らくがき帳と幸せについて

2012.12.28 Friday 19:52

さて、あっという間に年の暮れです。

ひとえに皆様のご利用とご理解の恩恵を賜りまして、アール座読書館は満5歳を迎え、6年目に入ります。

本当にありがたいのは、この頃ではご来店の皆様がこの店の特殊なコンセプトと事情をご存知どころか以前よりもより深く理解して下さるようになり、お陰さまでアール座読書館は5年経った今でも、その何とも分かりづらい方向性をキープしたまま営業を続けることが出来ております。


特殊なスタイルで店を経営してゆくということは、ある意味ご利用者様にご協力とご理解を強いるような形でもありまして、これを考えると本当にウチはお客様に頭が上がらない店なんだなぁとつくづく感じます。


なかなか言葉で表し切れない思いですが、今年もご利用頂いた全ての皆様に
深く御礼申し上げます。


貴重なお時間をアール座読書館で過ごして頂き、誠にありがとうございます。

m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m

今年は僕とアール座にとって何だか節目の年だったかのように色々な変わり目があり、さらに下半期は一層慌ただしくて、ちょっと焦ったり乱れてしまった所もあったので、今になって色々と反省しております。


個人的にも僕の大好きな秋をすっ飛ばしてしまったような過ごし方(あまりその時期の記憶がありません)は「その時を感じながら生きる」などという偉そうな僕のポリシーに反する失態でしたが、まぁそれなりの事情もあったので今回だけは許してやろうかと思っております。


皆様にとって、2012年は一体どんな一年だったのでしょう。

あまりお客様とお話しする機会の少ない店ですので、お座席のらくがき帳なんかが店にとって皆様がどんなことを考えておられるのかを知る貴重な情報源となりますので、僕もバイトの原君もシメ作業の時に目を通すようにしていますが、はっきり言って二人とも仕事というより密かな楽しみにしております。


あのノートに記された皆さんの思いに力をもらえるということはしばしば感じることなのですが、これは多くの方が共感されている所のようで、特に一人で悩める方には「悩んでいるのは自分だけじゃないんだな」という心強い安堵感が大きいようですね(スゴくヨク分かります)。


内容は深刻なものから日常的な悩み、ポジティブな意思表示や呑気なもの、ふと感じたことまで様々ですが、全てに共通するのはその内容が誰に宛てたものでもない、その時の本音そのままであるという所。

これが力をもらえる所以でもあるのでしょう。

それにしても人って本当に色々な所に思い巡らせながら生きているんですね。


「他では言えないけどここでだけ本音を出しとこうか…」という感じの書き込みも多く、皆さん言わないだけで色々抱えておられるんだなぁと感じます。

ただ、あそこに書き込まれる方が総じてすごいなと思うのは、皆さんがっつり自分と向き合ってご自身の悩みや感情から小さな思いまでをはっきり自覚されているという点です。


それってすごく大事なことで、アール座のお客さんは普通にそうされてる方も多そうですが、世間的にはどうなんでしょう。


現代には自分の悩みやストレスに無自覚な人もとても多い気がします。


無意識にストレスを抱えている人は考えの矛先が自分に向かず、何となく気が重いままやたらと他者や世間に批判的になったり不平を訴えたりしがちですが、自分について悩まなければ自分が変わることが出来ないので境遇も変わりませんね。


自分の思いや感情に目を向けて考え、気づき、悩み、あがく人は、精神の動きがよどまず心に展開が起こるので、右往左往迷いながらも結局は自分の気持ちが指し続ける方角に進んで行くように思います。


「自分探し」とか言って旅に出たりすると小バカにされる昨今ですが、場所を変えたり立ち止まったりして自分を見つめ直すことって新しい行動を起こすことと同じ位に重要なことだと感じます。


だから(深刻な悩みもあるのに軽薄に聞こえるかも知れませんが)らくがき帳を拝見していると、ここに書いている人達は、今苦しい状況であっても、何となく皆大丈夫な人のような気がしてきます。


人間て他の生き物と違って、本当にそういう風にして生きてくんですね。


何かを抱え思い苦しみながらも、ちゃんと呼吸して、水飲んで、がんばってご飯食べて、思いを巡らし魂を動かして生きてゆく人間て、なかなかすごい生き物です。


僕もそんな生き物の一人ですから、これからは「色々悩んでなかなかエライやつだ」と褒めてやることにします。

悩める人が皆幸せになったらいいのに、とか思っちゃいますね。

認知心理学にはアファメーションと呼ばれる意識改革法があって、とにかく自分の理想がかなった状態を肯定的にイメージしてゆくことで潜在能力を引き出す自己暗示法で、最近は特に話題になっているようです。


でも素直に自分の幸せを願うって、何だか慣れてないですね。


僕はあまりに頭がごちゃごちゃしたり不安感が強くなると、時々家やお寺やヨガスタジオで瞑想のようなことをしてリフレッシュをはかるのですが、その一つ、ヴィパッサナーヨガという流派が行う瞑想に、昔、仏教の修行僧が行っていたといわれる「慈しみの瞑想」という、幸せをひたすら念じてゆく方法があります。


一定の方法に従って、先ずは自分が苦しみを免れ幸せになることをひたすら心にイメージし、次に自分の家族親族が、周囲の大切な人がと続け、さらには嫌いな人や自分を嫌う人、世界中の人全て、生きとし生ける全てのものにまでと、その姿を思い浮かべながら幸せの願いを広げてゆくという、アファメーション的な要素の濃い瞑想法で、うまく出来るととても穏やかで安定した心持ちになれます。


感覚的にはまず最初に自分を許して満たされたような気持ちになれると、次にはその気持ちで人の幸せを願えるようになり、それでまた自分も満たされ、という自然な流れでイメージが連想されてゆきます。


続けているとやがて自分と他人の幸せが同じ一つのものとして感じられるという所まで来るのですが、僕なんかは最初、この「先に自分の幸せから願う」という所が、何だか少し目新しいというか慣れてない感じがしました。


「願う前にそのための努力とか辛い思いとかは?」とか「自分が先に満たされた後でついでのように人のことも願うって…」みたいな感覚が残ります。

これは我々が教わって来た道徳的な正しい姿勢と少し違うんですね。


学校でもテレビでも、昔から日本で賞賛されるのはもっと自分に厳し目で、まず自分の幸せよりも先に人に譲ることや人につくすことが立派な行いで、人のためには自分が我慢したり、時には自分を犠牲にして与えることこそ本物、というニュアンスの教育を何となくなされて来ますね。


もちろんそれは大事なことで、現実の中でもそうすべき時は多々あり、日本人のそんな性格は度々外国の人々に感動を与えたりするとても尊い精神だと思います。


でもこの意識を日常的な指針として義務感のように感じながら生きてゆくと、
実際にはやっぱりキツいし、現代社会のような人間関係や利害が密接にひしめく中を生きてゆくと、もううつ病にもなってしまいますね。


それはこの捉え方の根底に自分と相手のどちらかしか幸せになれないという構図があるからだと感じます。


対して慈しみの瞑想では、人に何かしてあげるために先ず自分が幸せにならないといけないと考え、まず自分が大切だという素直な感情が満たされてから、自然と人の幸せも願えるようになり、最終的に人の幸せと自分の幸せの区別が消えて、どちらも同じものであるという感覚に進んでゆくという仕組みのようです。


恐るべきインド人マジックですね。


まぁこの手のジャンルは好き嫌いがあるし当たり外れも多いので、別にここでヨガをすすめている訳ではないんです。


ただこの「第一に自分の幸せを願う」「それを願うことを許す」という気持ちや「本来人の幸せと自分の幸せは対立しない」と考える意識は、今のような社会を自分の理想との軋轢を感じながら生きている我々にとっては何かしらのポイントになる気がします。


悩み多き人にとっては、辛いことや人のことは先ず置いといて、先ずただ手放しで「幸せになっていいんだよー」「これから幸せになってくんだなー」と自分に思い込ませることから色々始まるのかも知れません。


きっと世界平和のためにも自分が幸せにならないといけないのでしょう。



アール座読書館は未だ発展途上ですが、最終的にはお席に着いて深呼吸するだけで、自然とお客さんをそんな気持ちにさせてしまうような場所に出来たらいいなと思っています。


さて、とりあえず来年は3階のオープンですね。


従業員の募集も引き続き受け付けておりますので、お声をおかけ下さい。

ご希望頂いた方(誠にありがとうございます)は、一月中には形を整えてご連絡致しますので、もう少しお待ち下さいね。


さて皆様、今年もあと数日ですが、年の終わりを穏やかな気持ちで過ごせると、きっと良い来年に続く気がします。

僕も自分と皆様の幸せを祈りつつ、今年はこの辺で失礼いたします。

それでは皆様良いお年を。


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洋館のすすめ

2012.12.06 Thursday 00:43
 

皆様、大変ご無沙汰しております。

この所アール座ブログが凍結しかけておりましたが、久々の更新です。

だって前回のブログ、スズムシの話とかですもんね。


こんなペースのブログをいつも読んでくれている方がいらしたら、お詫びの言葉もありません。


これだけ空いてしまうと、もうまともな言い訳も思いつきませんが、とにかくこの所劇的にバタついていて頭の中も処理すべき問題が山積な状態で、いつものように季節の変化を感じることもなく「あれ、何か寒いな…」などと我に帰ると、何と外界は12月になっていて外はすっかり冬の気配に…なんて有様でした。


夏の終わり頃から記憶が途切れている感じです(T-T )。

日頃アール座で人様に「忙しい日常を忘れて…」とか「秋は素晴らしい季節だから…」などとお勧めしている自分がこんな調子ではどうも話が違うなぁと、3階の内装などやりながらため息をついておりました。

はい、まだやってます。内装工事。


当初計画表を眺めた感じから、適当に「秋頃オープン!」などと軽くほざいておりましたが、ごめんなさい、ウソでした。


近頃は営業を終えるとそのまま3階の現場にこもり、やれどもやれども進まない行程を横目に月日だけがいたずらに過ぎてゆくような中、暗闇で途方に暮れているような心境の毎日でした。


が、ようやく最近遠くにちらりと出口らしき光の粒が見えて来た感じです!


