夏、妖怪と日本の自然
2011.08.13 Saturday 00:52
こんにちは。
今お盆ですが、これから暑くなるんでしょうか。
いつもここで書く時候の話がそれ以降の天気とことごとく外れるので、何かもう、思い切ったことが書けません。
別の話をしましょう。
いま、店内の窓際前から2番目と3番目のお席に座って窓の外を見やると、プランターから黄緑色の蔓植物が縦横に蔓草を伸ばし、その先に白い小さな花と風船みたいな中空の実をつけている様子が目に入ります。
ホオズキにも似ていますが、もっと小振りの可愛らしいこの植物は「風船葛」といって、この春先に種を植えたものです。
これと言って目立つ所もない地味な子なので気にしないと見過ごしてしまいますが、ぜひ気にして見てやって下さい。
風船のような実も小さな花も、くるりと巻いた蔓の先も、よく見ると本当にかわいらしいやつです。
そしてさらに、夏が終わりこの袋が破けると、中からは小さなハートのマークが刻印された種が出てきてびっくりします。
どんなの?と思う方のために、その2番目3番目のお席の引出しのどこかに入れておきましょう(今年も植える予定なので水に濡らさないでね)。
さて、夏真っ盛りですね。
冷たい飲み物と稲川淳二が恋しくなってくる季節ですが、昔から日本で怪談といえば夏、というのはどうしてなんでしょうね。
体がヒンヤリして納涼の効果があるから、といような話は何だかこじつけっぽいですよね。
霊達が行き来する「お盆」があるからということもあるでしょう。
でも、日本の夏が妖怪シーズン(?)ということも無関係ではないでしょう。
実際、妖怪と言えばなぜか夏のイメージですよね。
確かに映画のトトロに出て来たような、あの森の濃厚でうっそうとした異様な雰囲気って日本では夏場に特有のものだし、そんな季節にはきっと精霊だの妖怪だのの自然霊も動植物と同じように活発になる気もします。
ということで、何だかこじつけっぽいですが日本の夏は妖怪のシーズンということに決まりました。
8月末にはお店が夏休みを頂いてしまう(スミマセン)ので、すぐに9月になってしまいますが、夏の後半に向けて妖怪本をオススメして見ようと思います。
さて皆さん、いると思いますか?
今、霊を信じるかと聞かれて肯定する人はおそらく過半数を軽く超えるでしょうが、妖怪となるとどうでしょうね。
人の魂由来のいわゆる幽霊に比べ、動物や自然霊のようなモノの擬人化であるキャラっぽい姿は、何だか見た目にもコミカルだし、科学がなかった時代の人々の迷信というニュアンスが強いですよね。
僕なんかはその手の話を大抵何でも信じてしまう方で、人の噂話や詐欺の臭いがなければ、かなりうさん臭い話でも大抵は鵜呑みにするようにしています。
小人を見た知人の話や大きな竜が空を横切っていくのを見たというおばあちゃんの話はもちろん、子供の頃自宅の裏山で体長2mの巨大アリを見た、と言って皆にバカにされていた西村知美の話も、きっと真実だろうと思っています。
宇宙人にさらわれた人の話だって、「宇宙人誘拐は一種の睡眠障害で自己催眠の様なもの」という説明だって、それぞれに、それはそれで信じてしまうので、何だか信念と言うものがないようですが、唯一嫌いなのは「そうに決まっている」「そんなことあるはずがない」と決めつけることで、この姿勢は何の得もないばかりか生活を味気なくするので極力避けるようにしています。
だから僕は、妖怪なんて余裕で現存生物(?)に数えています。
でも、昔の人々って普通の生活がそんな魅力(恐怖)に囲まれて生きていたんでしょうね。
科学的常識が圧倒的な信憑性を得ている現代社会と違い、神様やもののけなど、沢山の得体の知れない何かに囲まれての暮らしでは、きっと自然の中に置ける人間の位置を現代よりも正確に捉えられていたのでしょう。
