非科学のすすめ

2016.11.02 Wednesday 01:13

こんにちは。

秋真っ盛りですね。

いつもながら本当に良い季節です。

風は涼しいし、夜になると心地よい虫の声が…あ…………

 

そうでした、ごめんさない。

 

今年の秋は鳴く虫のイベント、きちんと出来ませんでした。

 

どうも色々重なり(毎度の言い訳ですが)、始めるタイミングが押してしまいまして、それでも実はちょっとの間鈴虫だけ入れたのですが、時期が遅かった分これも数日で終わってしまいました…

 

楽しみにされていた方、ごめんなさい。

何年も続けていただけに、僕自身ちょっと残念でした…(泣)。

 

雇われて働いてた時は自営業ってもっと時間作れて融通の効くもんだと思っていたのですが、中々そんなウマい話じゃないんですね。そりゃそうだ。

 

そうそう、重なった忙しいことの一つに、3階の「エセル…」の方で鉱石販売を開始したというのもあるんです。

 

せっかくなので、これちょこっと宣伝させて下さい。

 

3階エセルの中庭の店内ショーケースに並んでおりますのは、掘り出され叩き割られたまんまの鉱石の原石達(がほとんど)です。

 

お客様にはお好きな方も多いと思いますが、並べてみると、自然石というにはちょっと信じられないような色彩と輝きと造形に心を奪われます(アール座にも鉱石博物館ありますね)。

 

で、販売ですが、鉱石好きやパワーストーンのお店行かれる方(相場ご存知の方)なら、ちょっと「え?!」となる位の激安価格です。

 

全てぶっちゃけますと、この販売で利益を得るというよりは、エセル集客のための「客寄せキャンペーン」(特に平日!)の意味でやってるんで、採算二の次のこんな価格なんですね。

 

という訳で、商品販売、見学のみのご利用は出来ません。

 

「エセルでドリンク飲むとお安く石買えます」的な話なので、ご利用されたときがお買い上げのチャンスです。

 

ここでちょっと頑張って一万円出すと、いきなりソコソコのコレクターさんになれちゃいますが、ただロットでの大量仕入れをしておりませんので、売れ行きが良いと仕入れが追いつかず、カンタンに品薄になります

 

なので興味ある方はお早めにどうぞ〜。

 

宣伝こんなもんでいいですかね。

よろしくお願いいたします!

 

 

さて話変わりますが、今回この鉱石販売の商品ポップにパワーストーン的な説明文(恋愛に効果アリ、みたいなやつね)付けるかどうかで、ちょっと考えたんですね。

 

何にせよこのジャンルって昔から好きな人嫌いな人真っ二つですからね。

 

まぁ結果的には書いとくことにしました。

 

鉱石ってただ分類して飾るだけでなく、手で握って気持ちいいみたいな楽しみ方や「なんか今やたらこれが欲しい」みたいのがあると思うで、そんな時、頭に思い浮かべる言葉があるといいかなとも思うんです。

 

それに僕結構こんな類の話って昔から好きなんですね。

 

ここでも度々話しておりますが、個人的に非科学的なモノって、ありそうなのからかなり胡散臭いものまでジャンルを問わず興味の対象で、大抵何でも飲み込んで信じてしまいます。

 

カッパや雪男なんてゼンゼンいると思っているクチなので、パワーストーン位は余裕です。

 

そこで今回はそんな非科学な趣味を、ちょっと皆さんに押し付けて見ようかと思っておりまして…え?イヤだ?イイからイイから…という訳で今回は題して「非科学のすすめ」です。

 

お好きでない方には「自分は現実主義だから」と言う人から「何かあの世界特有のセンスや人種のタイプが受けつけない」という位の人まで色々かと思いますが、でも人間の感覚って結構本来的に非科学信じてるもんですよ。

 

ちょっと出雲大社の縁結びのお守りを力強く踏みにじりながら、「自分は一生、人の縁に恵まれませんように〜」って強く念じてみて下さい。

 

ね、抵抗あるでしょ。

 

「別にいいけど…何で??」という人…僕の負けなのでしないであげてね。

 

