古代美術と民俗美術

2011.06.13 Monday 15:31
少しづつ梅雨の匂いが濃くなってきましたね。
店の虫カゴでは、去年の秋に鳴いていた鈴虫のジュニア達が卵から孵って夏を待ちわびています。

アール座は雨の週末に混んだりするヘンな店ですが、「晴働雨読」といって、日本人は昔から野良仕事が出来ない雨の日には家で本を読んできたんです。
何だか宮沢賢治みたいでカッコいい生き方ですよね。

外にいる時に突然降られると困ってしまう雨ですが、室内から窓越しに眺める雨はとても心地良いものですね。
そんな日には雨音や濡れた草や葉、窓ガラスをつたう雫が楽しめる窓際のお席が特におすすめです。
店内で夕立に降り込められるのも悪くないですよ。

さて、今月は「古代美術と民俗美術」の本をご紹介です。
なぜ今?という理由が何もない、ただの思いつきです。

意味合いの違う二つのジャンルを強引にひとくくりにしてしまいましたが、時代のモードや経済の影響が少ないプリミティブな感覚から生まれた美術は、貴族趣味や近現代の文化的な美術とは違った、強い生命力と豊かな霊感の魅力に溢れていて素敵です。

なかなか触れてみようと考える機会の少ないジャンルだと思いますので、どこかでおすすめ出来たらとは思っていたんです。

よく雑誌の方がお店を取材して下さる時に「この本全部の中で一番読んで欲しい一冊は?」というなかなかハードなご質問を頂くことがあり、あわあわしながら幾つもあるフェイバリットを思い浮かべ、ムリヤリに一冊上げさせてもらったりしてますが、そういうケースで苦し紛れにも最多登場しているのが、あろうことか「縄文土器文化」なるぼろぼろの図鑑だったりします(大概掲載されません)。

こういう所、アール座っぽいですよね。
おしゃれなブックカフェオーナーのカッコいいセレクションとはひと味違います。

しかし侮るなかれ。じっくり見てみて下さい、縄文土器。
ヘンな言い方ですが、ちょっと日本人離れした凄まじい力強さがあります。

かの岡本太郎を唸らせたのは有名で「何千年も昔に俺のマネをした奴らがいた」とか「この文様は深海魚だな。奴らめ、深海を知っていたな」などの素敵な名言を残させていますが、確かに図版の拡大写真(また出来れば各地の民俗資料館などで実物を)をじっくり見ると、恐い程の生命力があります。

日本人離れと言いましたが、有史以降の日本人は土着の縄文人と大陸から入ってきた弥生人のハイブリットと言われていますので、純粋な縄文人の美的感覚はそれと少し違うということなのかも知れません。

日本列島の両端に住むアイヌと琉球ルーツの人々がそれに近い(本州に大陸系民族が入り、南北に勢力を拡げたため)とも言われますが、その文化は確かに日本文化特有の「わび」の感性や女性的な繊細さよりも、海洋の島々の民族文化やアイヌ、琉球の文化に通じる野性的で躍動的な美意識が見て取れます。

乱暴に言うと土偶と埴輪の違いの感じでしょうか、文様も複雑でしつこい位のアクの強さがあります。

それにしても世界最古と言われる土器文化にこのクオリティの芸術性が備わっているというのはスゴいです。
人間て元来芸術家なんですね。

一方の弥生土器は、縄文好きな人には面白くないと言われたりしますが、これはこれで非常に詫びた美しさを持つ名器揃いの文化で、縄文とは赴きが違う感性の芸術です。

こちらは文様よりも印象的なフォルムで勝負している感がありますが、非常にシンプルで繊細かつ大胆なデザインには、大和時代以降の日本文化の根底に流れる、いわゆる「和風」の感性が既に現れていて、侘び好みの美しい土器だと思います。

アール座のショーケース最下段には中国土器が飾られていますが、実はこれも紀元前の先史時代(殷以前)にまでさかのぼる相当に古いものです。
骨董商を営む叔父から開店祝いとしてもらったもので、かつては数百万程の値がついたものらしいですが、その後どこからか大量に出土し、その価値が百分の一に下がったという悲しい代物らしいです。

骨董の価格にはこういう所がありますので、あまり振り回されなくても良いんですね。

関係ないですが、僕はシジミの味噌汁って、旨味ばかり強いフカヒレや燕の巣のスープよりもずっと味が深くて質が高い味なんじゃないかと思ったりします(本当に美味しいの頂いてないからかな?)。
もし珍しいモノだったら高値がついて注目されそうなのに、ありふれてるから見向きもされないものって沢山ありますよね。

