囲気になってしまう時がままありますが、でもいつもそれは一過性のものでして、なんだかんだ言っても指向性がマイノリティですので、時期が過ぎると古くからのお客様と同じように感覚の合う少数の新しいお客様だけが残られて、また静かなアール座に戻ってゆくというのがいつものパターンです。

今ではすっかりおさまりましたが、古いお客様には「隠れ家的なアール座が…」と複雑な思いになる方もあったかも知れませんね。

よく「あまり人に教えたくない」「本当に分かる人にだけ教えたい」といったお客様のご意見をお聞きする度にも、僕はとても嬉しく思います。

この店の空気をご理解頂き、大切に思って下さる方ならではのご感想だと思うからです。

僕自身「マニアックなお店」も「全ての人に愛されるお店」も、全く目指してはおりません。

難しい所なのですが、アール座読書館としては、ある種の趣味の人しか入りづらいカフェであってはならないし、気持ちの切り替えや何の引っかかりもなく日常の延長として通り過ぎる普通の喫茶店ではしょうがないとも思っています。

老若男女や趣味を問わず、日常を切ることを必要としている全ての方にとって「最初入りづらいけど、意を決して踏み込んだら自分のための場所だった」というお店でありたいです。

幸いウチの場合はご紹介下さる雑誌やサイトの皆様が店の空気をご理解頂きそれを上手に伝えて下さる方ばかりで、とても助かっております。

指向性の強いお店なので、存続のためにより広い地域の多くの方にその存在を知ってもらう必要もあり、そんな方々には大変な恩恵と感謝も感じております。

「別にこっちは何も言ってないのに、コイツ急に色々言いワケがましくなってどうした?」と思われそうですね。

よく個性的な飲食店が人気が出てからフツーになったと言われるようなケースがありますが、そんな変化をわずかですが感じた時があって、ちょっと色々考えたん時期があったんですね。

こんな小さな店でもポピュラリティがついて来てお客様の層が広がると、ただ欲が出るというのでなく、何だか強力な力でそっち(ポピュラーな飲食店の方 向)に持って行かれる感じがする時があるんです。

マジョリティの威力なのか、それとも経済が持つ力なんでしょうか。

もしかすると人間は群れを作る動物だから、僕のようなひねくれでも、周りに合わせたくなる習性を本能的に持っているということなのかも知れませんね。

まぁ実際ウチなんかはそれ程でもないですが、もっと「今マスコミで話題の…」みたいなレベルになると、きっと独自の路線を行こうとするお店が受ける横風 はかなりスゴいんだろうなぁ、と感じました。

また個人的にも今年は何かにつけて度々ペースが乱れてしまい、私生活でも営業でも不出来なところが多く、振り返るとかなり反省の多い年でした(泣)。

しかし今ではすっかり一時期の混雑は収まりましたし、年を改めるタイミングで気持ちを切り替えてゆくつもりです。

とにかくあのらくがき帳のありがたいお言葉を頂いたからには、何があってもこの方向性と空気感は死守する心持ちですので、古いお客様も新しいお客様も、今後とも今まで同様どうぞよろしくお願い致します。

もちろん絶え間なく通い続けて下さいという話ではないですよ。

時々久しぶりにいらした常連さんが「最近忙しくて、なかなかここに来られなくて…」と、申しワケなさそうに言って下さることもありますが、うちのような
店は疲れた時や何かに迷った時に使われる方も多い場所なので、私生活が充実されていてアール座に行く必要がないという状況ならば、それは何よりなんです。

ふと立ち止まって静かな場所が必要になった時にはアール座読書館がいつでも同じ形でここにあり続けますので、覚えておいて頂けると嬉しいです。


今年日本は不幸な災害に見舞われましたが、東京に住んでいても、それが国民全体の価値観を揺るがすような出来事だったことを感じます。

軽々しく言えることではありませんが、惨劇を超えて人々が社会の実態や足下の生活と幸せに目を向けるような機会に、更にはそれが日本の転機のような形になって行くといいなと思います。

今中国が勢いよく景気を上げておりますが、僕が子供の頃は日本の高度経済成長が成就した位の時期で、日本人はエコノミックアニマルとかワーカホリックとか呼ばれ、世界中から嫌われていました。

時々、もしアール座を高度成長〜バブル期のような時代に開業していたら、果たして相手にしてもらえたろうかと思ったりします。

僕が育って来た「アラフォー」とか呼ばれる世代までの社会では、何においても経済やステイタスが価値の中心になり、人々は快楽と競争にばかり夢中で、身の周りの小さなことや自分が恵まれていることに見向きもしない時代でした。

僕なんかは周囲の人と話や価値観が合うことが基本的になくて、人と考えを理解し合うことをほとんどあきらめていたようなヤツでしたが、僕らより下の世代の人達は、あのアホ騒ぎを冷めた目で見て育ったからでしょうか、こうしたことを理解されている方が比較的多い気がします。

特にアール座のらくがき帳なんか見ると、身近にあるものの美しさ、小さなこと無駄なことの大切さ、自分が幸せを手にしていること、誠実さが人生を好転させることなんかを普通に知っている方が沢山いらして、心が洗われます。

今思えば、昔の自分は本音を出さずに適当に相手に合わせていたから気持ちの合う人に出会えなかったのかなとか、この店は本当の自分で作ったから、そういう人達が来てくれたのかなとか思ったりします。

アール座はもちろん様々な目的にご利用頂いて良い空間ですが、そのコンセプトを考えると「やらなくても良いこと」をして頂くのは個人的にとても嬉しいです。

読書やらくがきや編みもの、折り紙(地球儀の座席にあります)、ただぼーっと魚見たり、ただぼーっとしたりされてる方が店内に多くいらっしゃる時は、なんだかとても安心します。

現代社会を考える時には、社会問題に注目し、憂いと共に批判的に考えないとイケナイような空気が何となくありますが、僕はそんな人々の価値観の変遷を見て、問題点は置いといて、「日本は割とイイ感じになって来てるなぁ」とノンキに感じたりします。

日本全体がこの部屋みたいな空気になれば良いのに、とまで思ってしまいます。

きっと、かくいう私が自身が仕事に追われていたから、そんな気持ちも強くなるのでしょう。

もちろんそんなことのためにはある程度の豊かさが必要なことなので、労働や経済の重要性、高度成長期を支えてくれた人々への感謝も忘れてはいけませんね。

相変わらず僕の妄言は根拠もキリもありませんが、今年は震災や中国バブルを見て、アール座のお客さんを見て、そんなことを考えたりしました。

さて来年はどんな一年になるんでしょうね。

僕は個人的に転機になりそうなので、精力的に行くべきかじっくり進むべきか悩んでいます。

「光陰矢の如し」とか「果報は寝て待て」とか、昔の人達は無責任に色々言うので困りまってしまいますが、どんな形にせよ気持ちを込めた一年にしてゆかなければ、と感じている次第です。

皆様の一年はいかがだったでしょうか?

来年はどんな一年を思い描いておられるのでしょうか?

また来年お店でお会い出来たら嬉しいです。

それでは皆様良いお年を。

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アール座読書館 貸切りについて

2011.12.28 Wednesday 18:17

<店内貸切り>
イベント、勉強会、朗読会、発表会、撮影等様々な目的にご利用下さい 。
大掛かりな座席の移動が出来ませんので、ほとんどの座席が前を向く形になります。

◎定員1〜20人程度まで(それ以上はご相談下さい)。
◎大音量のBGM、生演奏は不可(ご相談下さい)。
◎お飲物等持ち込みが出来ます。 ドリンクのオーダーご希望の方はご相談下さい。
   
料金 

   12時〜17時 1時間/5000円 
  17時〜22時 1時間/6000円

 

※貸切可能な時間帯は12時及び13時から開始の貸切(それ以前開始の貸切に関しましてはご相談下さい)、 

 もしくは22時終了の貸切のいずれかとなります(詳細はお尋ね下さい)。
基本的には土、日、祝日は貸切りを行っておりません(日曜夜の時間帯のみ応相談)。
※基本的に貸切利用は2時間以上でお願い致します(1時間の貸切は時間帯によっては対応いたしますのでご相談下さい)



一般のお客様に告知を致しますので、基本的に7日前までにご予約をお願いいたします。
急なお話の場合は、営業時間外や定休日のお時間、もしくは3階エセルの中庭の方でご相談に応じます(1時間6000円〜となります)。

その他詳細はアール座読書館までご連絡ください。 アール座読書館 03-3312-7941
エセルの中庭の貸切もアール座で承ります。 

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冬ごもりのすすめとギャラリーのお知らせ

2011.12.02 Friday 01:36
この所、外気が急激に冬の匂いになって来ました。

冬の入口は体が寒さに慣れていないせいか、真冬よりも屋内にこもりがちになってしまいますね。
あらゆる生物が息をひそめるこの季節には、アール座読書館も「おこもりスペース」としての雰囲気がぐっと強くなります。

僕自身、冬場は出不精になる分思考が活発になり、やたらと哲学的になったり、どうでもいい事を考えたりしてしまいます。

皆さんはどうなんでしょう。
他の生き物達もそうなんでしょうか。

クマなんかは知能が高いので、穴の中で丸まって冬ごもりしている時には、絶対色々妄想を巡らせていそうですよね。
「あの日捕った鮭は素晴らしかったなぁ」とか「兄弟達は元気かなぁ」と、丸まった冬眠状態のままうつろな意識で思い出したりするのでしょうか。

僕が理想とする冬の過ごし方のお手本が、このクマの冬ごもりのイメージです(勝手な想像上のイメージですが)。

「エサいない時に動き回るより、エネルギーを使わないで丸まっていた方がいいやぁー」というゆるい考え方は非常にムリもなく効率的で、元来怠け者だった僕もとても共感を覚えます。
もちろん我々は冬でも食物が手に入るのですが…やっぱ寒いし…動きたくないし…。

秋口に狩りをしまくり喰いまくってから完全に引きこもるという、ハードなアウトドア派から深いインドア指向への急激なライフスタイルの転換が素敵ですし、絵本に出て来るクマなんかはほら穴に美味しそうなごちそうを貯め込んで、布団敷いてるヤツまでいて憧れてしまいます。

クマやヤマネなど哺乳類の冬眠は疑似冬眠と言って、ヘビやカエルのように白目むいて(イメージ)仮死状態になる本格的なのと違うので、時々目を覚ましてはちょっと外を覗いて「うわ…寒いと思ったら雪積もってる…」みたいなことしてそうで(イメージ)、何かただ寝てるような感じがすごく羨ましいです。

