心理学のすすめ ー性格ー

2011.02.02 Wednesday 00:16
皆様、新年明けましておめでとうございます。

今年最初のブログですが…そうですね、もう2月ですね。
スミマセン…今年もこんなペースです。
皆様どうぞ見捨てないで下さい。

寒いですが、風邪は引いてないですか?
冬は疲れを溜めるとロクなことがないので、野生動物のように栄養を蓄えて活動を抑え、出来るだけゆったり過ごせるといいですね。
またそんな話を言い訳に、春まで極力ナマケるのもアリでしょう。

さて今月は、そんな冬とは何の関係もない「心理学」の本をおすすめしようと思います。
特に今やる理由もないのですが、それでも内省的になるには一番いい時期なんじゃないでしょうか。

先ずは「性格」についての話です。

世の中には本当に色々な人がいて、生きることはそれに翻弄されることと言っても過言ではないと思うのですが、心理学で最もポピュラーな関心を集めるのは、この「性格」についての話じゃないでしょうか。

血液型や星座を基にした性格占いも昔から馴染みの深いものですよね。
性格を大雑把に決めつけられることに対しての抵抗感もあるためか、「単なる統計だ」と嫌う人も少なくありませんが、この分野に関してより学術的にアプローチしているのが心理学の「性格論」です。

もっとも最近では、血液型はそのルーツとなる各民族が暮らしていた大昔の環境条件(A型民族→寒冷地、集団生活…など)に、星座の方は、誕生月の季節が人格の基礎に与える影響に関連づけて研究されてもいるそうです。

類型と法則付けを本分とする学者が放っておくはずもないこのテーマの研究はギリシア時代からあり、近代以降では「気質類型論」「タイプ論」などと呼ばれ、精神科医クレッチマーや心理学者ユングによる性格分類が有名です。

クレッチマーの類型論は病理的分類とも呼ばれ、性格と精神病理の関係性に注目し、さらに痩せ型や肥満型などの体質的特性との関連性をも見いだした類型論で、気質のタイプを躁鬱(そううつ)気質、分裂(統合失調)気質、粘着気質などに分類します。

少し乱暴な説明ですが、躁鬱型(調子を崩すと躁鬱病になりやすい)気質の人は社交的で温和、妥協的で素直な性格、体型は丸みを帯びる傾向が強く、分裂型はやせ形で、思慮深く内省的、かたくなで美意識が強い…といった感じの話です。

体質と気質を統合的にとらえるこのタイプ論は東洋の陰陽説による体質分類にも似ている所が面白いです。
根拠付けや実証が難しい心理学は、自然科学に比べて経験主義的な面が強く、特にこの人は多くの症例データを基にしたのでそんなことにもなるのでしょう。

我々素人は、気質の病理的側面に関して「精神病になるタイプとならないタイプ」という風に線を引いて考えてしまいがちですが、この法則で見ると誰でも病気になる可能性を持っていて、「自分は〜病に近いタイプなんだ」という見方になってきます。

ユングの場合は、人の性格に、客観性や社会の価値観に重きをおいた思考、行動をしがちな「外向型気質」と、あくまで自分の内面にある主観的要因に基準を求める「内向型気質」という2タイプの傾向があることに注目し、これを発展させた性格分類を展開しました。

これも雑に言うと「外向型」の人は「現実的で社会性が強く行動的で世間の動向を重視する」というような性格で、「空想好きで社会的価値よりも自分の価値観を大事にし、思考的で独創的な内向型」の人とは対称的。
さらに、その二大気質を思考型、直感型、感情型、感覚型といった、その人が頼る精神作用のタイプも分けも加えて8種類に分類した理論です。

まぁ、どちらも一昔前の研究ですし、数十億の個性を数パターンに分類する多少強引な理論でもあるので、「中間型や移行型が無視されやすい」「類型特有の特性ばかり注目される」等々、大いに批判も受けている研究で、実際には特定のタイプにピタリとハマる人の方がむしろ少なそうな位の印象はありす。
大事なのは「外向型と内向型という2タイプの人間がいる」という認識よりも「人間の心理にその2つの方向性がある」と、とらえる方がリアルで、つまり一人の人格の中にも大なり小なり外向と内向両方の心理がある、ということを理解した方がいい気がします。