霊体験の話は成仏出来ない霊魂の恨みつらみから発したネガティブな話が多いですが、比べて妖怪の怪談は万物の霊長とか言ってる人間が自然物にコケにされるシニカルな話が多くて面白いですね。
特に我が国特有の、狐や狸が人を化かす話には本当にとんちの利いた素敵な話が多いです。
また、個々のキャラクター性においての面白さも、日本の妖怪は群を抜いている気がします。
皆容姿、性質共々に独特で素晴らしい個性を持っていますよね。
柿の実を取らずにおいた柿の木は重みで枝がしなってだるくなり、やがては「たんころりん」という名の大入道になって村をさまよい歩く様になる、という何とも味わい深い話なんて日本人ならではの想像力です。
他にも「マクラガエシ」というヤツは寝ている間に枕をひっくり返すというどうでもいいことをする妖怪ですが、こういうのが魅力的ですよね。
僕は個人的に「油スマシ」というのが好きで、何の取り柄も必殺技もないヤツなのですが、そのいかにも妖怪然とした風貌が愛らしく、子供の頃、流行っていたガンプラには目もくれずにこれのプラモデルを夢中で作ったりしました。
独自の塗装を施し、戸棚の中にその背景となる田舎道のセットを作り、戸を開けると薄暗い空間に点滅球がチカチカと光って、その姿を闇の中に断続的に浮かび上がらせるという、自分で言いますが素晴らしい出来映えのセットを作り上げ、部屋の灯りを消して一人ニヤつきながらこれを眺め続ける小学生でした(今と何一つ変わっていません)。
アール座にはいるんでしょうかね。
室内中央の地球儀が置いてあるお席の前方にぐにっと生えている木は、かの有名な絞め殺し植物「ガジュマル」ですが、沖縄ではこの樹にはキジムナーなる妖怪が住んでいると言います。
本当はもっと大きな古木に住み着く赤髪のカッパみたいなヤツらしいのですが、見かけた方は教えて下さいね。
キジムナーはカッパの一族らしいですが、妖怪の代表格である河童や天狗の一族は、土地ごとにそれぞれの呼び名とエピソードで語り継がれているようで、河童ならキジムナーの他にも奄美から北海道に至るまで、ガラッパ、カワタロウ、カワンタロウ、ガータロ、ケンムン、シバテン、カワザル、スイコ、クセンボウ、ミンツチなどなど、性格も友好的だったり恐ろしかったりと、バリエーションにとんでいます。
でも同じような幻獣が違う呼び名でそれだけ広範囲に認識されていた、というのがスゴいことですよね。
やはり、全土に生息していたんでしょうね。
そういえば西洋にはゴーストはいても、へんてこな自然の妖怪みたいのはいるんでしょうかね。
アジアやアフリカにはそれっぽい話を聞きますが、ヨーロッパで有名なモンスターと言えば小説がオリジナルの都会的な連中か、後は神話時代にまで遡ってしまう大型の怪物みたいなイメージですよね。
北欧やスコットランドなど山岳、森林地域の妖精みたいなのが出て来る民間伝承は妖怪に比較的近いでしょうか。
やはり性格もイタズラっぽかったり、害の少なそうな所が似ています。
アール座の数少ないお茶請けの一つ「ブラウニー」の名は、スコットランド伝承の小人らしいですよ。
ヨーロッパの都会では中世には既に科学が力を持っていたということや、彼らのもともとの合理主義的な気質と合わないということもあったのでしょうが、やはりその暮らしと自然が切り離されていることが関係しているでしょう。
普通、自然と深く関わって暮らす民族は何かしらのアニミズム的な信仰を持っているものですが、日本もついこの前まではそんな地域の一つでしたね。
神道やアイヌ、琉球の信仰は、いずれも豊かな日本の自然に育まれたからこその思想で、そうした大きな信仰から派生的に起こる土地土地の民間信仰には特に精霊やもののけのようなのが沢山登場します。
妖怪たちの伝承は古い自然が色濃く残る土地と人間の関係に付随して生じやすいのでしょうね。
霊感のない僕は妖怪も幽霊も見たことはありませんが、昔一度だけそんな空気をたっぷり味わったことがあります。