夢とうつつの境目を何ヶ月もさまよい続けるのでしょう。
いいなぁー、疑似冬眠

毎年ニュースで流れる、村の寒中水泳大会で海に駆け込むフンドシ姿の勇ましい男達の映像を見ると「きっとこの村にも自分みたいなへなちょこがいて、参加せずに皆にバカにされているんだ…」と想像してしんみりする僕ですが、そんなへなちょこブログの今月のテーマはズバリ「冬ごもりのススメ」です。

…ってなんだそれ。
もうネタ切れなんでしょうか。
「冬眠とかすすめられても…」という戸惑いもごもっともですが、要はアール座的な正しい冬の過ごし方のご提案です。

では、喫茶店にこもって何をすれば良いのかと言うと、それはもちろんこの1年を振り返るんです。

毎年日本人が秋の終わりからハロウィン、クリスマス、年末、新年とめまぐるしくノリを切り替えてゆくのについてゆけずにぼーっと過ごしてしまう僕も、この「今年1年を振り返る」という恒例の習慣だけは結構やっています。

同じ恒例でも「今年の抱負」なんていうのは、たいがい春先にはすっかり記憶から消えているのであまり意味もありませんが、過ぎたことを思い返すのはその場で意識や感情に影響を与えるので有意義でもあります。

大事なのは、あまりシリアスな問題よりも先のクマのように割とどうでもいい平和なことや嬉しかったことをウトウトと思い返すのがコツです。

今年は日本に深刻な出来事がありましたので難しい所ですが、そういう記憶はウトウトと考えられることではありませんし、ネガティブな感情の復習になってしまう可能性もあるので、ここではどうにかして嬉しい出来事や軽い思い出に持ってゆきましょう。

心理療法ではその日あった良かったことや嬉しかったことを毎晩寝る前に思い返すよう習慣づけて、精神状態をポジティブに持って行くという方法があって、逆に寝床でその日の嫌なことや失敗、後悔について延々と考えてしまうタイプの人なんかにも効果的なようです。

また仏教では生涯を振り返る修行で「内観」というものを行います。
自分の幼い頃からの記憶を一つづつ思い返して、人にして来たことされて来たことを思い出しながら、そうして作られた現在の自分の本当の姿を見つめ直す所まで辿り着く、というような方法で、これも「内観療法」として治療に取り入れられています。

つーっと通り過ぎてきた過去を改めて振り返り、静かに見つめ直し噛み砕くことには、きっと人生をより丁寧にやり直すような意味がある気がします。

まぁオススメしているのはそんな専門的な話ではなくて、ただ時間をゆったりと過ごすための方法なのですが、やはり悪いことをわざわざ思い返すのは体にも良くないので、そんなひと時には、夏の暮れに憧れの人と砂浜で水をかけ合いたわむれた思い出なんかをリプレイしつつ、一人でニヤけたり軽く一人ごちたりする方が良いでしょう。

こういうことを表参道のオープンカフェでやると道ゆく人から白い目で見られてしまいますが、その点アール座なら心配ありません。
皆さんそれぞれの時間を過ごされているので、多少挙動不審な方がいらしてもあまり気にされない空気がありますし、他の座席の方と目線も合いませんし、店主はもちろんお客様もそんな人ばっかりですウソですごめんなさい

こういうことをするには、ウチだとやはり窓際のボックス型のお席がおすすめ。
常連樣方の隠れた人気席である窓際前から3番目とかは周囲を小さく囲まれていて、まさにおこもりスポットNo1でもあります。

子供の頃、押し入れやダンボール箱の中で過ごす時間をこよなく愛していた僕は、この席が人気という事実がとても嬉しいです。ちなみに、この心理は昔の胎内記憶から来るという説があるらしいです。

最近、週末のピークタイム(14時〜16時頃)などは混雑のためお席が選べないことも多く心苦しいのですが、可能な方は遅い時間帯や平日など狙ってみて下さいね。

メニューですと甘みが恋しい冬場は、スパイスキャラメルやスパイスチャイなど定番の甘々ホットドリンク(甘み調整も可)、甘さ控えめならキャラメルミルクティーや八宝茶、ラムとアマレットリキュールを入れたコーヒーアマレット等、体暖まるホットドリンクがおすすめです。

糖分ではなく香りのみで甘さを楽しむには、冬に人気のキャラメルバニラティーもおすすめ。

冬場に甘いものが恋しくなるのも、きっと太古の狩猟生活で獲物の少ない冬場にカロリーを溜め込もうとする体のシステムなのでしょう。

とすると彼らも冬は、けっこう竪穴式住居とかにこもりがちだったんでしょうね。
人間は家族生活ですが、冬の間ずっと顔つき合わせてたのかな。
アレってきっと個室ないですよね。
思春期の子供とか、キツいですね…

などと延々ムダな事も考えてしまいましょう。
冬はそれでいいんです。
暖かい灯りの下で暖かなお飲物をすすりながら過去を振り返ったりムダな考えにふけるために、冬は来るんです。
そしてそんな時間を過ごすためにアール座があるんです。

小さなボックス席と静けさの漂う空間を冬のおこもりタイムにもぜひご利用下さい。

もちろん本当に人間がこもりっきりになると弱ってしまうので、冬の散歩や旅行も楽しみましょうね。

さてギャラリーのお知らせです。
今年ラストの個展はK.Kさんによる写真展です。

写真展「Ballet Mecanique」  K.K
期間:現在展示中 〜 12/25(日)

ファンタジックな少女の世界を切り抜いたポートレート作品展です。
古い洋書の切り抜きのような淡いトーンの作品を、幻想的なプリザーブドフラワーやリースで美しく飾り付けて頂きました。
アール座空間は女性的な感覚の装飾と相性が良いし、僕自身もそうした世界観に憧れがあるのですが、ただ自分ではそういう演出が上手に出来ないので、こんな風に飾り付けて頂けると僕も嬉しいです。
現在展示中で12/25(日)まで。2週目から展示変えがあります。
冬のアール座はガーリーな彩りの中でお楽しみ下さい。

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座禅とアール座の番人の話 

2011.10.27 Thursday 01:30
こんにちは。
やっと暑さが引いたと思ったら、急激に涼しくなってきましたね。

近頃の日本の気候では10月に入ってやっと夏が終わる感じなので、秋好きな僕は毎年お預けを食らっているような気分ですが、この季節は散歩や読書はもちろん、アール座にとってもベストシーズンと言って良いでしょう。

静かな時間を過ごすことや生活を見直すことにはうってつけの季節ですよね。
また、虫達の歌声も終わり空調もほとんど使わない今頃は、一年の中でもアール座が特に静けさを発揮(?)するシーズンでもあります。

こんな時期に、ちょっとオススメしてみたくなったのが「瞑想」です。

昔はよく、お寺でやってる一般参加の座禅会やヨガ教室の体験クラスなんかをハシゴしたりしました。
店を始めてからはお客さんがいない時に座席でやったりもしますが、お客さんに見つかったらとても怪しいマスターですね。

「瞑想」というとよくイメージされるのは、禅寺で座禅を組んで、気の緩んだヒトが和尚さんに「カーツ!」とかいって棒きれで肩をひっぱたかれてる厳しそうなヤツじゃないでしょうか。

近頃はヨガなんかで健康法のようにも親しまれていますが、こちらはむしろ気を緩めるようなイメージですね。
ただ、実際にやってみると、むしろ「気を鎮める」という表現が近い気がします。

瞑想を一口に言ってしまえば「何も考えないこと」です。
様々なタイプの瞑想法がありますが、雑に言うと基本的には座禅を組んで目を閉じて(もしくは半眼で)ゆっくりと深い呼吸をしながら考え事をやめ、浮かんで来る雑念を次々に消して行って、頭が真っ白な状態でいることを目指します。

何だそれだけのことか、と思いきや、これがなかなかカンタンじゃないんです。

僕などは妄想は大得意なのですが、瞑想はヘタッピな方じゃないかと思います。
思考を止めようとするそばから次々に色々な考えが浮かんでキリがありません。

禅の瞑想法に「数息観」というのがありまして、頭の中で「ひとーつ…ふたーつ…」とゆっくり数を数えながら瞑想を続け、少しでも雑念が浮かんだら1に戻って数え直し(そのまま数え続ける方法もあります)、10まで行ったらまた1から数え始める、というのをひたすら続ける方法なのですが、僕がこれをやると3まで辿り着けません(3まで行くと必ず「あ、3いけた!」って思っちゃいます)。

まぁ本当はいきなりこういう方法をクソ真面目にやらなくても、初心者は浮かんで来る邪念をボーッと見流してるだけでも良いそうです。
「邪念が浮かんでるなぁ」とか「雨の音が聞こえてる」とかを静かに意識出来るだけでも、普段と違う脳の働きをしているというのですが、確かにやってみるとそんな実感があります。

ではなぜそんなことをやるのかと聞かれれば色々な答えがありますが、僕なら先ず第一にとても気持ちがいいからと言ってしまいます。
ウマく出来ないながらもこれをしばらく続けたあとはアタマの中がスッキリと片付いて、非常に爽快な気分を得られるんです。
いつもごちゃごちゃに散らかった部屋を掃除してスッキリと整頓された後の感じに似ています。

仏教では純粋に直感的な悟りを獲得するための修行としてこれをしますが、現代人には精神的な健康法として有効なのは間違いないでしょう。

通勤電車の中ででも出来ますし、続けていると、日常的にも気持ちが安定して来たり、感覚豊かで意識もクリアになったり、思考と身体の一致が良くなったりなど、広く精神面で効用があるようです。

そしてこれは何よりも「思考を止めて日常を忘れ、感覚を開いて静かな時間を過ごすこと」(瞑想とは少し違いますが)をおすすめするアール座読書館のコンセプトともかなり重なる部分がある所なので、静かな秋にはいいんでないかとおすすめしてみました。

ただアール座には、控えめですがBGMが流れるのが難かもですが、瞑想がウマく行くと音楽などは消えてしまいますので、あまり気にせずやってみて下さい。

本を読む前に5分程やってみるだけでも、感受性がアップして読書の質が良くなりますよ。

お店には瞑想関連の書籍というものがあまり多くはありませんが、比較的近いジャンルのものをおすすめコーナーに置いておきます。

もしお座席で半目になってぼーっとしている方を見かけても、怪しまずに「あ、瞑想してるんだ」と温かく見守って上げて下さいね。

さて、これで終わるとまだちょっと短い感じですね、月イチブログとしては。

無駄話をもう一つしときましょう。
いつの頃からか店内中央の3本柱の一番後ろの柱の上に居ついて、店内を見下ろしている変な奴のお話です。

カモシカのような頭をした体長30cm程の大変怪しげな男で、普段は彫像のフリをしていますが開店前や閉店後の作業などしていると、突然ノビをしたりふいに話し掛けて来たりします。

