3階「エセルの中庭」

2013.09.26 Thursday 10:01

3階「エセルの中庭」のサイト立ち上げました。
まだ簡単な店舗情報のみですが、良かったらどうぞ→「エセルの中庭」


 
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更新遅れてごめんなさい

2013.07.12 Friday 00:30
 
こんにちは。

アール座ブログ、久しく更新が止まってしまい誠に申し訳ありません。

この春まで読んで下さっていた方々には、こんな体たらくになってしまったことを大変恥ずかしく、また心苦しく思っております。

本当に色々な事情(重大なことではありませんが)が重なり、内容のある文章を書く時間と気力が、どうにも確保出来ないままでおります。

何度かPCに向かいもしましたが、どうも以前のように文章が進まず、「後でもう一段落してから書こう」と逃げ出すことを繰り返しながら、だらしなくずるずると夏まで来てしまいました。

少しでも待っていて下さった方がありましたら、本当にごめんなさい。

もちろんここでブログを終えるつもりではありません。

お店を通じてお伝えしたいことは以前と変わらずあるのですが、それを表現する余力が残っていない、というのが正直な所です。

復活したらまた読んでくださいなどと、とても言える状態ではありませんが、本当に一段落したら、またたらたらと能書きをたれてゆく気持ちがあることだけ伝えさせて下さい。

当面の一番大きな課題が、やはり3階店舗の計画が遅れ気味(普通のカフェとしての基本的な経営は動いておりますことなのですが、これを何とかやっつけて、他の計画にもメドが立つというような状況です。

なので、ブログの更新もう少し停滞するかもなんです

月一更新とかほざいてましたので、こんなブログでも更新を待ってくださる方がおられたらと思うとやっぱり心苦しく、そしてあまりにも引っ張りすぎてしまっているので、しょーもない言い訳に一回分使うことにしました。

でもお店自体はしょーもないものは作りません。

2軒とも凄いお店作ります。

頑張りますね。

もうひと踏ん張りしてみます。

取り急ぎ、お詫びまで。
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中間領域

2013.03.17 Sunday 23:49
 

急に暖かくなりましたね。

うっかりこの前までの服装をしてしまうと、もう汗だくです。


慌ただしく過ぎてゆく日々の中で気がつくと、いつの間にか冬が終わっていたという感じです。


また一つ季節を知らぬ間にやり過ごしてしまったと、隣家の梅の木が風に吹かれて花びらを散らすのを見ながら思っておりました。


窓際では、日々部屋の中をコロコロ転がっているうちのチビ君が不思議そうにそんな風景を眺めていたりします。


そんな様子を見ていると、この人達はこの景色に一体何を思っているのだろうと考えてしまいますね。


感覚的には信じ難いことですが、僕もこんな赤ん坊だったんでしょうかねぇ。


何だか夢の中にいるというか夢の中から現実をのぞいているような、もしくは現実の風景に夢を見ているような、そんな表情をしています。


発達心理学では、成長するにつれてそんな夢のような感覚から現実的な感覚に意識が移行してゆく過程があるといいます。


そしてそのまん中には「中間領域」と呼ばれるエリアがあるのだそうですが、実はこの所、僕の頭の中にはこの言葉が踊り狂っておりました。


最近知った言葉なのですが、その意味や概念がアール座と3階の「エセルの中庭」が目指す営業コンセプトの核心をつくような非常に深いつながりを持っていたからなんです。


特にエセルに関しては、そのコンセプトがこの一言に集約されると言っても過言ではない重要なキーワードにもなっており、実は店舗名にある「中庭」と言う言葉も、この「中間領域」を柔らかく言い換えたものなんです。


なので今回はこの「中間領域」のお話をさせて下さい。


皆さんはこの言葉を耳にされたことありますでしょうか。


二つの分野やエリアの隙間にまたがるように存在するスペースに関しての呼称で、様々なジャンルにおいてそれぞれの専門的な意味付けで使用されている言葉です。


時々耳にするのは建築に関しての用語で、中庭やオープンカフェのテラス席ような屋外と室内の要素を合わせ持った空間とも言えるスペースに対する専門的な呼び方です。


建築の分野ではこうした空間が人にくつろぎをもたらす要素として最近特に重要視されているようで、こちらの意味でも、エセルで今作ろうとしている新しい空間に完全にハマる話です。


エセルの空間作りでは、前回お話ししたような屋外が室内に取り込まれたようなイメージを見据えていますが、僕もこれが何か人に根源的な安らぎを与えるものを有しているのではないかと感じています。


なのでこの部屋はこれからゆっくりお庭になってゆきます。


この空間は一体何処なのか、なぜそんな風になってしまったのかという詳しいいきさつは、また改めてお話ししますね。


そしてもう一つは冒頭でお話しした心理学用語としての中間領域です。


発達心理学の分野でドナルド・ウッズ・ウィニコットという心理学者が提唱した概念で、赤ん坊が成長してゆく過程で通過する領域のことで「移行領域」とか「潜在空間」とも呼ばれるものです。


最初赤ん坊には、自分とそれ以外の世界を区別する認識がなく、お母さんもお月さまも自分の一部であるような、世界を自分との一体感で感じる感覚でいるらしいのです。


まるで神のようなこの世界との一体感の中では、自分の意識と世界が一つにつながっているので、思い描いたものは全て存在しており、逆に言えば存在の全てが幻想や空想のように内的主観的なものだけで出来ている世界です。


「自分の思いが全て」という万能感を持った世界ですね。


それがあらゆる体験を経てゆく中で、やがて自分の思い通りにはならない「外的現実」という自分ではないモノが存在していることに気付き始め、幾つもの幻滅を繰り返すことで、主観的な幻想の世界と、他者と共有する客観的な外の世界を区別して認識し始めるのだそうです。


ウィニコットは、赤ん坊の意識の発達を考える上で、この内的な幻想から徐々に外的現実を認識しつつ現実の方に意識が移行してゆく成長過程に注目し、さらにそこにはその両方の世界にまたがる「中間領域」と呼ばれる空想と現実が混ざったようなスペースが存在するとして、これを重要視しました。


有名な「ライナスの毛布」は博士によると、こうした現実への移行のための足がかりとなるものだということです。


中間領域の感覚的な説明は難しいのですが、例えば子供が布団を怪獣に見立て自分がヒーローになって戦っている時、夢中になればなる程、彼はそれを本気で怪獣と思い込んで遊びますが、同時に実際にはそれが布団であることも知っていて、遊びが終わればそそくさとそれをたたんだりします。


これは頭の中だけで広がる全くの空想ではなく、現実のモノに内的な創造力を強く反映させた、空想と現実が混ざったような遊びで、中間領域でなされるものです。


で、これだけなら大人の我々にはあまり関係のない話なのですが、どっこいウィニコットはこの意識領域が、大人に成長して消えてしまうのではなく、むしろ成人の精神の中核に重要な部分となって残り、芸術や宗教など全ての創造的活動もここから起こるというのです。


そして、そもそもこの赤ん坊の現実受容の発達行為自体、大人になっても完結するものではなくずっと継続されるものとも言っています。


こういう概念こそ知りませんでしたが、僕がアール座を営んでいく内に感じるようになったのは、こうした空想や遊びのような主観的内的な意識を持つことの現代生活における重要性です。


客観視が正しいものの見方と思っている我々大人にとっては、現実が強固な形を持って迫り来る、全く思い通りにならないうちひしがれるだけのものになってしまい、こちらから積極的に働きかける対象でありにくくなってしまっていますよね。


現実とかシリアスとかいう言葉には、最初から自分の思いを妨げる壁か障害のようなニュアンスがついてしまっています。


しかし、ウィニコットはこの空想と現実という二つの要素両方を十分に持たない限り、真の意味での遊び、創造、夢見ること、生きることは為し得ないと考え、中間領域を人間が主体的に生きる場所として「可能性空間」とも呼びました。