もちろん僕も「科学」というものを常識的感覚として持ってはいる(どころかこっちも結構好きだったりする)のですが、非科学的なものが真実味を帯びたときに、ふいにそれが揺らぐあの不思議な感触が好きなんですね。

 

そして「そんなことあるわけがない」という、常識的感覚が内包する「この世の中のことはもう大体分かってる感」みたいなものがあまり好きじゃないんです。

 

「非科学」といっても広いですが(というか、そんな言葉あるのかな?)、神様と科学が混在する古代、中世科学から現代の疑似科学、あらゆる神話宗教の神様と思想、妖精とか精霊とか妖怪民間伝承、霊的な話やシャーマニズム、黒魔術みたいないわゆるオカルト系、ユング派の心理学、あらゆる占いやスピリチュアル、超能力、超魔術(手品と言ってないやつね)、未確認飛行物体から未確認生物まで、もう不思議なものなら何でもかんでも含めてます。

 

僕が子供の時分には情報が少なかったからか、今よりも幻のものが沢山あって、超常現象や今で言うUMAみたいのはもっと真実味があったし、逆にスピリチュアル的なものや風水、占いなんかにはもう少し胡散臭いイメージがあり、いずれにせよ楽しい時代でした。

 

TV番組でも、スプーンがねじ曲げられたり、タレントさんが気功で飛ばされたり、生中継でTV局の上空にUFOを呼ぶ企画とかやっているのを皆ホントだウソだ言いながら、熱くなって見てた時代です(今あまり見かけないってことは、数字取れないんでしょうかね)。


イマドキの都市伝説とかって、現実的にあり得る(むしろありそうな)話が多いし、最近はオカルトにもサブカル色が付いて、最初から面白がる感じが入るので、「それホントの話??」というシリアスさというか胡散臭さが足りないのがちょっと残念です。

 

昔はそれがすごく強くて楽しかった。

 

よく昔TVで「NASAから流出した宇宙人解剖画像」とかいって、実験室のような場所でメスを持った科学者達が銀色の体を解剖する粒子の粗いハンディ録画の動画を流して、ホントだウソだとやってましたが、個人的な見解を言わせてもらえば、あんなの本物に決まっています。

 

だって血が出てますもん。人形のわけないです

 

もし、100歩譲ってあの映像がいわゆるヤラセで、体液を仕込んだ人形を作り、実験室を作り…という映像だったとしたら、ですよ。

 

モノを作る人間なら分かると思いますが、それって相当な大仕事です。

 

凄まじい努力と気持ちに加え、かなりの時間とお金もがかかっていることでしょう。

 

あとはこちらが疑心を除いて(コツがいりますが)、子供みたいにちょっと乗っかれば「宇宙人ホントにいたんだ」と思える所までやってくれているんですよね。

 

そんなにまでしてくれているのに、騙されることを恐れ、わざわざアラを探してつまらなく否定してしまうのが、僕にはどうしても健全な精神と思えません。

 

いると思った方が絶対面白いのにな、とか思っちゃいます。

 

 

同じ「そんなのいるわけないじゃん」でも、常識を盾に取ったものではなく、自分の感覚をフルに使って言ってるやつだと意味合いもズイブンと変わってきます。

 

昔、友達でちょっとアタマおかしい子(大人ね)がいて、彼女は普通に恐竜の存在を信じていませんでした。

 

すごく感覚的な子で、科学的な常識というものをハシにもかけず「あんな生き物いるわけない」「ウソだと思う」と平然とした顔で言ってました。

 

あと、織田信長とか歴史上の人物なんかも彼女に言わせれば「学者が勝手に言ってるウソ」で、じゃあ坂本龍馬は?と聞くと、「写真があるやつはいたかもね」と言い放ちます。

 

もちろん周囲は「写真が境目なんだ!」「だって恐竜は骨(化石)あるじゃん」と盛り上がります。

 

僕は子供の時から大の恐竜好きだったので、恐竜がいないなんて言語道断…のはずなんですが、逆にその感覚にはすごく共感を覚え、「骨あるじゃん」の方に強い違和感を覚えたんですね。

 