骨董価値は希少性と人気(美術的価値など)が重なると跳ね上がりますね。

よく「まんだらけ」とかで、自分が子供の頃遊んでいたおもちゃに信じられない値がついていて驚きますが、ウチにもあるんじゃないかと考えてみると、大抵は残っていたとしてもボロボロで原形をとどめておらず、コレクター趣味の薄い時代に子供の玩具があんな状態で残っているのは奇跡に近いよなぁと思ったりします。

古いものが現代のものより質が高い骨董価値は美術品、工芸品に多いですね。
専門家は「古い時代に作られた物は本当に良いんだ」とよく言いますし、現代工芸において匠と呼ばれるような名人達が口を揃えて「昔の職人の技にはどうやっても追いつけない」と嘆息するのを良く耳にします。

趣味や情報も便利な道具も少ないからでしょうか、職人さんの技術も精神性も、時代が下る程レベルが上がるのだという認識が、職人の世界にはあるようです。

ショーケースにも置いてあるガンダーラ仏像がそんな古代の魂を垣間見せる品々なのですが、こちらは文化的な仏教美術ですので、別の機会に仏像特集かなんか設けてスポットを当てたいと思います。

で、確かにウチの中国土器(やっと話が戻りました)も大変力のある独特のフォルムと何とも美しい風合いを持っていて、大ぶりで色の強い花なんか生けると、素晴らしく映えます。

日本の縄文とも弥生とも違う独特の造形ですが、先史時代の感性って本当に野性的で、現代人がなかなかまね出来ない所があります。

以前僕は何も知らずにこの壷に直接水を入れて花を生けていたのですが、何だか表面が湿っぽく柔らかい粘土のような質感になってきたので、あわてて水を抜いて叔父に尋ねると「土器に直接水を入れたらダメだよぉ!」と笑われました。

土器は陶器の様な高温で焼き締められてはいないので、水に弱く、花を飾る時は壷の中にガラス瓶を入れてそこに生けるのだそうです。(;^_^A

それにしても、数千年も前に遠い異国の見知らぬ職人さんに作られたこんなヤワな物が、よくもまぁ形を保ったまま現代のこの店までやって来たものだと思うと、何だかかわいく思えてきます。

中国で土器、陶磁器と並ぶ文化に青銅器がありますが、これも僕の大好きなジャンルです。
縄文土器の力強さにとても近い印象を受けますが、中国青銅器は複雑な装飾を施した銅器の文化で、先史時代から中国史に連綿と受け継がれる、縄文に匹敵する力強い芸術です。

特徴的なのはその表面に施される、迷路のように細かく複雑な渦巻き状のトウテツ文様でしょう。
饕餮(トウテツ)とは中国に伝わる伝説の怪物で、呪術や祭事に使われることの多かった銅器に魔除けの意味で刻まれたこの羊の角のデザインが複雑に進化した様式です。

我々が中国をイメージする時についてまわる、あのラーメン屋ののれんや丼の縁にある四角い渦巻き模様もこれがルーツらしいのですが、見ていると目が回るような吸い込まれるような魔術的な力があります。
それに加え、青銅器は重厚に鈍く光る黒鉄色とエメラルドに輝く銅錆びの色合いも魅力的ですね。
青山の根津美術館なんかにはコレクションが充実していますので、興味のある方はおすすめです(常設展示されているかご確認を)。

さて、人類の絵画史において太古のものが現存するのは壁画ですよね。
教科書で習ったラスコー洞窟、アルタミラ洞窟の壁画が、いわば人類芸術文化のルーツを垣間見せてくれます。

描かれる動物たちの美しいフォルムと素晴らしい躍動感は、発見以来、現代の世界中のアーティストを驚かせてきました。

どんな人が描いたのかと考えてしまいますね。
専門の絵描きがいたんでしょうか。
毛皮を羽織った毛むくじゃらの原始人(イメージ)があんな繊細なセンスの絵を一心に描いている光景を思い浮かべると、何だかカッコいいですね。

今回は話がひどく脱線するので、どんどん外れていきましょう。

人が作った道具でウチの店にある一番古いモノは、間違いなく書棚中央最下段の図鑑コーナーに何気なく置いてある石器でしょう。

レプリカと思っている方も多いと思いますが、実は石の部分は太古の原始人が作った実物です(後から糸で持ち手を付けたモノ)。
どこから出土したものかは聞いてませんが、黒曜石で出来た石斧で、かつてはもっと鋭く尖っていたのでしょう。

