2/16 開店時間のお知らせ
大変お待たせ致しました。
本日(2/16金曜)、担当者の体調急変のため開店が遅延しておりましたが、16:00過ぎ頃に開店の目処が立ちました。
ご迷惑をおかけしてしまいましたことを、心よりお詫び申し上げます。
大変お待たせ致しました。
本日(2/16金曜)、担当者の体調急変のため開店が遅延しておりましたが、16:00過ぎ頃に開店の目処が立ちました。
ご迷惑をおかけしてしまいましたことを、心よりお詫び申し上げます。
アール座読書館では常時アルバイト希望を受付けております。
募集要項
年齢性別不問。
勤務曜日時間固定
週2程度〜応相談。
興味のある方は、まずはご来店時に店頭スタッフまでお声がけ下さい。
実際の選考は空きが出るタイミングで、それまでご連絡先を頂いていた方に、一斉にお知らせをする形になります。
面接ではお一人の希望者に対し、1時間以上かけて、さらに詳しくこのお仕事について説明し、改めて意思確認の期間を設けます(お話し後の希望の取り下げが可能です)。
当店をご利用されたことのない方は、先ずご利用頂いてからご検討下さい。
お電話でのかんたんなご説明はいつでも致しますので、ご質問などはお気軽にスタッフまでどうぞ。
3階エセルの中庭も、コンセプトは全く違いますが、理念を持ってアルバイトスタッフを募集しております。
同時にご説明することも出来ますので、合わせてご検討下さい。
お仕事の内容について
1人でお店に立って空間の雰囲気を作って行くお仕事です。
感受性と想像力を駆使して食器を選び、人を見て心の中から働きかけるような接客です。
業務は飲食業務の他様々な制作作業、飼育栽培他多岐に渡りますので、持てる能力は何でも活かして欲しいです。
個人経営のアルバイト雇用で、さほど条件の良くない仕事です(最低賃金スタート)。
一緒にお店を作って行ってくれる気持ちのある人を探しています。
日常的に連絡を取りながら意識を共有し、経営の方向性を一緒に見出していきます。
人への興味やお節介な性格の人、感覚を使うお仕事をしてみたい方、創造的な能力を活かしてくれる方、将来お店をやってみたい方に相性の良いお仕事です。
経緯
元々僕にとって喫茶店は人と話したり飲食をするための場所ではありませんでした。
特に昭和から続くような薄暗い喫茶店は、悩みやら現実から逃げ込んでくるための避難場所のように使わせてもらっていたように思います。
でも店内を見渡してみると、そんな様子の人は他にも沢山いるように思えて、それに特化する形で喫茶店を始めて見ようと思い立ちました。
そして現在では喫茶店のそんな需要がさらに濃くなってきているように感じます。
数時間の単価が千円かからない軽飲食である喫茶は軽視されがちな業態ですが、今のような社会には絶対なければいけない大切な役割を担う場所だと、今では自負しております。
そんな中で、もっと世の人にこんな気持ちでティータイムを過ごして欲しい、こんな心持ちになる時間を持って欲しいという思いで運営しているアール座読書館には、営利とは異なる、やや特殊な方針と理念のようなものがあります。
そんな思いから、最初は毎日一人で店を回していたのですが、続けるうちに少しずつ調子を崩し、10数年経った頃にはお店に立つこともままならなくなってしまいました(メンタル的な事情です)。
自分が店に立てなくなってからは、こういうお節介な信念を人に託して営業するということが可能なのか、中途半端になるよりは、もっと多くの人が望むタイプのシンプルなカフェにしてしまう方がいいのか…ということに悩みつつ、それでも自分の代わりにそれを代行してもらえるような人を探し始めました。
現在この店は、スタッフの共感と感受性と想像力に支えられて成り立っています。