顔こそ草食系ですが性格はかなりS寄りで、開店の掃除をしていると「こんな店いつまで続くと思ってんだ?」とか「段々仕事が雑になって来るな」とか皮肉を言ったり、閉店作業の最中に「あの客、お前の接客どう思ったろうな…」などとその日僕が気にしていることを蒸し返してきたりします。

そんな憎まれ口がほとんどで、あまり自分の事を話そうとはしないのですが、時々聞く身の上話によると、どうやら元は古い時代の兵士だった様です。
名はアルベルト・フォン・クライン。位は子爵で、ここに来る前にはファンタージェンという空想の世界で国王を魔物から守る近衛隊長の様な職についていましたが、大臣達とウマが合わずに「めんどくせぇ」と辞めてしまったそうです。

勝ち気な性格でナワバリ意識が強く、どうもこの店に入って来る気に入らない邪気を追い払ってくれているみたいで、はからずも店の魔除けの役割もしてくれているようです。

もともとウチの店内はご近所の長仙寺仁王門の鬼瓦さんが目を光らせる視界に入っていることもあって、そう簡単に悪いものは入って来れないのですが、ただ多少魔の血統が入っていそうな彼自身もこの鬼さんのことは少し警戒して、何となくバツが悪そうに目線をそらしているようですが…。

「こっから色んな人間を眺めてるのは割と飽きねぇ」と、柱に同化して毎日人間ウォッチングにふける無礼な彼ですが、なんせ邪気が嫌いな性質なので「最近何だかツイてない」というような方は彼のそばのお席に座ってみるのもいいかもです。
もし何か悪いモノがついてたら「何だお前」「お前こそなんだ」と勝手に喧嘩して、悪い気をぶった切ってくれるかも知れませんよ。

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秋の虫の音楽会2011とギャラリーのお知らせ

2011.09.10 Saturday 00:32
こんにちは。

次第に暑さも和らいで、ヒグラシの鳴く寂しげな夏の終わりです。
先日まで(初夏から夏にかけて)店内で元気よく鳴いていた去年のJr.の鈴虫達ですが、みな交尾を終え…無事全滅しました。

世間の鈴虫たちと比べると、卵のふ化から全てのタイミングが少し早くなってしまいたみたいですね( ̄_ ̄ i)

室内飼育で季節感がズレてしまったことが大きいのですが、実は彼らには悲しい性(さが)もあって、美しい歌声に引かれて無事にカップルが成立し後尾を終えた後には、そのままメスがオスを補食してしまうんですね。

カマキリのそんな話が有名ですが、きっとそれと同じ様に産卵前のメスがスペシャルな栄養素を取り込むということなのでしょう。

なので鈴虫飼育では、普通タイミングを見てオスとメスを分けたりするのですが、僕はそれよりも来年に向けて元気な卵を産んで欲しいので、オス達には自然の摂理に任せて潔く食われてもらうという方針(つまり分けない)で毎年行かせて頂いております。

結果、8月の後半に鳴き声は止んでしまい、ケースを開けるとメスばかりがワラワラと歩き回っているような状態でした。
何とも勇ましい肉食系女子達です。

オスの最期の一匹とか、普通ならハーレムと言える状態なんですが、彼らの場合はどんな心境になるんでしょうね。
せめて「自分の最期はどの娘に食われよう」という位の選択権はあるんでしょうか。
そんな状態でも、必死に鳴いてメスを呼ぶのだからこちらもスゴい男気です。
命がけの恋ですね。

まぁ全て僕が仕向けたようなもんですが、また来年に向けて丈夫な卵を産んでくれていればと願っております。

そんな訳で、Jr.スズムシ達は結局当初の予想通り例年の「虫の声イベント」シーズンにまではもたなかったので、スズムシ第2陣を新たに仕入れました。

同時におなじみのマツムシ、エンマコオロギも入荷しましたが、今年はそれに加えてさらにカンタンやカネタタキといった種類の虫も加えた豪華バージョンでいこうともくろんでいます。

今(9/9)もうすでに、夜の店内は数種類の虫の声に包まれています。
僕などはかなり幸せな気持ちになりますが、それにしたって秋の虫の声程気持ちを和ませてくれる音色が他にあるでしょうか。

もちろん、沢のせせらぎ、木々の葉擦れの音、森林の雨音など自然界の音には人の心を落ち着かせてくれるものが多くありますが、鑑賞に値する癒しの音色という意味で秋の虫の声に勝るモノはないでしょう。
また、一年の内のほんのひと時しか聞けない、という所もそれに価値を加えていますね。

秋が大好きな僕には、一年の季節の流れを最も実感させてくれるのが晩夏から秋にかけての時節の様に思えます。

その時自分の人生にどんなことが起こっていようとも、それとは全く関わりなく夜空が回り季節が巡ってゆくことは、何だか寂しいような無常観と心安らぐ不思議な安堵感を与えてくれますが、これをより強く感じさせてくれる秋を演出してくれるのが、儚くも優しい虫の声です。

日常を離れ心を休める絶好の季節である秋は、元々それを目的に作られたアール座読書館にとってもベストシーズンと言って良さそうですが、これを色付けるために毎年行っている「虫の声イベント」なんですね。

ちなみに虫の声は、日本ではきっと有史以前から人々の心を和ませて来た秋の風物詩ですが、実はこれを楽しめる(右脳で聞ける)のは日本人と中国人だけで、他の地域の人はあの美しいコオロギの鳴き声もノイズと感じてしまう(左脳で聞く)のだそうです。
感性の違いなのでしょうか、とにかく日本人独特の文化なんですね。

さて、今年で4回目となる「アール座 秋の音楽会」(今名付けた!)にて、素敵な音色を奏でてくれる楽団の小さなミュージシャン達をご紹介しましょう。

言わずもがなのスズムシは、やはり音色が絶品ですね。
誰もが知っている「リイィィィン…」という音色は単体ではもちろん、こうして多くの音色を同時に合わせる時にも、まとめ役として全体を美しく繋いでくれます。

マツムシは、一瞬小鳥かと思うような大きな声で鋭く「ピンッ ピリリッ」と鳴きます。毎年、この子達が断然目立ちますね。
アンサンブル全体を引き締め、緊張感を与えてくれます。

コオロギで最も美しい声と言われるエンマコオロギが発する、見た目に似合わぬ大変柔らかい「ヒョロロロ〜」という声は、僕の大好きな声です。
彼らとスズムシの二重奏が、このオーケストラの骨格になります。
特に今年のコオロギ達は非常に元気が良く、いつもより張りがあるし、数も多いのでサラウンドに配置してみました。

そして今年の目玉は、鳴く虫の女王とも呼ばれるカンタンという虫でしょうか。
虫達はそれぞれに声量が違うので、ケースの置き位置や防音措置などでそれを同レベルにそろえるのですが、今年はこのカンタンの儚げな声をフロントに配置出来たらとも考えています。
「リューリュー…」と、「幽玄を感じさせる音色」とまで言われる侘びの効いた繊細な声をお楽しみ下さい。

また小刻みな声で「キンッ キンッ」とアクセントを加えてくれるカネタタキは、毎年いらして頂いているお客様がご自宅の近所でわざわざ採集して持って来て頂いた、これも今年初登場のありがたい参加者です。
とても神経質な子達で、ずっと鳴き続けてる訳ではありませんが、ノッて来るととてもいい感じで鋭く音を刻んできます。

いずれにせよ今年は種類も多く、音量の調整も悩まされそうですが、きっと素敵な音楽を奏でてくれると思います。
そして彼らが特にノリの良い時間は、例のごとくBGMを切ってしまいます。

ちなみに、彼らが最も力強い音色で夢のような幻想的な音楽を奏でている時間帯は、悲しいかな照明の消えた閉店後なんです。
まぁ、自然の美しさですから人間が都合良く所有出来ないのは当たり前ですね。

皆がフルパワーで演奏出来るのはおそらく9月いっぱい位でしょうか。
やはり日暮れ以降の遅い時間の方が鳴き声は盛んで、日が進むにつれオスが食われて、音の厚みは少しづつ減って行きます(何というオーケストラ…)。

各お座席にはいつも通り、手作りの「虫の声鑑賞ガイドブック」を置いておきます。
種類ごとの解説や、秋の虫に関する日本の古い風習などまとめてありますので、興味のある方はこちらもご覧下さい。

これだけ美しい声の種だけを集めて一緒に聞ける機会というのは、自然環境でもかなり難しいでしょう。
ぜひお茶を飲みながら、ゆっくりと耳を傾けて様々に思いを巡らせて頂けたらと思います。

さて、9月のギャラリーのお知らせです。
秋の展示は彫刻家の春山恵美さんです。

春山恵美 個展
9月13日(火)〜25日(日)  

作家さんブログ→http://d.hatena.ne.jp/haru19870421/

アール座の展示スペースギリギリの大型オブジェやエッチングなど実にインパクトのある作品群は毒々しくも哲学的で、胎児のようで樹木のようで妖怪のようで女体のようで…何というか不思議な生命感の溢れる作品展です。

環境にも人体にも有害とされるFRPをメイン素材に制作された有機的で無機質な物体(生命体?)が、環境と生命の謎にダイナミックに迫ります。
何とも説明しづらいので、とにかくご覧下さい(笑)。
※ご観覧の方にはドリンクのご注文を頂く形になります。

カンタン
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夏、妖怪と日本の自然

2011.08.13 Saturday 00:52
こんにちは。

今お盆ですが、これから暑くなるんでしょうか。
いつもここで書く時候の話がそれ以降の天気とことごとく外れるので、何かもう、思い切ったことが書けません。

別の話をしましょう。
いま、店内の窓際前から2番目と3番目のお席に座って窓の外を見やると、プランターから黄緑色の蔓植物が縦横に蔓草を伸ばし、その先に白い小さな花と風船みたいな中空の実をつけている様子が目に入ります。

ホオズキにも似ていますが、もっと小振りの可愛らしいこの植物は「風船葛」といって、この春先に種を植えたものです。
これと言って目立つ所もない地味な子なので気にしないと見過ごしてしまいますが、ぜひ気にして見てやって下さい。
風船のような実も小さな花も、くるりと巻いた蔓の先も、よく見ると本当にかわいらしいやつです。

そしてさらに、夏が終わりこの袋が破けると、中からは小さなハートのマークが刻印された種が出てきてびっくりします。
どんなの?と思う方のために、その2番目3番目のお席の引出しのどこかに入れておきましょう(今年も植える予定なので水に濡らさないでね)。