我々が本当の意味で生きる上では、赤ん坊の頃に持っていた「万能感」を完全には手放さないことが必要であるという考え方です。


シロウトの僕にはこんな深い考察は出来ませんが、アール座を経営していて似たようなことを感じていました。


子供じみた幻想や遊びから遠ざかった大人がこういう社会を生きる上では、もっと自分勝手に事実をとらえたり都合良く現実の状況を解釈してゆく事がとても大事な気がします。


大人である我々は現実が自分の意志とは別のものと認識してはいますが、それを自分の願望や空想とごちゃ混ぜにして、もっと主観的創造的に生きて良いはずだし、実際には割とそうすることで現実と自己とのバランスを取っているのではないかと思います。


もちろん打ちひしがれているまっただ中の人がなかなかこんな風に考えられるものではありませんが、抜け出して振り返った時には「現実はシビアなもの」という考えだって人間の思い込みだということが見えると思います。


アール座のらくがき帳には、厳しい状況に立たされて力を失い悩める人の書き込みも多いですが、それでも最終的には、そんな現実の状況がいつか自分にとって良い方に向かうのでは、向かえばいいと、残された最後の力で考えようとする意思をちらりと見せて終わることも多いです。


そんな人はきっと、このちらりと光る根拠もない小さな思い込みをゆっくりと少しづつ育てて、やがては大きなものを克服してくれるのだろうと勝手に思ったりしますが、中間領域はこの光が生まれ育つ場でもあります。


これまでアール座が、心を休める癒しの場として重要視して来た「現実逃避」や「内省」が、それと同時に、こうした積極的能動的に生活を構築してゆく側面も持っているのではないかと近頃では感じるようになっていたのですが、ウィニコットの「中間領域」を知った時には、漠然としていたこんな自分の思いにハッキリと輪郭を与えられた思いでした。


どちらかと言うと、心を泳がせつつぼーっと過ごしてくつろいで頂こうというアール座に対し、エセルでは積極的にファンタジーを楽しんで、心の中間領域を満足させてもらえる場所になればと思っています。


そんな新店のコンセプトに関して重要な二つ(建築と心理学)の意味合いが偶然同じ言葉に重なってしまったので、いっそ「カフェ 中間領域」にしてしまおうかとまで最初は思ったりしましたが、馴染むのにかなりの時間がかかりそうなので、やはりもう少し柔らかく「中庭」としました。


なんか小難しいことばかり語ってしまいましたが、つまんなかったですかね?


小難しい関連書籍(主に幼児期の発達についての内容)は、アール座のオススメ本コーナーに置いときます。


そう言えば最近このブログはずっとエセル(3階の店)の話題ばかりでしたね。


何しろ僕自身そちらにかかり切りだったもので、話の内容もそればかりになってしまっております。


すみませんが、もう少しお付き合い下さい。


で、そんなたいそうなコンセプトとは裏腹に、現実はまだまともなカフェにすらなっていない「エセルの中庭」ですが、営業の方は夜だけ(6時〜9時前後)ですが、どうにか連日営業(アール座と同じ定休)を開始しております。

そして先日、電話機という文明の利器も入りました。


形が整うまでの間の営業予定やメニュー等のご質問は 03(6383)1974 までどうぞ。


が、まだメニューが少ない… ので、只今フードメニューを開発中です。


発売予定の品、先ずはハンバーガータイプのお料理です。


以前僕は移動販売のハンバーガーワゴンをやっていたことがあるのですが、この時はバンズもパティもピクルスも自家製で結構色々研究しておりました。


なのでメニュー自体はイイ線まで行ったつもりだったのですが、いかんせん一人づつ焼いて出すハンバーガーという料理そのものがスピードを要求されるランチタイムの屋台営業には向かず、泣く泣く中断して丼もののお店に切り替えました。


今回の料理はその頃のノウハウが生かされている一品です。


小さなバーガーを組み合わせたワンプレートなのですが、一つだけご紹介しますと、イタリアン・バジルと名付けたバーガーがあります。


トマトやパプリカってオリーブオイルに塩コショウでソテーしただけで美味しいですよね。


そんな具材をハーブで香り付けして、肉と一緒に挟み込みました。


もう間もなくメニュー化ですので乞うご期待です。

メニューも内装も未完成ではありますが、もちろんお話も出来ますので、お二人でおこしのお客様などには特におすすめですよ!


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空き地の思い出

2013.02.18 Monday 00:03
 北陸地方では春一番とか言ってますが、まだまだぜんぜん寒いですね。

もう2月も後半です。


あ、そうだ…


皆様明けましておめでとうございます。


はい、もう相変わらずですね。
もう毎年のことなので言い訳はしません。


アール座ブログの新年は旧正月(今年は2/10)なんです。


こんなことばかり言ってると呆れられてしまうので、話を変えてしまいましょう。


唐突ですが、今日は空き地のお話でもしてみます。


先日、実家(都内の近所ですが)に用があって帰ったおり、駅から家まで向かう途中でふと「子供の頃この路地の奥に面白い空き地があったなぁ」と思い出し、ついつい今はどうなってるのかとのぞいてみたくなったんです。


昔とのギャップを楽しもうと古い記憶のイメージを起ち上げつつ路地の突き当たりまで入ってみますと、あろうことかその空き地が古い記憶そのまんまの姿でどーんと現れ、僕はあっけに取られてしまいました。

もう町全体が様変わりして古い建物すら見当たらず、今でもあちこちで建設工事が続く杉並の住宅地で、30年前のままにそれが残っているというのは、実際シーラカンスばりに奇跡的な出来事なんですが…あるもんなんですね。


ただ、悲しいかな僕自身の感性の方は変わってしまったのか、そこに昔あったような不可思議な雰囲気はあまり漂っていませんでした。


こんなだったかなぁと思う程、どうにもただの空き地なんです。


目線が変わってしまったのか周囲の空気が昔と違うのか。


まぁでも、そんなもんですよね。こればっかりは仕方ないのでしょう。


だってスゴかったんです、子供の頃に感じた空き地の濃い〜い空気。

それにしてもイイ年をしてこんな風に幻想的な空間を求めてしまったり、そんな空気を目指したような店を営んでいると、この日常と違うファンタジックな空気を味わうことは何だか自分の一生のテーマのように思えてきます。


そういえば幼い時分から僕はそんな気持ちになる時間がとても好きでした。


子供の頃は初夏の夕立の前後とかに外の空気が濃い黄色になる時(分かります?)とか何だか記憶の中にいるみたいでとてもワクワクしたのを覚えています。


見知らぬ住宅地の迷路のような路地に迷うと、必ず「この路地を抜けたら、きっと別の世界に出てしまうな」と、ため息をついて空をにらみつけていましたし、耳鳴りなんかは宇宙人からの交信だと固く信じていたので、いつも鳴り出した途端に周囲の現実感は遠のいて、僕は怯えながらも必死に解読と返信を試みておりました。


なかなかイカした少年でした。


そんな僕がファンタジックな空気を自ら感じたいと思った時に決まって忍び込んだのが、近所の空き地や空き家となった人の住居跡でした。


昔は東京にも所有者が事実上使用していない土地というものがあちこちにあって、住宅地にもよく、柵があるでもなく開放されるでもなく放置され、木々や雑草が生い茂ってしまっている一角が点在していましたが、野山のない都会でこんな場所は当然のように子供達のワンダーランドになっていました。


例の近所の空き地こそ奇跡的に残っていましたが、やはり最近は遊んでいる土地というものをすっかり見かけなくなりましたね。


僕はアール座を始める前にお弁当の移動販売をしていた時期があり、よく都内で軽自動車が一時停車出来るようなスペースを探して回っていたのですが、現代の都会には何のためでもない土地というものが本当にないことに驚かされました。


特に地価の高い人が集まるような地域では全ての区画に必ず何らかの社会的経済的な存在理由があって、そんな人々の利権がパズルのように隙間なく詰め合わされている地域が都市の姿なんだという印象を持ちました。


まぁそれはいいですが、とにかく子供時代には空き地や空き家が珍しくなかったので、そんな空気を楽しめる友達と連れ立ったり一人で行ったりして、幻想的で魅力的な時間を日がな一日過ごしたりしておりました。


ちなみに僕が言う空き地というのはドラえもんに出て来るような土管の置いてある開けた広場ではなく、大抵通りから奥まった場所にあり、おそらくかつては住宅であったろう塀に囲われた区画に雑草や樹木が生い茂る暗い森のような一角です。