実は先日、例の鉱石標本に黒曜石も加えようとして、入手した大き目の塊を標本箱のサイズに砕こうと試みたのですが、結局あきらめてしまいました。
めちゃくちゃ固いんです。
石の真ん中にクサビを立ててハンマーで力一杯打ち付けるのですが、薄い破片がとんで手がしびれるだけで、滅多に砕けません。

その破片が余りにも薄くて硬いので「鉛筆削れるじゃろか…」と思ってやってみると、見事に削れてしまいます。

黒曜石が太古の打製石器に使われたのは有名ですよね。
確かにこんな硬質で鋭い石片が手に入ったら原始人だって「鹿の皮剥げるじゃろか…」とやってみたくなるでしょう。

この打製石器がその後、石を削り出して作る磨製石器に発展したと昔学校で習いましたが、打製石器の使用を経ることなくいきなり素材を研磨するという発想は生まれないでしょうから、この黒曜石の割れ方の性質が人類の文明を産み出したと言っても過言じゃないかも知れませんね。

さて、太古の壁画の話でしたっけね。

現代のアフリカンアートやアボリジニにも近いモノがありますが、野生に近い所に住んでいる民族のアーチストは動物たちをとてもしなやかに描きますよね。

我々は普通大型動物にもう少し荒々しく力強いイメージを持っていて、大きな体躯や皮膚、毛並を細かく描写してその迫力を表現する方が好きだったりしますが、この人達はのびのびと走り回る野生の獣たちを遠目で眺めるからでしょうか、非常に美しい流線型のスマートなフォルムを獣の姿に見て取るようですね。

デザイン的に大変完成されていますが、にもかかわらず軽薄な感じにならないのは、何だか霊的な魂がこめられている雰囲気も同時に感じられるからでしょう。

プリミティブな民俗美術最大の魅力は、何と言ってもアニミズム信仰に基づく強い霊的な表現につきるのではないでしょうか。

そう言えば、窓際前から4番目のお席(ベタの席)の本立てにアフリカ土産の人形の置物があるのですが、この人は先日の地震の時、他の置物が皆倒され散らばっている中でたった一人、何と頭を下にして逆さまに立っていました。

(再現画像)
容姿や雰囲気からして何かただ者じゃないとは思っていたのですが、やはりなかなかのクセ者です。

あの日はその他にも、どう考えても落ちる様な位置の食器達が驚愕の踏ん張りをみせてくれたり、落下していたらきっと割れてるだろうと思っていた机上の薄手の硝子ビンが見当たらず、その下の引出しを開けたら、中に横倒しになって収まっていたり(揺れで引出しが開いて閉まるタイミングに自力で飛び込んで避難?!)して、常々感じていた「アール座の小物は生きてる」感を強めた次第です。

そうそう、美術の話でしたっけね。

ウチにある「民俗美術」の古い図鑑に掲載されている、世界各地のあらゆる民族の美術品は皆、粒子の粗い写真からでさえ十分に伝わって来る、恐いくらいの霊的な気を吹き出しているように見えます。

特に祭事や呪術に使う彫り物や仮面などはド肝を抜くデザインのものも多く、見るものを引きつけます。

しかしこの手の神が宿る、魂が籠る系(?)で世界一強力なソウルアートこそは(ネイティブなアートとは少し違いますが)我が国の伝統芸能、能に使用される面ではないかと僕は思います。

ウチにある「能面」という作品集に載っている「孫次郎」などの中世の名作は、写真で見てもスゴいオーラを放っていますよ。
「〜能面展」として実物を展示する催しは都内でも時々開催されますが、見応え十分の世界ですので、興味ある方にはおすすめです。

他に、民俗美術として優れているものに刺繍や手織り、キルトなどの生地の文化がありますが、「インド 砂漠の民と美」という写真集には、インドはクジャラート周辺のド田舎の村の日常風景で、水汲みするおばちゃん達が普段着として信じられないような美しい刺繍や手染めの衣服をまとっている光景が見モノです。

今月は随分と渋い路線をオススメしてしまいましたので、おすすめコーナーには年季の入った古本が並ぶ古書店のような感じになってしまいますが、まぁそんなのも悪くないでしょう。

美術というと、まるで中世〜近代のヨーロッパの美術のことを指す様に我々は教わってきましたね(アートといえば現代の商業美術)。
生活につながった土着のアートを見ていると、美術という言葉ににアカデミックな専門分野の匂いがついているのが、何だかバカバカしくなってきて楽しいです。

自分でも粘土とかこねくり回したくなってきますよ。



縄文式土器/弥生式土器/中国青銅器
category:2011 | by:アール座読書館 | - | - | -

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