そういえばアール座を作った時だってなかなかキツくて、後半は後頭部が白髪混じりになってしまったんだっけ。


そういえばそうでした…あの時身にしみて学んだことをさっぱりと忘れていました。


いかないんだった…計画書通りに…。


まだここから細かい装飾や植物の環境づくり、経営に関する計画などやることが山積で、正直もう「いついつ頃開店の予定です」とか言う勇気もなくなってまいりました。


楽しみにお待ち頂いている皆様、本当に申し訳ありません。


でもなんとか、内装が形になる所までこぎ着けたんです〜(TmT)。

基本的にはアール座の色違いみたいな感じの洋館風ですが、さらに植物を濃くしてロマネスク調の中庭っぽい感じにもってけたらと思ってます。

僕はこのジャングル化した室内というものに特別な思い入れを持っているのですが、この話は長くなるのでまた今度にして、今回はそのベースになる洋館のお話でもしましょう(これも長くなる気が…)。

僕は石造りのヨーロッパ建築や古い日本家屋も好きなのですが、一番好きな空間を作ろうとするとどうしてもこの洋館の形を模倣してしまいます。


幼稚園の頃から常に部屋の模様替え中毒(多分人生で100回近くやってます)だった僕は、学生の時あまりにも洋館に住みたくて、ベニヤ板に漆喰を塗りこげ茶色に塗装した腰壁と縁を取付け、格子の出窓をくり抜いた舞台セットの様な板切れを作って、アパートの壁に窓の位置を合わせて立てかけ、床にも薄いベニヤの床板を敷き詰めて、無理やり「洋館の主」になり切っていました。


だからアール座を作るときも迷わずそこに向かいましたし、今でも調度品や装飾は出来るだけその方向にイメージを絞っています。


アンティーク小物なんか探す時、今どきは全体にカントリー調のものが多くて、良いものだと間違って買いそうになりますが、そこをこらえて、なるべく明治時代のお金持ちの書斎にありそうな貴族っぽいものに向かうようにします(むしろアジア、アフリカの民芸品なんかの方が合う)。


皆様はお好きでしょうか、洋館。

最近は東京駅舎の改築が話題になりましたね。


「洋館」はこの国に西洋文明が流れ込んで来たばかりの明治大正期に、日本古来の建築技術をベースに西洋風の装飾や様式を模倣して作られた和洋折衷(結果的に)の建築物の総称で、現在でも史跡として多くの物件が各地に保存されています。


繊細なゴシックや瀟洒なロココ調よりも少し落ち着いた、というか、ちょっとつたない感じがするくらいの欧風装飾がとても可愛らしい感じで、木造に明色のペンキを厚塗りしたような質感や、木材に苦労して細工を施したっぽいモール類、ゆらゆらした吹きガラスの格子窓など、味わい深い魅力に溢れている洋館内部は、僕にとってツボだらけの空間です。

きっと在来の木造建築様式で西洋の装飾を真似ようとするから、本場の豪勢で複雑な装飾よりも手作り感が強まって(欧風の複雑な彫刻レリーフを何と左官職人さんががコテで再現したりしたそうです)、冷たい感じがする西洋の城や宮殿とは違った味わい深い趣きが出るのかなぁとか思うんです。


そんな洋館は全国各地に一般公開されている物件も多いので、いつでも観覧することが出来ますよね。


むろん僕はこれが大好きで、都内はもちろん地方都市に赴いた際も、先ずは旧〜邸とか旧〜学校と名の付いた洋館の史跡を探してしまいます。


初めて洋館に出会ったのは修学旅行で行った長崎のグラバー邸だったかと思います。


興奮というよりも何だか懐かしい様な郷愁と安心感に襲われ、それ以来すっかりハマってしまいました。


その頃僕は、大した事情もなかったのですが、何となく学校の時間割が体に合わず半分登校拒否みたいな状態で、よく授業をサボっては一人平日の昼間から図書館や公開されている洋館、古い喫茶店などに入りびたっておりました。


あまりお金がかからないということもありましたが、一番には外の社会との隔絶感から来るあの何とも言えない安心感を求めていた気がします。


この何でもない日に授業をサボってアンニュイな一日を過ごすという行為は、今でも本当に魅力的な時間として心に残っていますね。


今思えばこの現実逃避しつつくつろいでいた図書館や洋館、喫茶店で過ごした時間の記憶は、後々のアール座空間を作る原型になっている気がしてしょうがないです。


出席が自主性に任される大学や専門に入ってしまうともう二度と味わえない開放感なので、高校生でこのブログを読んでいる人がいるとも思えませんが、いたら僕はお勧めしてしまいますね。


ああいうリズムの場所が合わないタイプの人(いつどこの場所にも必ず一定の割合でいます)は、高校生にもなったらもうシステムに任せず、時には多少そこから外れても自分の意思で行動を選んで自主的に心のバランスをとっていった方が良い気がします…なんて言ったら怒られるかな。


まぁあまりクセになると面倒になるので、ほどほどにね。


で、洋館の話でしたね。


近場だと「旧岩崎弥太郎邸(やっぱりカッコいい)」や「旧古河邸」や横浜山手の洋館なんかが有名ですが、何といってもオススメなのは、もう少しおとなしめで来客の少なそうな物件(旧鳩山邸や駒場の旧前田邸とか)に、可能なら平日の開館時間に合わせて訪問してみる、という楽しみ方です。


常時公開されている公営施設に、そんな時間に訪れるヒマ人は多くないので、大概客は自分一人です(他にいても先にやり過ごしてしまえばOK)。


最初は普通に入口から進んで、人のいない館内を造作や調度品などに注目しながらゆっくりと鑑賞します。


その間に邸内の、書斎のように椅子のある広間ではない小さめの部屋を一つ目星をつけておいて、見終わったら順路を逆行してそこに向かいます。


席に腰を落ち着け、自分は今明治時代の邸宅に住んでいる(客間なら、呼ばれて主の帰りを待たされている)貴族なのだ、と強く思い込んでから、誰もいないその部屋でその気持ちのまま小1時間くらいボーッと過ごします。


ウマくすればその間訪れる人もなかったりして、気分は完全にタイムスリップ状態です。

このような家屋の真の見所は建物の造りよりも何よりも、そこに漂う近代の空気感なんです。


かつて本当に人が暮らしていたような場所は気持ちを落ち着けてみると大抵当時の雰囲気はまだ壁や家具にしみつくように残っていて、少し創造力を働かせれば簡単に入り込めます。


ただそんな時に突然他のお客さん(現代人)が入って来ると、ものすごくびっくりします。


そして、観覧用施設の一室に一人で座り込み馴染んでしまっているキモチ悪い男に出くわした相手の人はさらにびっくりしたりします。


が、そこは落ち着き払って「ちょっと座ってみただけ」みたいなそぶりを貫いて、やり過ごしましょう。


もっと人と普通に楽しむなら、逆にウソっぽい(テーマパークっぽい)小金井の「江戸東京たてもの園」や向ケ丘遊園の「日本民家園(洋館じゃないけど)」、府中の「郷土の森博物館の民家園」なんかが、園内全体が昔の村みたいで面白いです。


そこでも楽しむコツはやっぱり同じで、多くの人のように写真撮りつつさーっと流すように観覧しないで、いちいち室内のどこかに腰を落ち着けて、話しこんだり窓の外見たり箪笥の引出し開けたり(ジオラマは出て来ないけど)と、ゆっくり空間に馴染んでみることだと思います。


古都でお寺見て回る時でも必ず僕は座敷や縁側でこれをしますが、とにかく座ってみると目線が変わりますので、そんな機会があったら是非やってみて下さい。


さて、店のブログで僕は一体何のおすすめをしているんでしょう。


まあ、そんな洋館を模した3階の店の内装の話でした(うそつけ)。


店の方はもう少し形が整ったら、プレオープン的に試験的な営業は少しづつ初めて見ようかなと思っています。


実はアール座の最初もそうだったのですが、本格的な開店の前にその準備をしつつイベントメニューのような簡易メニューで断続的に可能な範囲で営業を始めてみる、という気まぐれな形です。


なので大変申し訳ないのですが、その間の営業日は決まっておりません。


アール座にお寄りかお近くの通りがかりに開店してたら、興味のある方は覗いて行って下さい、というようなスタイルです。


不安定な出だしでごめんなさい。


3階に電話がつながったら、その日のスケジュールなどはお答え出来ると思います。


また、開店に際しましては従業員を数名募集致しますので、興味のある方はアール座ご来店の際にオーナーまでお声をかけてみて下さいね(お電話によるご説明は行っておりません)。


今年も残す所…という時期になってしまいましたが、僕はもうしばらく開店準備の方頑張ります。

皆様も風邪などひかぬよう気をつけて下さいね。 

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3階 エセルの中庭

2012.09.24 Monday 13:48
 アール座読書館はコンセプト上、お話とお食事が出来ない(お茶請けのお菓子が少しだけあります)のですが、 お連れの方とお話やお食事をされたい方には、3階の「エセルの中庭」をお勧めしております。

本棚はありませんが、アール座と似たような空間です。

詳しくはこちらにどうぞ→エセルの中庭
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虫の声 2012

2012.09.10 Monday 01:35
 

夏が少しづつ遠のいてゆくと、次の季節はアール座のベストシーズンです。


そして今年もまた虫達の合唱が聞こえます。


例によってスズムシ、マツムシ、エンマコオロギ、カネタタキなどが既に店で元気よく鳴いていて、この後カンタンなども入荷予定です。


おなじみの顔ぶれなので、虫の種類や鳴き声に関してはこのブログ、去年9月の「秋の虫の音楽会2011〜」や2010年9月の「虫の声」等をご参照下さい。


毎年この時期はBGMをあまりかけませんし、空調の音も弱くなりますので、アール座の静寂感がぐっと濃くなる時期でもあります。


それも含めて、秋はアール座が最も映える季節ではないかと、毎年勝手に言っております。


あまり静かだと、初めての方など、緊張されて忍び足になってしまう方もおられるかもですが、ウチのお店ではある程度続くお声や物音に比べて、一時の足音や床のきしみなどは気にされない方がほとんどです。