そういう場所は法的には誰かの土地であっても、すでに本当の主は人間ではなく動植物や怪し気な空気が支配している世界なので、よそ者である人間(子供達)は自然と息を殺しつつそこの空気を壊さぬようこっそりと忍び込むように侵入します(まぁ社会的にも不法侵入なのですが…)。


すると薄暗いその空間にはいつでも独特の濃い空気が漂っていて、踏み入るだけで日常を軽く消し去る強力な地場があり、流れる時間も外とは全く違うように感じられました。


朽ちた家屋が残っていたり更地だったりもしますが、とにかく全てが植物に覆われています。


緑が深く生き物の匂いも濃くて、周囲の環境から独立してその区画の中だけで生態系が完成してるんじゃないかと思わせるような存在感がありました。


人の手が入る庭園と違って様々な雑草がはびこり、多様な種の草木がそれぞれの植生層に従って住み分けをし、まるで小さな原生林のような自然環境が出来ているので、都会にしては昆虫や動物の種類も多く、ぼーっとしていると突然落ち葉の山がガサガサと動いたり、ふいに間近で猫とヘビが戦いはじめたりと、スリリングな事件にも事欠かない所でした。


時には隣町の入りくんだ場所にこつ然と現れ(?)一度行ったきり二度と見つけられなかったような、今となってはもう幻だったとしか思えない強烈な雰囲気の名スポットに出くわすこともありました(花が咲き乱れ蝶が飛び交う夢のような草っぱらでした)。


ただ本物の野山と違うのはそういう場所には必ずかつて長いこと人が住んでいた気配というものも残っていて、その人口の跡地に自然がはびこっているという雰囲気が僕にとってのツボで、そこにはもちろん恐怖心もあるのですが、それを凌ぐ不思議な魅力が満ちているんです。


この微妙な感覚に共感してくれる方がどれ程おられるのか分かりませんが、例えば地面に割れた食器やかつて家財道具だったものの残骸が雑草の中に静かにころがっていたりする、普通なら気味悪く思えるような様子が子供心に不思議と気持ちを落ち着かせてくれたのを覚えています。


そういえば以前テレビで、学者、専門家の研究に基づいて「もし今人類が滅びてしまったらその後の地球はどうなるか」というテーマで人が居なくなった後の世界をシュミレーションしてゆくようなドキュメント番組をやっていたのですが、結論を言ってしまうと「人が居なくなればあっという間(確か数十年かそこら)に今失われた自然は回復し、高層ビル街はジャングルに没してしまう」という結末が、ツタだらけの廃墟となったビルの中を悠々とトラが歩いている映像とともに語られていました。


当然番組は人間目線で作られているので、自分たちが滅びてしまうこのオチは殺伐としたニュアンスで演出されているのですが、ぼくはこれを見た時どうしてか「なぁんだ、よかった」というような深い安堵感を感じ、ツタに覆われた無人のビル街のCG映像に何とも言えない親しみを感じてしまったのを覚えています。


見方によってはニヒリストのようなヤツですが、森に呑み込まれた無人のビル街が、今現実の乾燥した西新宿よりも落ち着いてしまう感受性を持つ人はきっと僕だけじゃない気がします。


その手の廃墟は文明が滅んだ後の世界が舞台の未来フィクションにもよく穏やかな描写で出て来ますね。


名作絵本の「かいじゅうたちのいるところ」で僕が一番興奮するのは怪獣島のシーンではなくその導入部、主人公のマックス少年が部屋の中でうとうとし始めると夢と現実の境がおぼろげになり、床からにょきにょきと樹が生えて来て部屋の中がジャングルと化してしまうというくだりです。


以前廃墟の写真集なんかが流行った時期がありましたが、ああいったかつての人間社会の興隆が廃れて再び自然に帰してゆくような様を好んで見ていた人達も、きっと不気味さと共に不思議な安堵感を感じていたのではないかと思えるんです。


子供の頃、とある空き家の居間で床下から畳を突き破って生えて来た樹木
が天井まで貫いている様を見ていた時、そんな感覚でドキドキと共に心安らぐ心持ちに包まれていたのを思い出します。


もともと生態系を支えたりリードしたり出来るような存在ではない人間は、きっとそれを積極的に作ってゆく植物や微生物達の傘の下で生きて行くという意識でいるのが一番幸せなんじゃないでしょうか。


ぐるりを緑に支配され大自然に主導権を取られたまま、枝をかき分け根っこにつまずきながらも結局はその力に守られて生きていた太古の暮らしの記憶が、我々の心の奥に心地良く残っている気がします。


廃墟のコンクリート壁を木々が力強く砕きつつ人工的な住環境が自然に乗っ取られてゆく様は、そんな意識につながる安堵感をイメージさせていたのかも知れませんね。


さて今回はなぜこんな話で興奮しているのかというと、実はこんな幼い頃の体験こそが今ウチの3階に誕生しつつある空間が目指すイメージのひな形になっている気がしてしょうがないからなんです。


空き地のような、屋内の中庭のような空間を思い描いてます。


題して「エセルの中庭」。


ファンタジー小説のタイトルではありませんよ。

何を隠そう3階に出来た新店舗の店名です。


ヘンな名前でしょ。


違和感と何のこっちゃ感が残るかもですが、大丈夫です。

すぐ馴染みます。


詳しいコンセプトについては追々お話しさせて頂きますが、まぁざっくり言うならやっぱり「中庭のような空間」ということなんです。


現状はまだそのベースになる洋館風の内装が形になっただけで、植物はまだ数種類の樹木を試験的に植えてあるだけの状態なのですが、いずれはここに枝葉や蔦がはびこり支配するような空間を見据えています。


ただ、緑が茂るにはもっともっと時間をかけなければいけないので、そういう意味で本当の完成は数年後なのですが、目指すは古い洋館作りの室内が放置され、そこに観葉植物や外の庭木が入り込み、ツタや枝葉が所狭しと広がり収拾がつかなくなってしまったかのような空間です。


どうか、あと数年待って下さい


で、肝心の営業の方ですが、2月から仮営業のような形で不定期にですが何とか時々開けております。


メニューもロクにそろわずドリンク5種類程度のイベントメニューのような形で、時々しかも夜のみ営業というていたらくなのですが、これでもようやっとです。


長いことお待たせしていた皆様には、予定が大幅に遅れてしまったことをお侘び申し上げます。m(_ _)m


これからフードメニューなんかも増やして、連日営業を目指して参ります。

今の所営業は開けられる日は大抵6時〜9時過ぎ位までで、アール座にお電話頂ければその日の予定なら何とかお答え出来るかという感じです。


通りがかりの際に開いてたら「あ、やってる」なんて感じでお立ち寄り下さい。


ごめんなさいね、こんな形で。


イイワケがましいのですが、何だか運命の神様に「まだ開店しちゃダメ」とストップかけられてでもいるかのように、計画にも私生活にも次々と出来事が立ちふさがりどんどん事情が変わってゆくんです(泣)。


でもがんばる。


どうか一つ、長〜い目で見て下さい(by小松政夫)→え?ウソ!知らない?!(汗)



近所の空き地。もっと鬱蒼として4倍位広かった気がする…。

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らくがき帳と幸せについて

2012.12.28 Friday 19:52

さて、あっという間に年の暮れです。

ひとえに皆様のご利用とご理解の恩恵を賜りまして、アール座読書館は満5歳を迎え、6年目に入ります。

本当にありがたいのは、この頃ではご来店の皆様がこの店の特殊なコンセプトと事情をご存知どころか以前よりもより深く理解して下さるようになり、お陰さまでアール座読書館は5年経った今でも、その何とも分かりづらい方向性をキープしたまま営業を続けることが出来ております。


特殊なスタイルで店を経営してゆくということは、ある意味ご利用者様にご協力とご理解を強いるような形でもありまして、これを考えると本当にウチはお客様に頭が上がらない店なんだなぁとつくづく感じます。


なかなか言葉で表し切れない思いですが、今年もご利用頂いた全ての皆様に
深く御礼申し上げます。


貴重なお時間をアール座読書館で過ごして頂き、誠にありがとうございます。

m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m

今年は僕とアール座にとって何だか節目の年だったかのように色々な変わり目があり、さらに下半期は一層慌ただしくて、ちょっと焦ったり乱れてしまった所もあったので、今になって色々と反省しております。