何かと言うと、僕、子供の頃よく上野の科博や恐竜展に行って、ホンモノの恐竜の骨格を前にしてやっていた遊びがあるんです。

 

以前お話した気もしますが、大きな骨格を真正面から見上げる位置に立ち「これホントにいたんだ」「生きて大地を走ってたんだ」と言う強い思いと共に、象やカバの皮膚のテクスチャーを使いつつ実写的なイマジネーションをフル稼働させて、頭の中でそれにリアルな肉付けをするんです。

 

ナカナカ難しいのですが、急にふっとイメージが強い実感をもって完成する瞬間があって、ぞわわ〜という背筋の感触と共に、目の前に立っている巨大な獣のリアルな存在感を一時的に感じたり出来たんですね。

 

ぽーっとなった後我に返って元の骨格標本を眺め直したときも「えー!これホントに今のヤツ(イメージで見たヤツ)の骨なの〜!?」「ホントにこんなのいたのかぁぁ〜」と二度楽しめる素敵な遊びです。

 

話戻りますが、そんな経験から言わせてもらえばです…

あんなのいるわけないんです。本当に。

 

陸上を走り回っていたあの巨体の実感って、ゾウやクジラ位しか知らない我々の感覚をはるかに超える、ちょっと考えられない程の存在感なんですね。

 

そういう遊びをしたこともないくせに「あれは太古の巨大生物の骨だとされている」という世の常識を借りただけで「だって骨あるじゃん(スネ夫みたいな声だといいかも)」とか言い切ってしまう子より、そんな遊びをしたこともないのに、普通にその実感をとらえているその女の子の方がはるかに真実に近い所に立っているように感じたんです。

 

でも世間の常識って、感覚の欠如したこの「だって骨あるじゃん」の方で出来てるんですね。

 

もちろん科学は素晴らしい恩恵を与えてくれる我々の暮らしには切っても切れない命綱ですが、現代はその整合性が社会的に強大な権威を持っていて「常識と違うおかしなことなんて起こり得ない」という冷めた感覚の大元になっているようにも見えます。

 

思うのですが、こういう論理的な認識の特性として「自分が知ってることだけで世界観を構成してしまう」という性質があるのではないでしょうか。

 

例えば机の上に「パソコン」というものが置いてあるとします。

 

これを指さして「これが何か知っているか」と尋ねれば、今どきの日本人で首を横に振る人はほとんどいないでしょう。

 

全く使ったことない人だって「何か画面見ながらカタカタやってインターネットしたり書類印刷したりするもの」という位の認知があると思います。

 

でもそのコメントに対して、使える人たちは「あんまり知らないじゃん」と思うかも知れません。

 

自分なら、先ずソフトとハードの関係や、もっと様々な役割や社会との関わりについて説明出来ると思うでしょう。

 

これがプログラマーの人だったら「世の中のほとんどの人はPCというものを表面的にしか知らない」という意識があるかも知れないし、更にそれを聞かれた人がたまたまその機種の開発責任者だったら「俺はこいつの全てを知っているよ」と我が子を見るように目を細めてつぶやくかも知れません(知らないけど)。

 

でも彼だって、その内部に小さな蜘蛛が巣を作っていることとか、使用されている電子部品の一つが実は悪徳業者が中古品を新品に偽装して販売したモノだとか、杉並に住むあるユーザーの家では不具合が多くて子供用のマシンにされてる、とかいう事実までは知る由もありません。

 

全員に共通しているのは「知らない部分(実はそっちが大部分)が意識に上がって来ていないからこそ、それを知っていると言い切れる」という事実があることです。

 

我々はこんな方法でこの世界を見て歴史や海外や宇宙のことまで、何の疑いも驚きもなく「知っている」ととらえています。

 

もちろん宇宙や自然科学なんかの話で「我々はそれについて実はまだほとんど何も知らない」とかよく言われることは知っていますが、感覚的には、正直そんな気全くしませんよね(してたら偉そうにブログで語ったり出来ないっす)。

 

この、知っている要素だけで世界のイメージを構成してしまう論理的な認識というものは、その背後に拡がる広大な「知らない世界」を覆い隠してしまうからこそ、我々を安心させてくれます。

 