どうぞ気持ちを楽にして静寂を楽しんで頂けたらと思います。


でもこんな風に、都会に住んでいるとこの「静けさ」というものが何か通常ではない特別な事態のように感じてしまいますね。


30年程前は東京の夜でも繁華街でなければ深夜営業している店などはほとんどなく、町も静かなモノだったのを僕も覚えています。


もっと昔、というよりも元来人間は日が沈んでから、生活の半分くらいの時間を静けさの中で暮らすものだったのでしょう。
だからきっと、カラダのつくりもそんな風になっているはずです。

比べると現代の暮らしでは、音声を含め感覚を刺激する何らかの要素が常にあって、睡眠以外の時間中は脳が絶え間なく何らかの情報を処理し続けているような生活を強いられますね。


さらには強いられなくても、いつも何かしらの情報処理をしていないと気持ちが落ち着かないという感覚に迫られて、やることが無くなるとついつい何かを見たり聞いたりしてしまいます。


現代人は神経が疲弊してしまうワケですよね。


かくいう僕もそうです。


仕事で疲れて家に帰ったら、部屋でぼーっとしていれば良いのに、ついTVをつけてしまいますね。


何もしないでいるということが出来なくなっているのでしょう。


でも部屋で見てないTVがついてるだけで、無意識に脳はその情報を処理してしまうんです。

だから、こういう暮らしの中で本当に神経を休めようと思うと、なかなか難しいんですね。


私見ですが、TVや本やPCよりは音楽の方が良いと思います。

さらにインストや洋楽の方が、言語情報が入って来なくて良い気がします。


でも音楽は感情的な抑揚があるので気持ちを波立たせるのが難しい所です。


そういう意味ではもちろん何も聞かない方が情報処理は休まります。


ただ、何も見ず聞かずにいると、普通の人は考え事が頭の中でぐるぐると巡り出してしまうというのもありますよね。


ヨガや仏教の瞑想でも、そのこと自体はそれ程悪いことではないと言いますが、個人的な
悩みなんかに引っかかると、それはそれで疲弊してしまいますよね。


禅のお坊さんが雨だれの音を使って心を鎮めるように、やはり何かしらのとっかかりがある方が心を安らげるには良いように思います。


雨だれのようにあまり感情的ではない、繰り返される美しい音なんかがあると良いですね。


そういえば今の時期だと、虫の声なんかは最適ですね。


でも都会ではなかなか難しいです…いや、東京のまん中、高円寺にそれを実現出来るお店が一軒ありますよ!


どうです。

流れるような展開でお店の宣伝に持ってきました。

マスター、ダテに何年もカフェブログをやっている訳ではありません。


まぁしょーもないブログにダマされたと思って、ぜひ遅い時間にお店に来てみて下さい。


お仕事で来られる方も10分でいいから手を休めて、その間はひたすら虫の声だけ聞いて見て下さい。


都会に暮らす現代人には本当に意味があることだと(勝手に)思うので、毎年せっせとこれをやっているんです。


感性のある方なら少しの間でも聞いて頂ければ、きっとその意味が分かりますよ。


ただ、毎年虫が鳴くのは9月いっぱいくらいまでなので、どうかご了承ください。

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青空観察

2012.08.19 Sunday 22:03
 

まだまだ暑い夏のまっただ中ですが、それでも昨年一昨年と比べると、かなり過ごしやすい気もします。

子供の時は大好きな季節だった夏も大人になるとなかなかしんどいです。
ならば夏は子供みたいな気分で過ごすのも一考です。


蒸し暑いさなかには帽子被って公園にでも出かけて、子供が買うようなアイスキャンディーをアホ面してぺろぺろなめながら空でも見てると、なんか昔の夏休みみたいで楽しいです(人目にどう映ってるかは知りませんが)。


さて、3階の工事は予定通り、着々と遅れを取っています。


大丈夫です大丈夫です。

最初からこうなると思ってましたから(汗)。


先が見えなくて苦しい時は、あまり終点を見ずに2手先ぐらいまでを見ながら淡々と続けるのがコツなんですね。


止まらずに進んでいると、いつの間にか一番苦しい所を超えていたりするもんです。


だからゼンゼン大丈夫です(汗)。


さて、店の方では3代目の鈴虫達が、また少しづつ鳴き始めて晩夏の店内を演出してくれています。


今年も秋の合唱会が待ち遠しいです(昨年の虫の合唱会について→秋の虫の音楽会2011)。


メニューの方もマドレーヌやモロッコ・アイス・ミントなるドリンクが始まっております。


マドレーヌはスイーツ男子の顔を持つ原君(バイト店員)が心を込めて焼いた手作りお茶請けメニューの復活第一弾です。

先ずは「マドレーヌ・クラシック」と題して、ナッツを混ぜ込んだだけのスタンダードなマドレーヌです。


マドレーヌでもパウンドケーキでも、こういう伝統的なレシピってもう何世紀も変わることなく飽きさせずに受け継がれていてすごいですよね。


単純な作りで味が深いってどういうことなんでしょう。


後世に現れる〜風味というものだって、研究に研究を重ねて作られるのですが、ほとんどが流行り廃りを免れませんね。


シンプルなレシピだけに、深い味わいを出すのは作り手の腕にかかっているのですが、原君は夜な夜な高円寺を飲み歩く飲んべえであるにも関わらず、しっかりスイーツ心を解していて、こうしたシンプルメニューもちゃんと美味しく仕上げてくれるのでなかなか頼もしいです(ちなみにマスターの方はビール2口で真っ赤になります)。


そして、春の限定メニューとか言いつつ、7月まで出していたミントティーがやっと終わったと思いきや、今度はキンキンに冷やした甘いアイスミントが登場しています。


そんなにミント飲ませたいかと思われるかもしれませんが、そうなんです、飲ませたいんです。


ハーブティーと言うとカモミールやローズヒップなどが主流ですが、うちは断然ミントです。

純粋なミント(レモンバーム入ってますが…)の味わいってお菓子のミント味と違って、非常に繊細で素敵な味です。

特に生ハーブのミントは鮮度も清涼感も抜群ですよ。


最近ではバイト君が入って、僕もお天道様をおがめる(日のある内に外に出られる)様になり、夕焼け空なんぞもよく眺めるようになりました。


昔はよく高い所に上っては、視界の開けた空をぼーっと眺めたり撮影したりしてましたが、久しぶりにその醍醐味を味わっている今日この頃です。


皆さんの中にも高架の駅や電車の窓、高速道路なんかでぶわっと空が開けると、思わずぼーっと眺めてしまう方もおられるのではないでしょうか。 


日常の中で自分が天と地の狭間に生きていることをふと実感するひと時というのは、アール座の方針にも通ずる、しごく正常な感受性から来る行為だと思います。


逆に都会暮らしで空に目が行かなくなったらちょっと気をつけた方がいいんじゃないか位に僕は思っていますが、そんな所で今週は青空観察でもお勧めしてみようと思います。


大抵は空の景色の構成は背景の空のカラーとそこに配置される雲のフォルムや質感を楽しむことになると思うのですが、そうなるとやはり主役は雲になることが多いです。


雲を知っていると空の観察も一段と楽しくなりますよ。


特に湿度が高く晴れ渡る夏は雲も派手で、絶好のお空見シーズンではないかと思います。


雲と言われて先ず思い浮かぶのが、夏っぽい積み雲や入道雲ですよね。


積雲(呼称はつみぐも/気象用語ではせきうん)は、キント雲みたいにもこもこしたカタマリで一つ一つ浮かんでいる、いわゆる雲っぽい雲です。


子供が「牛!」とか「ソフトクリーム!」とか形を当てはめるのがこれですが、水滴で出来ているので光を良く反射して濃い白色を示し、
空の青が濃い日には絵本のような素敵な風景になります。


比較的低い位置に出来るので「浮かんでいる感」が強く、これが沢山浮いてゆっくり動いている空を、遠くまで開けた所から眺められると、手前の大きなモノから彼方に浮かぶ無数のちぎれ雲までのパースペクティブが素晴らしい迫力の光景になっていたりします。


子供の頃時々、特に低い積雲が地面に影を落としながら走っていくのを見る度に驚いていました。


空を見るととてもゆっくり流れている雲の、影の方はすごい早さで滑るように道路を走ってゆくんです。
何かドキドキしました。


積雲が巨大な山のように固まると入道雲(雄大積雲)になります。


これも開けた所から遠くに確認することが多いですね。


高速道路で山地の方に行くと間近に見かけたりしますが、こちらがおおーっとのけぞるような迫力満天の雲です。


ぼーっと眺めているウチに発達して積乱雲になると雷を伴う突然の夕立を降らせたりするので要注意です。


あまり見る機会もありませんが、入道雲の本場である熱帯の海で見るこれはスケールが違うそうです。


水平線の向こうに力強く巨大に発達して、バックの空は紺碧でウソみたいな光景らしいです。


それに対して、何だか日本ぽい雲と僕が思っているのはもう少し高い位置に出来る高積雲や巻雲、巻積雲などです。


高積雲の有名なものは、いわゆるひつじ雲やうろこ雲、いわし雲、サバ雲などと呼ばれる一群です。


気流の強い高度にあらわれるので、雲塊が風に流されて細長く伸びたり広がったりして、ぼこぼこしたり波形になったりしながら全天を覆うようになる様がとても美しく、気流などの条件によりその形も様々なバリエーションがある非常に味わい深い雲です。

そのためか詩や小説などの文学にも頻繁に登場する大変趣のある雲で、僕も子供の時からこれが大好きで、見つけるといつまでも飽くことなく眺めていました。

本当は大人だって空がこれに覆われていると、つい「うわぁー…」と空を仰いで誰でも立ち止まりたくなるのが自然な心持ちなんじゃないかという気がしますが、考え事で忙しかったり人目を気にする社会性が出て来たりと、色々な事情でなかなかそういうこともしづらくなりますね。

しかし短い人生ですので、白い目で見られようとも、さもなくば一人になる場所を探してでも、いちいちこういうものに「うわぁー…」とのけぞって行くような暮らし方をしていきたいなぁと思う昨今であります。

雲を見続けて少し目が肥えて来ると、通好み(?!)の巻雲(けんうん、絹雲とも書きます)系の美しさに心引かれるようになります。


高積雲よりさらに高い1万メートル付近になると、同じうろこ雲、いわし雲でも目が細かく、その粒子は氷の結晶になってキラキラと光り、絹のような輝きを持ったりして絹雲(呼称だときぬぐもと読みます)と呼ばれるようになります。


