昼のアール座と白昼夢のすすめ

2019.10.19 Saturday 02:12

 

寒いですね。

 

空気が冷え、虫の声も少しずつやんできて、本格的な秋の深まりを感じさせます。

幻想的な時間を多く過ごせる季節ですね。

 

というわけで、今回のテーマは「白昼夢」です。

どういうわけだ!→時候の挨拶から自然にブログテーマにつなげる文章に失敗しました

 

何というか、昼間にぼやーっとすることの効用みたいなお話です。

 

人にすすめるようなものなのか甚だ疑問ですが、取り得のない僕がおすすめ出来る数少ない得意分野なので、許してください。

 

「白昼夢」と言うのは、昼間目覚めているときに見る空想や妄想が進んで、現実感が失われ、まるで夢の中にいるような感覚にとらわれるようなひとときのことですよね。多分…(僕なりの解釈)。

 

元々は英単語のデイドリームの訳なのかも知れませんが、白を入れるところがなんかおしゃれです。
 

で、僕、昔からこれ得意でした…と言うか、ヒドかったです。

特に若いとき。

 

どちらかというと僕の白昼夢は、その場の現実と全く関係のない思考に入ってしまうとかよりも、目の前にある何かにインスパイアされて、そこから非現実の方に飛んでしまう、というのが多かったです。

 

若い頃はこれに随分と悩まされました。

こういうのって、するべきじゃない時に始まっちゃうと非常に困るんです。大概そうですがね

 

レストランバイトで、死ぬほど忙しい時間帯にカトラリーを揃えながら、ふと「フォークの先端ってどうやって作るんだろう?」とか思っちゃうと、もう終わりなんですね。

 

一刻を争うようなオペレーションしながらも「型に流すのかな?」「いや、熱い内にびよーんって引っぱるのかな?」と、どうやっても妄想が止められないんですね。

 

鋳造工場の映像が現実の光景を覆い隠すように思い浮かべられてしまい、それを見ながら仕事するので、まぁ集中力が落ちてミスが増えるワケです。ちょっと多動っぽい気質もあるのですが…。

 

で、怒られてヘコみながら「この手のバイトは一番向いてないんだよ、おれには…」なんてクサってました。

 

まさか一生やる羽目になるなんて、この青年は夢にも思ってません。

 

あれ、おすすめになってない。

 

でも、思えば僕のこれはもう子供の頃からだったので、きっと気質というやつなんでしょう。

その頃は日常的に、耳鳴りは宇宙人からの交信だと思ってましたし、天気雨は地球滅亡の予兆でした。

 

学校帰りに、強風に吹かれて波打つ竹やぶの風景が苦しそうに身体をうねらす緑色の巨人の群れにしか見えず、うめき声まで聞こえてきてしまったので、思わずその場に座り込んだままかなり長いこと(多分一時間位)それを眺めていた思い出は、僕の小学校時代の全記憶の鮮明度ランキング1位かも知れません。

 

妄想が鮮明度で現実をおさえて1位というのがもうヤバいのですが、現実の意識にいた時間との比率が逆転していたんじゃないかと思うくらい、妄想の中に生きておりました。
こんなんで、よく変質者に育たなかったものだと感心します。

 

そんな子供時代を過ごした僕も、さすがに立派な大人に成長してからは、乗っている地下鉄を銀河鉄道にして宇宙に飛ばしたりとか、もうタマにしかやりません。窓の外が暗いのでやりやすい

「この車両では僕しか気づいてないみたいだけど、このあと到着する九段下は以前君達がいた世界とは別の世界の九段下なんだよ ようこそ」などと、他の乗客たちに心の中から優しく語りかけたりしています。変質者じゃねぇか

 

やばい。ぜんぜんおすすめになってないぞ。

 

まぁ僕くらいのレベルになると、日常的に、絵空事を思い浮かべてそっちの世界に飛んじゃうのとかたやすいのですが、例えば夜空に浮かぶ「月」なんかは妄想初心者の方にもおすすめのモチーフですよ。あれ?誰もついてきてない?