ただ、人間のパーソナリティに関心を持ち、考えて行く上で、この手の理論が指標になるという実感はあります。
「自分はどういう奴なんだろう」ということを考える時に、何の方向性もない雑然とした意識で、中々取りかかれるものではありません。
こうした類型に照らし合わせて「このタイプが近い」とか「どれも違うじゃん」とかやってる内に少しづつ自分や社会が見えて来たりもします。

ちなみにクレッチマーで言うと、こんな風に自分について考えてしまう人(僕もです)は分裂型の様ですね。
統合失調はアイデンティティーの障害なので、自分は何者?という疑問を持ちやすく、調子が悪くなって来ると鏡を見て「誰だコイツ」という気持ちになったり、かなり混乱が進んでしまうと「自分は神だ」とか「俺が本物のジョン・レノンだ」とか言い出してしまうこともあるそうです。

逆に躁鬱型の人はこの手の疑問を感じないので、自分のことや哲学的思考に走るより社会的責任感など、外から来るプレッシャーの方が天敵になって来るようです。

ユング論なら分裂型に近いのは内向型気質で、一般に言う「内向的な性格」という意味と少し違い「流行や決まり事よりも自分の価値観を基準に動く人」という感じの性格になります(日本人の多くは内向的ですが、気質は外向型)。
心理的には「客体を尊重し、自分をこれと関係付けようとする外向型に対して、内向型は客体の感覚を抑圧しようとしている」と説明されます。

僕などは元々強力な内向型で、特に思春期の頃はハヤリものや社会的慣習が本当に嫌いでした。
この理論で内向型気質というものを知った時には、ただヘンな奴なのかと思っていた自分の性格の要が分かった様な気がして、何だか安心したものです。
お陰で、その辺が開き直ったまま成長してしまい、結局こんな店を作る大人になってしまいました。

そんなアール座はよく「高円寺っぽい店」とも「高円寺っぽくない店」とも言われます。
おそらく前者は「独創的」「我が道を行く風」という印象で、後者は「俗っぽさやユルさがない雰囲気」「誰でもなじみやすい庶民派でない」という位の意味合いなんだと思っています。
内向、外向両者を有する高円寺という街の複雑さも見えて来ますが、ウチの評価はやはりどちらも内向型の特徴ですね。

内向型の店と言うと、いわゆる開かれた店ではなさそうですが、お客様はどんな方が多いのでしょう。
この流れだと内向型の方が多い様に感じますが、多くの方を対象にする場合はそう簡単に分かりませんね。

いくつかの飲食店で働いてきて、ひいき目ではなくアール座のお客様は感受性のアベレージが並でないことを感じますし、独自の世界観をお持ちで神秘的なものやファンタジックなもの、ヘンなもの(笑)に引かれる方が、リピーターの方には多い様に思えます。
一見すると内向感覚型的要素とも思えますが、ただ厳密にそれがどのタイプの気質に起因するものかは中々一概に言えませんし、そもそもが単なる全体的な印象なので個人を見る時の正確なデータになりませんね。

難しいのは、大人になると最も発達した性格(主機能)を補う様にそれと対立する性格(補助機能)が強く現れて来たりすることです。
特に人間関係が複雑で自分の立ち位置や自己表現が重要な現代においては、この辺りの関係がより複雑になっているように思えます。

一時代前なら「周囲に認められようと考える人は社交的で現実的で新し物好きでミーハーで…」などと、多少大雑把な言い方をしても、そこそこ的を得ていたんじゃないでしょうか。
僕が知っている昔でも、外向型か内向型かをある程度見た目だけでも判断出来た様に思えます。

所が現代はあらゆる趣味趣向が様々に細分化されて「外向型好み=周囲に認められやすいジャンル=マジョリティ」と一言で片付かなくなってきたので「こういうタイプが外向型」と簡単に割り切れません。
趣味の指向性やジャンルも非常に複雑に入り組んできて、マジョリティと呼ばれる文化が一通りでなく、サブカルチャーと呼ばれて来たジャンルも、もはやサブではないし、今どきは「音楽好き」な人同士といっても先ず趣味が合いませんもんね。