自分以外の人にそうした理念を持って店に立ってもらうためには、そうしたコンセプトに共感し、それを自分から楽しんでもらえるような人を探してゆく必要があるということが分かってきました。
そんな中僕はずっと、このお店の意味を理解し、全身で携わって行ってくれる人を切実に探し続けています。
目差しているのは「日常」という意識でやり過ごしている時間を「自分の時間」として取り戻すことのお手伝い、それを言葉を使わずにお伝えしようとしています。
悩んだこともありましたが、本音ではやっぱりアール座はシンプルなカフェではなく、このまま変なお店であることで、少しでも気づきの助けになる場所で居続けたいです。
そんなややこしい喫茶店を、どうかあなたの感性で助けて下さい。
マニュアルではなく、その時その時で自分の感覚で正解を考え、このお客さんにもっとこんな空気を感じて欲しいという願いを持って挑む仕事は、他所では味わえない感動を伴う経験でもあります。
業務報告の例
参考までに、過去のスタッフ日報の例を幾つか挙げておきます。もっと実務的なやり取りもありますが、以下はよりイマジナリーな報告例で、接客仕事に思いを入れ、気を巡らせる手段としてこうしたやり取りも行われます。
植物に癒されてほしかったので、植物系の柄の食器を多めに出しました。最初は絵を描いていましたがまっすぐに背を伸ばして目をつぶり空気を堪能するかのようなお客さんがいました。異国の、湖のある森にきたみたいな気持ちになってくれたらいいなと。。
木彫りまたは粘土の人形図録みたいなの読んでる方には、カップも土から作られたイメージのあるものを。フォークの柄に仏像の柄がついてるの選んでその図録の中におじゃまするようなかたちで。
赤いハーモニカ入れみたいな艶のある鞄が暗い色味の服に生えていて素敵だと思ったので、赤いカップ出しました。
哲学っぽい雰囲気の初見っぽい男性に味があるけどちょっとユニークさもある足つきカップを選んでみましたが、写真撮っていいですか?と言われ、真面目そうな印象からちょっと可愛い雰囲気に印象が変わりました。
以前来ていた2回目っぽい可愛いものが好きそうな女子高生の方に、今度はもうちょっとアール座の深みへと旅してもらおうと、海賊船を彷彿とさせるイラストのお皿を出して8卓のお魚さんたちと一緒に無意識の海へと潜ってもらおうとしました。
6卓に座られたご夫婦、なんとなく食器に興味無さそうに見えて喫茶店営業されてそうだな、、と思って、ヤギの持ち手のフォークや桃型急須など変わり種の食器で出したところ興味津々で、無言で見せ合われていて微笑ましかったです☕️
最近は割とポップで楽しそうな空気で始まることが多かったので、今回もそうなるかなと思ったんですが意外に石の手触りのようなひんやり落ち着いた空気だったので、開店後すぐはそのイメージでいきました
誠に勝手ながら、
8/25(金)は18:00閉店
また、
26(土)27(日)は終日休業
とさせて頂きます。
どうぞよろしくお願い致します。
勝手ながら、貸切使用のため
11月18日金曜日は13時からの開店
となります。
また、年末年始の休業は12/30〜1/4の期間を予定しております🙇♂️
どうぞよろしくお願い致します
時短要請解除を受けまして、現在アール座読書館は全日通常営業時間
12:00開店〜
22:00ラストオーダー 22:30閉店
にて営業しております。
恐縮ですが、ご入店の際にはマスクを着用の上、発熱などの症状がある方はご利用はお見送り頂きますよう、
よろしくお願い申し上げます。
長らくお待たせいたしました。
アール座読書館は
現在、夜間営業を再開しております。
通常営業は22時ラストオーダーの」22:30閉店になります。
※今後の状況や政府自治体の指導による営業体制変更の可能性はあります。
尚、3階エセルの中庭の夜間営業再開はもうしばらくお待ち下さい。
よろしくお願いいたします。
いつもながらお久しぶりの更新です。