 

だって、あんなすごい現実の物体を「あ、月出てるぅ」なんてアホみたいに見ていてはいけません。

 

考えて見るとあれってものすごく非現実的な存在だと思うのですが、意外と誰もそのありのままをちゃんと見てはいなかったりします。

 

さあ、妄想力をかき立てましょう。マズい…ついてきてない…

 

我々はあれが地球の衛星であることを知っていますが、でも普段の実感としては、意外に平べったい丸や弓形として見ているんじゃないでしょうか。

 

ならばいっそ本当に舞台装置のお月様みたいにべたっと貼ってあるように思って見てみると(上手くリアルに想像出来ると)、ちょっと不思議な感じがします。

 

それが貼ってある空全体が暗幕みたいに見えてきませんか?眼鏡コンタクトは外して、視界をぼやかします

 

するとその後ろに拡がる別世界があるように思えてきて、何だか神様の世界が裏側に存在しているみたいに感じてきます。

 

裏の世界を空想するんじゃないですよ。目の前の夜のとばりをそういう実態として感じつつ見るんです。


暗幕暗幕ぅ〜はい見えてきたぁ〜!

だめ?がんばれ! あ、そう…だめ…。

はいはい。分かりました。逆切れ

 

じゃあ逆に空に浮かんだ球体と見てみましょう。

 

もちろんそれは全く科学的な見方でもあるんですが、でも我々は感覚的に、意外とそうは見てなかったりするものです。

 

だって空中にあんなバカでかい球が浮かんで光ってるって、かなり非現実的な光景でしょ。 

 

本当に満月をこの目線で見ることが出来ると「うわわ ヤバ…」みたいな感じになりますよ。

「そういえば夜いつもあるけど…一体何なの?あれ…」って感じ。

 

地球に迫り来る巨大な小惑星みたいにも見えて、ちょっと冷や汗かく程の迫力を味わえるんです。こっちは眼鏡かけます 

 

月が巨大な球体である、ということを僕らはよく知っているような気になっていますが、実の所、普段はそんな風に思って見ているワケでもないんですね。

 

頭の知識と体感の違う所ですが、実は幻を見るようなぼやーっとした感覚の方が、対象をリアルにとらえていたりもするんです。

 

ね、ちょっと「おお!」ってならない?

 

これ出来るくらいの人はさらにレベルを上げていくと、もうすっかり白昼夢のとりこです。

 

丸尾末広みたいに「あれは空に丸く開いた穴だ まぶしい向こう側の世界の光がこちらに漏れてきているのだ」なんていう狂気レベルの発想も自由自在です。

 

ようこそ。

 

ところで今、重大なことに気が付きましたが、月が出ている夜にするそれは、果たして白昼夢と言ってもいいんでしょうかね?知るか

 

 

あと、その白昼夢のちょうど逆で、明晰夢というものもあります。

聞いたことありますでしょうか?


現実の中で見る夢が白昼夢なら、明晰夢というのは睡眠中に見る夢の中で我に返るようなことです。

 

これちょっと検索したら、今は意外と注目している人もいるようで、まとめサイトみたいなのまで出来てました。

 

経験ある人無い人が分かれるかもですが、僕、子供の頃こっちも得意でした。もう現実じゃない世界に生きた方がいいのかも…

 

ときどき夢の中にいて「あれ?なんかおかしいぞ?コレってもしかして夢じゃないの?」みたいな意識になってくるときがあったのですが、これをいつも意識していると、割と頻繁にそういうタイミングが訪れるようになってくるんですね。


ただ、なぜかその意識はあまり長続きせずに、大抵ちょっとして本当に目が覚めるか、もしくは再び無意識な夢の世界に没入していくかしてしまうのですが、おそらく比較的眠りの浅いレム睡眠の中で、眠りと目覚めの意識が交錯して起こるひとときの現象だからなのでしょう。

 

大人になってからあまり見なくなりましたが、子供の頃の僕はこの「夢だと気づきながら見ている夢」というものをかなりの頻度で見てました。

 

で、そんな時に誰でも思ってしまうのは「夢の中なら何だってやりたい放題じゃん いひひひ」という悪魔の欲望だと思いますが、幼い僕も当然のようにそう思ったんですわ。

 

ところが最初それを思ったとき(夢の中で自分の家にいました)「せっかくだから現実では絶対出来ないことをやってやろう!でも何しよう?」などとあせって、思わずやってしまったのは、あろうことか「家の二階に駆け上がり、服を全部脱いで窓から飛ぶ」という最高にイカれた行動でした。

 

しかし、その結果、なんと本当にそのまま真っ裸で町の上を飛び回ることが出来ちゃったんですね。

 

起きたときの満足感が忘れられず、それから夢の中でそんな気づきがあると、いつもそれをやる感じになっちゃいました。夢って便利で、階段上がらなきゃと思うと階段が現れます。

 