学生の頃僕は放浪癖があって、知らない土地をうろつくのが好きでしたが、ある夏、紀伊半島にある日本屈指の歴史を持つ修験道「熊野古道」の中辺路と呼ばれる山道を制覇しようと訪れました。
ほぼ半島の先端を横切るくらいの距離の山道で、その日の内に制覇するのは無理そうでしたが、テントを持っていたので日が暮れたら山中で野営(ホントはやっちゃダメ)でもするかと、軽く考えていました。
当時は、熊野が神々の住む霊山でとても神聖な場所だという意識もあまりありませんでした。
キャンプ場でもない山の中で一人夜を越す(ホントはダメ)のは結構恐いのですが、恐怖感のネジが足りなかったのか、僕はその頃特にそういう所が鈍くて、山中のビバークも平気でよくやってました。
所がその山はいつもと違っていて、日が暮れてくるにつれて、それまでに感じたことのない異様な恐ろしさが漂い始めました。
大体山も田舎も、清らかな空気で昼間には気持ちがイイくらいの所程、夜になると寂しく恐い感じになるものなのですが、ここのはそんなのと次元が違っていました。
稲川氏が言う所の「やだなやだなー」って感じの空気の強烈なやつと言えばいいでしょうか。
闇が増すにつれて体が感じる意味不明の恐怖はどんどん濃くなり、次第にワケも分からず本当に身の毛がよだち始め、鼓動は激しくなり「これはヤバい」「とにかく早く抜けないとシャレにならない」という尋常じゃない切迫感に包まれていきました。
「いやいや、今さらこんな山の中で焦ってもしょうがない、どこかに場所を見つけてテントを貼ろう」と気持ちを落ち着かせようとした矢先に、山の上からドッドドドッと地響きのような足音が近づき、暗闇でフリーズしている僕の鼻先を、巨大な獣(多分鹿)の黒い体が横切ってふもとの方に走り抜けて行きました。
アニメの昔話で鬼に出くわした村人が「あれぇー」とか言いながら、死にものぐるいで両手両足をバラバラに動かすアホ丸出しのオモロい走り方をしますが、あんなのはマンガだけです…と思っていたのですが、その時の僕も気がつくとその動きで走ってましたね。
鹿か何かだと頭では分かっていましたが、体がいうことを聞かず、どこへ向かうためでもなくただビックリして足が回るだけ、という全く意味のない逃走というものを実行したのは後にも先にもあれだけです。
結局その後は息が切れ、地べたに座り込みながらも懐中電灯と地図を出し、少し先に山道と並走する国道との接点を見つけ、何とかそこまでたどり着くも、地図では接している様に見えた国道のガードレールが遥か高い崖の上に見え、必死の思いでロッククライミングをして国道まで這い上がり、通りかかった地元の車をヒッチハイクして町まで連れて行ってもらうと言う、かなりダメな旅行者をやってしまいました。
車に載せてくれた人が話してくれたのは「この山で夜を明かしたりしちゃダメだ。ここらは普通の山ではないから。地元の林業の者でも絶対に夜は森に入らない。夜この山に泊まってアタマおかしくなったもんの話とか怖い話が昔からいっぱいあるよ」というような内容のものでした。
それを聞くまでは、何だか神聖な森に「出て行け」と拒まれたような気持ちでいましたが、今思えば、森の危険を僕の体が察知して走らせたのかなとも思えてきます。
長い上に恥さらしな話で何を言いたかったかと言うと、その時森が僕に向けた(にせよ、こちらが感じ取ったにせよ)あの身の毛もよだつ感覚が、まさに自然霊そのものだったんだと思います。
僕は霊感がないので、それを映像として捉えることが出来なかっただけで、きっとあれが昔の人々が体験した妖怪の感覚そのものだったのでしょう(熊野は有名な天狗の山でもあったんです)。
幽霊の怪談聞いた時みたいに、冷や〜っとする感じじゃないんです。
何というか、怪物ににらまれているみたいな動物的な恐怖感です。
いやぁ、本物の妖怪はコミカルなんてもんじゃないんですね(汗)。