個人的にも僕の大好きな秋をすっ飛ばしてしまったような過ごし方(あまりその時期の記憶がありません)は「その時を感じながら生きる」などという偉そうな僕のポリシーに反する失態でしたが、まぁそれなりの事情もあったので今回だけは許してやろうかと思っております。


皆様にとって、2012年は一体どんな一年だったのでしょう。

あまりお客様とお話しする機会の少ない店ですので、お座席のらくがき帳なんかが店にとって皆様がどんなことを考えておられるのかを知る貴重な情報源となりますので、僕もバイトの原君もシメ作業の時に目を通すようにしていますが、はっきり言って二人とも仕事というより密かな楽しみにしております。


あのノートに記された皆さんの思いに力をもらえるということはしばしば感じることなのですが、これは多くの方が共感されている所のようで、特に一人で悩める方には「悩んでいるのは自分だけじゃないんだな」という心強い安堵感が大きいようですね(スゴくヨク分かります)。


内容は深刻なものから日常的な悩み、ポジティブな意思表示や呑気なもの、ふと感じたことまで様々ですが、全てに共通するのはその内容が誰に宛てたものでもない、その時の本音そのままであるという所。

これが力をもらえる所以でもあるのでしょう。

それにしても人って本当に色々な所に思い巡らせながら生きているんですね。


「他では言えないけどここでだけ本音を出しとこうか…」という感じの書き込みも多く、皆さん言わないだけで色々抱えておられるんだなぁと感じます。

ただ、あそこに書き込まれる方が総じてすごいなと思うのは、皆さんがっつり自分と向き合ってご自身の悩みや感情から小さな思いまでをはっきり自覚されているという点です。


それってすごく大事なことで、アール座のお客さんは普通にそうされてる方も多そうですが、世間的にはどうなんでしょう。


現代には自分の悩みやストレスに無自覚な人もとても多い気がします。


無意識にストレスを抱えている人は考えの矛先が自分に向かず、何となく気が重いままやたらと他者や世間に批判的になったり不平を訴えたりしがちですが、自分について悩まなければ自分が変わることが出来ないので境遇も変わりませんね。


自分の思いや感情に目を向けて考え、気づき、悩み、あがく人は、精神の動きがよどまず心に展開が起こるので、右往左往迷いながらも結局は自分の気持ちが指し続ける方角に進んで行くように思います。


「自分探し」とか言って旅に出たりすると小バカにされる昨今ですが、場所を変えたり立ち止まったりして自分を見つめ直すことって新しい行動を起こすことと同じ位に重要なことだと感じます。


だから(深刻な悩みもあるのに軽薄に聞こえるかも知れませんが)らくがき帳を拝見していると、ここに書いている人達は、今苦しい状況であっても、何となく皆大丈夫な人のような気がしてきます。


人間て他の生き物と違って、本当にそういう風にして生きてくんですね。


何かを抱え思い苦しみながらも、ちゃんと呼吸して、水飲んで、がんばってご飯食べて、思いを巡らし魂を動かして生きてゆく人間て、なかなかすごい生き物です。


僕もそんな生き物の一人ですから、これからは「色々悩んでなかなかエライやつだ」と褒めてやることにします。

悩める人が皆幸せになったらいいのに、とか思っちゃいますね。

認知心理学にはアファメーションと呼ばれる意識改革法があって、とにかく自分の理想がかなった状態を肯定的にイメージしてゆくことで潜在能力を引き出す自己暗示法で、最近は特に話題になっているようです。


でも素直に自分の幸せを願うって、何だか慣れてないですね。


僕はあまりに頭がごちゃごちゃしたり不安感が強くなると、時々家やお寺やヨガスタジオで瞑想のようなことをしてリフレッシュをはかるのですが、その一つ、ヴィパッサナーヨガという流派が行う瞑想に、昔、仏教の修行僧が行っていたといわれる「慈しみの瞑想」という、幸せをひたすら念じてゆく方法があります。


一定の方法に従って、先ずは自分が苦しみを免れ幸せになることをひたすら心にイメージし、次に自分の家族親族が、周囲の大切な人がと続け、さらには嫌いな人や自分を嫌う人、世界中の人全て、生きとし生ける全てのものにまでと、その姿を思い浮かべながら幸せの願いを広げてゆくという、アファメーション的な要素の濃い瞑想法で、うまく出来るととても穏やかで安定した心持ちになれます。


感覚的にはまず最初に自分を許して満たされたような気持ちになれると、次にはその気持ちで人の幸せを願えるようになり、それでまた自分も満たされ、という自然な流れでイメージが連想されてゆきます。


続けているとやがて自分と他人の幸せが同じ一つのものとして感じられるという所まで来るのですが、僕なんかは最初、この「先に自分の幸せから願う」という所が、何だか少し目新しいというか慣れてない感じがしました。


「願う前にそのための努力とか辛い思いとかは?」とか「自分が先に満たされた後でついでのように人のことも願うって…」みたいな感覚が残ります。

これは我々が教わって来た道徳的な正しい姿勢と少し違うんですね。


学校でもテレビでも、昔から日本で賞賛されるのはもっと自分に厳し目で、まず自分の幸せよりも先に人に譲ることや人につくすことが立派な行いで、人のためには自分が我慢したり、時には自分を犠牲にして与えることこそ本物、というニュアンスの教育を何となくなされて来ますね。


もちろんそれは大事なことで、現実の中でもそうすべき時は多々あり、日本人のそんな性格は度々外国の人々に感動を与えたりするとても尊い精神だと思います。


でもこの意識を日常的な指針として義務感のように感じながら生きてゆくと、
実際にはやっぱりキツいし、現代社会のような人間関係や利害が密接にひしめく中を生きてゆくと、もううつ病にもなってしまいますね。


それはこの捉え方の根底に自分と相手のどちらかしか幸せになれないという構図があるからだと感じます。


対して慈しみの瞑想では、人に何かしてあげるために先ず自分が幸せにならないといけないと考え、まず自分が大切だという素直な感情が満たされてから、自然と人の幸せも願えるようになり、最終的に人の幸せと自分の幸せの区別が消えて、どちらも同じものであるという感覚に進んでゆくという仕組みのようです。


恐るべきインド人マジックですね。


まぁこの手のジャンルは好き嫌いがあるし当たり外れも多いので、別にここでヨガをすすめている訳ではないんです。


ただこの「第一に自分の幸せを願う」「それを願うことを許す」という気持ちや「本来人の幸せと自分の幸せは対立しない」と考える意識は、今のような社会を自分の理想との軋轢を感じながら生きている我々にとっては何かしらのポイントになる気がします。


悩み多き人にとっては、辛いことや人のことは先ず置いといて、先ずただ手放しで「幸せになっていいんだよー」「これから幸せになってくんだなー」と自分に思い込ませることから色々始まるのかも知れません。


きっと世界平和のためにも自分が幸せにならないといけないのでしょう。



アール座読書館は未だ発展途上ですが、最終的にはお席に着いて深呼吸するだけで、自然とお客さんをそんな気持ちにさせてしまうような場所に出来たらいいなと思っています。


さて、とりあえず来年は3階のオープンですね。


従業員の募集も引き続き受け付けておりますので、お声をおかけ下さい。

ご希望頂いた方(誠にありがとうございます)は、一月中には形を整えてご連絡致しますので、もう少しお待ち下さいね。


さて皆様、今年もあと数日ですが、年の終わりを穏やかな気持ちで過ごせると、きっと良い来年に続く気がします。

僕も自分と皆様の幸せを祈りつつ、今年はこの辺で失礼いたします。

それでは皆様良いお年を。


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洋館のすすめ

2012.12.06 Thursday 00:43
 

皆様、大変ご無沙汰しております。

この所アール座ブログが凍結しかけておりましたが、久々の更新です。

だって前回のブログ、スズムシの話とかですもんね。


こんなペースのブログをいつも読んでくれている方がいらしたら、お詫びの言葉もありません。


これだけ空いてしまうと、もうまともな言い訳も思いつきませんが、とにかくこの所劇的にバタついていて頭の中も処理すべき問題が山積な状態で、いつものように季節の変化を感じることもなく「あれ、何か寒いな…」などと我に帰ると、何と外界は12月になっていて外はすっかり冬の気配に…なんて有様でした。


夏の終わり頃から記憶が途切れている感じです(T-T )。

日頃アール座で人様に「忙しい日常を忘れて…」とか「秋は素晴らしい季節だから…」などとお勧めしている自分がこんな調子ではどうも話が違うなぁと、3階の内装などやりながらため息をついておりました。

はい、まだやってます。内装工事。


当初計画表を眺めた感じから、適当に「秋頃オープン!」などと軽くほざいておりましたが、ごめんなさい、ウソでした。


近頃は営業を終えるとそのまま3階の現場にこもり、やれどもやれども進まない行程を横目に月日だけがいたずらに過ぎてゆくような中、暗闇で途方に暮れているような心境の毎日でした。


が、ようやく最近遠くにちらりと出口らしき光の粒が見えて来た感じです!