「あ…来た!今だ!」ってなると、もう習慣化されたように、わぁ〜って服もパンツも脱いで、とにかく二階に駆け上がってました。夢の中の話ね

 

で、そのまま、わぁ〜って言って窓から飛び出して、飛べちゃうこともあるし、わさわさーって森の木々の葉の中をゆっくり落ちていくとか違うケースもありました(これも楽しい)が、不思議とズドンと普通に落ちて、いたた〜ってのはなかったです。

 

だって他に思いつかないもん。その場で出来る、現実には絶対出来ないこととか。

 

でもこれ出来るようになると、ちょっと楽しいですよ。

夢の中で「あれ?これって…」と気づくときがあったら、ただ思ってないで、まず意図的に動いてみて下さい。

で、もっとマトモなことして下さいね。

 

僕のは子供の頃の発想なのでギリギリ許してもらえそうな話なのですが、何を隠そう、大学生になって久しぶりに明晰夢を見たときにも、何かしなきゃとあせった末に、ついこれをやってしまい、目覚めてから頭を抱えた経験があります。 

 

「夢とはいえ、もうコレはさすがにダメだ」「次はもっと別のことしよう」「何しよう?」なんて考えた記憶がありますが、なぜかその頃からはあまり明晰夢を見た記憶がありません。

 

きっと、これでよかったんだ。

さようなら、明晰夢。

 

クソどうでもいい話で30行使ってしまいましたが、明晰夢も白昼夢も、覚醒している意識とボヤーっとした幻のような意識が同時にあって、この中で思いのままになされる心理作用であります。

 

この現実と幻の二重構造が織り成す不思議な感覚こそ、僕が白昼夢を愛した要因でした。なんかこんな風に言うとカッコいいな

 

それは必ず、細部への意識がクリアでない、何となくぼやーっとした感覚の方にいるときに起こり、ハッと我に返ると急に味気ない日常に戻ったように感じたりします。

 

映画を見終わって、映画館から昼の町に出てくるときに感じる、あの感覚に似てますね。

ああ、また日常だ…っていう感じのね。


素面(しらふ)という心理状態がありますね。

 

ハイな状態と比較するとよく分かりますが、素面の状態はとにかく理性的で、目の前の物事が細部までよく見えていて、また行動や思考にもちゃんと抑制が効いている感覚があります。

 

だから普段、我々は裸で窓から飛んだりなんかしないんですね。

 

逆に、それが弱まる身近な例として「深夜のテンション」というのがあります。

 

誰かへの感情が高ぶって強い筆跡で書いた情熱的な手紙を、翌朝恥ずかしくなって丸めて捨てるという、何とも人間的で愛すべきあの一連の行動は、そんな意識の移り変わりのなせるわざです。

 

そんなときに要注意なのはやはり書き物でしょうか。

思いが強くなって、みんな多感なポエマーになれます。
 

僕はこの手のことはそうそう恥ずかしくもない方なのですが、以前実家で、多分中学生の頃、夜中に書きなぐったと思われる、大人になる前の決意表明みたいな箇条書きの文章が出てきたときは鼻血出そうになりました。

内容は死んでも書きませんが、全ての文章が、オレはで始まります

何だ。笑うな。

男の決意表明だぞ。。
 

あと夜中は大勢で盛り上がったりするのも危険ですね。

 

昼なら全く面白くないような話や言い方がバカうけして、なんかみんなしてあるキーワードにハマってしまい、それを口々に言いながら笑いが止まらない、なんていう異常事態が起こります。

 

もちろん次の日には、あんなにウケたその言葉を口にする人はもういません。

なんとなく皆で気恥ずかしそうな空気を共有しながらも、無かったことにしていきますね。

 

ちなみに僕はこういう時だけは妙に冷めていて、大体皆のノリについていけずに、端っこで顔だけニヤニヤさせていたクチなので、翌日はノーダメージです。

でもこういうのって、わざと持っていこうとしてもなかなか出来るものでもないですよね。

こちらの意図とは関係なく、時間帯とか空気とかに持っていかれるものです。

 

「二時五十分」と言う時刻を、人が最もおかしなテンションになるタイミングとして、その名に冠したハイテンション芸人さんがいますが、昼間に意図的にあのテンションを再現するのって、きっとプロの仕事ですよね(完全にはトンでない)。

 

番組中のあの人の出番がいつもショートコーナーなのって、それが長くはもたないからなんでしょうか。3分間のリミットを全力で戦い切るウルトラマンみたいでカッコいいです。
 