近代以降、科学が常識として広く一般に受け入れられた理由の一つに、これもあるんじゃないかと、僕は思います。

 

それ以前の神話や宗教的な世界観って、人間が賄弱で世界が分からない所だらけで、それを軸に生きてゆくにはなかなかおっかない感じですよね。

 

物知りの現代人は自身の体験や感覚ではない様々なジャンルの知識や情報を大量に持っていて、これが頭の中で網目のようにつながって体系化され、疑似世界観のようなものが構築されていたりします。

 

ここでは、その体系の本棚のしかるべき場所に正確に整理、分類された事柄がその人にとっての「知っているもの」という確かな事柄として認識されます。

 

僕の若い時にも経験があるのですが、この「知っていること」だけで作られた理性的な世界観がまるで実世界であるかのように錯覚されると、それと同時に、すっきりと整理された形でこの世界を理解出来たような気持ち良さを一緒に感じてしまったりするんですね(特に男性)。

 

現実主義の人が非科学的なものに嫌悪感を示すときの心理は、こうした気持ちの良い規則性を乱し、邪魔する可能性がある異質物に対する不快感から来ているようにも見えます。

 

でも、逆に無知や混沌を受け入れて、ありのままで世界を感じるってのも、なかなかたやすいことではありません。

 

自我と思考を持った人間は、あらゆる物事がルールと関係性で結ばれた自分の居場所の「世界観」というものなしには、なかなか生きていけるものではないですが、近代科学以前には古科学や哲学、宗教、神話なんかがそれを担っていました。

 

今の科学と同じようにこれが「唯一の真理」として大多数の人に信じられていたわけですが、大きく違うのは、こちらは人間ごときが「知らない世界」というものをあまり覆い隠さなかったんですね。

 

亀や巨人(神々)に支えられた円盤状の世界のイメージは、自然に対する人間の無知、無能、無力がよく理解されていて、この感覚を思想の中にしっかりと内包しています。

 

この不安定な世界観はなかなかに恐ろしいものだったと思います。

 

近代科学が始まると、神々の意志とは関係なく足元の世界が万有引力の法則でしっかりと固定されたのできっと人々は安心したと思うんです。

 

そんな神話が失われてしまった現代において、未知の領域やカオスの空間の存在を認識出来る唯一の受信機が、人間が太古から頼りにしてきた感覚なんですね。

 

ここからアンテナを伸ばして暮らしてみると、忘れていたこの世界の実体が感じられ、夜空見上げるだけで恐ろしくもなるし、夜の森とか歩いてみると(危ないからやっちゃダメだけど)、得体の知れない魑魅魍魎(ちみもうりょう)くらい余裕でいるのが伝わってきます。

 

結局は自然への畏怖やこうして生きていることへの感謝にもつながるそんな感覚を大事にして暮らしていきたいと思う今日この頃であります。

 

でも本当は科学の世界だって、最先端の方は恐ろしく非常識で考えられないような世界が広がっていたりするんですよね(特に理論物理学)。

 

だから賢明な科学者は「実は人間はまだほとんど何も知らない」ということを誰よりも理解していたりするので、やっぱり何に対してもあのセリフを簡単に言わない気がします(非科学的である、と言ったりしますね)。

 

という訳で、ここは例のセリフ「そんなことあるわけがない」を封印して、ちょっと科学と常識疑いつつ、別の常識間や世界観を感じてみるのも悪くないかと思います。

 

 

さて、こんなたいそうな話を前置きにしながらも、ご紹介する書籍は別に神話でもスピリチュアル系の自己啓発本でもなく、かなりB級なラインナップです。

 

 

「フェノメナ〜現象博物館〜」J.ミッチェル/R.リカード 村田薫訳

「世界中の不可思議な現象を究明しつつ科学的にその謎に迫る」という感じの、まさに今回のテーマ「非科学」のど真ん中を行く一冊。

 

まだこうした事柄を扱う事がB級カルト的な色眼鏡で見られていなかった、古き良き時代の本気のリポート。

 

とにかく真面目なのがうれしい。

 

 