そしてあそこまで強烈でないなら、あの同じ感覚は高尾山にだってありますし都心の緑地にはないのが分かります。
沖縄県には「御獄」(うたき、おん)と呼ばれる琉球式の神社が各地に点在しているのですが、ある時訪れた竹富島の古いそれは、村はずれの一角が突然深い森の様になっていて、その周囲も木々が茂っているにも関わらず、そこだけ異様に緑が濃く様々な野鳥の鳴き声が集まっている不思議な所でした。
鳥居をくぐって奥に進むほど、何だか違う世界につながっていそうな、簡単に踏み込んではいけないような感じの異様な気が漂っていて「うわわ…」となりました。
昔これに似た所あったなぁと思ったのですが、それが熊野で感じたのと同じ種類のあの空気でした。
僕には区別がつかないので、何だか神様も妖怪もごちゃ混ぜの話になっていますが、とにかく普通に目に見えるものが持つ空気と違うんです。
そしてそんな体験は大抵いつも夏でした。
はい、ウマくこじつけられた所で、この夏後半は店のおすすめコーナーには妖怪関係書籍を並べておきますね。
以下蔵書から抜粋してのご紹介です。
遠野物語 妖怪談義 /柳田國男
いわずと知れた妖怪本のバイブルですね。
このジャンルをはじめて学術的に研究した柳田ですが、あくまで調査報告として淡々と綴られるそれらの話にはドキュメンタリーのタッチがあり、かえって非常に引き込まれます。
僕の好きな狐や狸の化かし話も、各地に伝わる質の良い伝承が多数紹介されていて嬉しいです。
日本民俗学全集 民間信仰、妖怪編 / 藤沢衛邦
民俗学の研究者である著者は有名な人ではないと思うのですが、その道では名の知れた人物なのでしょうか。
そう思わせる内容の濃さがあります。
見た目もタイトルも昔の地味な学術書の体をしてはいるのですが、内容はかなり濃いめのサブカル雑学本といった所です。
いわゆるマニアの人がその専門の話を始めると話題があちこちに飛び火しつつも話が止まらない、というあの迫力があり、書名と照らし合わせても、「その話いる?」と思える飛び火エピソードがふんだんに盛り込まれていてかなりの読み応えがあります。
このジャンルに興味のある方は必見でしょう。
水木しげるの妖怪事典 他/ 水木しげる
現代で妖怪のスペシャリストと言えばこの人ですよね。
前にこの人の書いた妖怪図鑑を店に仕入れようとして、アマゾンで「水木しげる 妖怪」と入れて検索したら、あまりにも大量の著作がヒットして、探す気にならずあきらめたことがありますが、まさに第一人者と言って良いでしょう。
この人の妖怪本にはピンキリがあるというのが通説のようですが(あれだけあればそうでしょう)、何といっても素晴らしいのは挿絵ですよね。
緻密に書き込まれたタッチの中に怪しさ、面白さ、恐ろしさ、愛らしさが見事に調和した、モチーフをよく知る(見たことがある)描き手ならではのリアルな迫力があります。
日本妖怪大図鑑
妖怪図鑑は数ありますが、どうしたって図版はまぁイラストの想像図ですよね。
当たり前のようですが、そんな中で「実写の妖怪図鑑が見たい」と言う無茶な願望を満たしてくれる希有な本がこれです。
非常に出来が良いし、妖怪の代表格を上手に網羅してあります。
実は映画が元になった企画本ですが、古本屋で見て即買いでした。
監修の水木、荒俣、京極氏らも妖怪の姿で登場。
陰陽師 シリーズ /夢枕獏
ご存知、人気のベストセラーシリーズですね。
まぁ読み物なので、小気味よい流暢な文体とカッコいいストーリーで気軽に楽しめます。
ただ、全編を通して語られる「呪」というテーマについてのやりとりは思想的でなかなか深いです。
ほとんどが読みやすい本ばかりですので、奥深い日本妖怪の世界に軽く触れてみるには良いと思います。
あらかじめ妖怪の知識があれば、もしも自分の部屋の片隅に見たこともない小さな人が座っていた時に、塩を撒いて追い払うべき奴なのか、話しかけて友達になっても良いのか、その場で判断がつきますよ。