もこもこと中身の詰まった感じの積雲に比べると、薄くて羽毛のような軽い質感があり、油絵に対する日本画のような美しい繊細さを持っています。


そしてこれが出る時は、何といっても空がずーんと高く抜けているのが気持ちいいです。

この巻雲系の中で最も美しいと思われるのがすじ雲ではないでしょうか(私見)。

大空に筆を走らせたような美しい形状と繊細な色合いも素晴らしく、空を横切るようなダイナミックなデザインの雲(画像検索してみてね)なので、都内ではなかなか難しいのですが、やはり広けた所から見てみたいです。


絹雲は晴れ渡った秋空の感が強く、これからがシーズンではないでしょうか。

ご紹介したのは積雲と名のつく、フォルムを持つ雲形のものですが、逆に層雲という空全体をベールのように覆うような形を持たない霧状の雲もあって、高さごとに絹層雲、高層雲、乱層雲、層雲などあります。

はっきり言って地味な雲で、好みがここまで及ぶともう雲通の域ですね。


さて、こんなおすすめをした後に気づきましたが、アール座からはほとんど雲見えませんよね。

喫茶店ブログで一体何をお勧めしているんでしょう。


でもアール座の本分は日常を離れてニュートラルな心もちを獲得することと考えておりますが、これと同じ効果が青空観察にもあるように思います。

そこで前もって雲の知識を頭に入れておくと、ふと空に目をやって「なんて素敵な房状巻積雲…」なんてオタクっぽい楽しみ方も出来ます。

なのでお店には、雲を知るための本(だけだと少ないので)や雲を思わせる内容の本(こじつけですが)などをおすすめコーナーに並べておきますので、ご覧になってからお店を出たあとに楽しんで下さいね。

店を出てすぐ左に目を転じると、少し細長い空が見えます。

南側の西友の方まで行って長仙寺を振り返ると、その上にも開けています。

お帰りは車の通っている駅前通りに出てから駅に向かうと少しのあいだ見られますし、中央線に乗れば頻繁に視界が開けます。


最近は電車に乗っても、向かいのシートの全員がうつむいてスマートフォンをいじっている光景にも出くわしますが、そんな時にはちょっと気持ちを休めることを思い出して、
窓の外の空を、夜だったら月でも探してみるのもいいですよ。

ちなみに3階のお店は少しだけ、空が見えるお席も出来るかもですよ。



アール座のビル屋上からの積み雲(8・19)

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姉妹店〜店と人柄の話

2012.06.27 Wednesday 00:22
初夏ですね。

さほど気温も上がらずなかなかいい気候です。

梅雨が終わればじわじわと暑い日も増えて来そうですが、今は季節メニューのミントティーもお出ししておりますので、爽やかな気分になって頂けたらと思います。

さて今回は前回のブログからズイブンと間が空いてしまいました。
ただでさえ更新遅いのに、ゴメンナサイ。
 
言い訳でもありませんが、この所色々とバタバタしておりまして、実は新しい計画なども持ち上がっておりますので、ちょっとここでお知らせしますね。
 
実は今アール座が入っているビルの上、3階のフロアには以前イベントスペースのような形態の店があったのですが、こちらのお店が最近閉店することになってこのスペースが空いたんです。
 
で、ここに今度ウチが新しい店をオープンすることになったんですね。
今はその計画が始まった所なんです。

こちらはアール座とは別のコンセプトを考えており、今度のお店は何と店内で会話が出来るという画期的なシステム(?!)です。

アール座にお連れの方といらして、これで話が出来れば良いのに…と思われた方にもオススメのお店になりそうです。

お食事なども考えておりますが、最終的に固まるのはまだ先です。
 
実はアール座の開店当初には、もしこの読書喫茶室という形態がビジネス的に厳しかったら少しづつ利益型の経営(つまり普通の店)に移行して行こうかという考えもあったのですが、本当に皆様のお陰で、経営が微妙なバランスで成立し、また皆様のお声やらくがき帳のお言葉を知り、そんなツマラナイ計画は消し飛んでおりました。
 
しかしこの度、私ごとで恐縮なのですが、先日何と子供が産まれてしまいまして(バタバタの理由その2)、今さらになってまんまと家族を養うハメになってしまいました。

それに関しまして、先日は急な開店時間の遅れが生じ、お客様にご迷惑をおかけしてしまいましたことをお侘び申し上げます。
 
最近は家に帰ると、ついこの間までいなかった小さな人がすやすや寝ていて、何だか不思議な気持ちです。
 
そんなワケで、長期的に一定の収益を見込めるお店が必要になったという個人的理由もあるんですね。

アール座はもちろん変わりませんよ。
今のまんまでずっと行きます。
で、それと違う形をもう一軒、という話です。

もちろん一般的なカフェ形態とはいえ、僕がやる以上ありがちなお店にはなりません。

以前から、心を鎮めるアール座の方針の中では実現が難しい企画を思いつく度に「他の形の経営もやってみたいな」という構想は持っていたんです。
 
本音を言えば生活のことよりも、こちらのモチベーションの方が強いくらいです。
 
さてどんな店になるんでしょうか。
 
アール座は明治の洋館や書斎、古い木造校舎、図書室なんかの写真をネタに、非常に感覚的なイメージ(こんな雰囲気でこんな匂いの…という要素)を固めて工事に挑みましたが、3階に関してもまた別の新たな画像を、今幾つか頭の中でパズルのように組み合わせて構想中です。
 
僕の場合アドリブ工事なので、先に正確な図面を書いてそこに向かって作業を進めていくという手順を踏まず、ディテールは作業しながら(または開店後にも)徐々に形作られていくのですが、そこで軸になるのが「感覚的なイメージ」や「コンセプト」という割と不確かなものです。
 
業態はおいおい詰めてゆくつもりですが、コンセプトに関してはアール座同様、日常や現実から離れてくつろげる場所という理念を貫きたいなと思っております。

同じ現実逃避でも、どちらかと言うと2階は「心を鎮める」「自己と対面」という感覚が強いのに対し、3階はもう少しファンタジックで、「発見」や「気づき」「意識転換」が出来る店にしたいという方向を考えております。 

こんなセオリーを無視した工事をしたりヘンなコンセプトを考えたりしていると、自分はつくづく「内向型気質」が強いなんだなぁと感じたりします。

以前このブログで性格や気質の話をした時に出て来た言葉(→
http://r-books.jugem.jp/?page=1&cid=12)で、社会的な理念よりも自分の価値観を優先させてしまう思考型タイプのことです。

もちろん世間にはコンセプトなんてない「いいお店」が沢山ありますね。
 
意図的にこういう風に持っていこうという意思なんてなくても、立派なオーナーさんが心を込めて経営することで、その真心や人柄が自然とにじみ出ている素朴で暖かみのあるお店というものが巷に結構あります。
 
人間性が未熟な僕なんかには、こんなのは難しいです。
元々人が苦手だったヤツだし…σ(^_^;)
 
そういう大人っぽいお店は社会性の強い外向型の人が作るように思います。
また飲食店を経営するようなタイプの人には外向型の人が圧倒的に多いようですね(そりゃそうだ)。
 
そう思うとアール座は、元々の素質が飲食に向いていないヤツがやっているからこんなへんてこな店になんだなぁと思えてきます。

飲食店というよりも、ディズニーランド(レベルが違いますが)やよくTVに取材される地方の発明おじさんの創作のような気合いの入り方に近い感じがしますね。

こんな風にトレンドやセオリー、技術、職人性のような、社会的にまともな要素よりも新規性や驚きを求めてしまうのは、内向型気質の特徴である社会性の低さに関係しているのかも知れませんし、人のためになる店にしたいとか強く思うのも、内向型ゆえの若い頃の無用者意識を今になって埋めようとしているのかも知れません。
 
店や仕事って本当に人間が出るんですよね。
個人経営店なんて、自分の人生や思考を人前にさらけ出しているようで、恐い位です。
 
表現とかってアーチスト職の人達がするものと思っていましたが、自営業だって、きっと事務仕事の人が作る書類だって同じようにその人柄や人生がにじみ出ていたりして、そう思うと皆生きているだけで表現者ですね。
 
表現と思えば、真剣に向き合い続けることで世間的に欠点と言われるような部分でも個性としてとんがって来ることが、なかなか悪くないように思えてきます。
 
例えば僕のように、意識的計画的にコンセプトを企てていくことで、欠陥の多いこんな奴でも、ウマく行けば人様を楽しませたりすることが出来るかも知れないのだから、世の中分かりません。

まぁ、まともなお店は自分がやらなくても世間に沢山あるけれども、変な店は変な奴がやらないと世の中に存在しないですからね。
モチベーションも違ってきます。
 
アール座にいらっしゃる皆様の気質タイプはどうなんでしょうね。

色々なタイプの方がいらして簡単には言えませんが、やっぱり他の場所と比べると内向型の方の比率は高そうな気がします。

ご自身の好みをよく理解されていて、メニューや座席や本など沢山の選択肢の中から瞬時に的確に自分が一番好きなものを選び出せるような方(大抵ご本人はそれが当たり前のことと思ってたりします)をこの店ではよくお見かけするのですが、これは内向型の人の特徴なのかも知れませんね(当たり障りないものや普通は何を選ぶんだろうと考える外向型の人の方が世間には多いのです)。

個人的には、今家に寝ている生後10日程の女の子の気質を見極めようと、色々と観察したりちょっかい出したりの今日この頃です。


さて店作りの正念場はこれからです。

アール座を作った時と同じ、地獄の内装工事作業がまたもや夏場です。
 
これから一時、アール座に立つマスターの目の焦点が合っていない時もあるかも知れませんが、あまり気にしないでおいて下さいね。
 
アール座の開店もそうだったのですが、おそらく上の店もオープニングパーティーとか大々的な告知とかはせず、何となくしら〜っと始まっていると思います。

元々僕は私生活に置いても「節目」というものが苦手で、自分に関する「〜式」と名のつくものもは、高校の入学式を最後に出ていないようなヤツなのですが、やっぱりお店も「あれ、こんな店あったっけ?」と、いつの間にか始まっている感じがいいなぁとか思っています。
 
でも期待して下さっている方もあるかも知れませんので、近くなったらこのブログではこっそりお知らせしますね。
 
ただ、やはり内装に時間がかかりますので、実際の開店はまだ先です。
2、3ヶ月後になってしまうんじゃないかな。

それにしても、こんなことが出来るのも本当に皆様のお陰なんです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。(選挙みたい)
 
そんなご恩に報いるためにも、世界的にも類のないような不思議な店を高円寺の路地裏に出現させて、皆様の幸せにわずかでも貢献出来ればと思っています。
 
何が出来るかは乞うご期待です!