そういえばアール座を作った時だってなかなかキツくて、後半は後頭部が白髪混じりになってしまったんだっけ。


そういえばそうでした…あの時身にしみて学んだことをさっぱりと忘れていました。


いかないんだった…計画書通りに…。


まだここから細かい装飾や植物の環境づくり、経営に関する計画などやることが山積で、正直もう「いついつ頃開店の予定です」とか言う勇気もなくなってまいりました。


楽しみにお待ち頂いている皆様、本当に申し訳ありません。


でもなんとか、内装が形になる所までこぎ着けたんです〜(TmT)。

基本的にはアール座の色違いみたいな感じの洋館風ですが、さらに植物を濃くしてロマネスク調の中庭っぽい感じにもってけたらと思ってます。

僕はこのジャングル化した室内というものに特別な思い入れを持っているのですが、この話は長くなるのでまた今度にして、今回はそのベースになる洋館のお話でもしましょう(これも長くなる気が…)。

僕は石造りのヨーロッパ建築や古い日本家屋も好きなのですが、一番好きな空間を作ろうとするとどうしてもこの洋館の形を模倣してしまいます。


幼稚園の頃から常に部屋の模様替え中毒(多分人生で100回近くやってます)だった僕は、学生の時あまりにも洋館に住みたくて、ベニヤ板に漆喰を塗りこげ茶色に塗装した腰壁と縁を取付け、格子の出窓をくり抜いた舞台セットの様な板切れを作って、アパートの壁に窓の位置を合わせて立てかけ、床にも薄いベニヤの床板を敷き詰めて、無理やり「洋館の主」になり切っていました。


だからアール座を作るときも迷わずそこに向かいましたし、今でも調度品や装飾は出来るだけその方向にイメージを絞っています。


アンティーク小物なんか探す時、今どきは全体にカントリー調のものが多くて、良いものだと間違って買いそうになりますが、そこをこらえて、なるべく明治時代のお金持ちの書斎にありそうな貴族っぽいものに向かうようにします(むしろアジア、アフリカの民芸品なんかの方が合う)。


皆様はお好きでしょうか、洋館。

最近は東京駅舎の改築が話題になりましたね。


「洋館」はこの国に西洋文明が流れ込んで来たばかりの明治大正期に、日本古来の建築技術をベースに西洋風の装飾や様式を模倣して作られた和洋折衷(結果的に)の建築物の総称で、現在でも史跡として多くの物件が各地に保存されています。


繊細なゴシックや瀟洒なロココ調よりも少し落ち着いた、というか、ちょっとつたない感じがするくらいの欧風装飾がとても可愛らしい感じで、木造に明色のペンキを厚塗りしたような質感や、木材に苦労して細工を施したっぽいモール類、ゆらゆらした吹きガラスの格子窓など、味わい深い魅力に溢れている洋館内部は、僕にとってツボだらけの空間です。

きっと在来の木造建築様式で西洋の装飾を真似ようとするから、本場の豪勢で複雑な装飾よりも手作り感が強まって(欧風の複雑な彫刻レリーフを何と左官職人さんががコテで再現したりしたそうです)、冷たい感じがする西洋の城や宮殿とは違った味わい深い趣きが出るのかなぁとか思うんです。


そんな洋館は全国各地に一般公開されている物件も多いので、いつでも観覧することが出来ますよね。


むろん僕はこれが大好きで、都内はもちろん地方都市に赴いた際も、先ずは旧〜邸とか旧〜学校と名の付いた洋館の史跡を探してしまいます。


初めて洋館に出会ったのは修学旅行で行った長崎のグラバー邸だったかと思います。


興奮というよりも何だか懐かしい様な郷愁と安心感に襲われ、それ以来すっかりハマってしまいました。


その頃僕は、大した事情もなかったのですが、何となく学校の時間割が体に合わず半分登校拒否みたいな状態で、よく授業をサボっては一人平日の昼間から図書館や公開されている洋館、古い喫茶店などに入りびたっておりました。


あまりお金がかからないということもありましたが、一番には外の社会との隔絶感から来るあの何とも言えない安心感を求めていた気がします。


この何でもない日に授業をサボってアンニュイな一日を過ごすという行為は、今でも本当に魅力的な時間として心に残っていますね。


今思えばこの現実逃避しつつくつろいでいた図書館や洋館、喫茶店で過ごした時間の記憶は、後々のアール座空間を作る原型になっている気がしてしょうがないです。


出席が自主性に任される大学や専門に入ってしまうともう二度と味わえない開放感なので、高校生でこのブログを読んでいる人がいるとも思えませんが、いたら僕はお勧めしてしまいますね。


ああいうリズムの場所が合わないタイプの人(いつどこの場所にも必ず一定の割合でいます)は、高校生にもなったらもうシステムに任せず、時には多少そこから外れても自分の意思で行動を選んで自主的に心のバランスをとっていった方が良い気がします…なんて言ったら怒られるかな。


まぁあまりクセになると面倒になるので、ほどほどにね。


で、洋館の話でしたね。


近場だと「旧岩崎弥太郎邸(やっぱりカッコいい)」や「旧古河邸」や横浜山手の洋館なんかが有名ですが、何といってもオススメなのは、もう少しおとなしめで来客の少なそうな物件(旧鳩山邸や駒場の旧前田邸とか)に、可能なら平日の開館時間に合わせて訪問してみる、という楽しみ方です。


常時公開されている公営施設に、そんな時間に訪れるヒマ人は多くないので、大概客は自分一人です(他にいても先にやり過ごしてしまえばOK)。


最初は普通に入口から進んで、人のいない館内を造作や調度品などに注目しながらゆっくりと鑑賞します。


その間に邸内の、書斎のように椅子のある広間ではない小さめの部屋を一つ目星をつけておいて、見終わったら順路を逆行してそこに向かいます。


席に腰を落ち着け、自分は今明治時代の邸宅に住んでいる(客間なら、呼ばれて主の帰りを待たされている)貴族なのだ、と強く思い込んでから、誰もいないその部屋でその気持ちのまま小1時間くらいボーッと過ごします。


ウマくすればその間訪れる人もなかったりして、気分は完全にタイムスリップ状態です。

このような家屋の真の見所は建物の造りよりも何よりも、そこに漂う近代の空気感なんです。


かつて本当に人が暮らしていたような場所は気持ちを落ち着けてみると大抵当時の雰囲気はまだ壁や家具にしみつくように残っていて、少し創造力を働かせれば簡単に入り込めます。


ただそんな時に突然他のお客さん(現代人)が入って来ると、ものすごくびっくりします。


そして、観覧用施設の一室に一人で座り込み馴染んでしまっているキモチ悪い男に出くわした相手の人はさらにびっくりしたりします。


が、そこは落ち着き払って「ちょっと座ってみただけ」みたいなそぶりを貫いて、やり過ごしましょう。


もっと人と普通に楽しむなら、逆にウソっぽい(テーマパークっぽい)小金井の「江戸東京たてもの園」や向ケ丘遊園の「日本民家園(洋館じゃないけど)」、府中の「郷土の森博物館の民家園」なんかが、園内全体が昔の村みたいで面白いです。