フウセンカズラ
今お盆ですが、これから暑くなるんでしょうか。
いつもここで書く時候の話がそれ以降の天気とことごとく外れるので、何かもう、思い切ったことが書けません。
別の話をしましょう。
いま、店内の窓際前から2番目と3番目のお席に座って窓の外を見やると、プランターから黄緑色の蔓植物が縦横に蔓草を伸ばし、その先に白い小さな花と風船みたいな中空の実をつけている様子が目に入ります。
ホオズキにも似ていますが、もっと小振りの可愛らしいこの植物は「風船葛」といって、この春先に種を植えたものです。
これと言って目立つ所もない地味な子なので気にしないと見過ごしてしまいますが、ぜひ気にして見てやって下さい。
風船のような実も小さな花も、くるりと巻いた蔓の先も、よく見ると本当にかわいらしいやつです。
そしてさらに、夏が終わりこの袋が破けると、中からは小さなハートのマークが刻印された種が出てきてびっくりします。
どんなの?と思う方のために、その2番目3番目のお席の引出しのどこかに入れておきましょう(今年も植える予定なので水に濡らさないでね)。
さて、夏真っ盛りですね。
冷たい飲み物と稲川淳二が恋しくなってくる季節ですが、昔から日本で怪談といえば夏、というのはどうしてなんでしょうね。
体がヒンヤリして納涼の効果があるから、といような話は何だかこじつけっぽいですよね。
霊達が行き来する「お盆」があるからということもあるでしょう。
でも、日本の夏が妖怪シーズン(?)ということも無関係ではないでしょう。
実際、妖怪と言えばなぜか夏のイメージですよね。
確かに映画のトトロに出て来たような、あの森の濃厚でうっそうとした異様な雰囲気って日本では夏場に特有のものだし、そんな季節にはきっと精霊だの妖怪だのの自然霊も動植物と同じように活発になる気もします。
ということで、何だかこじつけっぽいですが日本の夏は妖怪のシーズンということに決まりました。
8月末にはお店が夏休みを頂いてしまう(スミマセン)ので、すぐに9月になってしまいますが、夏の後半に向けて妖怪本をオススメして見ようと思います。
さて皆さん、いると思いますか?
今、霊を信じるかと聞かれて肯定する人はおそらく過半数を軽く超えるでしょうが、妖怪となるとどうでしょうね。
人の魂由来のいわゆる幽霊に比べ、動物や自然霊のようなモノの擬人化であるキャラっぽい姿は、何だか見た目にもコミカルだし、科学がなかった時代の人々の迷信というニュアンスが強いですよね。
僕なんかはその手の話を大抵何でも信じてしまう方で、人の噂話や詐欺の臭いがなければ、かなりうさん臭い話でも大抵は鵜呑みにするようにしています。
小人を見た知人の話や大きな竜が空を横切っていくのを見たというおばあちゃんの話はもちろん、子供の頃自宅の裏山で体長2mの巨大アリを見た、と言って皆にバカにされていた西村知美の話も、きっと真実だろうと思っています。
宇宙人にさらわれた人の話だって、「宇宙人誘拐は一種の睡眠障害で自己催眠の様なもの」という説明だって、それぞれに、それはそれで信じてしまうので、何だか信念と言うものがないようですが、唯一嫌いなのは「そうに決まっている」「そんなことあるはずがない」と決めつけることで、この姿勢は何の得もないばかりか生活を味気なくするので極力避けるようにしています。
だから僕は、妖怪なんて余裕で現存生物(?)に数えています。
でも、昔の人々って普通の生活がそんな魅力(恐怖)に囲まれて生きていたんでしょうね。
科学的常識が圧倒的な信憑性を得ている現代社会と違い、神様やもののけなど、沢山の得体の知れない何かに囲まれての暮らしでは、きっと自然の中に置ける人間の位置を現代よりも正確に捉えられていたのでしょう。
霊体験の話は成仏出来ない霊魂の恨みつらみから発したネガティブな話が多いですが、比べて妖怪の怪談は万物の霊長とか言ってる人間が自然物にコケにされるシニカルな話が多くて面白いですね。