さて、夏真っ盛りですね。

冷たい飲み物と稲川淳二が恋しくなってくる季節ですが、昔から日本で怪談といえば夏、というのはどうしてなんでしょうね。
体がヒンヤリして納涼の効果があるから、といような話は何だかこじつけっぽいですよね。
霊達が行き来する「お盆」があるからということもあるでしょう。

でも、日本の夏が妖怪シーズン(?)ということも無関係ではないでしょう。

実際、妖怪と言えばなぜか夏のイメージですよね。
確かに映画のトトロに出て来たような、あの森の濃厚でうっそうとした異様な雰囲気って日本では夏場に特有のものだし、そんな季節にはきっと精霊だの妖怪だのの自然霊も動植物と同じように活発になる気もします。

ということで、何だかこじつけっぽいですが日本の夏は妖怪のシーズンということに決まりました。
8月末にはお店が夏休みを頂いてしまう(スミマセン)ので、すぐに9月になってしまいますが、夏の後半に向けて妖怪本をオススメして見ようと思います。

さて皆さん、いると思いますか?
今、霊を信じるかと聞かれて肯定する人はおそらく過半数を軽く超えるでしょうが、妖怪となるとどうでしょうね。

人の魂由来のいわゆる幽霊に比べ、動物や自然霊のようなモノの擬人化であるキャラっぽい姿は、何だか見た目にもコミカルだし、科学がなかった時代の人々の迷信というニュアンスが強いですよね。

僕なんかはその手の話を大抵何でも信じてしまう方で、人の噂話や詐欺の臭いがなければ、かなりうさん臭い話でも大抵は鵜呑みにするようにしています。

小人を見た知人の話や大きな竜が空を横切っていくのを見たというおばあちゃんの話はもちろん、子供の頃自宅の裏山で体長2mの巨大アリを見た、と言って皆にバカにされていた西村知美の話も、きっと真実だろうと思っています。

宇宙人にさらわれた人の話だって、「宇宙人誘拐は一種の睡眠障害で自己催眠の様なもの」という説明だって、それぞれに、それはそれで信じてしまうので、何だか信念と言うものがないようですが、唯一嫌いなのは「そうに決まっている」「そんなことあるはずがない」と決めつけることで、この姿勢は何の得もないばかりか生活を味気なくするので極力避けるようにしています。

だから僕は、妖怪なんて余裕で現存生物(?)に数えています。
でも、昔の人々って普通の生活がそんな魅力(恐怖)に囲まれて生きていたんでしょうね。

科学的常識が圧倒的な信憑性を得ている現代社会と違い、神様やもののけなど、沢山の得体の知れない何かに囲まれての暮らしでは、きっと自然の中に置ける人間の位置を現代よりも正確に捉えられていたのでしょう。

霊体験の話は成仏出来ない霊魂の恨みつらみから発したネガティブな話が多いですが、比べて妖怪の怪談は万物の霊長とか言ってる人間が自然物にコケにされるシニカルな話が多くて面白いですね。

特に我が国特有の、狐や狸が人を化かす話には本当にとんちの利いた素敵な話が多いです。

また、個々のキャラクター性においての面白さも、日本の妖怪は群を抜いている気がします。
皆容姿、性質共々に独特で素晴らしい個性を持っていますよね。

柿の実を取らずにおいた柿の木は重みで枝がしなってだるくなり、やがては「たんころりん」という名の大入道になって村をさまよい歩く様になる、という何とも味わい深い話なんて日本人ならではの想像力です。

他にも「マクラガエシ」というヤツは寝ている間に枕をひっくり返すというどうでもいいことをする妖怪ですが、こういうのが魅力的ですよね。

僕は個人的に「油スマシ」というのが好きで、何の取り柄も必殺技もないヤツなのですが、そのいかにも妖怪然とした風貌が愛らしく、子供の頃、流行っていたガンプラには目もくれずにこれのプラモデルを夢中で作ったりしました。

独自の塗装を施し、戸棚の中にその背景となる田舎道のセットを作り、戸を開けると薄暗い空間に点滅球がチカチカと光って、その姿を闇の中に断続的に浮かび上がらせるという、自分で言いますが素晴らしい出来映えのセットを作り上げ、部屋の灯りを消して一人ニヤつきながらこれを眺め続ける小学生でした(今と何一つ変わっていません)。

アール座にはいるんでしょうかね。
室内中央の地球儀が置いてあるお席の前方にぐにっと生えている木は、かの有名な絞め殺し植物「ガジュマル」ですが、沖縄ではこの樹にはキジムナーなる妖怪が住んでいると言います。
本当はもっと大きな古木に住み着く赤髪のカッパみたいなヤツらしいのですが、見かけた方は教えて下さいね。

キジムナーはカッパの一族らしいですが、妖怪の代表格である河童や天狗の一族は、土地ごとにそれぞれの呼び名とエピソードで語り継がれているようで、河童ならキジムナーの他にも奄美から北海道に至るまで、ガラッパ、カワタロウ、カワンタロウ、ガータロ、ケンムン、シバテン、カワザル、スイコ、クセンボウ、ミンツチなどなど、性格も友好的だったり恐ろしかったりと、バリエーションにとんでいます。

でも同じような幻獣が違う呼び名でそれだけ広範囲に認識されていた、というのがスゴいことですよね。
やはり、全土に生息していたんでしょうね。

そういえば西洋にはゴーストはいても、へんてこな自然の妖怪みたいのはいるんでしょうかね。
アジアやアフリカにはそれっぽい話を聞きますが、ヨーロッパで有名なモンスターと言えば小説がオリジナルの都会的な連中か、後は神話時代にまで遡ってしまう大型の怪物みたいなイメージですよね。

北欧やスコットランドなど山岳、森林地域の妖精みたいなのが出て来る民間伝承は妖怪に比較的近いでしょうか。
やはり性格もイタズラっぽかったり、害の少なそうな所が似ています。
アール座の数少ないお茶請けの一つ「ブラウニー」の名は、スコットランド伝承の小人らしいですよ。

ヨーロッパの都会では中世には既に科学が力を持っていたということや、彼らのもともとの合理主義的な気質と合わないということもあったのでしょうが、やはりその暮らしと自然が切り離されていることが関係しているでしょう。

普通、自然と深く関わって暮らす民族は何かしらのアニミズム的な信仰を持っているものですが、日本もついこの前まではそんな地域の一つでしたね。
神道やアイヌ、琉球の信仰は、いずれも豊かな日本の自然に育まれたからこその思想で、そうした大きな信仰から派生的に起こる土地土地の民間信仰には特に精霊やもののけのようなのが沢山登場します。
妖怪たちの伝承は古い自然が色濃く残る土地と人間の関係に付随して生じやすいのでしょうね。

霊感のない僕は妖怪も幽霊も見たことはありませんが、昔一度だけそんな空気をたっぷり味わったことがあります。

学生の頃僕は放浪癖があって、知らない土地をうろつくのが好きでしたが、ある夏、紀伊半島にある日本屈指の歴史を持つ修験道「熊野古道」の中辺路と呼ばれる山道を制覇しようと訪れました。

ほぼ半島の先端を横切るくらいの距離の山道で、その日の内に制覇するのは無理そうでしたが、テントを持っていたので日が暮れたら山中で野営(ホントはやっちゃダメ)でもするかと、軽く考えていました。
当時は、熊野が神々の住む霊山でとても神聖な場所だという意識もあまりありませんでした。

キャンプ場でもない山の中で一人夜を越す(ホントはダメ)のは結構恐いのですが、恐怖感のネジが足りなかったのか、僕はその頃特にそういう所が鈍くて、山中のビバークも平気でよくやってました。

所がその山はいつもと違っていて、日が暮れてくるにつれて、それまでに感じたことのない異様な恐ろしさが漂い始めました。
大体山も田舎も、清らかな空気で昼間には気持ちがイイくらいの所程、夜になると寂しく恐い感じになるものなのですが、ここのはそんなのと次元が違っていました。
稲川氏が言う所の「やだなやだなー」って感じの空気の強烈なやつと言えばいいでしょうか。

闇が増すにつれて体が感じる意味不明の恐怖はどんどん濃くなり、次第にワケも分からず本当に身の毛がよだち始め、鼓動は激しくなり「これはヤバい」「とにかく早く抜けないとシャレにならない」という尋常じゃない切迫感に包まれていきました。

「いやいや、今さらこんな山の中で焦ってもしょうがない、どこかに場所を見つけてテントを貼ろう」と気持ちを落ち着かせようとした矢先に、山の上からドッドドドッと地響きのような足音が近づき、暗闇でフリーズしている僕の鼻先を、巨大な獣(多分鹿)の黒い体が横切ってふもとの方に走り抜けて行きました。

アニメの昔話で鬼に出くわした村人が「あれぇー」とか言いながら、死にものぐるいで両手両足をバラバラに動かすアホ丸出しのオモロい走り方をしますが、あんなのはマンガだけです…と思っていたのですが、その時の僕も気がつくとその動きで走ってましたね。

鹿か何かだと頭では分かっていましたが、体がいうことを聞かず、どこへ向かうためでもなくただビックリして足が回るだけ、という全く意味のない逃走というものを実行したのは後にも先にもあれだけです。

結局その後は息が切れ、地べたに座り込みながらも懐中電灯と地図を出し、少し先に山道と並走する国道との接点を見つけ、何とかそこまでたどり着くも、地図では接している様に見えた国道のガードレールが遥か高い崖の上に見え、必死の思いでロッククライミングをして国道まで這い上がり、通りかかった地元の車をヒッチハイクして町まで連れて行ってもらうと言う、かなりダメな旅行者をやってしまいました。

車に載せてくれた人が話してくれたのは「この山で夜を明かしたりしちゃダメだ。ここらは普通の山ではないから。地元の林業の者でも絶対に夜は森に入らない。夜この山に泊まってアタマおかしくなったもんの話とか怖い話が昔からいっぱいあるよ」というような内容のものでした。

それを聞くまでは、何だか神聖な森に「出て行け」と拒まれたような気持ちでいましたが、今思えば、森の危険を僕の体が察知して走らせたのかなとも思えてきます。

長い上に恥さらしな話で何を言いたかったかと言うと、その時森が僕に向けた(にせよ、こちらが感じ取ったにせよ)あの身の毛もよだつ感覚が、まさに自然霊そのものだったんだと思います。

僕は霊感がないので、それを映像として捉えることが出来なかっただけで、きっとあれが昔の人々が体験した妖怪の感覚そのものだったのでしょう(熊野は有名な天狗の山でもあったんです)。

幽霊の怪談聞いた時みたいに、冷や〜っとする感じじゃないんです。
何というか、怪物ににらまれているみたいな動物的な恐怖感です。
いやぁ、本物の妖怪はコミカルなんてもんじゃないんですね(汗)。