そこでも楽しむコツはやっぱり同じで、多くの人のように写真撮りつつさーっと流すように観覧しないで、いちいち室内のどこかに腰を落ち着けて、話しこんだり窓の外見たり箪笥の引出し開けたり(ジオラマは出て来ないけど)と、ゆっくり空間に馴染んでみることだと思います。


古都でお寺見て回る時でも必ず僕は座敷や縁側でこれをしますが、とにかく座ってみると目線が変わりますので、そんな機会があったら是非やってみて下さい。


さて、店のブログで僕は一体何のおすすめをしているんでしょう。


まあ、そんな洋館を模した3階の店の内装の話でした(うそつけ)。


店の方はもう少し形が整ったら、プレオープン的に試験的な営業は少しづつ初めて見ようかなと思っています。


実はアール座の最初もそうだったのですが、本格的な開店の前にその準備をしつつイベントメニューのような簡易メニューで断続的に可能な範囲で営業を始めてみる、という気まぐれな形です。


なので大変申し訳ないのですが、その間の営業日は決まっておりません。


アール座にお寄りかお近くの通りがかりに開店してたら、興味のある方は覗いて行って下さい、というようなスタイルです。


不安定な出だしでごめんなさい。


3階に電話がつながったら、その日のスケジュールなどはお答え出来ると思います。


また、開店に際しましては従業員を数名募集致しますので、興味のある方はアール座ご来店の際にオーナーまでお声をかけてみて下さいね(お電話によるご説明は行っておりません)。


今年も残す所…という時期になってしまいましたが、僕はもうしばらく開店準備の方頑張ります。

皆様も風邪などひかぬよう気をつけて下さいね。 

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3階 エセルの中庭

2012.09.24 Monday 13:48
 アール座読書館はコンセプト上、お話とお食事が出来ない(お茶請けのお菓子が少しだけあります)のですが、 お連れの方とお話やお食事をされたい方には、3階の「エセルの中庭」をお勧めしております。

本棚はありませんが、アール座と似たような空間です。

詳しくはこちらにどうぞ→エセルの中庭
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虫の声 2012

2012.09.10 Monday 01:35
 

夏が少しづつ遠のいてゆくと、次の季節はアール座のベストシーズンです。


そして今年もまた虫達の合唱が聞こえます。


例によってスズムシ、マツムシ、エンマコオロギ、カネタタキなどが既に店で元気よく鳴いていて、この後カンタンなども入荷予定です。


おなじみの顔ぶれなので、虫の種類や鳴き声に関してはこのブログ、去年9月の「秋の虫の音楽会2011〜」や2010年9月の「虫の声」等をご参照下さい。


毎年この時期はBGMをあまりかけませんし、空調の音も弱くなりますので、アール座の静寂感がぐっと濃くなる時期でもあります。


それも含めて、秋はアール座が最も映える季節ではないかと、毎年勝手に言っております。


あまり静かだと、初めての方など、緊張されて忍び足になってしまう方もおられるかもですが、ウチのお店ではある程度続くお声や物音に比べて、一時の足音や床のきしみなどは気にされない方がほとんどです。


どうぞ気持ちを楽にして静寂を楽しんで頂けたらと思います。


でもこんな風に、都会に住んでいるとこの「静けさ」というものが何か通常ではない特別な事態のように感じてしまいますね。


30年程前は東京の夜でも繁華街でなければ深夜営業している店などはほとんどなく、町も静かなモノだったのを僕も覚えています。


もっと昔、というよりも元来人間は日が沈んでから、生活の半分くらいの時間を静けさの中で暮らすものだったのでしょう。
だからきっと、カラダのつくりもそんな風になっているはずです。

比べると現代の暮らしでは、音声を含め感覚を刺激する何らかの要素が常にあって、睡眠以外の時間中は脳が絶え間なく何らかの情報を処理し続けているような生活を強いられますね。


さらには強いられなくても、いつも何かしらの情報処理をしていないと気持ちが落ち着かないという感覚に迫られて、やることが無くなるとついつい何かを見たり聞いたりしてしまいます。


現代人は神経が疲弊してしまうワケですよね。


かくいう僕もそうです。


仕事で疲れて家に帰ったら、部屋でぼーっとしていれば良いのに、ついTVをつけてしまいますね。


何もしないでいるということが出来なくなっているのでしょう。


でも部屋で見てないTVがついてるだけで、無意識に脳はその情報を処理してしまうんです。

だから、こういう暮らしの中で本当に神経を休めようと思うと、なかなか難しいんですね。


私見ですが、TVや本やPCよりは音楽の方が良いと思います。

さらにインストや洋楽の方が、言語情報が入って来なくて良い気がします。


でも音楽は感情的な抑揚があるので気持ちを波立たせるのが難しい所です。


そういう意味ではもちろん何も聞かない方が情報処理は休まります。


ただ、何も見ず聞かずにいると、普通の人は考え事が頭の中でぐるぐると巡り出してしまうというのもありますよね。


ヨガや仏教の瞑想でも、そのこと自体はそれ程悪いことではないと言いますが、個人的な
悩みなんかに引っかかると、それはそれで疲弊してしまいますよね。


禅のお坊さんが雨だれの音を使って心を鎮めるように、やはり何かしらのとっかかりがある方が心を安らげるには良いように思います。


雨だれのようにあまり感情的ではない、繰り返される美しい音なんかがあると良いですね。


そういえば今の時期だと、虫の声なんかは最適ですね。


でも都会ではなかなか難しいです…いや、東京のまん中、高円寺にそれを実現出来るお店が一軒ありますよ!


どうです。

流れるような展開でお店の宣伝に持ってきました。

マスター、ダテに何年もカフェブログをやっている訳ではありません。


まぁしょーもないブログにダマされたと思って、ぜひ遅い時間にお店に来てみて下さい。


お仕事で来られる方も10分でいいから手を休めて、その間はひたすら虫の声だけ聞いて見て下さい。


都会に暮らす現代人には本当に意味があることだと(勝手に)思うので、毎年せっせとこれをやっているんです。


感性のある方なら少しの間でも聞いて頂ければ、きっとその意味が分かりますよ。


ただ、毎年虫が鳴くのは9月いっぱいくらいまでなので、どうかご了承ください。

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青空観察

2012.08.19 Sunday 22:03
 

まだまだ暑い夏のまっただ中ですが、それでも昨年一昨年と比べると、かなり過ごしやすい気もします。

子供の時は大好きな季節だった夏も大人になるとなかなかしんどいです。
ならば夏は子供みたいな気分で過ごすのも一考です。


蒸し暑いさなかには帽子被って公園にでも出かけて、子供が買うようなアイスキャンディーをアホ面してぺろぺろなめながら空でも見てると、なんか昔の夏休みみたいで楽しいです(人目にどう映ってるかは知りませんが)。


さて、3階の工事は予定通り、着々と遅れを取っています。


大丈夫です大丈夫です。

最初からこうなると思ってましたから(汗)。


先が見えなくて苦しい時は、あまり終点を見ずに2手先ぐらいまでを見ながら淡々と続けるのがコツなんですね。


止まらずに進んでいると、いつの間にか一番苦しい所を超えていたりするもんです。


だからゼンゼン大丈夫です(汗)。


さて、店の方では3代目の鈴虫達が、また少しづつ鳴き始めて晩夏の店内を演出してくれています。


今年も秋の合唱会が待ち遠しいです(昨年の虫の合唱会について→秋の虫の音楽会2011)。


メニューの方もマドレーヌやモロッコ・アイス・ミントなるドリンクが始まっております。


マドレーヌはスイーツ男子の顔を持つ原君(バイト店員)が心を込めて焼いた手作りお茶請けメニューの復活第一弾です。

先ずは「マドレーヌ・クラシック」と題して、ナッツを混ぜ込んだだけのスタンダードなマドレーヌです。


マドレーヌでもパウンドケーキでも、こういう伝統的なレシピってもう何世紀も変わることなく飽きさせずに受け継がれていてすごいですよね。


単純な作りで味が深いってどういうことなんでしょう。


後世に現れる〜風味というものだって、研究に研究を重ねて作られるのですが、ほとんどが流行り廃りを免れませんね。


シンプルなレシピだけに、深い味わいを出すのは作り手の腕にかかっているのですが、原君は夜な夜な高円寺を飲み歩く飲んべえであるにも関わらず、しっかりスイーツ心を解していて、こうしたシンプルメニューもちゃんと美味しく仕上げてくれるのでなかなか頼もしいです(ちなみにマスターの方はビール2口で真っ赤になります)。