長らくの時短営業でご迷惑をおかけしております。
もどかしい日が続きますね。
アール座の夜間営業ですが、いまだ再開の目途が立たず、今後も状況に応じての流れとなりますことをご容赦くださいませ。
早く収まって雰囲気の良い夜のアール座、再開したいです。
例年ですと今頃は虫の声を楽しむ企画の準備をするのですが、夜間営業がその要の時間帯になりますため、今年は見送る可能性が高いです(泣)。
ただ騒動初期の頃、世の中がちょっと張り詰めていて、町の空気に不安や怒りが蔓延しているように感じられた時期に比べると、少なくとも世間の感情的な部分が少し落ち着いてきたように感じます。
今も感染拡大の危険性自体は変わっていないのですが、あの興奮状態は個人的にしんどい部分もありました。
子供の頃から、にわかに皆が一斉に同じ方向に向かって盛り上がる流れ(否定しているわけではありません 今回はそれが必要なときでした)というものを辛く感じてしまうタイプだったんです。
そんな不穏な空気の中で、休業中は店の経営や下手すると人生の先行きも見えない不安の中におりましたが、お客様から届くご心配のお言葉や、不安に駆られてエゴサーチなぞした中でもお店に対する沢山の暖かいお言葉に触れ、かなり救われておりました。
多くの方が店の先行きを案じて頂きましたことを、本当にありがたく心に受け止めております。
お伝えしておきたいのは、現時点で、一部の助成金など頂くことが出来て、今の所は経営存続が危ぶまれるレベルの致命的な経済ダメージにはなっておりません。
お店は引き続き維持してゆける状況にあると思っております。
ただ、一つ個人的なことなのですがお知らせしておこうと思いますのは、実はオーナーの僕が少し前からメンタルの調子を崩しておりまして、しばらくの間店頭に立つことを控えさせて頂くことを決めたことです。
これに関してはまるっきり感染病のせいというわけでもなく、もっと以前から始まっていた個人的な傾向で、なかなか説明しづらい上に、言うことでもないと思って言葉を濁しておりましたが、ここにきて、何となく隠してるみたいな後ろめたさも感じてきたので、ちょっとお話しておきますね。
お店12年もやって来て今さらですが、白状しますと、僕は元々対人不安が非常に強いタチで、人とのコミュニケーションを過度にネガティブに受け取ってしまう部分もあり、悪化すると何でもない出来事を後からありもしない形で思い返したりして心を乱し、生活に支障が出るレベルで感情の不安定が続いてしまうような気質があるんです。
言ってみれば人を雇って飲食店を経営するタイプの人と間逆の気質だったりするんですね。
個人店のオーナーさんって、何だかドンと構えてお客さんやスタッフに慕われているような人好きのする人が多く、いつも劣等感を感じておりましたが、僕自身は、恥ずかしながら通常のコミュニケーションすら苦手な(上滑りするようにやたらしゃべったりしますが…)、その実気弱い中学生みたいなメンタルの大人です。
元々は個人で進める表現系の仕事を目指していたようなタイプだったのですが、飲食店主なんぞをここまでなんとかゴマかしつつやってきたような所があります。
そんな性格だから仕方なくこんな形の店を作ったのかとも思われがちですが、それは違います。
もっと積極的な高い志がありました。これはなんか言っておきたい。
気質自体は昔からだったのことだったので、長らく「こういうものは経験をつんで克服しなければ」と思って努めてきましたが、人とのやり取りを考えすぎる性格は一向に変わらないどころかひどくなる一方で、弱いところがどんどん弱くなっていきました。
どちらかというと大きな出来事よりも日常的な小さなストレスが積もって、段々と長時間の接客や人事自体が辛くなり始めたようなところがあり、やがてピークタイムを回しながらパニックのような発作が出てしまうようにもなって、色々な方向性を考え始めたのですが、特にこの前の休業中は急激に心の安定を崩し、一日の中で激しく感情が上下してしまう日々がこれまでにない程続きました。