そしてあそこまで強烈でないなら、あの同じ感覚は高尾山にだってありますし都心の緑地にはないのが分かります。

沖縄県には「御獄」(うたき、おん)と呼ばれる琉球式の神社が各地に点在しているのですが、ある時訪れた竹富島の古いそれは、村はずれの一角が突然深い森の様になっていて、その周囲も木々が茂っているにも関わらず、そこだけ異様に緑が濃く様々な野鳥の鳴き声が集まっている不思議な所でした。

鳥居をくぐって奥に進むほど、何だか違う世界につながっていそうな、簡単に踏み込んではいけないような感じの異様な気が漂っていて「うわわ…」となりました。
昔これに似た所あったなぁと思ったのですが、それが熊野で感じたのと同じ種類のあの空気でした。

僕には区別がつかないので、何だか神様も妖怪もごちゃ混ぜの話になっていますが、とにかく普通に目に見えるものが持つ空気と違うんです。
そしてそんな体験は大抵いつも夏でした。

はい、ウマくこじつけられた所で、この夏後半は店のおすすめコーナーには妖怪関係書籍を並べておきますね。

以下蔵書から抜粋してのご紹介です。

遠野物語 妖怪談義 /柳田國男
いわずと知れた妖怪本のバイブルですね。
このジャンルをはじめて学術的に研究した柳田ですが、あくまで調査報告として淡々と綴られるそれらの話にはドキュメンタリーのタッチがあり、かえって非常に引き込まれます。
僕の好きな狐や狸の化かし話も、各地に伝わる質の良い伝承が多数紹介されていて嬉しいです。

日本民俗学全集 民間信仰、妖怪編 / 藤沢衛邦
民俗学の研究者である著者は有名な人ではないと思うのですが、その道では名の知れた人物なのでしょうか。
そう思わせる内容の濃さがあります。
見た目もタイトルも昔の地味な学術書の体をしてはいるのですが、内容はかなり濃いめのサブカル雑学本といった所です。

いわゆるマニアの人がその専門の話を始めると話題があちこちに飛び火しつつも話が止まらない、というあの迫力があり、書名と照らし合わせても、「その話いる?」と思える飛び火エピソードがふんだんに盛り込まれていてかなりの読み応えがあります。
このジャンルに興味のある方は必見でしょう。

水木しげるの妖怪事典 他/ 水木しげる 
現代で妖怪のスペシャリストと言えばこの人ですよね。
前にこの人の書いた妖怪図鑑を店に仕入れようとして、アマゾンで「水木しげる 妖怪」と入れて検索したら、あまりにも大量の著作がヒットして、探す気にならずあきらめたことがありますが、まさに第一人者と言って良いでしょう。

この人の妖怪本にはピンキリがあるというのが通説のようですが(あれだけあればそうでしょう)、何といっても素晴らしいのは挿絵ですよね。
緻密に書き込まれたタッチの中に怪しさ、面白さ、恐ろしさ、愛らしさが見事に調和した、モチーフをよく知る(見たことがある)描き手ならではのリアルな迫力があります。

日本妖怪大図鑑
妖怪図鑑は数ありますが、どうしたって図版はまぁイラストの想像図ですよね。
当たり前のようですが、そんな中で「実写の妖怪図鑑が見たい」と言う無茶な願望を満たしてくれる希有な本がこれです。
非常に出来が良いし、妖怪の代表格を上手に網羅してあります。
実は映画が元になった企画本ですが、古本屋で見て即買いでした。
監修の水木、荒俣、京極氏らも妖怪の姿で登場。

陰陽師 シリーズ /夢枕獏
ご存知、人気のベストセラーシリーズですね。
まぁ読み物なので、小気味よい流暢な文体とカッコいいストーリーで気軽に楽しめます。
ただ、全編を通して語られる「呪」というテーマについてのやりとりは思想的でなかなか深いです。

ほとんどが読みやすい本ばかりですので、奥深い日本妖怪の世界に軽く触れてみるには良いと思います。

あらかじめ妖怪の知識があれば、もしも自分の部屋の片隅に見たこともない小さな人が座っていた時に、塩を撒いて追い払うべき奴なのか、話しかけて友達になっても良いのか、その場で判断がつきますよ。



フウセンカズラ
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節電、鈴虫、ギャラリーのお知らせ

2011.07.09 Saturday 01:03
こんにちは!
前回のブログでは梅雨入りに合わせて雨の日のアール座をおすすめした途端に、雨がパタリと止まってしまってびっくりでした。
「少しづつ梅雨の空気が濃くなって…」などと小粋な書き出しをしただけに、店主の恥ずかしさもひとしおです。

うってかわって、今度は梅雨らしからぬ猛暑日が続いていますね。

何だか夏が来る度に暑さがキツくなってく気がして、毎年のことながら気候の変動に体がついていきません。
これから夏場にかけては更なる猛暑日が続くと見込まれている上に、今年は「節電」という課題も課せられているので、少々の覚悟がいるのかも知れませんね。

取り敢えずこの場を借りて、節電に関してのご説明とお詫びを申し上げます。

先ずは、こんな事態の昨今ですが、お代を頂いてひと時を過ごして頂く飲食店としましては、夏場はどうしてもエアコンに頼らざるをえない状況が出て来てしまいますことを、どうかご容赦頂ければと思います。
一般のご家庭でクーラーを極力使わずに頑張っている方には、頭も上がりません。

また一方では、こうした事態の中ではエアコンの使用も最低限に限られてしまうため、これからの夏、特に平日の猛暑日や電力使用のピークタイムなどには最も快適な室温には至らない時間帯もあるかも知れません。
こちらもご利用の方には、何卒ご容赦頂けたらと思います。

例年ですと夏場はエアコン2台をフル稼働させるのですが、今年は様子を見つつ極力一台で、設定は出来るだけ27〜29度(実際の室温ではありません)位で行けないかと、今の所は考えております。

尚、床に置いてある扇風機はいつでもご自由にスイッチを入れてお使い下さい。
周囲にお客様がいらっしゃる時は首振り設定にさせて下さいね。
また、風が寒い方もお申し出下さい。

夏場熱を持ってしまう照明電球のワット数を下げてありますので、店内は少々暗めになっています。
照明を切ってあるお席もありますが、こちらはご利用の方がいらっしゃれば点灯させますので、遠慮なくお座り下さい。

すみませんが、エアコンがついている時は窓を閉めておいて下さい(ついていない時の開閉はご自由にどうぞ)。

あと、お水のおかわりはいつでも言って下さいね。
あまり店主が客席をうろつくべき店ではないと思い、基本的にウチではこちらからのウォーターサービスを行っていないのですが、お水が欲しい方は我慢せずにお声をかけて下さいね。

色々と不自由をおかけしてスミマセン。m(_ _)m

もちろん居づらい程暑くなることはありませんが、少しでもお役に立つかと思い、今度試しにお手洗いに市販の制汗スプレーを置いてみようと思っています。
胸元にシュッとやるとヒンヤリ感じるアレです。

使い切るペースがあまりに早かったりすると置き続けるのは難しいかもですが、意外に体感温度を下げてくれるので、置いてある時は試しに使ってみてね。

元々アール座では、昔よくあった飲食店のクーラーをフル稼働してキンキンに冷やすやり方をあまりせずに来ました。
ヒンヤリする程の不自然な冷気を提供するのはあまり好きじゃないんです。
町を暑くするし、体に良いワケないし、回転上げ作戦(入った時気持ち良くて長く居ると冷える)だし。

でも「やっぱり入った時気持ちイイ方がイイ!」という方はどうかご容赦下さいね。

所で最近は、店の向かいの建物が取り壊されたため(騒音によるご迷惑をおかけしました)、北西部分がとても風が通る様になり、さらに向こう側がお寺さんの敷地なためか、何だか気の通りまで良くなった気がします。

この後あの場所はお寺への通用口になるそうなので、きれいなお庭の緑がずっと見えているのでしょうか。
だといいなぁ。
もう少し涼しい季節になったら窓を開けて風を入れようと思っております。


さて、今年もそろそろ店の鈴虫が鳴き始めています…て、ちょっと早いですよね。

例年は虫の声を晩夏〜秋のイベントにしようと、8月末に成虫を仕入れていたのですが、毎年のことになって来たので今年は去年の卵を孵して育てようということにしたんです。
で、育ててみると、実際には成長の早い奴がもう6月から羽をそろえて鳴き始めてしまうんですね。

鈴虫の飼育には普通、植物性(野菜など)と動物性の餌を与えます。
後者の餌としていつもはカツオ節や煮干しを与えていたのですが、今年は用意がなかったので、いつも熱帯魚にやっているフレーク状の乾燥餌をくれてやった所爆発的な食い付きを見せ、そのせいでしょうか、みるみる内に大きくなってしまいました。

やはり自然物とは食いつきの良さが違うのでしょう。
「スズムシのエサ」として開発されたモノですらないのに、ペット産業メーカーの開発努力は恐るべしですね。

昔実家で猫を飼っていた時、ウチの二番目の姉が猫に与えていたキャットフードをふいに一口食べて「あ、美味しい…」とつぶやいてから止まらなくなり、それからしばらくの間はいつも家の中で、猫の顔が印刷された徳用サイズの紙袋(缶詰とかでない乾燥固形フードです)を抱えつつ、それをバリボリと口いっぱいにほおばりながらTVなんか見てました。

子供心に「このままではお姉ちゃんが猫になってしまう」と、とても恐かったのを覚えています。
幸いある時から急にパタッと食べなくなりましたが、恐いのは、今その時の話をしても本人に全くその記憶がなく「そんなもの食べる訳ないじゃん」と、笑って真に受けてくれないことです。

メーカーの開発努力の話をしようとしたのですが、今読み返してみると動物霊に取り憑かれた話にしか聞こえない内容ですね。

店のスズムシ達はまだ小さいのも沢山いますが、この分だと9月までもつかどうかも微妙です。
虫の声イベントは夏の終わりのちょっと寂しい時期に侘びた虫の声を、という演出でもあったのですが、でも本来は夏に鳴くヒト達なんですよね。

そんな店主のあざとい思惑をよそに、一心不乱に鳴いている虫達の声は鳴き始めの頃よりもずっと上達して、より美しく澄んだ声に磨かれて来ています。

羽が生えた直後は「ジ、ジリ…」とか「フィリフィフィ…」とか「テレレ…」とか不細工な感じに鳴き始め、「ちゃんと鳴けない子達なのか?」と思わせるつたなさなのですが、こんな声でも恥ずかしがることなく一生懸命鳴き続けます。