そして、春の限定メニューとか言いつつ、7月まで出していたミントティーがやっと終わったと思いきや、今度はキンキンに冷やした甘いアイスミントが登場しています。


そんなにミント飲ませたいかと思われるかもしれませんが、そうなんです、飲ませたいんです。


ハーブティーと言うとカモミールやローズヒップなどが主流ですが、うちは断然ミントです。

純粋なミント(レモンバーム入ってますが…)の味わいってお菓子のミント味と違って、非常に繊細で素敵な味です。

特に生ハーブのミントは鮮度も清涼感も抜群ですよ。


最近ではバイト君が入って、僕もお天道様をおがめる(日のある内に外に出られる)様になり、夕焼け空なんぞもよく眺めるようになりました。


昔はよく高い所に上っては、視界の開けた空をぼーっと眺めたり撮影したりしてましたが、久しぶりにその醍醐味を味わっている今日この頃です。


皆さんの中にも高架の駅や電車の窓、高速道路なんかでぶわっと空が開けると、思わずぼーっと眺めてしまう方もおられるのではないでしょうか。 


日常の中で自分が天と地の狭間に生きていることをふと実感するひと時というのは、アール座の方針にも通ずる、しごく正常な感受性から来る行為だと思います。


逆に都会暮らしで空に目が行かなくなったらちょっと気をつけた方がいいんじゃないか位に僕は思っていますが、そんな所で今週は青空観察でもお勧めしてみようと思います。


大抵は空の景色の構成は背景の空のカラーとそこに配置される雲のフォルムや質感を楽しむことになると思うのですが、そうなるとやはり主役は雲になることが多いです。


雲を知っていると空の観察も一段と楽しくなりますよ。


特に湿度が高く晴れ渡る夏は雲も派手で、絶好のお空見シーズンではないかと思います。


雲と言われて先ず思い浮かぶのが、夏っぽい積み雲や入道雲ですよね。


積雲(呼称はつみぐも/気象用語ではせきうん)は、キント雲みたいにもこもこしたカタマリで一つ一つ浮かんでいる、いわゆる雲っぽい雲です。


子供が「牛!」とか「ソフトクリーム!」とか形を当てはめるのがこれですが、水滴で出来ているので光を良く反射して濃い白色を示し、
空の青が濃い日には絵本のような素敵な風景になります。


比較的低い位置に出来るので「浮かんでいる感」が強く、これが沢山浮いてゆっくり動いている空を、遠くまで開けた所から眺められると、手前の大きなモノから彼方に浮かぶ無数のちぎれ雲までのパースペクティブが素晴らしい迫力の光景になっていたりします。


子供の頃時々、特に低い積雲が地面に影を落としながら走っていくのを見る度に驚いていました。


空を見るととてもゆっくり流れている雲の、影の方はすごい早さで滑るように道路を走ってゆくんです。
何かドキドキしました。


積雲が巨大な山のように固まると入道雲(雄大積雲)になります。


これも開けた所から遠くに確認することが多いですね。


高速道路で山地の方に行くと間近に見かけたりしますが、こちらがおおーっとのけぞるような迫力満天の雲です。


ぼーっと眺めているウチに発達して積乱雲になると雷を伴う突然の夕立を降らせたりするので要注意です。


あまり見る機会もありませんが、入道雲の本場である熱帯の海で見るこれはスケールが違うそうです。


水平線の向こうに力強く巨大に発達して、バックの空は紺碧でウソみたいな光景らしいです。


それに対して、何だか日本ぽい雲と僕が思っているのはもう少し高い位置に出来る高積雲や巻雲、巻積雲などです。


高積雲の有名なものは、いわゆるひつじ雲やうろこ雲、いわし雲、サバ雲などと呼ばれる一群です。


気流の強い高度にあらわれるので、雲塊が風に流されて細長く伸びたり広がったりして、ぼこぼこしたり波形になったりしながら全天を覆うようになる様がとても美しく、気流などの条件によりその形も様々なバリエーションがある非常に味わい深い雲です。

そのためか詩や小説などの文学にも頻繁に登場する大変趣のある雲で、僕も子供の時からこれが大好きで、見つけるといつまでも飽くことなく眺めていました。

本当は大人だって空がこれに覆われていると、つい「うわぁー…」と空を仰いで誰でも立ち止まりたくなるのが自然な心持ちなんじゃないかという気がしますが、考え事で忙しかったり人目を気にする社会性が出て来たりと、色々な事情でなかなかそういうこともしづらくなりますね。

しかし短い人生ですので、白い目で見られようとも、さもなくば一人になる場所を探してでも、いちいちこういうものに「うわぁー…」とのけぞって行くような暮らし方をしていきたいなぁと思う昨今であります。

雲を見続けて少し目が肥えて来ると、通好み(?!)の巻雲(けんうん、絹雲とも書きます)系の美しさに心引かれるようになります。


高積雲よりさらに高い1万メートル付近になると、同じうろこ雲、いわし雲でも目が細かく、その粒子は氷の結晶になってキラキラと光り、絹のような輝きを持ったりして絹雲(呼称だときぬぐもと読みます)と呼ばれるようになります。


もこもこと中身の詰まった感じの積雲に比べると、薄くて羽毛のような軽い質感があり、油絵に対する日本画のような美しい繊細さを持っています。


そしてこれが出る時は、何といっても空がずーんと高く抜けているのが気持ちいいです。

この巻雲系の中で最も美しいと思われるのがすじ雲ではないでしょうか(私見)。

大空に筆を走らせたような美しい形状と繊細な色合いも素晴らしく、空を横切るようなダイナミックなデザインの雲(画像検索してみてね)なので、都内ではなかなか難しいのですが、やはり広けた所から見てみたいです。


絹雲は晴れ渡った秋空の感が強く、これからがシーズンではないでしょうか。

ご紹介したのは積雲と名のつく、フォルムを持つ雲形のものですが、逆に層雲という空全体をベールのように覆うような形を持たない霧状の雲もあって、高さごとに絹層雲、高層雲、乱層雲、層雲などあります。

はっきり言って地味な雲で、好みがここまで及ぶともう雲通の域ですね。


さて、こんなおすすめをした後に気づきましたが、アール座からはほとんど雲見えませんよね。

喫茶店ブログで一体何をお勧めしているんでしょう。


でもアール座の本分は日常を離れてニュートラルな心もちを獲得することと考えておりますが、これと同じ効果が青空観察にもあるように思います。

そこで前もって雲の知識を頭に入れておくと、ふと空に目をやって「なんて素敵な房状巻積雲…」なんてオタクっぽい楽しみ方も出来ます。

なのでお店には、雲を知るための本(だけだと少ないので)や雲を思わせる内容の本(こじつけですが)などをおすすめコーナーに並べておきますので、ご覧になってからお店を出たあとに楽しんで下さいね。

店を出てすぐ左に目を転じると、少し細長い空が見えます。

南側の西友の方まで行って長仙寺を振り返ると、その上にも開けています。

お帰りは車の通っている駅前通りに出てから駅に向かうと少しのあいだ見られますし、中央線に乗れば頻繁に視界が開けます。


最近は電車に乗っても、向かいのシートの全員がうつむいてスマートフォンをいじっている光景にも出くわしますが、そんな時にはちょっと気持ちを休めることを思い出して、
窓の外の空を、夜だったら月でも探してみるのもいいですよ。

ちなみに3階のお店は少しだけ、空が見えるお席も出来るかもですよ。



アール座のビル屋上からの積み雲(8・19)