古い汽車の中みたいな店もいいな。
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泣けるお話のすすめ

2012.05.03 Thursday 00:32

早くも、猛暑の兆しを思わせる暑い日が時々あったりしますが、それでも5月は総じて過ごしやすい季節です。

近頃の東京は、エアコンに頼らず心地良く過ごせる気候の日数が年々減って来ている気がするので、やはり貴重な季節ですね。
十分に楽しんでおきましょう。

所で最近、アール座のカウンターにスラッと背の高い爽やか風味の青年が立っているのを見かけた方もおられると思います。
彼は今度から店を手伝ってもらうことになった原君です。

なかなか人を雇える経営でもなくずっと一人でやって来たのですが、少々のっぴきならない事情が重なりまして、彼に夜の時間帯を手伝ってもらうことになり
ました。

アールヌーボーが好きな美大生の原君は、まだ若いのにこの店独特のコンセプトや役割を非常によく理解してくれています。

普通カフェなんかのバイトでは大まかなオペレーションのマニュアルに目を通してから、体で流れを覚えさせるような教え方の所が多いのですが、ウチのような店は少し事情も違うので、小さなケアから感覚的なホスピタリティの話までをちょっと神経質なくらい細かいマニュアルにして、覚えてもらう所から始めました。

最初は不慣れな点もあるかも知れませんが、すぐにコツをつかんで、店の空気を柔らかく繊細にコントロールしてくれる素養のある人材だと思っております。
皆様何卒よろしくお願い致します。

お客さんとして来てくれていた頃の原君もそうでしたが、この頃、疲労や悩みを抱えてアール座にいらっしゃる方が、この空間に癒されたと言って下さる(書いて下さる)ことが以前より増えて来て、大変恐縮しております。

商売としてのやり取りを超えた所で何かが出来る店を目指しているアール座として、これは本当にありがたく嬉しいお言葉で、ついつい自分の手柄のようにうかれそうになってしまいますが、でもよく考えてみると実際に店がやっているのは、ただ静かにしてお茶出してるだけなんですね。

なら、本当の所は一体誰が癒してくれているんでしょうね?
この辺に関して、店に立っていると何となく感じることがあります。

人は皆どんなに疲弊して弱っているように思えても、生きている以上は自分の中にメンタルな治癒力のようなものをちゃんと備えていて、少し静かな所で気分 を変えるだけで、それが機能し出して、知らない内にきちんと自分の精神状態を正しい位置に直してゆくように思えます。

何もせずにくつろいだだけで、気持ちの整理が出来たり気分が変わったというのがその証拠です。

我々は「癒される」という受動態の言葉を用いますが、ほんとはアレ、自分でやってるんですね。
人間の体ってすごいです。

だから現代を生きる我々は、ストレスを消化し、幸せな時間をチャージする時間を持つことを怠ってはいけないのです。

そこで、今回はそんなことに役立つ「泣ける話」なんかをおススメしてみましょう。

最近では、涙を流すことがストレスを軽減させると言う話も一般的になりました。
深い悩みを消化出来るようなことではありませんが、何となく気分がのらないというくらいの時には、あえて泣いてみることで結構気分の軸が変わったりもします。

所で、感受性が強い人というと「強い」という言葉とは裏腹に、一見弱々しい印象があったりしますね。
悲しみを前にして余計に辛い思いをさせる感受性の強さには、打たれ弱さにつながるイメージが付随するのでしょう。

よく思うのですが、こういう世間的な見方はいつも表面的で浅はかな所がありますね。
僕は豊かな感受性というものはいつだって人の強力な味方で、心を守ってくれるものだと思っています。

感受性が沢山の気づきを与え人生を豊かに彩ってくれることは言うまでもありませんが、悲しいことをちゃんと悲しめる力という意味でのそれは、長期的に見 てストレスに対する強い抗力と言えるんじゃないでしょうか。

風になびく葦の強さと言いましょうか、日頃悲しさを意識出来ない人の方が、台風でぼきっと折れてしまう木の枝のような危うさを持っているようにも感じます。

この点で優秀なのは小さな子供の態度でしょう。

あの人達は少しでも嫌なことがあると、そのつど激しく泣き叫んで発散するので、嫌な思いを持ち越さず、簡単にはストレスフルな状態になりにくいのではないでしょうか。

生物は他の物質と違って、有益なものを外から取込んで有害なものを出すという「代謝」を繰り返すことで定常性を保ち、必要な性質や状態をキープします。

だから、人の体もウィルスを取り込んだりを悪いもの食べてしまった場合には、とにかく体に回る前に鼻からでも口からでも下からでも急いで体の外に排出する緊急の処置が行われますね。

僕は子供の頃わりと胃腸の弱い子で、すぐにお腹を壊してはそれを弱点のように感じて気にしていましたが、もし今彼に会えるなら「そういう体は、悪いものが体に入ったことを早い段階で察知して、素早く排出する機能が鋭く働き続けている能力の高い体なんだよ」と、通りすがりの優しいお兄さんのフリして教えてやりたいです。

そして、感受性がストレスや辛さをそのつど意識化させ落涙を促すことは、ストレスを外に排出するための精神面での代謝機能と言えそうですよね。

人間以外の生き物が泣かないのは、きっと精神がそれ程複雑でないために泣く必要がないからなんだと思います。
逆に言うと、辛いことの多い人間は泣く必要がある生き物なんじゃないでしょうか。
 
カタルシスというものがありますね。
悲劇を鑑賞して気持ちがスッキリと浄化されるようなことですが、泣くのがただ辛いだけの行為ならば、人はすき好んで号泣する映画を見に行ったりしないワケです。
でも、実際には皆結構泣くことが好きですね。

近年、実際に涙の中にコルチゾールというストレス成分が含まれていることが発見されたらしいのですが、物質的な代謝が行われていることも証明されてしまいました。

大人だと、概して女性の方がこの手の機能を使いこなせている感じがしますよね。
泣ける映画とか好きだし、泣きながらお料理出来たりもしますね。
その心地良さや効用を感覚的に知っているんでしょう。

昔カタギの男性は、女性のこういう所を不信に思ったり恐がったりしますが、何のことはない、健康法みたいなもんです。

若い頃は僕もこういうことを知らなかったので、知人の女の子が失恋をした後、しばらくの間ちょっと大丈夫かと思うくらい泣き続けて、心配していると数日後にはウソみたいにケロッとしてたりして驚かされたものです。

短期間でストレスを全部吐き切って、スパッと忘れてしまうんですね。
動物のように体の本来的な機能を有効に使った見事なストレス対処で、男子にはマネの出来ない本物のタフさだと思います。

男も同じ様にすれば良いと思うのですが、我々は子供の頃から泣くのがよくないことと言われて育っているので、今から急にああいう泣き方をしようと思っても簡単にはマネ出来ないです。
わんわん声を出して泣くような方法を、もう体が覚えていないんですね。

で、やせ我慢をしたあげく、いつまでもそのことについて語ったり胃に穴開けたりするのが男なんです。
生ガキにあたって「オレは胃が強いから平気だ」と言い張って吐き気をこらえ、体中に毒を回してしまうようなもんですね。

辛いことがあっても、それをちゃんと悲しめて泣けている内は、少なくとも精神機能は大丈夫な気がしますが、逆にストレスを消化出来ずに長引いて感情が効かなくなって来ると面倒なことにもなってしまうので、今泣ける人には日頃から沢山泣いて精神を健康に保つことはきっと意味のあることでしょう。

時々「意味もなく涙が出て止まらない」という時期が来る人がいますが、「長期的に溜まっているストレスを自動的に排出する」という精神の代謝機能が非常に優れた人なのかも知れませんね。

話がそれますが、先日TVでブータン王国の生活をリポートする番組を見ていました。

ブータンといえば、国民の幸福感をリサーチすると、その数値が世界でもずば抜けて高い国として有名ですが、リポーターが地元の人にストレスについての質問をしようとした所、通訳の人が「ストレスの意味にあたる言葉がこの国にはない」と困ってしまう場面があり、出演者も皆そのことに驚いていました。

僕も驚いて、ストレスという概念がないのかなとか考えていたのですが、考えてみたら「ストレス」って外来語ですよね。
元来その意味で使われた日本語を考えてみたのですが、やっぱり浮かばないんです。

昔の日本にだって無かったんですね、ストレス。

もちろん疲労や苦しみはあったのでしょうが、我々が一般的に「ストレス」と呼ぶ、あの現代的社会的な疲弊感とは違うものなのでしょう。

ブータン政府の高官は「経済発展と競争」を、幸せを奪うものとして危ぶんでいました(あの国は政府がこういう考え方するんです)が、やはり日本人のスト
レスもこれに伴って持ち込まれたものなのでしょうか。

経済発展には良い所もありますが、その中を生きる我々はストレスをウマくかわしてゆかなければ生きてゆけないんですね。

というワケで、泣ける話のご紹介です。

アール座の書棚は基本的に、限られた時間の中で軽く手に取ってどこから開いても楽しめるアートや写真、図鑑などのビジュアル本、文学なら短編や童話、詩集が蔵書の中心なので、最初から最後まで読んでがっつり泣ける物語というものは多くはないのですが、それでもあるにはあります。

中でも軽く泣ける話というのは、概して文学的要素の薄い高学年向けの児童書に多い気がします。
どうぞ今月はアール座のリラックスタイムをあなたの涙で濡らして下さい(何だそれ)。