店に戻ることがどうしても怖くなってしまって、専門の方の話もあって、まずは経営維持のためにもこういった症状が慢性化する前に少し現場を離れようという結論を出した次第です。
誤解のないように言っておきますと、態度の強いお客さまが多かったというような話ではないです。
僕が携わってきた店の中でも、アール座のお客さまはご理解ある優しい方の比率の方が全然高かったです。
ただ、自分で作ったこの特殊なシステムの維持執行や営業中の空気管理に関しては心の使い方が極端に特殊な所があることや、その他色々な要因も重なって、それらが僕自身が元々持っていた不安定さとかち合ってしまったような気がします(言い訳したい…)。
正直どういう欠陥があるのか自分ではよく分からないのですが、昔から何をどうやっても人とズレてしまい、最初から距離を取られたり軽く扱われたりすることも多く、人間関係にポジティブになれる経験が少ないまま、いつの間にかネガティブな歪みを持つようになってしまったところもあります。
お聞き苦しい言い訳をしてすみません。
僕自身の全部話してしまいたいという気持ちが勝ってしまっているんだと思います。
ただ、そんな自分の性格を認めてしまって、現場を逃げ出してからは少しづつ気持ちも軽くなり、今日々の中で安定した時間が確実に増えてきています。
そんな中で、こういう店はいわゆる飲食店オーナータイプじゃない、メンタルの弱いやつだからこそ作れたんだという自負も生まれ、もういい加減この気質を許し受け入れて生きていこうと、今は思っております。
もちろん営業自体はこのまま続けていくつもりですし、僕自身も店頭復帰の方向について考えられるまでになりました。
幸いウチのようなお店はオーナーの人柄とか(個人店はそういう所が多いです)よりも、システムが店を作っている部分が強く、人が代わってもそれを維持していける面があります(空気のカラーのようなものはどうしても人によって変わってきますが)。
今や僕なんかよりも余程上手に空気を作る若いスタッフが責任を持って空間を管理してくれますし、僕もクオリティが落ちないよう細心の注意を払って指導してゆくつもりです。
実はアール座の空気管理に関してはかなり面倒で細かいマニュアルや方針があって、スタッフにはそれを非常に緻密な部分まで伝え共有しつつ、密に連絡を取りながら店に立ってもらっています。
どうかアール座空間の質に関しましては、今まで通りのご信頼と共にお使い頂ければと思っております。
なんて言ってますが、自分が出来ないのはやはり悔しい思いがあります。
ややこしい話で誤解される所かもしれませんが、接客の仕事が嫌いということではないんです。
12年の接客の時間を振り返ると、お客様との嬉しいこと楽しいことばかりが思い出されるんです。
こんな風に臆面もなく内面の状況をお伝えしているのも、大好きなお客様との僕にとって本当に大切だったやり取りの時間から、決して軽い気持ちで離れるわけではないということをお伝えしたいからです。
この店はお客様とのお話をほとんどしませんので、何年も通って頂いているお客様のお住まいやお仕事も存じ上げなかったりしましたが、その分本当に濃い気の交流を間違いなく感じておりましたので、そんな情報よりも深く通じ合えていたと思っております。
馴染みのお客様なんかは、入口でお顔とオーラ(?)を拝見しては、向かわれる座席やその日オーダーされるメニュー(皆さん傾向とお好みがあります)をこっそり当てに行ったものです。割と当たってた!
ちょっと引かれるかもしれませんが、よくお客様がテーブルに残してくださる軽いメモ書きのメッセージなんかも、1枚残らず保管しております。怖い?