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姉妹店〜店と人柄の話

2012.06.27 Wednesday 00:22
初夏ですね。

さほど気温も上がらずなかなかいい気候です。

梅雨が終わればじわじわと暑い日も増えて来そうですが、今は季節メニューのミントティーもお出ししておりますので、爽やかな気分になって頂けたらと思います。

さて今回は前回のブログからズイブンと間が空いてしまいました。
ただでさえ更新遅いのに、ゴメンナサイ。
 
言い訳でもありませんが、この所色々とバタバタしておりまして、実は新しい計画なども持ち上がっておりますので、ちょっとここでお知らせしますね。
 
実は今アール座が入っているビルの上、3階のフロアには以前イベントスペースのような形態の店があったのですが、こちらのお店が最近閉店することになってこのスペースが空いたんです。
 
で、ここに今度ウチが新しい店をオープンすることになったんですね。
今はその計画が始まった所なんです。

こちらはアール座とは別のコンセプトを考えており、今度のお店は何と店内で会話が出来るという画期的なシステム(?!)です。

アール座にお連れの方といらして、これで話が出来れば良いのに…と思われた方にもオススメのお店になりそうです。

お食事なども考えておりますが、最終的に固まるのはまだ先です。
 
実はアール座の開店当初には、もしこの読書喫茶室という形態がビジネス的に厳しかったら少しづつ利益型の経営(つまり普通の店)に移行して行こうかという考えもあったのですが、本当に皆様のお陰で、経営が微妙なバランスで成立し、また皆様のお声やらくがき帳のお言葉を知り、そんなツマラナイ計画は消し飛んでおりました。
 
しかしこの度、私ごとで恐縮なのですが、先日何と子供が産まれてしまいまして(バタバタの理由その2)、今さらになってまんまと家族を養うハメになってしまいました。

それに関しまして、先日は急な開店時間の遅れが生じ、お客様にご迷惑をおかけしてしまいましたことをお侘び申し上げます。
 
最近は家に帰ると、ついこの間までいなかった小さな人がすやすや寝ていて、何だか不思議な気持ちです。
 
そんなワケで、長期的に一定の収益を見込めるお店が必要になったという個人的理由もあるんですね。

アール座はもちろん変わりませんよ。
今のまんまでずっと行きます。
で、それと違う形をもう一軒、という話です。

もちろん一般的なカフェ形態とはいえ、僕がやる以上ありがちなお店にはなりません。

以前から、心を鎮めるアール座の方針の中では実現が難しい企画を思いつく度に「他の形の経営もやってみたいな」という構想は持っていたんです。
 
本音を言えば生活のことよりも、こちらのモチベーションの方が強いくらいです。
 
さてどんな店になるんでしょうか。
 
アール座は明治の洋館や書斎、古い木造校舎、図書室なんかの写真をネタに、非常に感覚的なイメージ(こんな雰囲気でこんな匂いの…という要素)を固めて工事に挑みましたが、3階に関してもまた別の新たな画像を、今幾つか頭の中でパズルのように組み合わせて構想中です。
 
僕の場合アドリブ工事なので、先に正確な図面を書いてそこに向かって作業を進めていくという手順を踏まず、ディテールは作業しながら(または開店後にも)徐々に形作られていくのですが、そこで軸になるのが「感覚的なイメージ」や「コンセプト」という割と不確かなものです。
 
業態はおいおい詰めてゆくつもりですが、コンセプトに関してはアール座同様、日常や現実から離れてくつろげる場所という理念を貫きたいなと思っております。

同じ現実逃避でも、どちらかと言うと2階は「心を鎮める」「自己と対面」という感覚が強いのに対し、3階はもう少しファンタジックで、「発見」や「気づき」「意識転換」が出来る店にしたいという方向を考えております。 

こんなセオリーを無視した工事をしたりヘンなコンセプトを考えたりしていると、自分はつくづく「内向型気質」が強いなんだなぁと感じたりします。

以前このブログで性格や気質の話をした時に出て来た言葉(→
http://r-books.jugem.jp/?page=1&cid=12)で、社会的な理念よりも自分の価値観を優先させてしまう思考型タイプのことです。

もちろん世間にはコンセプトなんてない「いいお店」が沢山ありますね。
 
意図的にこういう風に持っていこうという意思なんてなくても、立派なオーナーさんが心を込めて経営することで、その真心や人柄が自然とにじみ出ている素朴で暖かみのあるお店というものが巷に結構あります。
 
人間性が未熟な僕なんかには、こんなのは難しいです。
元々人が苦手だったヤツだし…σ(^_^;)
 
そういう大人っぽいお店は社会性の強い外向型の人が作るように思います。
また飲食店を経営するようなタイプの人には外向型の人が圧倒的に多いようですね(そりゃそうだ)。
 
そう思うとアール座は、元々の素質が飲食に向いていないヤツがやっているからこんなへんてこな店になんだなぁと思えてきます。

飲食店というよりも、ディズニーランド(レベルが違いますが)やよくTVに取材される地方の発明おじさんの創作のような気合いの入り方に近い感じがしますね。

こんな風にトレンドやセオリー、技術、職人性のような、社会的にまともな要素よりも新規性や驚きを求めてしまうのは、内向型気質の特徴である社会性の低さに関係しているのかも知れませんし、人のためになる店にしたいとか強く思うのも、内向型ゆえの若い頃の無用者意識を今になって埋めようとしているのかも知れません。
 
店や仕事って本当に人間が出るんですよね。
個人経営店なんて、自分の人生や思考を人前にさらけ出しているようで、恐い位です。
 
表現とかってアーチスト職の人達がするものと思っていましたが、自営業だって、きっと事務仕事の人が作る書類だって同じようにその人柄や人生がにじみ出ていたりして、そう思うと皆生きているだけで表現者ですね。
 
表現と思えば、真剣に向き合い続けることで世間的に欠点と言われるような部分でも個性としてとんがって来ることが、なかなか悪くないように思えてきます。
 
例えば僕のように、意識的計画的にコンセプトを企てていくことで、欠陥の多いこんな奴でも、ウマく行けば人様を楽しませたりすることが出来るかも知れないのだから、世の中分かりません。

まぁ、まともなお店は自分がやらなくても世間に沢山あるけれども、変な店は変な奴がやらないと世の中に存在しないですからね。
モチベーションも違ってきます。
 
アール座にいらっしゃる皆様の気質タイプはどうなんでしょうね。

色々なタイプの方がいらして簡単には言えませんが、やっぱり他の場所と比べると内向型の方の比率は高そうな気がします。

ご自身の好みをよく理解されていて、メニューや座席や本など沢山の選択肢の中から瞬時に的確に自分が一番好きなものを選び出せるような方(大抵ご本人はそれが当たり前のことと思ってたりします)をこの店ではよくお見かけするのですが、これは内向型の人の特徴なのかも知れませんね(当たり障りないものや普通は何を選ぶんだろうと考える外向型の人の方が世間には多いのです)。

個人的には、今家に寝ている生後10日程の女の子の気質を見極めようと、色々と観察したりちょっかい出したりの今日この頃です。


さて店作りの正念場はこれからです。

アール座を作った時と同じ、地獄の内装工事作業がまたもや夏場です。
 
これから一時、アール座に立つマスターの目の焦点が合っていない時もあるかも知れませんが、あまり気にしないでおいて下さいね。
 
アール座の開店もそうだったのですが、おそらく上の店もオープニングパーティーとか大々的な告知とかはせず、何となくしら〜っと始まっていると思います。

元々僕は私生活に置いても「節目」というものが苦手で、自分に関する「〜式」と名のつくものもは、高校の入学式を最後に出ていないようなヤツなのですが、やっぱりお店も「あれ、こんな店あったっけ?」と、いつの間にか始まっている感じがいいなぁとか思っています。
 
でも期待して下さっている方もあるかも知れませんので、近くなったらこのブログではこっそりお知らせしますね。
 
ただ、やはり内装に時間がかかりますので、実際の開店はまだ先です。
2、3ヶ月後になってしまうんじゃないかな。

それにしても、こんなことが出来るのも本当に皆様のお陰なんです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。(選挙みたい)
 
そんなご恩に報いるためにも、世界的にも類のないような不思議な店を高円寺の路地裏に出現させて、皆様の幸せにわずかでも貢献出来ればと思っています。
 
何が出来るかは乞うご期待です!

古い汽車の中みたいな店もいいな。
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