特に我が国特有の、狐や狸が人を化かす話には本当にとんちの利いた素敵な話が多いです。
また、個々のキャラクター性においての面白さも、日本の妖怪は群を抜いている気がします。
皆容姿、性質共々に独特で素晴らしい個性を持っていますよね。
柿の実を取らずにおいた柿の木は重みで枝がしなってだるくなり、やがては「たんころりん」という名の大入道になって村をさまよい歩く様になる、という何とも味わい深い話なんて日本人ならではの想像力です。
他にも「マクラガエシ」というヤツは寝ている間に枕をひっくり返すというどうでもいいことをする妖怪ですが、こういうのが魅力的ですよね。
僕は個人的に「油スマシ」というのが好きで、何の取り柄も必殺技もないヤツなのですが、そのいかにも妖怪然とした風貌が愛らしく、子供の頃、流行っていたガンプラには目もくれずにこれのプラモデルを夢中で作ったりしました。
独自の塗装を施し、戸棚の中にその背景となる田舎道のセットを作り、戸を開けると薄暗い空間に点滅球がチカチカと光って、その姿を闇の中に断続的に浮かび上がらせるという、自分で言いますが素晴らしい出来映えのセットを作り上げ、部屋の灯りを消して一人ニヤつきながらこれを眺め続ける小学生でした(今と何一つ変わっていません)。
アール座にはいるんでしょうかね。
室内中央の地球儀が置いてあるお席の前方にぐにっと生えている木は、かの有名な絞め殺し植物「ガジュマル」ですが、沖縄ではこの樹にはキジムナーなる妖怪が住んでいると言います。
本当はもっと大きな古木に住み着く赤髪のカッパみたいなヤツらしいのですが、見かけた方は教えて下さいね。
キジムナーはカッパの一族らしいですが、妖怪の代表格である河童や天狗の一族は、土地ごとにそれぞれの呼び名とエピソードで語り継がれているようで、河童ならキジムナーの他にも奄美から北海道に至るまで、ガラッパ、カワタロウ、カワンタロウ、ガータロ、ケンムン、シバテン、カワザル、スイコ、クセンボウ、ミンツチなどなど、性格も友好的だったり恐ろしかったりと、バリエーションにとんでいます。
でも同じような幻獣が違う呼び名でそれだけ広範囲に認識されていた、というのがスゴいことですよね。
やはり、全土に生息していたんでしょうね。
そういえば西洋にはゴーストはいても、へんてこな自然の妖怪みたいのはいるんでしょうかね。
アジアやアフリカにはそれっぽい話を聞きますが、ヨーロッパで有名なモンスターと言えば小説がオリジナルの都会的な連中か、後は神話時代にまで遡ってしまう大型の怪物みたいなイメージですよね。
北欧やスコットランドなど山岳、森林地域の妖精みたいなのが出て来る民間伝承は妖怪に比較的近いでしょうか。
やはり性格もイタズラっぽかったり、害の少なそうな所が似ています。
アール座の数少ないお茶請けの一つ「ブラウニー」の名は、スコットランド伝承の小人らしいですよ。
ヨーロッパの都会では中世には既に科学が力を持っていたということや、彼らのもともとの合理主義的な気質と合わないということもあったのでしょうが、やはりその暮らしと自然が切り離されていることが関係しているでしょう。
普通、自然と深く関わって暮らす民族は何かしらのアニミズム的な信仰を持っているものですが、日本もついこの前まではそんな地域の一つでしたね。
神道やアイヌ、琉球の信仰は、いずれも豊かな日本の自然に育まれたからこその思想で、そうした大きな信仰から派生的に起こる土地土地の民間信仰には特に精霊やもののけのようなのが沢山登場します。
妖怪たちの伝承は古い自然が色濃く残る土地と人間の関係に付随して生じやすいのでしょうね。
霊感のない僕は妖怪も幽霊も見たことはありませんが、昔一度だけそんな空気をたっぷり味わったことがあります。