ギャラリー展示中なので、本は全て書棚にあります。

「西の魔女が死んだ」 書棚ボックス、左から2列目、上から2段目の「童話、ファンタジー」のコーナー

奇才、梨木果歩のデビュー作ですが、実はこの名作、出版用に書き下ろされたものではないんだそうです。
作者が、かの名臨床心理学者、河合隼雄の下でアシスタントの仕事をしていた際、個人的に先生に読んでもらおうと書いて送ったものに河合が感動して、「こ れは出版しなければいけない」と勝手に出版社に送りつけてしまった作品なんだそうです。
英国の魔女の血筋を引く祖母と少女の心温まる物語。

「裏庭」  書棚ボックス、左から2列目、上から2段目の「童話、ファンタジー」のコーナー

比較的ファンタジー要素の少ない、現実的な「西の…」に対して、こちらは主人公の少女がどっぷりと濃いめのファンタジー世界に入っちゃいます。
それぞれが心の中に葛藤を抱える現代的な家族の物語でもあり、後半の要所要所に、地雷のように泣き所が…。

「肩甲骨は翼のなごり」 書棚ボックス、左から2列目、上から2段目の「童話、ファンタジー」のコーナー

昔古本屋で見つけたのですが、有名な作家さんなんでしょうか。
少年が新たに引っ越して来た家の倉庫に、人間らしからぬ見知らぬ男が…。
近代米文学っぽいアメリカンテイストのファンタジーで、カッコいい童話です。

「ドラえもん 第6巻」 一番右のラック、下から3段目のコミック本のコーナー

名作ぞろいの呼び声高い6巻です。
子供の頃生家の立て替えに際して漫画本を大量処分しなければならず、20冊程あったドラえもんも手放したのですが、この一冊だけは捨てられませんした。

「夕焼けの詩」 一番右のラック、下から2段目のコミック本のコーナー

読み切りマンガなので色々な話がありますが、たびたびホロリと来る話があります。
号泣は期待出来ませんが、どの巻も非常に小気味よい作品集でオススメです。映画の「ALWAYS」シリーズとは別物と思って下さい。

「藤城誠治 影絵の世界展」 ボックス、右から3列目、最上段の「日本画、日本美術」のコーナー

「泣ける」というポイントは人によってかなりツボが違ったりするので、今月のおすすめは参考程度に思って頂きたいのですが、アート作品にまでなると全く
責任が持てません。
ただ、僕は結構泣きそうになりました。


軽く泣いて下さいとおすすめしましたが、その日の精神状態によってはドラえもんで嗚咽してしまう方もあるかもです。

今月はそんな人を見ても、そっとしておいてあげましょう。
きっと色々あったんです。


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アール座の植物

2012.03.26 Monday 01:34
さすがにもう「やっと暖かくなって来ました」と言ってもいいでしょう。
春です。やっとです。
すぐにまた暑くなっちゃうので、この貴重な過ごしやすい季節を大事にしたいですね。

今年もシルクジャスミンが小さなレモンのような実をつけ始めました。

こんな季節に実がなるのは室内栽培で季節感がバカになってるんだろうと思って、以前ブログでそんなことを書きましたが、調べてみたらなんとこの子は3月に実をつける樹なんだそうです。
ジャスミンさん何も知らずにバカとか言ってごめんなさい。
 
熱帯の植物だからこちらと違うのでしょうか、毎年冬頃に白い花を咲かせ、部屋一杯にとても品のいいジャスミンのような香りを漂わせてくれます(あのジャスミンとは全く別種です)。
で、その時期にウマく受粉出来ると3月頃に小さな青い実をつけてくれて、それが次第に真っ赤に色づいてゆき、5月くらいまで楽しめます。

一応自家受粉もするらしいのですが、室内のそれではほとんど実らないので、落ちたばかりの花を拾ってはその花粉を別の樹の花のめしべに無理やりぐりぐりと押し付けたり(人工授粉ですね)していますと、次の春には沢山の実を実らせてくれます。

アール座の植物達は、この空間を癒してくれている最も重要な立役者といっても過言どころじゃありません。
暗い北側窓の密閉空間の中で、よくまぁ育ってくれているものだといとおしくもなります。
なので今回は植物の話でもしてみましょう。
 
所で、植物って気にしているとどんどん元気に育ってくれますよね。
この辺が栽培のコツと言っても良いんじゃないでしょうか。

何かしら育てられたことのある方ならお分かりかと思いますが、毎日気にして可愛がっているのと機械的に世話だけしてるのとでは明らかに違うんです。
最低限の環境条件下であれば、思い入れのある植物は簡単には死にません。
不思議です。
僕なんかそれを逆手に取って、多少世話を怠った時なんかにも「立派に育ってるなぁ」などと声をかけてゴマ化したりします。
 
一時、世話が要らないという説明でチランジア(エアープランツ)が雑貨屋に並んだりしてましたが、あれも本当に放っておいたら普通に枯れてしまいますね。
ウサギみたいですが、正しい水やりと愛情を込めて育てるとすごい立派になったりもするんです。
 
アール座の植物はその点で強みがあって、毎日沢山のお客様に見て頂いて「わぁー緑がいっぱい」とか「大きくなったなぁ」とか気にして感じて頂けることが、彼らの成長の促進剤になっている気がしてしょうがないです。
 
さすがにこの部屋の窓の光だけでは光量が足りないので、毎晩閉店後に植物達を一カ所に集め、タイマーで早朝前から開店までの間、大光量の強力な照明(室内菜園などに用いられているヤツ)を四方から当てるのですが、それにしたってこの暗い室内でここまで茂ってくれるのは偉いですよね。
 
中央通路に左右からアーチを作っている大きな2本がベンジャミン(ベンジャミナ)です。
観葉植物として最もポピュラーな品種で、販売しているものはよく幹を編み込まれたりしちゃってますが、普通に育つと当然ですがこんなにカッコいい樹木になります。丈夫で育てやすいです。
 
大プランターの窓際と中央のソファの後には2本のガジュマルが生えています。
よく沖縄の砂浜にお化けのようなこれの巨木が生えていますが、あんなのにはキジムナーという可愛らしい妖怪が1匹づつ住んでいるそうです。
ジャングルでは他の樹木に巻き付いて締め上げて殺してしまうというなかなかおぞましいヤツです。

そして窓際の座席それぞれに、左からかぶさるように生えているのが柑橘系のシルクジャスミン(ゲッキツ)です。

検索してみると、この樹の赤い実でジャムが出来るというような情報があるのですが、実際食してみると強い苦みと渋みがあります。
砂糖だけでごまかせるのかなぁ。時間かけて灰汁抜きをするんでしょうか。

今年は沢山実ったので試してみて、ウマく行ったらお知らせしますね。
何も言わなかったら「ああ、ダメだったんだな」と思って下さい。
 
さらにそれぞれのプランターの低層部分には、豆の木、クワズイモ、数種のシダ類やカタバミ等、窓際の小さなプランターにはジャカランダやアイビー他、テラリウム水槽にはシダやモス、ポトス、ワイヤープランツなどなど所構わず植えまくっております。

さらには窓の外の欄干に、ツタ類やアサガオ、フウセンカズラ、ヘビイチゴだのドクダミだの、その他ハーブ類苔類と、もう何でもありで、正直全部覚えてません。

園芸店で購入したものから近所の空き地で引っこ抜いて来た雑草まで様々です。
皆とても賢い人達で、自分で空間を考えてしかるべき方向に枝を伸ばします。

ベンジャミンは始めから幹が2m以上あり、オープン前、店に搬入した時点で天井まであまり距離がなく、見た人が「このままでは天井に当たってしまう」と心配することも多かったのですが、僕は植物ってそんなにバカじゃないから大丈夫だろうと思っていました。

案の定最初に小さな枝が一本だけ、まるで触手の様ににょきにょきと天井に触れるくらいまで伸びて、それで計ったかどうかは知りませんが、それっきり後は横方向にばかり広がる様になりました。

ウチではほとんど剪定をしないにも関わらず、5年経った今でもご覧の通りです。
そればかりか、ちゃんと通路部分を避けて隣のベンジャミンと共にアーチを作っているから驚きです。
行き交う人の空気の流れを読むのでしょうか、座席方向に伸びて来ることも先ずありません。
くどいようですが、生きている枝にはほとんど手を加えていないんです。

そういえば森の樹木も、大型動物が通る獣道をよけて伸びるのだと言います。

それだけではなく、森の植物って生態の違う無数の種類が、信じられない程複雑な住み分けを見事に実現していますよね。
トレッキングに出かけると、僕はこれを見る度に感動してしまいます。
 
水槽の水草をレイアウトするときはどんなに細かく気を遣って植えても、人の手が入った作り立てはバランスが悪くてすごい不自然なんです。
時間が経ち、自然の流れに従って水草自身がそれぞれのスペースを持って繁茂することでレイアウトされた水景というのは(もちろん種や個体同士の勢力争いというものはあるのですが)、全ての個体があるべき場所にあるという感じでやっぱり素晴らしいんです。
 
なんだか賢くてスマートな在り方ですよね。

他の生き物の生態を根こそぎさらって敷地を広げ、コンクリートで塞いだ上にワガモノ顔で暮らしている我々の暮らしを彼らの目線で見ると、きっと我がままな子供の様に見えてしまうのでしょうか。
 
そしてそんな人間にも木々達は優しいです。
風水なんかでよく聞くのは「部屋に観葉植物を置きなさい」というヤツですね。

西側に黄色いものを置くと…とかいうのはシロウトにはよく分かりませんが、植物で気が良くなるのは、僕が聞いても間違いない気がします。

植物の葉や枝に触れるだけでも人は浄化されると聞きます。

ご存知の様にウチの通路には左右から樹の枝がせり出して来ているので、通る際には枝をよけずにわさぁーって触れながら歩いてくれたらいいなと思います。

僕くらいの身長だと、ベンジャミンのアーチをくぐる時にはちょうど枝先がさらさらと頭のてっぺんをなでてくれるので、何だか気分も良くなります。
でも、背の高い人が行くと顔面にわさーっとなっちゃいますね。
まぁそれはそれで楽しいかもです?