子どもの頃からどうしても周囲から浮いてしまって、何度チャレンジしても上手に人と仲良くなれなかった自分のような人間にとって、初めて人様に受け入れてもらえたような環境でした。
皆様と向かい合う時間は僕の心の救いでもあったんです。
人の役に立つことをしたいとか思ってこんな店を続けてきましたが、その実、一番救われ支えられていたのは僕自身でした。
今となってはそれもそんなに悪いことではないとも思っております。
もちろん一旦現場を離れても、自分が作った店ですので、今まで以上に強く関わっていきたいとの思いがあります。
本当はここからが一番お伝えしたいことです。
これからは外側から店をもう一段深く掘ってゆくつもりです。
空間や出来事をアレンジし、手を加えていくことで、間接的にお客様と関わらせて頂けたらと思っております。
これまで自分が店に立っている間は思うように時間がとれず、心の余裕もなく、やりたくても出来ずにいたアイディアや企画、思いのようなものが本当に沢山あったんです。
今、やっとそこに手をつけられる状況になりました。
正直、この規模の店で全ての時間に人を雇いながら生活を立てる利益を確保するには大幅な経営改善が必要なのですが、ぶっちゃけ狙っているのはリピート率とアイドルタイム(すいている時間)で、目指しているのは深入り出来るお店です。
元々ウチは座席にギミックがあったりして、色々探したり、入ろうとすると入り込める部分がありますが、ここをぐんと掘り下げて隙間から入り込める「裏側」のような場所を作って、来るたびに毎回違う体験が出来たり、こちらとも間接的にコンタクトをとれたりするようなお店が出来たら楽しいなと考えています(すいてる時間が狙い目…というわけです)。
何のことかよく分からないですかね…
もはや飲食店ではないような形です。
もちろん今まで通りに普通に使うことも全然出来ますし、そんな使い方も大歓迎ですよ。
サラッと使えばサラッと過ごせるし、深入りしようとするとどんどん奥が出てくるような二重構造の店を、今後は目指していこうかと思っています。
一つ言ってしまうと、手始めにこれからメニューブックを変えていこうと思います。
さっと見て選びたい方は最初のページを見てさらっと決めることも出来るし、興味ある方はどうぞ深入りしてください…そうするとより直感的で余計な話が多くなってくるブックを考えています。
メニューはおすすめも内容も座席ごとにかなり違いますが、先ずは1番7番8番卓辺りから変わってゆきます。
今後は隠しメニューやアイテムなんかも少しずつ増やしますが、そういうものはお座席ごとに違いますので、ぜひそのお席で出来ることはその日の内に楽しんでくださいね。
この手の事っていつもあまり言わずに進めるのですが、今回は色々お話しちゃいます。
そんなことしてまでお伝えしたいことが僕にはずっとあって、それを通じて皆様と関われたらといつも思っております。
「豆腐メンタルに言われたくないわ」というような内容もあるかと思いますが、そこはこのブログ同様、自分のことは思い切り棚に上げて進みます。僕なりの苦しみの中で見出したものだったりもするんです。
少しずつ進めますので、興味ある方はぜひお楽しみ下さい。
重ねて言いますが、全くそこに触れずに普通に過ごせるラインはそのまま残りますからね。
取りあえずはどうにか感染が収まってもらって、フルタイム営業を再開させたいです。
そこを目指して色々なことを始めて行けたらと思います。
もちろん店にはちょくちょく顔を出しますし、メッセージなどはスタッフも言付かりますので何かありましたらご遠慮なくどうぞ。
そんなこんなで色々変わる節目ではありますが、変わらずアール座読書館を見守って頂ければと思います。
今回はネガティブなお話し多くてごめんなさい。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
席ごとに違うと作るの大変!
皆様、明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願い致します!
だって今年初更新!!!
悪びれもせず春先に新年のご挨拶するパターンが恒例になってきましたが、おかげ様でこのお店も12歳になりました。
昔からのお客様から新しいお客様まで、ご理解ご協力頂ける皆様にご利用頂き、支えられているアール座読書館です。
特にウチのようなお店は、相性の良いお客様の存在が命なんですね。
いつも本当にありがとうございます。
これからもずっとお友達でいてください!