「キルヒャーの世界図鑑」ジョスリン・ゴドウィン 川島昭夫訳

科学がまだ神学とつながっていた時代の科学者なのですが、同時にケプラーやらニュートンやらも出て科学が神様から離れ始めた時期でもあるので、この人のような天動説ベースの思想はその後の歴史の中に忘れ去られてしまいます…が、今になってほじくり出す人がいるんですね。

 

昔の科学ってジャンルが細分化されていないから、学者さんって多ジャンルに渡って何でも屋さん的に研究の手を広げるのですが、とにかく好奇心と想像力が独特の世界観の中で爆発しちゃってます。

 

聖書や神話に基づいてこの世界の謎に迫る驚くべきワールド。

 

 

「月と惑星」

古本屋さんで見つけ、中を開いた瞬間に魅了され即買した大判の図鑑なのですが、特筆すべきは、これ1967年、つまりアポロ計画が始まりつつも月面着陸のちょっと前というタイミングに執筆されているんです。

 

なので、非科学といっては失礼なんですが、「もうすぐ月世界の全容が明らかになる〜」という思いの中で、月や火星における地球外生命体の可能性なんかが、科学的かつ本気で語られていて、図鑑とは思えないほど著者の期待感と高揚感が出ちゃっている面白い資料です。

 

さらに素晴らしいのがこの月面や惑星の地表を描いた豊富なイラストで、乾いた土ばかりの殺風景な地形の写実描写なのですが、それに不思議とワクワク感や迫力がにじみ出ていて、ちょっとした画集と言っても良いくらいの出来映えなんです(円谷プロのイメージ画みたいな感じ)。

 

 

「どこかにいってしまったものたち」 クラフトエヴィング商会

名著ですよね。

明治大正期に実在していた、ちょっと信じられないような不思議な小道具や玩具の数々が紹介されています。

全編に渡って真っ向から堂々とウソこいてる姿勢もとても素敵。

 

ファンタジー色が強いので「ウソ…本当にこんなのあったの???」という気持ちにまで持っていくには、あるレベル以上の思い込み力が必要ですが、大変想像力豊かで切なくなるほどロマンチックなおもちゃ達の物語り。

 

 

「奇想天外な科学実験ファイル」 アレックス・バーザ  鈴木南日子訳

これはカルト色強いです。

 

でも、扱われている事例はもちろん全て、実際に科学者が本気で取り組んだ科学実験ばかりで、その熱意に感服しつつも、やがて「科学者ってバカだね」という感慨に至ることうけあいです。

 

繰り返しますが、カルトです。

ギロチンで落とされた首に一瞬でも意識があるか?とか、覆面を被って赤ちゃんをくすぐり続けた実験の話とか、そんなのばっかり。

 

 

「謎の科学 30理論」

「疑似科学」という言葉は、発表された学説の中の特に非科学的で胡散臭く感じられるようなものをまともな学者が揶揄する時に使うような呼び方で、大抵は異端みたいな人が唱えるイメージですが、それだけにすごく理論的な説明がされていてワクワクします。

 

リアリストの人達が幽霊より超能力より何よりも一番腹を立てる非常識極まりない科学理論の数々。

 

アイヌお産ばあちゃんの「ウパシクマ」 青木愛子 述 長井博 記録

こちらはB級カルトでは決してありません。アイヌに伝わるイタコのような技術の最後の伝承者の口述をまとめたお話で、一口で説明出来ないのですがちょっとすごい内容です。

とにかくまぁ読んで下さい。

 

「遠野物語 妖怪談義」柳田國男
いわずと知れた妖怪本の教科書です。
このジャンルをはじめて学術的に研究した柳田ですが、あくまで調査報告として淡々と綴られる話にはドキュメンタリーのタッチがあり、非常に引き込まれます。
僕の好きな狐や狸の化かし話も、各地に伝わる質の良い伝承が多数紹介されていて嬉しいです。

 

 

こんなもんでしょうか。

 

関連書籍はまだまだ他にもあります。

おすすめ書棚に並べておきますね。

 

普通の話は一つもないです。

常識的感覚はそろそろ卒業してしまいましょう。

 

 

 

category:2014.15.16 | by:アール座読書館 | - | - | -

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2017.08.05 Saturday 01:13
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