でもそれを来る日も来る日もひたすら繰り返していく内に、いつの間にか鈴虫らしい「リリリ…」という音を奏で始め、「お、鈴虫…」と思えるような声になってきます。

で、彼らが偉いのはそこで満足せずに、さらにさらに無心に鳴き続けるんです。

すると音はどんどんと広がりを見せ、音色はますます美しく澄み、ついにはあの不思議なコーラスが効いた鈴虫特有の「リイィィィィィィィン…」と心の奥に響く幻想的な鳴き声に到達するんですね。

あのつたない鳴き声の子達がひたすら鳴き続けてこの声を造ったのかと思いながら聞くと軽く泣けてきます。

鳴き始めの頃に「よし、6つある虫かごの内の一つに、特に音楽性の高いエリートばかりを集めてアール座聖歌隊を作ろう」「ああだめだ。近くに寄ると鳴きやんでしまうので、どれがどの声の主なのか分からない…」などとやっていた自分のアホさと俗っぽい能力主義がイタいです。

なので、今年は自然の成り行きに任せて夏の夜を虫の声で飾ってみようかと思っています。
8月になったら、他の種類の虫も投入予定ですので、楽しみにしていて下さいね。

さて、ギャラリー展のお知らせです。

最近お問い合わせを多く頂いているアール座ギャラリーですが、現在の所はっきり確定しているのは、7月下旬から絵画と人形展、9月中旬からはオブジェと絵画展、11月下旬から年末までのコレクション展の3つです。

震災の影響でキャンセルが続いたため、年内は結構空きがありますので、お考え中の方はお気軽にご相談下さいねー。

先ずは7月

清彰子個展「ルック アット ミー展」 
7月23日(土)〜8月5日(金) ※29日(金) 午後4時〜7時は貸切

幻想的な童画と人形の作品展です。
アール座ギャラリーにはクラウンやイタリア喜劇系の作品の出品が多く、空間にもよく似合うと思うのですが、今回もそんな雰囲気たっぷりの作品達が店内を幻想的に飾ってくれます。

「人は誰でもずっと、だれかに自分を知っていてほしい。だから私も作品を作りつづけてきた。絵も人形も、私の代わりに叫んでるの。ルックアットミー!ってね」と語るのは、今年86歳になるアーティスト・清彰子さん。

86年分のルックアットミー!ぜひご覧下さい。

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古代美術と民俗美術

2011.06.13 Monday 15:31
少しづつ梅雨の匂いが濃くなってきましたね。
店の虫カゴでは、去年の秋に鳴いていた鈴虫のジュニア達が卵から孵って夏を待ちわびています。

アール座は雨の週末に混んだりするヘンな店ですが、「晴働雨読」といって、日本人は昔から野良仕事が出来ない雨の日には家で本を読んできたんです。
何だか宮沢賢治みたいでカッコいい生き方ですよね。

外にいる時に突然降られると困ってしまう雨ですが、室内から窓越しに眺める雨はとても心地良いものですね。
そんな日には雨音や濡れた草や葉、窓ガラスをつたう雫が楽しめる窓際のお席が特におすすめです。
店内で夕立に降り込められるのも悪くないですよ。

さて、今月は「古代美術と民俗美術」の本をご紹介です。
なぜ今?という理由が何もない、ただの思いつきです。

意味合いの違う二つのジャンルを強引にひとくくりにしてしまいましたが、時代のモードや経済の影響が少ないプリミティブな感覚から生まれた美術は、貴族趣味や近現代の文化的な美術とは違った、強い生命力と豊かな霊感の魅力に溢れていて素敵です。

なかなか触れてみようと考える機会の少ないジャンルだと思いますので、どこかでおすすめ出来たらとは思っていたんです。

よく雑誌の方がお店を取材して下さる時に「この本全部の中で一番読んで欲しい一冊は?」というなかなかハードなご質問を頂くことがあり、あわあわしながら幾つもあるフェイバリットを思い浮かべ、ムリヤリに一冊上げさせてもらったりしてますが、そういうケースで苦し紛れにも最多登場しているのが、あろうことか「縄文土器文化」なるぼろぼろの図鑑だったりします(大概掲載されません)。

こういう所、アール座っぽいですよね。
おしゃれなブックカフェオーナーのカッコいいセレクションとはひと味違います。

しかし侮るなかれ。じっくり見てみて下さい、縄文土器。
ヘンな言い方ですが、ちょっと日本人離れした凄まじい力強さがあります。

かの岡本太郎を唸らせたのは有名で「何千年も昔に俺のマネをした奴らがいた」とか「この文様は深海魚だな。奴らめ、深海を知っていたな」などの素敵な名言を残させていますが、確かに図版の拡大写真(また出来れば各地の民俗資料館などで実物を)をじっくり見ると、恐い程の生命力があります。

日本人離れと言いましたが、有史以降の日本人は土着の縄文人と大陸から入ってきた弥生人のハイブリットと言われていますので、純粋な縄文人の美的感覚はそれと少し違うということなのかも知れません。

日本列島の両端に住むアイヌと琉球ルーツの人々がそれに近い(本州に大陸系民族が入り、南北に勢力を拡げたため)とも言われますが、その文化は確かに日本文化特有の「わび」の感性や女性的な繊細さよりも、海洋の島々の民族文化やアイヌ、琉球の文化に通じる野性的で躍動的な美意識が見て取れます。

乱暴に言うと土偶と埴輪の違いの感じでしょうか、文様も複雑でしつこい位のアクの強さがあります。

それにしても世界最古と言われる土器文化にこのクオリティの芸術性が備わっているというのはスゴいです。
人間て元来芸術家なんですね。

一方の弥生土器は、縄文好きな人には面白くないと言われたりしますが、これはこれで非常に詫びた美しさを持つ名器揃いの文化で、縄文とは赴きが違う感性の芸術です。

こちらは文様よりも印象的なフォルムで勝負している感がありますが、非常にシンプルで繊細かつ大胆なデザインには、大和時代以降の日本文化の根底に流れる、いわゆる「和風」の感性が既に現れていて、侘び好みの美しい土器だと思います。

アール座のショーケース最下段には中国土器が飾られていますが、実はこれも紀元前の先史時代(殷以前)にまでさかのぼる相当に古いものです。
骨董商を営む叔父から開店祝いとしてもらったもので、かつては数百万程の値がついたものらしいですが、その後どこからか大量に出土し、その価値が百分の一に下がったという悲しい代物らしいです。

骨董の価格にはこういう所がありますので、あまり振り回されなくても良いんですね。

関係ないですが、僕はシジミの味噌汁って、旨味ばかり強いフカヒレや燕の巣のスープよりもずっと味が深くて質が高い味なんじゃないかと思ったりします(本当に美味しいの頂いてないからかな?)。
もし珍しいモノだったら高値がついて注目されそうなのに、ありふれてるから見向きもされないものって沢山ありますよね。

骨董価値は希少性と人気(美術的価値など)が重なると跳ね上がりますね。

よく「まんだらけ」とかで、自分が子供の頃遊んでいたおもちゃに信じられない値がついていて驚きますが、ウチにもあるんじゃないかと考えてみると、大抵は残っていたとしてもボロボロで原形をとどめておらず、コレクター趣味の薄い時代に子供の玩具があんな状態で残っているのは奇跡に近いよなぁと思ったりします。

古いものが現代のものより質が高い骨董価値は美術品、工芸品に多いですね。
専門家は「古い時代に作られた物は本当に良いんだ」とよく言いますし、現代工芸において匠と呼ばれるような名人達が口を揃えて「昔の職人の技にはどうやっても追いつけない」と嘆息するのを良く耳にします。

趣味や情報も便利な道具も少ないからでしょうか、職人さんの技術も精神性も、時代が下る程レベルが上がるのだという認識が、職人の世界にはあるようです。

ショーケースにも置いてあるガンダーラ仏像がそんな古代の魂を垣間見せる品々なのですが、こちらは文化的な仏教美術ですので、別の機会に仏像特集かなんか設けてスポットを当てたいと思います。

で、確かにウチの中国土器(やっと話が戻りました)も大変力のある独特のフォルムと何とも美しい風合いを持っていて、大ぶりで色の強い花なんか生けると、素晴らしく映えます。

日本の縄文とも弥生とも違う独特の造形ですが、先史時代の感性って本当に野性的で、現代人がなかなかまね出来ない所があります。

以前僕は何も知らずにこの壷に直接水を入れて花を生けていたのですが、何だか表面が湿っぽく柔らかい粘土のような質感になってきたので、あわてて水を抜いて叔父に尋ねると「土器に直接水を入れたらダメだよぉ!」と笑われました。

土器は陶器の様な高温で焼き締められてはいないので、水に弱く、花を飾る時は壷の中にガラス瓶を入れてそこに生けるのだそうです。(;^_^A

それにしても、数千年も前に遠い異国の見知らぬ職人さんに作られたこんなヤワな物が、よくもまぁ形を保ったまま現代のこの店までやって来たものだと思うと、何だかかわいく思えてきます。

中国で土器、陶磁器と並ぶ文化に青銅器がありますが、これも僕の大好きなジャンルです。
縄文土器の力強さにとても近い印象を受けますが、中国青銅器は複雑な装飾を施した銅器の文化で、先史時代から中国史に連綿と受け継がれる、縄文に匹敵する力強い芸術です。

特徴的なのはその表面に施される、迷路のように細かく複雑な渦巻き状のトウテツ文様でしょう。
饕餮(トウテツ)とは中国に伝わる伝説の怪物で、呪術や祭事に使われることの多かった銅器に魔除けの意味で刻まれたこの羊の角のデザインが複雑に進化した様式です。

我々が中国をイメージする時についてまわる、あのラーメン屋ののれんや丼の縁にある四角い渦巻き模様もこれがルーツらしいのですが、見ていると目が回るような吸い込まれるような魔術的な力があります。
それに加え、青銅器は重厚に鈍く光る黒鉄色とエメラルドに輝く銅錆びの色合いも魅力的ですね。
青山の根津美術館なんかにはコレクションが充実していますので、興味のある方はおすすめです(常設展示されているかご確認を)。

さて、人類の絵画史において太古のものが現存するのは壁画ですよね。
教科書で習ったラスコー洞窟、アルタミラ洞窟の壁画が、いわば人類芸術文化のルーツを垣間見せてくれます。

描かれる動物たちの美しいフォルムと素晴らしい躍動感は、発見以来、現代の世界中のアーティストを驚かせてきました。

どんな人が描いたのかと考えてしまいますね。
専門の絵描きがいたんでしょうか。
毛皮を羽織った毛むくじゃらの原始人(イメージ)があんな繊細なセンスの絵を一心に描いている光景を思い浮かべると、何だかカッコいいですね。