いつも、何かしらでお店の情報が出回ったとき等は一時的にお客さん数が増えるのですが、こんな店ですので、そういう時期には合う方も合わない方もご来店があって、「何だここ?(苦笑)」という感じの方もお見受けしますが、僕はこの店にはそんなことも沢山あっていいんじゃないかと勝手に思ってるんです。
いつも行かないような場所に行ってハズれるとか、何だ?変な店だな…とか思うことって、すべてがスムーズに進む世の中ではとても良い方のことなんじゃないかと、お節介心で思ったりしてます。
そして少し時期がたって落ち着いてくると、その中でこういう場所にハマるタイプのお客様が新しいリピーター様として残られ、その後も引き続き使って下さるようになるんですね。
そんなことが継続の命になっているお店ですので、この方向性を死守することが何よりも大事なことなんじゃないかと考えています。
普通お店というものは、なるべく多くのお客様に照準を合わせて方向性を決めていくものなんですが、この辺がうちみたいな店の難しい所です…。
そんな中で時々感じるのは、この店、立地が高円寺で本当によかったなぁ、という思いです。
アール座は昔から「高円寺っぽい」とも「高円寺っぽくない」とも両方よく言われるのですが、多分それぞれ、独自路線の店というイメージと庶民的で砕けた感じじゃないというイメージからのご意見なんじゃないかと想像してます。
取材などで「高円寺に出そうと思った理由は?」という質問を良く受けるのですが、実を言うとこの土地を狙って出店したわけでもないんです。
物件探しの際には下町側から多摩方面まで東京中を何ヶ月もかけて百件くらい探しました。
なぜそんなに苦労したかというと、物件を選ぶよりも先に内装のイメージが出来上がってしまっていたからなんですね。
これって多分先にやっちゃいけないんです。
きっと順番的に、箱に合わせて後から構想をするべきなんですね。
先に作ってしまったイメージがキレイにハマる空間を、諸条件も合わせて探し出すのって至難の業になってくるんです。
で、苦労しましたが、幸いにして見つかりました。
当時コンクリート壁のスケルトンだった今の物件に足を踏み入れた途端に、バシッと内装イメージがはまって、瞬間的に「ああ、ここになるな」と感じたのですが、結果的にそれが高円寺の物件だったという次第なんです。
決まってから、「ネルケン近!」と気づいたくらいです(昔から憧れのお店でした)。
そして決定したときには全く意識していなかったのですが、結果的にこの街に出店出来たことが店にとってものすごく優位に働いたんじゃないかと、今では感じています。
ぽいとかぽくないとか言われますが、実は高円寺ってものすごい間口が広い場所で、ある種、どんなタイプのものでも受け入れてくれる懐の深さみたいなものがあるんですね。
東京のインドとか言われますが、でも、やたらとクセが強いだけじゃないんです。
中央線文化全体に言えるところと思うのですが、とにかく受け入れが広く、逆に言うと他の街だと難しいような店が成立してしまう部分もあって、個性的な店が集まった結果、その側面が目立ってくる、という感じにも思われます。
かつて、地価がハネ上がる前の下北沢や吉祥寺(ジョージと呼んでた)も、個人経営店いっぱいあって中々雑多だったんですが…今となってはそういう街は貴重ですね。
歴史的には、かつての東京は中央線側に軍人や政治家が、世田谷方面では資産家や財界の人達が居住して影響力をもっていたそうで、意外と文化的な趣味のあるネクラな軍人政治家の気質が今の中央線文化のイシヅエになってるという話を耳にしたりします。
東京人っぽさと一口に言いますが、細かく見ると都内でもエリアによって本当に人種が違うんですよね
昔、店舗を持たず、車でお弁当の移動販売をしていた時代があるのですが、その頃には都内のあちこちを転々としつつ、ひたすらこれを感じておりました。
概していうと、何となくスマートな感じの人が多いエリアって、変な人が少ないです(当たり前?)。
東京って、エリアによって、異質なことの受け入れに関する態度にすごく差があるんですよね。
僕は東京の住宅地生まれですが、これは昔から強く感じる所で、同じ杉並区であってさえ、中央線側と井の頭線側(生家はこちら)で明らかに人のタイプが違います。
この店を出した頃は下北沢の街中で、何の不都合もなく暮らしていたのですが、子どもが生まれ、生活が変わるのに合わせて西荻窪の近くに越してきました。何というか、ああいう場所は子供とか育てるの難しいんです。
で、やっぱり違うんですよね。高々数キロ離れただけで…。
越してきた頃驚いたのは、仕事帰りの夜道などで、歩きながら普通に歌を歌ってる人がすごく多いんですね。北沢もまぁいたけど、数が違う。
鼻歌じゃないですよ。
結構な熱唱。
若い男の子がしっかりお腹から声出して「OH〜シャンゼリーゼ〜♪」とか、もう選曲だってズバ抜けてます。
「カラオケいらないじゃん…」とか思いつつ、最初の頃は軽く衝撃でした。
当時いた西荻在住のスタッフにその話をした所、平然と「ああ、そうですよ ようこそ」と涼しい顔で微笑まれ、絶句していたものです。
一度帰り道に、自分の前方と後方から別のシンガーがそれぞれの歌を唄いながら歩いて来たときがあって、小心者の僕は「この二人が交錯したとき一体何が起こるんだろう?!」と手に汗握ったのですが、別に二人とも相手のことなど意にも介さず、ただ普通にすれ違って行きました(そりゃそうだ)。
遠ざかる二つの歌声の間で、「中央線だなぁ…」と、その生き様に感心したものです。
そして最近では、自分自身の鼻歌も段々と大きくなっているのに気づいたりする今日この頃です。
すごいぞニシオギ!