しかし普通、あのテンションは夜更けと共に向こうから悪魔のように訪れてきます。

 

脳生理学的な解釈では、日中活発になる前頭葉の機能が深夜帯には低下するので、思考に対して理性的なコントロールが失われ、感情的で情緒不安定な状態になる、みたいな話になるようです。
 

これ思うと、ダウナーの方もハイと同じ原理なのかな、と思えて来ます。

 

夜寝ながら悩んでる事とか考えるとロクな方向に行かないのもこれなんでしょうかね。

 

そういえば子供の頃って、今ほどは昼も夜も大差なかった気がしますが、きっと大人になると、理性的な感覚で世界を見る素面の方の意識がしっかりと形成されてくるから、この二つの心理状態にはっきりとした差が出てくるのでしょう。
 

冷めてる時には出すぎたことをしない恥ずかしがり気質の日本人も、この辺のギャップが大きいですね。

 

 

逆に感情的な熱量というものが必要なアートや創作、表現に関しては、深夜テンションで進めた方が効果的だったりもします。

 

深夜でなくとも、普通は暗い室内とか落ち着いた場所とか、社会から切り離されたような環境でそういう心境に持って行きますね。

 

ファンタジー色の強いウチのような店の企画を考える時でも、やっぱり昼間は意識が社会的になっていて、どっかこもったりしないと、突飛なことが思いつけません。

 

瞬間的に発想が現れても、すぐに「で、それが何なの?おれ一体何やってんだろう?」ってなりやすいです。「引き出しにジオラマ…」「で?」ってなっちゃう

 

このブログも深夜にまとめることが多いので、多少恥ずかしいこと書いちゃうこともありますが、まぁ熱量や情の起伏が入る所が良いことだと思っています。
 

ただ、そういうやり方ってバランスがムズいです。

 

冷めた意識で作成された平坦な言葉の詩なんて、きっと誰の心も打たないでしょうが、逆に感情が暴走したような、素面とかけ離れたレベルの表現も人の心から離れてしまいそうですね。

 

難しいのは、人の心に訴えかけるような表現をアウトプットする段階では、素面だと恥ずかしくなるくらいの熱量が必要ですが、実際に出来上がった作品が鑑賞される時は、大概、素面の状態の人々を相手にすることになるんですよね。

 

お髭を生やした格調高い芸術家先生も、創作中は中学生位の理性になってるんでしょうか。


しかしそんな風に生み出された芸術作品には、それを鑑賞するのが日中の日常的な感覚の中であるにもかかわらず「一体今の自分は何を生きてるんだ」みたいに、ハッと目を覚まさせるような傑作というものが存在します。

 

こういうときの「我に返る」は夢から覚めるのとは逆の表現で、現実の側から自分の意識の方に目を覚ますワケです。

 

これってアートの凄さですね。

あの真昼間の強力な現実から、力ずくで引きずり出されちゃうんです。

 

そう言えば映画館も美術館も窓が無いですが、あの昼か夜か分からないような密閉空間という環境も、それに一役買ってる気がします。

 

どうしたって昼の外の光景って変なテンションにはなりにくいですね。

視界から入ってくる光の強さが大脳の覚醒に影響を及ぼすからということもあるでしょう。

 

まぁこういう科学的な説明って自分で発見したものではないので、僕はあまり実感を持たないのですが、もっと個人的に感じるのは夜の風景の印象についてです。

 

特に街中では夜景の方が圧倒的に幻想的で絵になるし、どこか現実を遠目から見せて、感傷的な気持ちにさせる力があります。

 

それにホラ、夜って、風景の後ろに宇宙が見えるでしょう?

 

え?これ書いてる時間ですか?

今ちょうど午前2時半を過ぎた所です。

 

いやでもこれ、結構マジで言ってるんです。

 

夜空の存在って、科学的常識のある我々には「暗い宇宙空間にポカリと浮いてる星の上に今、自分は暮らしている」という、ある意味、社会的現実を遠目から見るようなファンタジックな実感を無意識にもたらしているんじゃないかと思うんです。

 

昼の空ってコレが見えないですよね。

だから我々が住んでいる環境の外側の広がり(宇宙)が意識されない気がします。 

 

さらにノイズも多いから、余計に自分の感覚や心の声が聞こえない。

 

無数の生活音の中で、明るく照らされた建物とか乗り物ばかりが目に刺さってくるので、自分が丸い星の上に暮らしているなんて思ってもみません。

 