今回は話がひどく脱線するので、どんどん外れていきましょう。

人が作った道具でウチの店にある一番古いモノは、間違いなく書棚中央最下段の図鑑コーナーに何気なく置いてある石器でしょう。

レプリカと思っている方も多いと思いますが、実は石の部分は太古の原始人が作った実物です(後から糸で持ち手を付けたモノ)。
どこから出土したものかは聞いてませんが、黒曜石で出来た石斧で、かつてはもっと鋭く尖っていたのでしょう。

実は先日、例の鉱石標本に黒曜石も加えようとして、入手した大き目の塊を標本箱のサイズに砕こうと試みたのですが、結局あきらめてしまいました。
めちゃくちゃ固いんです。
石の真ん中にクサビを立ててハンマーで力一杯打ち付けるのですが、薄い破片がとんで手がしびれるだけで、滅多に砕けません。

その破片が余りにも薄くて硬いので「鉛筆削れるじゃろか…」と思ってやってみると、見事に削れてしまいます。

黒曜石が太古の打製石器に使われたのは有名ですよね。
確かにこんな硬質で鋭い石片が手に入ったら原始人だって「鹿の皮剥げるじゃろか…」とやってみたくなるでしょう。

この打製石器がその後、石を削り出して作る磨製石器に発展したと昔学校で習いましたが、打製石器の使用を経ることなくいきなり素材を研磨するという発想は生まれないでしょうから、この黒曜石の割れ方の性質が人類の文明を産み出したと言っても過言じゃないかも知れませんね。

さて、太古の壁画の話でしたっけね。

現代のアフリカンアートやアボリジニにも近いモノがありますが、野生に近い所に住んでいる民族のアーチストは動物たちをとてもしなやかに描きますよね。

我々は普通大型動物にもう少し荒々しく力強いイメージを持っていて、大きな体躯や皮膚、毛並を細かく描写してその迫力を表現する方が好きだったりしますが、この人達はのびのびと走り回る野生の獣たちを遠目で眺めるからでしょうか、非常に美しい流線型のスマートなフォルムを獣の姿に見て取るようですね。

デザイン的に大変完成されていますが、にもかかわらず軽薄な感じにならないのは、何だか霊的な魂がこめられている雰囲気も同時に感じられるからでしょう。

プリミティブな民俗美術最大の魅力は、何と言ってもアニミズム信仰に基づく強い霊的な表現につきるのではないでしょうか。

そう言えば、窓際前から4番目のお席(ベタの席)の本立てにアフリカ土産の人形の置物があるのですが、この人は先日の地震の時、他の置物が皆倒され散らばっている中でたった一人、何と頭を下にして逆さまに立っていました。

(再現画像)
容姿や雰囲気からして何かただ者じゃないとは思っていたのですが、やはりなかなかのクセ者です。

あの日はその他にも、どう考えても落ちる様な位置の食器達が驚愕の踏ん張りをみせてくれたり、落下していたらきっと割れてるだろうと思っていた机上の薄手の硝子ビンが見当たらず、その下の引出しを開けたら、中に横倒しになって収まっていたり(揺れで引出しが開いて閉まるタイミングに自力で飛び込んで避難?!)して、常々感じていた「アール座の小物は生きてる」感を強めた次第です。

そうそう、美術の話でしたっけね。

ウチにある「民俗美術」の古い図鑑に掲載されている、世界各地のあらゆる民族の美術品は皆、粒子の粗い写真からでさえ十分に伝わって来る、恐いくらいの霊的な気を吹き出しているように見えます。

特に祭事や呪術に使う彫り物や仮面などはド肝を抜くデザインのものも多く、見るものを引きつけます。

しかしこの手の神が宿る、魂が籠る系(?)で世界一強力なソウルアートこそは(ネイティブなアートとは少し違いますが)我が国の伝統芸能、能に使用される面ではないかと僕は思います。

ウチにある「能面」という作品集に載っている「孫次郎」などの中世の名作は、写真で見てもスゴいオーラを放っていますよ。
「〜能面展」として実物を展示する催しは都内でも時々開催されますが、見応え十分の世界ですので、興味ある方にはおすすめです。

他に、民俗美術として優れているものに刺繍や手織り、キルトなどの生地の文化がありますが、「インド 砂漠の民と美」という写真集には、インドはクジャラート周辺のド田舎の村の日常風景で、水汲みするおばちゃん達が普段着として信じられないような美しい刺繍や手染めの衣服をまとっている光景が見モノです。

今月は随分と渋い路線をオススメしてしまいましたので、おすすめコーナーには年季の入った古本が並ぶ古書店のような感じになってしまいますが、まぁそんなのも悪くないでしょう。

美術というと、まるで中世〜近代のヨーロッパの美術のことを指す様に我々は教わってきましたね(アートといえば現代の商業美術)。
生活につながった土着のアートを見ていると、美術という言葉ににアカデミックな専門分野の匂いがついているのが、何だかバカバカしくなってきて楽しいです。

自分でも粘土とかこねくり回したくなってきますよ。



縄文式土器/弥生式土器/中国青銅器
category:2011 | by:アール座読書館 | - | - | -

幻想芸術と死生観

2011.05.09 Monday 01:42
最近やっと水槽環境が復活しました。

地震の時の事故でしばらく寂しくなってしまった水槽内でしたが、お会計の時に「お魚さん達は?」と心配そうに聞いて下さる方が思いのほか多くいらして、沢山の方にかわいがってもらっていたんだなぁと知りました。

水草を植え直してから、魚がいない間に若干CO2と肥料を強めた所、ぐんぐんと緑は濃くなり、少し赤系の水草を足して、今や以前の環境を凌駕する勢いです。

そこで魚の方も、先日思い切って新しい子達を大量に入れました。
皆まだチビ達ですが、元気よく泳いでいてとてもかわいいです。

思えば、この前までいた子達だって、4年前に入荷したときはこんなサイズでした。
ここで時間をかけて育ってくれたんですね。
新しい子達も、負けずに大きく育ってくれたらと思います。

最近また、室内のシルクジャスミンが花を香らせているのですが、先日開店前に窓を全開にして換気をしていたら、花の香につられてか、突然立派なアゲハ蝶がはたはたと室内に迷い込んできて室内を舞ったので、しばらく夢のような気持ちでボーッと眺めていました。

次第に慌てふためいてきたので、疲れないウチに窓口に追いやって逃がしましたが、いやぁ、ずっと見ていたかった。
僕が言うのもなんですが、かなり映えますよ。アール座にアゲハ。
このまま店内で離し飼いに出来たらどんなに良いかと思いました。

たかだか虫一匹飛ぶだけで、空間の雰囲気が随分と幻想的になるものなんですね。

実はこの所、期せずしてアール座に幻想的な匂いのアイテムが集まってきている気がするので、今回はそんな雰囲気のお話をしつつ、おすすめとして幻想的な気分に浸れる書籍(黄色の文字で表記)を選んでゆこうと思います。

蝶と言えばウチには蝶の標本がいくつか飾ってありますね。
蝶のデザインというのは本当に幻惑的で、特に見慣れぬ外国産種の美しい柄は、どう見てもこの世のものとは思えませんよね(おすすめ書籍→BUTTERFLIES AND MOTHS他)。
近頃ふいにまた作りたくなって、おすすめコーナー上の壁面に二つフレームを増やしましたので、お好きな方はご覧頂けると嬉しいです。

そもそもが異空間を意識して作られたアール座ですが、その守り神をしてくれている鷹(サシバ)の剥製は、実はこの店が入る前、この部屋がお寿司屋さんだった(!)時にガラスケース入りで飾られていたもので、経営されていた今の大家さんが置き場がなくてここに置いていたのを譲ってもらったものですが、室内を幻想的に演出する上でかなり重要な役割を担ってくれていると思います。

近頃は節電で店内が薄暗い状態にサティなんかかかって、この鷹のシルエットが後ろの壁に写ってたりすると、ふいにこの空間だけ時が止まったような、「今外に出たら違う世界に出てしまうんじゃないか」とか考えちゃうような、なんともヘンな気分に襲われることがあります。

剥製もまた、幻想的な空気を強くかもし出すアイテムですね。
宮沢賢治の「黄色いトマト」(→新編銀河鉄道の夜)に出て来る田舎町の古い博物館に展示された鉢雀(ハチドリ?)の剥製と少年の会話の描写風景は幻想的で大変美しく、僕の大好きなシーンで、アール座空間を作る際の原型イメージになった情景でもあります。

剥製や標本のようにインパクトのあるものを飲食店のインテリアに使うことには、最初、懸念の声(普通の喫茶店を開業すると思っていた人達から)もありましたが、まぁ嫌いな人も多いですよね。

一般に気味が悪いと疎まれたりもする剥製や標本ですが、逆に惹かれる人も少なくないです。

パリ郊外にあるデロール(→好奇心の部屋デロール)という名の剥製標本専門店は、知る人ぞ知るマニアックな観光スポットらしいですが、写真で見ても確かにある種の人々を引きつける魅力的な空間のようです。

普段動いてる印象のものがピタリと静止した姿の剥製や標本は、それだけでも静止した時間と空間を意識させ、薄暗い中ではシュルレアリスム的な非現実感をにじませて、周囲の空気を幻想的にしてくれます。

ただ、僕なんかはそれだけではない、より深く心落ち着かせてくれる何か安堵感に近いものを感じてしまうのですが、ヘンなんでしょうかね。
カルト趣味的なものとも違う感覚で、昔から自分でも不思議な感覚でしたが、皆さんはどうでしょう。

まぁ僕自身は蛙のホルマリン漬け解剖標本にすらアルファ波を出してしまうヘンタイですが、もっと繊細な人達〜古いガラスの実験器具や標本、鉱石、古い天文学の図版なんかを見ると呼吸が荒くなってしまう(笑)理科的趣味の方や、幻想的な装飾のビクトリア調、ロココ調の雰囲気に心引かれる耽美趣味の方など〜のアンテナにも引っかかる所ですよね。

剥製以外にもこの手の幻想的なものには、恐さと心安らぐ感情が同居したようなパラドキシカルな魅力がありますが、一体何なんでしょうね。

死んでいる皮や骨、生命の出て行った抜け殻のようなものを人が気持ち悪がるのは、死への恐怖感として普通に理解出来る所です。
恐怖感そのものが好きなオカルト趣味も、その裏返しという感じで分かる気がしますが、こうしたエグいモノがそんなセンシティブな感覚を癒してしまうのはなぜか考えてしまいます。

そんな人達に共通の好みで「鉱物」という趣味もありますが、これに通ずる所のような気がします。

地中で、我々には考えられないような長い時間を経て蓄えられた力を持っているのでしょうか、まぎれもないこの世の物質ですが、なかなかに非現実的、幻想的な匂いが強いですよね。

鉱物の美しさは、悠久の時→閉じ込められた時間→異空間といった連想につながり、何だかこの世と異なる次元の空間に置いてあるような妙な存在感を感じさせませんか?