学生の頃僕は放浪癖があって、知らない土地をうろつくのが好きでしたが、ある夏、紀伊半島にある日本屈指の歴史を持つ修験道「熊野古道」の中辺路と呼ばれる山道を制覇しようと訪れました。
ほぼ半島の先端を横切るくらいの距離の山道で、その日の内に制覇するのは無理そうでしたが、テントを持っていたので日が暮れたら山中で野営(ホントはやっちゃダメ)でもするかと、軽く考えていました。
当時は、熊野が神々の住む霊山でとても神聖な場所だという意識もあまりありませんでした。
キャンプ場でもない山の中で一人夜を越す(ホントはダメ)のは結構恐いのですが、恐怖感のネジが足りなかったのか、僕はその頃特にそういう所が鈍くて、山中のビバークも平気でよくやってました。
所がその山はいつもと違っていて、日が暮れてくるにつれて、それまでに感じたことのない異様な恐ろしさが漂い始めました。
大体山も田舎も、清らかな空気で昼間には気持ちがイイくらいの所程、夜になると寂しく恐い感じになるものなのですが、ここのはそんなのと次元が違っていました。
稲川氏が言う所の「やだなやだなー」って感じの空気の強烈なやつと言えばいいでしょうか。
闇が増すにつれて体が感じる意味不明の恐怖はどんどん濃くなり、次第にワケも分からず本当に身の毛がよだち始め、鼓動は激しくなり「これはヤバい」「とにかく早く抜けないとシャレにならない」という尋常じゃない切迫感に包まれていきました。
「いやいや、今さらこんな山の中で焦ってもしょうがない、どこかに場所を見つけてテントを貼ろう」と気持ちを落ち着かせようとした矢先に、山の上からドッドドドッと地響きのような足音が近づき、暗闇でフリーズしている僕の鼻先を、巨大な獣(多分鹿)の黒い体が横切ってふもとの方に走り抜けて行きました。
アニメの昔話で鬼に出くわした村人が「あれぇー」とか言いながら、死にものぐるいで両手両足をバラバラに動かすアホ丸出しのオモロい走り方をしますが、あんなのはマンガだけです…と思っていたのですが、その時の僕も気がつくとその動きで走ってましたね。
鹿か何かだと頭では分かっていましたが、体がいうことを聞かず、どこへ向かうためでもなくただビックリして足が回るだけ、という全く意味のない逃走というものを実行したのは後にも先にもあれだけです。
結局その後は息が切れ、地べたに座り込みながらも懐中電灯と地図を出し、少し先に山道と並走する国道との接点を見つけ、何とかそこまでたどり着くも、地図では接している様に見えた国道のガードレールが遥か高い崖の上に見え、必死の思いでロッククライミングをして国道まで這い上がり、通りかかった地元の車をヒッチハイクして町まで連れて行ってもらうと言う、かなりダメな旅行者をやってしまいました。
車に載せてくれた人が話してくれたのは「この山で夜を明かしたりしちゃダメだ。ここらは普通の山ではないから。地元の林業の者でも絶対に夜は森に入らない。夜この山に泊まってアタマおかしくなったもんの話とか怖い話が昔からいっぱいあるよ」というような内容のものでした。
それを聞くまでは、何だか神聖な森に「出て行け」と拒まれたような気持ちでいましたが、今思えば、森の危険を僕の体が察知して走らせたのかなとも思えてきます。
長い上に恥さらしな話で何を言いたかったかと言うと、その時森が僕に向けた(にせよ、こちらが感じ取ったにせよ)あの身の毛もよだつ感覚が、まさに自然霊そのものだったんだと思います。
僕は霊感がないので、それを映像として捉えることが出来なかっただけで、きっとあれが昔の人々が体験した妖怪の感覚そのものだったのでしょう(熊野は有名な天狗の山でもあったんです)。
幽霊の怪談聞いた時みたいに、冷や〜っとする感じじゃないんです。
何というか、怪物ににらまれているみたいな動物的な恐怖感です。
いやぁ、本物の妖怪はコミカルなんてもんじゃないんですね(汗)。
そしてあそこまで強烈でないなら、あの同じ感覚は高尾山にだってありますし都心の緑地にはないのが分かります。