「こわ…」と思う人もいるかもですが、僕はこういう感じ、とても健康的と感じるんですね。
変なことが許されるというか、他人が何しようがどう思おうが、誰も気に留めていない感じ。
エリアによってはそういう行為が絶対に許されない空気の住宅地もありますよね。酔っ払って歌ってる人はいるけど、それと全然違う。
きっとそんな地域では、歌うタイプの人でも空気を感じて歌わないのかな、とか、結局あまり居心地もよくないので集まらないのかな、とか思ったりします。
ユングの性格分類に外向型気質と内向型気質という分け方があって、ざっくり言うと、社会の価値観に自分の考えを合わせていくタイプの人と、周囲よりも個人の価値観を優先していく傾向の強い人という感じのタイプ分け論です。
人の目線や人にどう思われるかを気にする度合いの話とも取れますが、ウチのお店なんかはある種、自分の世界に入り込んでいくような場所なので、圧倒的に内向型気質の方に合うように感じます。
マジョリティ志向の強い外向型の人だと、こういう特殊なルールに合わせることを気恥ずかしく思ったり、「ナニココ?店員さんも小声… ププ」ってなったりする方も多いみたいで、僕なんか、むしろそういう人にこそ自分を振り返る時間を提供したくなっちゃうんですが…。
こういう店で、椅子にもたれて目を閉じて、本当に上手にくつろがれる方々の姿を長年見ていると、人の本当の充足や満足って、決定的にその人の内側に存在しているように思えてきます。
外側である世の中の価値や基準や順位って、幾ら合わせて追っかけても、何だかキリがなくて、本当の意味で心が満ち足りて行かないんですよね。
むしろ、人を追い詰めていくことが多いように思えます。
特に今みたいに情報発信が激しい時代では、日本人の気質も相まって、恥ずかしいことやヘンであること、外れる(外される)ことへの恐怖が異常に高まってきてますね。
しかしだからと言って、社会やマナーをかえりみることもなく、社会性も客観性も欠けた一人よがりの姿勢に固執してしまってもいいのでしょうか?
元々「中央線系」というタイプでもなかった僕ですが、そこに店を出して12年、住み付いて7年にもなると、そんな疑問にも、もう堂々と答えることが出来ます。
ああ、そうですよ。いいんです。 ようこそ。
この辺もう少し突っ込むと、自分と他者のとらえ方みたいなややこしい話にもつながるとこで、最近僕がよく考えることなのですが、また長くなるので今度にしますね。
高円寺の一大イベント「阿波踊り」の日に休業してしまうようなハズレたお店ですが(だってムリなんだもん…)、この街の恩恵をしっかり受けていることを日々感じております。
とにかくこういう地域文化は大事にしたいなぁ…というお話でした。
これを読んで頂いた皆様は、明日からお仕事の帰り道に、きっと思い思いの歌を大きな声で歌い上げてくださると
信じております。
でもお店では歌わないで!