途上国や戦後の日本(ひばり、裕次郎の時代)の様に皆が同じ対象を求める社会から考えると、経済発展には「ニーズの多様化→供給の細分化→更なるニーズの複雑化」というサイクルがあって、発展する程人々は内向型に移行してゆくのかなと考えてしまいます。
ただ、こんな現代は自分らしく生きる上では非常に恵まれた時代でもありますね。

そんな多様な価値観の現代社会では多様なタイプの共存関係が複雑な問題になってきますが、「タイプ論」を知っていると、若干余裕を持ってこの手の問題を俯瞰からとらえられる気がします。

ユングの学説に「外向型と内向型は基本的に相性が悪く、お互いを偏見で見ようとする」という見解がありますが、確かにこれは実感します。

理解出来ない考え方、趣味の違う人に対するイラ立ちや侮蔑の裏には、自分が否定されるという恐怖感がありそうですよね。
人は皆いつも自分に不安を抱えていて、自分と反対の価値観や趣味を堂々と遂行している人がいるだけで、無意識にそんな危機感を感じてしまうのでしょう。

世の中で白熱する様々な論議、論争においても、この外向×内向の感情的な対立が根幹にあるケースがとても多い様な気がします。

人が意見を持つ時は、その根拠としてもっともらしい理論を築いてみせるものですが、その主張を選ぶ根っこには大抵立場上の理由だったり生理的、感情的な理由があったりします。
で、気質はこの「何となくこう思いたい」という心理を強く決定し、他方を否定してしまいます。
タイプの違う人同士が出会いやすいネット上でのいがみ合いとかも、結構この形多いですよね。

全く理解出来ない考え方や文化が存在することを何でもなく受け入れられる姿勢があると、その分余計な心配をせずに自分の道を行けそうな気がしますが、「性格論」の知識はこれも助けてくれそうです。

高いコミュニケーション能力が要求される現代では、気質の違いから生じる人間関係に悩まされることが茶飯事ですね。
うんざりするようなことが続くと「何で自分はこんななんだろう」と、つい自分の性格を恨んだりもしてしまいます。

でもですよ、自分の性格を自覚しつつ長い目で見てみると、恥かかされ苦しめられることはあっても、結局最後には必ず自分を守り、味方になってくれるのが、この自分にあつらえられた気質であり、自ら育んだ性格なんだなぁと最近になって思えて来るんです。

日本人は自分の短所をカタキの様に考えるような教育を受けますが、僕は、社会的な意識に助長される「長所」と呼ばれる性格よりも、それで矯正することが出来なかった「短所」の部分に、真にその人らしい気質がある様に感じます。
確かに放っておくとただの欠点ですが、何と言うか、これをつぶすのではなく、裏返して味方につけた場合には、とてつもない力を発揮してくれる気がします。

自分を変える努力には大きな意味もありますが、別に自分を嫌わなくてもいいんだなぁと、若い時より思える様になりました。
それにそう思えると、今度は他人に対する気持ちも変わって来ますしね。

そう考えてゆくと、世の中に様々な気質の人間が同居していることや、その中を自分の性格で生きてゆくということにも、きっと何かただならぬ意義があるように思えて来ます。

何だか随分イイ話になってきましたが「心理学のおすすめ」の話でしたっけね。
実は今、もう1トピックくらい行けるかなと文章を見直してみた所、思っていた量の3倍程書いていたのでびっくりです。

心理学の色々なジャンルについてざっとご紹介しようと書き始めたのですが、「先ずは性格について…」とか言って、最初のジャンルだけでこの有様です。
文章が長くなるのは分裂型気質の特徴なんだそうですが、ここまでだとヤバいんじゃないでしょうか。
ちょっと心配ですね(知るか)。

一応関連書籍は全てコーナーに置いておきますが、これ以降の心理学の話はまた次回にしようと思います。
はい、まだ続きます。
乞うご期待!?

しつこいようですが性格類型論はあくまで目安です。
自分や社会全体をとらえるならまだしも、「誰々は何型だろうから…」と特定の個人に当てはめてかかると中々うまく行かないのです。

category:2011 | by:アール座読書館 | - | - | -

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2017.12.16 Saturday 00:16
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