沖縄県には「御獄」(うたき、おん)と呼ばれる琉球式の神社が各地に点在しているのですが、ある時訪れた竹富島の古いそれは、村はずれの一角が突然深い森の様になっていて、その周囲も木々が茂っているにも関わらず、そこだけ異様に緑が濃く様々な野鳥の鳴き声が集まっている不思議な所でした。
鳥居をくぐって奥に進むほど、何だか違う世界につながっていそうな、簡単に踏み込んではいけないような感じの異様な気が漂っていて「うわわ…」となりました。
昔これに似た所あったなぁと思ったのですが、それが熊野で感じたのと同じ種類のあの空気でした。
僕には区別がつかないので、何だか神様も妖怪もごちゃ混ぜの話になっていますが、とにかく普通に目に見えるものが持つ空気と違うんです。
そしてそんな体験は大抵いつも夏でした。
はい、ウマくこじつけられた所で、この夏後半は店のおすすめコーナーには妖怪関係書籍を並べておきますね。
以下蔵書から抜粋してのご紹介です。
遠野物語 妖怪談義 /柳田國男
いわずと知れた妖怪本のバイブルですね。
このジャンルをはじめて学術的に研究した柳田ですが、あくまで調査報告として淡々と綴られるそれらの話にはドキュメンタリーのタッチがあり、かえって非常に引き込まれます。
僕の好きな狐や狸の化かし話も、各地に伝わる質の良い伝承が多数紹介されていて嬉しいです。
日本民俗学全集 民間信仰、妖怪編 / 藤沢衛邦
民俗学の研究者である著者は有名な人ではないと思うのですが、その道では名の知れた人物なのでしょうか。
そう思わせる内容の濃さがあります。
見た目もタイトルも昔の地味な学術書の体をしてはいるのですが、内容はかなり濃いめのサブカル雑学本といった所です。
いわゆるマニアの人がその専門の話を始めると話題があちこちに飛び火しつつも話が止まらない、というあの迫力があり、書名と照らし合わせても、「その話いる?」と思える飛び火エピソードがふんだんに盛り込まれていてかなりの読み応えがあります。
このジャンルに興味のある方は必見でしょう。
水木しげるの妖怪事典 他/ 水木しげる
現代で妖怪のスペシャリストと言えばこの人ですよね。
前にこの人の書いた妖怪図鑑を店に仕入れようとして、アマゾンで「水木しげる 妖怪」と入れて検索したら、あまりにも大量の著作がヒットして、探す気にならずあきらめたことがありますが、まさに第一人者と言って良いでしょう。
この人の妖怪本にはピンキリがあるというのが通説のようですが(あれだけあればそうでしょう)、何といっても素晴らしいのは挿絵ですよね。
緻密に書き込まれたタッチの中に怪しさ、面白さ、恐ろしさ、愛らしさが見事に調和した、モチーフをよく知る(見たことがある)描き手ならではのリアルな迫力があります。
日本妖怪大図鑑
妖怪図鑑は数ありますが、どうしたって図版はまぁイラストの想像図ですよね。
当たり前のようですが、そんな中で「実写の妖怪図鑑が見たい」と言う無茶な願望を満たしてくれる希有な本がこれです。
非常に出来が良いし、妖怪の代表格を上手に網羅してあります。
実は映画が元になった企画本ですが、古本屋で見て即買いでした。
監修の水木、荒俣、京極氏らも妖怪の姿で登場。
陰陽師 シリーズ /夢枕獏
ご存知、人気のベストセラーシリーズですね。
まぁ読み物なので、小気味よい流暢な文体とカッコいいストーリーで気軽に楽しめます。
ただ、全編を通して語られる「呪」というテーマについてのやりとりは思想的でなかなか深いです。
ほとんどが読みやすい本ばかりですので、奥深い日本妖怪の世界に軽く触れてみるには良いと思います。
あらかじめ妖怪の知識があれば、もしも自分の部屋の片隅に見たこともない小さな人が座っていた時に、塩を撒いて追い払うべき奴なのか、話しかけて友達になっても良いのか、その場で判断がつきますよ。
フウセンカズラ