そんなことよりも、身近な人間社会のこと〜今やらなければいけない差し迫った用事や約束、タスクのこと等〜がより強く意識され、それこそが向かうべき現実であると突きつけられます。

 

アール座の大きなテーマの一つである「現実逃避」の中で言う「現実」というワードはこちらの意味ですね。

いつもここで「ちょっと離れて俯瞰から見下ろす時間を作って欲しい」とお伝えしている、あのやっかいな現実たちです。


だからこの、現実を遠目から見せてくれる、夢の中みたいな夜の空気というものは、アール座読書館の方向性にも近いものがあるんです。

 

ノイズをカットして、自分の世界に没入させていく所、またその流れから、現状を俯瞰から見下ろす心境になる所も、とてもよく似ています。

 

そんな訳で、アール座も夜になると自然と空気が濃くなるわけで、当然夜はおすすめなんです…が、ただ、今回のおすすめはこっちじゃないんです。

 

そう、白昼夢の話。

あえてそれを昼間にやる必要性を力説します!

 

何のためにそんなことするのでしょう?

 

先程の、夢の中みたいな夜の光景から感じられる「暗い宇宙空間にポカリと浮いてる星の上に今自分は暮らしている」という何だか絵本の世界のようなファンタジックな意識と、日中感じている「社会生活やルール、避けて通れない差し迫った用事やタスク」という身近なリアルをちょっと比べて考えてみたとき、ホントの現実って果たしてどっちなんでしょうね。

 

ね!よく考えて!

どっちが現実でどっちが思い込み?!

 

昼間、我々が意識している現実世界では、社会に強いられる沢山の必要事項や沢山のルール、沢山の評価なんかが「目の前の現実」とされているので、我々の頭の中はもうそれでいっぱいです。


でももしも、執拗に自分を追い詰めてくるこれらの意識が、実は我々の思い込みで、勝手に作り上げてる世界だとしたら…平べったいお月様みたいなただのイメージだとしたら…なんて思う隙もありません。

 

現実に対するこういう疑問って、普段は挟む余地が無いから、我々は疑うことなくこれに追いかけられ続けているんですね。

 

深夜ならそれがよく分かります。

そういう現実が遠くに感じられる時間帯ですから、朝が来るまでの間は、我に返ることなく昼の意識を客観視していられます。

 

でもそれは夜明けと共に消えてしまうので、それらと対立することは出来ません。

 

こんな意識と対立し、場合によってはこれをぶち砕いてくれるのが白昼夢です。

 

前頭葉をバリバリに機能させながら現実に直面している、夜空の無い昼間に、ふわ〜って思い描いて、ふっと現実に返る…とかやってるのって、ものすごく視点を変えさせます。

 

あの強固に見える現実の城がちょっとずつ揺らいできたり、しまいには、それも沢山の白昼夢の内の一つなんじゃないか、みたいな気にすらなってきます。タマにはなった方がいいです

 

こういうのは、理性の生きている昼にやることで意識の変革につながるんですね。

夜更けの物思いとは根本的にその働きが違います。

 

さらにそんなセンシティブな心理状態から、今自分が星の上に住んでることや、たまたまこういうしきたりの社会に生れ落ちて、さぁその中でどう生きていこう、という自分の状況に思いをめぐらすことにまで入っていければ、それはもう人生の起点になるようなひとときにもつながります。

 

「白昼夢」それは人生の潤滑油です。

 

ええ、今ちょうど二時五十分です。

 

ただ、昼間にそういうことをするには特別な環境というものが必要でしょ。

 

そう。昼のアール座読書館って、そのために存在しているような場所なんですよ〜。お勉強カフェじゃないんですよ〜

 

何という喫茶店なんでしょう!

芸術作品と肩を並べる仕事です!ウソ。ホントは慣れれば家でも出来る。


どうだ!みんなお昼に使って

 

あ…で…平日ね!! それをするなら…

週末の昼は、もう混雑で、ちょっと空気がアレなんで…汗汗ごめんなさい

 

と言うお話でした。

 

どうしても長くなってしまうなぁ…。

夜中に書いてるからかなぁ…

とにかく皆様、ありがとうございます。

皆さんはいつ読んで下さってるんでしょう??これ、昼読んで大丈夫なのかな

 

あ、しまった!

今、更新のボタン押すと、2時50分に書いてます、とかウソ付いたのがバレる汗

まぁいいや。もう眠いもん。

 

ポチっと。

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2020.09.23 Wednesday 02:12
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