生物学的にも動物と植物の間には互いに与え合い浄化し合う強い相互関係があります。

 ウチの植物達には水槽で魚達が汚した古い水(アンモニアなんか含んだ酸性の水)をくみ出してやっていますが、この水が古くて魚にとって有害であればある程植物には栄養豊富ということになるんですね。
 
我々動物にとって汚いイメージの生ゴミや排泄物が彼らにとっての恵みで、我々がありがたがる酸素やイオンやはあの人達の排泄物みたいなもんです。

考えてみれば、このそれぞれが異なるものを求める相互関係の形が生態系の要であり、地球環境を著しく特徴づけているわけです。

森の住み分けだってこうした相互関係の一つですよね。

光を求めて高く伸びる者もあれば暗い湿った所が好きなのもいて、それらが相互に依存しあっているという所がすごいのです。
皆が同じものを良しとしてしまうだけだと、シンプルに競争が起こって負けたものが滅び、その影響でいずれ勝者も滅びて終わり、という感じでしょう。

人はすぐ自然界を弱肉強食の世界と表現しがちですが、これは競争好きの人間が好むドラマティックで偏った見方な気がします。

自然界に強い者が生き残るという側面があるのは間違いないことですが、その他にも、違う所を目指す独自性や厳しい環境になじむ順応性、個体数を増やしてしのぐ繁殖力など生き残りを決める選択肢はいくつもあり、強さで生き残るという方法はその一手段でしかなく、それを全体的に見た時に浮かび上がるのが、今見直されている「多様性」という姿なのでしょう。
 
自然のシステムや動物の本能には、相手を「食らう」というよりも「利用する」というクレバーな表現の方が似つかわしい気がします。

何となく人の世もそういう方向に行けば良いのになぁと思う今日この頃です。

本当は人はそれぞれに違う所を目指しつつそれぞれのペースで生きてゆけばいいのですが、この社会で暮らしていると、いつしか皆と同じものを欲しがらないといけないような気にさせられ、気づいたら競争させられてるような所ありますよね。

まぁそれすら本能でもあるんですが、それのままに生きようとする人はすぐに人生をレースに例えたりします。
僕、嫌いですねー、これ。
 
多くの人が同じ時間を並んで生きてゆくということに関して僕が思い浮かべるのは、レース競技よりも日曜日に一般解放されている競技場のトラックみたいな状況です。
 
大会に向けて練習しているアスリートからダイエット目的の人、ただの気晴らしの人まで、それぞれが思い思いの目的を持ってそれぞれのペースで走っているような環境に、この現世は近いのではないでしょうか。
 
年収や学歴や知名度みたいに一律の軸で他人と比較して自分はどうだとか考えるのって、日曜日のトラックで、何を目指して何メートル走ろうとしているかも分からない隣のレーンの人に追い抜かれ、自分の目的を忘れて焦るのに似ていますね。
我々は皆一人で産まれて一人で死んでゆくので、最初から競争なんかしていないです。

店の樹の生え方からエラい所まで話を広げてしまいましたが、長くなるので(なってるわ!)このヘンにしておきましょう。

結論は、とにかく人が本当に癒されようと思ったら植物!ということです。
 
「人は土を離れては生きてゆけないの!」と、ラピュタの少女が半泣きで言ってましたが、確かその人々を支えていたのも植物だったという話でしたね。
コンクリートの上に住まう我々にとっての植物の存在も似たような所があります。

でも幸い我々は皆、まだ豊かな自然を持っていて、いつでもそれを楽しむことが出来ますね。
東京だって外に出れば、もう誰それの家の樹とか関係なく緑を楽しむことが出来ます。
誰でも地球を所有して大自然を持っているんですね。
 
「じゃあ、アール座に行かなくても良いじゃん」と言われてしまうと、うーん…そうか、そうですね…。
でも…まぁそうですね…まぁ、でも、遊びに来て下さい。
 
もう、何のブログだ…。
アール座開店直前の植物達
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アール座 メニューの話

2012.03.05 Monday 01:01
こんにちは。
梅も咲いて、そろそろ暖かくなって来る頃でしょうか。
日替わりで雪が降ったりぽかぽか陽気だったり、毎年この時期は服装も室温調整も難しいです。

それにしても、毎年ちゃんと三寒四温とかになりますね。
地球偉いですね。

環境の話では悪い情報をよく耳にするので、もう地球の気候ってぶっ壊れてるんじゃないかという気にまでなりますが、こうしてブログで時候の話をする度に 気にしていると、これでもちゃんと季節が巡っているんだと安心します。

さて今月はあまりネタもないので、今さらですがメニューについてのお話でもしてみます。
そう言えば、いつもあまり触れないですよね。

アール座は空間を楽しんで頂くための場所ですが、お代をドリンクで頂く喫茶店の体で営業している以上は、もちろんドリンクにもこだわっております。

アール座のお飲物って少し変わり種というか、個性的なモノが多いですよね。

日常を断ち切って頂くことを目的としているアール座では、どこにでもあるありきたりな要素を極力抑えてありまして、メニューもその例外ではありません。

最初から「ブレンド」とか「コーラ」と決めるより、是非メニューを開いて「何だろうコレ?どんな味かな?今自分はどんな味がいいかな?」と考えて、新 しいドリンクとの出会いを楽しんで頂けたらと思います。

ちなみにアール座はオーダーのタイミングもかなり自由が効きますので、後でオーダーしたいのに先にこちらから伺ってしまった場合は遠慮なく言って下さいね。

そんな当店のコーヒーメニューはご存知ブルボン(ブラジル)、マタリ、キリマンという、それぞれ南米、中東、アフリカを代表する個性の際立ったストレー ト(他種と混合しない単一豆)3種で、どれも強い輪郭を持った味わいと香りが素晴らしいです(詳しくはメニュー参照)。

高校生の頃は大人ぶってコーヒー通を気取り、喫茶店のマネをして部屋に豆を数種類そろえては、友達が来るとしたり顔に特徴を説明し、好きなカップと一緒 に選ばせたりして嫌がられていました(今で言うウザキャラですね)が、その時常備していた最強3銃士が、マタリ、キリマン、マンデリンでした(開店当初はマンデリンも置いてたんです)。

いずれも昔からあるスタンダード品種ですが、当時は今と違って、手に入る豆の産地や銘柄は限られていました。
今主流の洗練された味わいや酸味の少ない深煎り豆、味を整えるブレンドにあまり惹かれない自分にとっては、無数の品種が流通するようになった今でも、結局プリミティブな個性の強いこの3種がお気に入りです。

そして、その後魅惑のブルボンに出会いました。
ちなみにウチでも一番人気のこの下坂農場ボルボンは、悲しい事に現地での生産が終わってしまい、在庫がなくなり次第終了と言う事態になってしまっています(涙)。

本当はコーヒー専門店みたいに、ストレートを2、30種類くらいそろえるのも夢なのですが、ウチのようにメニュー数の多い小さな店では鮮度が問題になって来るので、コレくらいが程よい所かと思っています。

抽出については店それぞれに、お湯の注ぎ方やコース、スピードに関して「こうでなければ」という強いこだわりがあるようですが、僕はどんなやり方でも一定の方法を長く続けることこそが大事だと思っています。

一つの方法を反復していると、その時々の善し悪しがよく見えて、何というか、方法を修正したり経験をカンにすることがスムーズになる気がします。

ただ、唯一僕だけの秘訣もあるにはあります。

砕いたコーヒー豆を顕微鏡で見ると、穴ぼこだらけのハニカム構造になっているのですが、この穴の内壁にコーヒーエキスの美味しい成分がへばりついているらしいんです。

ドリップ式では雑味や渋みと呼ばれる成分を上層部の泡の中に浮かせたまま、いかにこの美味な成分だけをウマく流し落とすかが抽出の善し悪しになるわけなのですが、ここからが秘訣で、僕はゆっくりとお湯を注ぎながら、壁からこの成分がキレイにこそげ落ちている拡大画像を頭の中で一生懸命強く思い浮かべます。

さらに液体が落ちるサーバーに左手をかざし、まる〜い味になるよう「う〜ん」て気を送ったりします(実話)。

相変わらず怪しい男です。
サイキック・コーヒーマエストロと呼んで下さい。

バカなこと言ってますが、昔なんかの映画(忘れました)で、登場人物のフィンランド人マスターがコーヒーを入れる時に必ずある言葉(忘れました) を言っておまじないをかけるのですが「本当だ!味が丸くなる!」と皆で驚くようなくだりがありました。 

最初はこんなこと店でやってるヤツ他にいないだろうと思っていたのですが、意外に似たようなことをやる料理人の話を聞いたりもします。

確かに料理って本当にそういう所ありますね。
イメージを持って意識を向けると 微妙な加減を体が勝手にやってくれるということなのか、確かにイメージに近づいちゃうことがあります。

なるべく正確で細かいイメージを強く持つこと、気を送るには力を入れるより、むしろ抜くような感じでふわーっとやるのがコツだそう(気功の本によると)です。
料理全般に万能の技ですので、是非皆様もダマされたつもりで「う〜ん」てやってみて下さい。
効かなくてもヒマつぶしになります。

ちなみにコーヒーの最も新鮮なアロマ(芳香)は、煎れてから秒単位で空気中に逃げていってしまうので、お出ししたら本棚に行く前に先ず一口でも良いので味わってみて下さいね。
ミルクで飲まれる方も、試しに最初の一口だけでもブラックで味わって頂けると新しい世界が開けるかもですよ。

コーヒーだけでこんなに書いてしまいましたが、次は紅茶ですね。
コーヒーではあれだけストレートと言っておきながら、紅茶の方はフレーバーティーばかりです。

仕入れているものは主にフランスのブレンド紅茶なのですが、茶葉の銘柄を楽しむ英国に対して、仏国で紅茶といえばフレーバーティーがメインになるんだそうです。

目の覚めるような鮮やかな香りは「際立つ個性で気分を変える」というアール座メニューのコンセプトを貫く上でもふさわしいかと思いました。
優れた感性のティーブレンダーが作った名作の数々をお楽しみ下さい。

ただ今後は、しっとりと落ち着く単一銘柄を入れても良いかなとも思っています。
未定の話ですが、アッサムやウバの本当に美味しいものは本っ当に美味しいですしね。
どうしようかな…。

ちなみに紅茶におつけするミルクですが、こちらでお勧めする組み合わせの時のみお伺いしておりますが、その他の紅茶にも合わせたい方は遠慮なく言って下さいね。

ロイヤルミルクティーがお好きな方には、疲れた心を癒すキャラメルミルクティーもオススメです。

ファンの多いメニューで、古い常連様にもこればかりもう100杯くらい飲んでるんじゃないかというジャンキーさん(笑)もいらっしゃる人気メニューですが、実はもともとキャラメルバニラ用として仕入れて使えなかった茶葉を消費するために、苦し紛れで考えた期間限定メニューが思いの他好評で、スタンダードに格上げしたものです。

他にアール座にはクセのあるメニューも多いですね。

ガーワなどはその代表格でしょうか。
中東アラブ諸国はこれで客人をもてなす習慣があり、入れるカルダモンの数が多い程その客人は歓迎されているんだそうです。
ちなみにアール座は一つですが、これはあくまでテイスト上の問題です。
香り高いスパイスがコーヒーのアロマに良くなじんで、面白い風味です。

クセという程でもないですが、カルダモンココアも同じタイプの個性ですね。
ただのココアを出すというのも何だか気が引けた(?)ので、試行錯誤して作ってみました。
ホットミルクドリンクでは、キャラメルミルクティー、アールグレイショコラと並ぶ3大人気メニューです。

ハマる方も多い乳茶は、モンゴルの人がパオの中で飲む飲み物が元になっていますが、それとは結構別物(もっと塩味でバター茶みたいな感じ)です。
うちのは甘いソフトドリンク仕様というか、ほぼオリジナルの味付けで、モンゴルでも飲めません!?