所でこの前、新たな仕掛けがまた一つ完成しました。
名付けて「R座鉱石博物館」。

まぁ博物館と言っても、例のごとく引出しの中です(出た)。
窓際前から3番目、柱の奥のお席の左下の引出しです。
お好きな方は、他の引出しにある拡大鏡や書棚の「岩石と宝石の大図鑑」も合わせて一緒に楽しんでみて下さいね(夜の方が比較的見やすいかも)。

話を戻しますが、剥製や標本、化石なんかは、かつて生命として動き回っていたものがそれを終え、鉱石のように永遠で無機質な世界に迎えられた象徴としてイメージされている気がします。

この、やがては自分も移ってゆく静寂の世界を感じることが、本能的な安らぎにつながるのではないでしょうか。

特に生命感溢れる躍動的な気や軽薄な現実世界がふいにまぶしくうとましく感じられ、心乱されるような気分の時には、無機質な異世界に憧れてしまいますよね。
そんな世界の住人に対する畏敬と親近感のようなものもあるのかも知れません。

逆に、もともと向こう側にいるのに、静かな生命感を持って語りかけて来る球体間接人形(→KATAN Doll他)なんかも、両方の世界に二股かけている存在特有の幻想的な魅力がありますね。

感覚を同じくする人にしか伝わらない表現かも知れませんが、こんな風に我々の意識している世界に隣り合わせた空間があると思うことや、自分もいつかは自然に死んで化石や鉱石のようにそこに帰れるという事実は、本能的な恐怖を伴いはしても、実は意識の根底で人に安心感を与えてもいる気がします。

死を静寂、神聖、永遠なものとして受け入れる姿勢は、決してニヒリスティックともネガティブとも違う、死を含めた人生観につながる腰を据えた態度だと思います。

美術において死と異次元的な幻想世界を合わせたような表現は、宗教が死生観を画一的に支配していた古い時代よりも、近代のシュルレアリスムや形而上派(キリコとかの)、象徴主義辺りから意識されてきたものでしょう。

どちらかと言うと、ダリ(→SALVADOR DALI他)やキリコの方は「永遠」や「静寂」の空間を憂鬱で気だるい心理描写として描くことが多いですね。
逆にベックリンなんかの象徴主義(→Symbolism)は不安感をたっぷり出しながらも、それを美しく描き出します。
ムンクになると幻想よりも不安で画面が塗りつぶされてしまいますが、死をどうとらえるかは、思想よりもその人の性格や精神状態から来る「趣味」に左右されるものなのでしょう。

人間には生き抜くために死を嫌う本能が備わっていて、これが死を生と分けて「忌まわしいもの」と考えさせるのだと思います。
ただ本来は、生と死は分かつことの出来ない一続きの出来事ですから、生命が終わることは生まれ出ることと同じように、とても自然で大事な出来事です。

どことなく死を祝福するような空気感すら漂う象徴主義なども、きっと死をそんな大切な節目のようにとらえているのかも知れません。

そんな風に「生」には始めから「死」が含まれていますが、逆に「不死」というものが存在したら、これはもはや「生」ですらない単純な「存在」で、意識があったらそれこそ悲劇的な不幸ですよね。
永遠というものを憂鬱に表現するダリやキリコが感じる世界観に、それは近いように感じます。

美術史における無人の廃墟の絵画ばかりを集めた画集「死都」も、そんな風に見ると大変見応えがあります。

現代アートでは思想よりも感覚の方が前に出ますが、ジョセフコーネル(→Joseph Cornell Master of Dreams)や桑原弘明(→scope他)などの作品に、そんな異次元的な静寂と永遠の空間が、より感覚的に表現されています。

魅力的なような憂鬱なような不思議な空間ですが、いづれにしろ我々には外から覗き見ることしか許されていません。
そしてどちらも、閉ざされた世界を現実から隔離するのに「箱」というアイテムが用いられているのが面白いですね。

箱と言えば、近頃店内のお座席で背後から見つめる少年と少女の視線を感じた方はおられますでしょうか?
別に恐い話じゃないですよ。
最近新たに、イラストレーター七戸優氏の絵本「箱少年」などの原画(身内が所有していたものを借り受けました)を壁面に飾らせてもらいました。
これが不思議と、気づかぬ内にもアール座の空気を一層色濃くしてくれているように感じます。

絵本は素敵な詩画集のようで、シュールで哲学的な内容をポップで幻想的に仕上げた詩的な世界観のお話です(何のこっちゃ)。

現代はそんなジャンルも随分と充実してきましたが、僕がはじめてそんな世界に触れたのは「扉の国」という絵本でした。
やはりシュルレアリスム的な画風と、日常の隣りにある不思議な部屋という設定が魅力的で、子供の頃何度も読みました。

いつもと何かが違う日、家の中でふいに話始めた飼い猫に導かれて扉を開くと…と言うと、ちょっとありきたりな感じもしますが、そこは王道と言いましょう。
僕にとって幻想アートの原点になったお話です。

文学で言うと、先程の宮沢賢治が言わずと知れた幻想文学の神様ですが、宮沢文学は何よりも色彩感覚が飛び抜けていますね。
ラリってたんじゃないか(!?)と思う程イメージ力が人間離れしていて、常軌を逸した色鮮やかなイメージは、僕にはちょっと恐いくらいに感じます。

個人的で勝手な解釈ですが、日本語で「幻想文学」と言うのと、平たく「ファンタジー」と言ってしまう時のニュアンスの違いは、この恐いくらいの理科室的な薄暗さの有無に集約される気もします。

稲垣足穂(→一千一秒物語他)はもう少し都会的でノスタルジックな風合いが強く、理科趣味のマニアックな魅力が散りばめられていますね。
宮沢などの童話と違って、稲垣はリアルな近代小説の中に唐突に異空間を感じさせる出来事が起こる所がロマンティックです。

しばしばお客様からアール座を評して「長野まゆみの世界のよう」と、ありがたいお言葉を頂き、メニューに碧瑠璃の曹達水(へきるりのソーダ水)とか入れようかな、とか思ったりしますが、現代においてその精神を受け継ぐ長野まゆみや鳩山郁子の世界観にも、そんな幻想的な死生観が流れているように感じます。

通常ファンタジーは幻想世界の中の物語か、現実世界から何らかの手段で境界を超えて幻想世界に入って行き、その世界でのルールが明示されますが、長野作品(→天体議会他)に様々な形で登場する異世界は、得体が知れず、大抵現実世界すれすれに存在(夜更けには更に接近したり)していて、ある時はその片鱗が現れるだけだったり、ある時は幻想と現実が境目なく混沌としていたり、そもそも現実側に少しSFが入っていたりSFそのものだったり、とにかく全体的に境目が夢のようにぼやけた設定の中で不思議な事が起こったりしますね。

そんな中で目の前に起こる美しい出来事〜不思議な色の飲み物から幻のような現象まで〜は、周囲のぼやけた世界から際立つ、恐いくらいの色鮮やかさで映ります。

思えば、我々の認識世界の内のどれがリアルかなんて、こちらの意識のウェイトの置き方一つで好きなように変えられることで、ヘタに「これは本当これはウソ」と区別せず全体をぼやかしておくと、より多くの美しい出来事を日常の中に感じ取れる気がします。

みな子供の時は普通にそうしてました。

そう言えば「6歳頃までは霊的なものが見れた」とか言う人もよくいますね。
長野作品にも霊的な少年が頻繁に現れますが、があの頃の夢のような意識の方が、そっちの世界にも近いんでしょうかね。
そっちから来たばかりだからかも知れませんね。

以前この店でサイン会を催して頂いた鳩山郁子先生の短編「リモネア」(→スパングル)という物語は、まさに隣の時空の出来事が恐いくらい儚く危うい情景として繊細に描かれ、読後に永遠の空間に住む憂鬱な穏やかさ、切なさが入り交じった複雑な心持ちまで体感させてもらえる希有な作品です。

こうしたジャンルに触れ、また昔を振り返ると、確かに少年というものは基本的にみな夢側の世界に立っていて、多分夢見がちな少女よりも現実社会や将来の問題を感じていない気がしてきます。
どんなにやんちゃでも狡猾でも大人びて冷めたタイプの子でも「あの空き家に魔女が住んでいる」という噂が立てば、全員が「いるんだ」という方向に考えていましたね。

あとクラフトエヴィング商会の名作「どこかにいってしまったものたち」も並べておきましょう。
失われてしまった、幻想的な道具たちを紹介してゆく本で、読んで思い描くうちに現実と非現実の間を行ったり来たりと、楽しくお散歩出来ます。

さて、相も変わらず長くて重苦しいブログです(笑)。
読んでくれる人いなくなってしまうんじゃないでしょうか。

どうも最近は考え深げな気分が続いた上、この所鉱石標本なんぞの作成に関わっていた勢いで、またもやこんなの書いてしまいました。
いつも付き合わせてしまってスミマセン。

毎回ワケの分からないカフェブログを最期まで読んで下さる有り難くも奇特な皆様に、お礼という程のものでもありませんが、オマケ企画です。

お会計の際に「最期まで読んだよ」と一言申告して下さると…というのはお互い恥ずかしいのでやめにして、店内の書棚の向かい、大水槽の裏側に本を選ぶ時用の木製ベンチがありますが、その座面の下の棚段に青色と絵柄が施された小さな四角い缶ケースを置いておきます。

缶の中にLEDライトと拡大鏡と鉱石の小さなカケラがジャラジャラ入っておりますので、お席の方で記念に(何のだ?)一粒(一度のご来店につき)選んでお持ち帰り下さい(何という人見知りな企画でしょう)。

実は標本を作る際に鉱石のクラスターを砕いたのですが、その破片がキラキラと散らばって美しかったんです。
アメシストやシトリンなどの小さな欠片で、価値のあるものではありませんが、光を当てて拡大鏡で見ると結構キレイなので、選ぶ過程が案外楽しめると思います。
缶は元の場所に戻しておいて下さいね。

繰り返しますが 大したものではありません。
こんなことやってみたかっただけです。

GWも終わってこれからしばらく、特に平日の人の少ない時分なんかには、アール座で幻想的な本でも読んで異空間を味わえるんじゃないかと思います。
ただ、うっかり幻想的な気持ちのままお店を出ると、少しだけ違う異世界に出てしまうかもなので、どうぞご注意下さい。

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