クセという程でもありませんが八宝茶も珍しいメニューかと思います。
薬膳ぽい味わいは体に美味しくてオススメ。
僕は開店前に飲んだりしてます。

クセものの王者はご存知ラプサンスーチョンでしょう。
初めて飲んだ時には、その品の良い独特の香りに感動しました。

これを置くか考えた時「世間では僕のように正露丸の香りが好きという変な味覚の人がきっとクラスに一人くらいいて、アール座はそんな人の比率が外より濃いので20人に1人位か…これで他店にはないメニューだから…うん、イケる」という何のリサーチも根拠もない当てずっぽうデータで決めました
が、結果的に店でラプサンも飲まれる方の割合がこの数値とほぼ当たっていて、ちょっと笑いました。

あまあまのスパイス・キャラメルやスパイス・チャイなんかもある意味個性的な味と言って良いかもですね。

チャイは本場インドの味に近づけてありますが、実際はこんなもんじゃないです。
若い頃北インドを旅した時には行く先々でこれを売り歩いている人がいて、最初は「あんまっ!何これ!」と思ったのですが、その内このスパイスの利いた強い甘さがクセになり、日本のカフェで飲むチャイにパンチが足りなく感じるようになってしまいました。

少し前まで池ノ上にこのレベルのチャイを出すカフェがありました(多分今は閉店)。
ウチにはそこまでいく勇気がありませんでしたが、ガムシロみたいにとろっとする程の激甘チャイで見事でした。

スパイスキャラメルは強い甘さを求めて作ったオリジナルドリンクですが、塩が利いている分さらに甘さが立ちますね。

所で時々自分で試すのですが、これにエスプレッソショットを適量加えると、甘さも程よく香ばしくなって、なかなかバランスの良いい味になります。

メニューとして出すには原価と手間がかかりすぎるので難しい所なのですが、でも美味しいので試しに今月のみの裏メニューにしてみますね。

ワンショット・スパイスキャラメル 850円

多少お値段がいってしまいますが、興味のある方は3月中の忙しくない時に言ってみて下さい。土日等、オーダーが詰まっていると難しいかもです。スミマセン。

また、ご存知かと思いますが当店では、ドリンクの甘さは大抵調整出来ます。
キャラメルはやや甘、チャイは無糖にまで落とせますので、ご希望の方はお聞き下さい。

さて、アール座と言えば食べ物が少ない喫茶店として有名(!?)ですね。

店のコンセプトを考えると、人の気を上げる「食」という要素はあまり入れるべきでないとの事情から、極力食べ物メニューを減らしております。

で、さらに以前僕の妻が仕事の空き時間に作ってくれていた唯一の手作りスイーツだったカトル・カールが、今彼女の方の諸事情によりストップしてしまっているので、お茶請けはクッキーとブラウニーだけという寂しいことになっております。

誠に申し訳ございません(土下座)。
でも、少し待ってて下さいね。

この春から色々状況が変わりそうなので、ゆくゆくはドリンクに添えるお茶請けメニューも、気が高ぶらない範囲でもう少し増やせたらと思っています。
多分…。

そう言えば、以前ブログで「その内氷コップを使用したアイスデザートを出そうかと思ってます」とかほざいたのはもう一昨年の話でしたかね。

本人はもう、すっかり忘れていました!
それでは!
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冬の空気とまどみちお

2012.02.04 Saturday 00:27
 「皆様、明けましておめでとうございます」…ってもう2月ですね…って、去年もこれやりましたね。

ただでさえのろま更新の上にこの所少々バタついてしまい、こんな時期に新年のご挨拶ですが、本年も変わらぬおつきあいをどうぞよろしくお願い致します。

相変わらずヒドい時節感覚ですが、外はしっかりと冬ですね。
何か今年の冬はちゃんと寒いです。
東京にも乾いた冷たい風が吹いて雪もちらついたりして、冬っぽい感じです。

冬場はいつも朝(昼近くですが)シャッターを開けて店に入ると、暗い室内で空気がヒンヤリと気持ち良いです。

全国的には色々と大変なことも多い寒波の冬ですが、良い所を上げるなら、水道水や空気が冷たいというのは個人的に冬の好きな所です。

冷たい水や空気って、きれいに澄んでいて、静かで落ち着いた感じがします。
温度が低いというのは物理的にも分子の活動(振動)が静まっているということだし、低温の空気中では微生物の活動だって控え目になります。

もしかしたら人間の感覚ってそんな所まで感じとっているのかも、とか思ってしまいます。

だから寒い日は静かな物音に耳をすませたりするには良いですね。

僕がアール座のテーマ曲と勝手に思っているエリック・サティのジムノペディがBGMのレパートリーに入っておりまして、お好きな方もとても多い名作かと思いますが、開店前のまだ冷たい空気の中でこれをかけるとなかなかハマります。

音数の少ない神秘的な旋律の中では全てのことが意味を失い、開店作業中にも関わらず、店おっぽり出してこのまま旅に出ようか、とかいう気になっちゃいます。

まぁ出る度胸はありませんが、様々な迷いごとや情報が心を離れて、何だか気持ちがスッキリとします。

ずっとそんなシンプルな心境で生きていけたらいいなぁと思います。
こうした冬の静かな空気の中にいると、日頃自分がどれだけムダな情報や知識に振り回されて暮らしているか気づきますね。

読書室を営業し、ブログまで書いておいてこんなこと言うのもなんですが、思えば我々現代人はただでさえアタマの中に多くの悩みを持っている上に、TVやネット、書物や人とのコミュニケーションから侵入して来る、ちょっと異常な量の情報に囲まれて生きているんですね。

特に人の神経を引こうとする新しい情報には感情をあおるものが多く、中毒性もあって、心の中をザワつかせるばかりです。

冬の朝にサティとか聞いてると、読書好きの僕ですら「モノを知る」ということが、何だかロクでもないことのように思えて来ます。

そんな気分の時は情報収集や他人とのコミュニケーションを一時シャットアウトして、一人の時間を作ってゆっくりと辺りを見渡してみると、なかなか素晴らしいことが起こります。

大昔から普通に周りにある物事が、流布している奇抜な情報に覆い隠されていたことが見えてくるんですね。

豊かな空気があり、透明な水があり、日の光が射し、路端に草が生えていて、美味しい食べ物と衣服、夜眠れる場所があり、それを知る感覚があり、それを感じる心があって…と、数え上げたらきりがない恵みにじぶんが囲まれていて「もうこれ以上何もいらないし、何も知らなくていいな」という気分になったりします。

大抵僕のこんな気分はいつもただの気まぐれで、すぐにまた色々欲しくなるに決まっているのですが、恵みに囲まれていることをちゃんと見続けることが出来れば(境遇によっては簡単なことではありませんが)、きっと人はどんな状況の中でも幸せになれるんじゃないかと思えて来ます。

それが出来なければ、何不自由ないお金持ちの王様でも幸せになれないのではないでしょうか。

最近はそんなことを思いつつ、もっとシンプルに生きてゆけたらと願うようになりました。
本当に必要な知識ってそんなに沢山はなさそうだし、そういう心持ちで暮らしていると、必要な情報だけが向こうから飛び込んで来る気もします。

詩人まどみちおは齢100歳になるよぼよぼのじいさんですが、散歩の途中に道端で見かけるような恵みや驚きを、稲妻のような感受性で切り出して、我々に提示し続けてくれる達人です。

元々童謡の作詞家なので、幼児向けのリズミカルな言葉遊びっぽい作品が多く、大抵やさしい言葉で綴られていますが、はっとさせられるような発見やこの宇宙の謎を解き明かすような言葉、一撃で人生観を変える力強い啓示に満ちていてすごいです。

説明しても分かりにくいので、一つだけここに上げておきましょう。

「根」

ない

今が今 これらの草や木を
草として
木として
こんなに栄えさせてくれている
その肝心なものの姿が

どうして ないのだろう
と 気がつくこともできないほどに
あっけらかんと

こんなにして消えているのか
人間の視界からは
いつも肝心かなめのものが


ね。すごいですよね。
とても真摯な姿勢で世界を見ながら生きてるんです。

そんな素敵な詩人の全詩集(735ページ!)、他エッセイ2冊を書棚の左から3列目、上から3段目、詩集のボックスに、新入荷しましたので、興味のある方は是非触れてみて下さい。
心が洗われますよ。


さて、現在店内ギャラリーコーナーにはコラージュ作品&アクセサリーが飾られています。
故人の魂を送り出すレクイエムをテーマに、ヨーロピアン・アンティークの装飾品やそれらを題材にしたコラージュ作品、オリジナルアクセサリーなどを展示中。

Requiem 知紅個展
現在展示中〜2/14(火)まで

箱の中に時間を閉じ込めたような厳かな雰囲気の作品が目を引きます。
是非お茶を飲みがてら、静かな鎮魂歌と古い異国の空気をご覧になって下さい。
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