シャンゼリゼ通りね。
寒いですね。
空気が冷え、虫の声も少しずつやんできて、本格的な秋の深まりを感じさせます。
幻想的な時間を多く過ごせる季節ですね。
というわけで、今回のテーマは「白昼夢」です。
どういうわけだ!→時候の挨拶から自然にブログテーマにつなげる文章に失敗しました
何というか、昼間にぼやーっとすることの効用みたいなお話です。
人にすすめるようなものなのか甚だ疑問ですが、取り得のない僕がおすすめ出来る数少ない得意分野なので、許してください。
「白昼夢」と言うのは、昼間目覚めているときに見る空想や妄想が進んで、現実感が失われ、まるで夢の中にいるような感覚にとらわれるようなひとときのことですよね。多分…(僕なりの解釈)。
元々は英単語のデイドリームの訳なのかも知れませんが、白を入れるところがなんかおしゃれです。
で、僕、昔からこれ得意でした…と言うか、ヒドかったです。
特に若いとき。
どちらかというと僕の白昼夢は、その場の現実と全く関係のない思考に入ってしまうとかよりも、目の前にある何かにインスパイアされて、そこから非現実の方に飛んでしまう、というのが多かったです。
若い頃はこれに随分と悩まされました。
こういうのって、するべきじゃない時に始まっちゃうと非常に困るんです。大概そうですがね
レストランバイトで、死ぬほど忙しい時間帯にカトラリーを揃えながら、ふと「フォークの先端ってどうやって作るんだろう?」とか思っちゃうと、もう終わりなんですね。
一刻を争うようなオペレーションしながらも「型に流すのかな?」「いや、熱い内にびよーんって引っぱるのかな?」と、どうやっても妄想が止められないんですね。
鋳造工場の映像が現実の光景を覆い隠すように思い浮かべられてしまい、それを見ながら仕事するので、まぁ集中力が落ちてミスが増えるワケです。ちょっと多動っぽい気質もあるのですが…。
で、怒られてヘコみながら「この手のバイトは一番向いてないんだよ、おれには…」なんてクサってました。
まさか一生やる羽目になるなんて、この青年は夢にも思ってません。
あれ、おすすめになってない。
でも、思えば僕のこれはもう子供の頃からだったので、きっと気質というやつなんでしょう。
その頃は日常的に、耳鳴りは宇宙人からの交信だと思ってましたし、天気雨は地球滅亡の予兆でした。
学校帰りに、強風に吹かれて波打つ竹やぶの風景が苦しそうに身体をうねらす緑色の巨人の群れにしか見えず、うめき声まで聞こえてきてしまったので、思わずその場に座り込んだままかなり長いこと(多分一時間位)それを眺めていた思い出は、僕の小学校時代の全記憶の鮮明度ランキング1位かも知れません。
妄想が鮮明度で現実をおさえて1位というのがもうヤバいのですが、現実の意識にいた時間との比率が逆転していたんじゃないかと思うくらい、妄想の中に生きておりました。
こんなんで、よく変質者に育たなかったものだと感心します。
そんな子供時代を過ごした僕も、さすがに立派な大人に成長してからは、乗っている地下鉄を銀河鉄道にして宇宙に飛ばしたりとか、もうタマにしかやりません。窓の外が暗いのでやりやすい
「この車両では僕しか気づいてないみたいだけど、このあと到着する九段下は以前君達がいた世界とは別の世界の九段下なんだよ ようこそ」などと、他の乗客たちに心の中から優しく語りかけたりしています。変質者じゃねぇか
やばい。ぜんぜんおすすめになってないぞ。
まぁ僕くらいのレベルになると、日常的に、絵空事を思い浮かべてそっちの世界に飛んじゃうのとかたやすいのですが、例えば夜空に浮かぶ「月」なんかは妄想初心者の方にもおすすめのモチーフですよ。あれ?誰もついてきてない?
だって、あんなすごい現実の物体を「あ、月出てるぅ」なんてアホみたいに見ていてはいけません。
考えて見るとあれってものすごく非現実的な存在だと思うのですが、意外と誰もそのありのままをちゃんと見てはいなかったりします。
さあ、妄想力をかき立てましょう。マズい…ついてきてない…
我々はあれが地球の衛星であることを知っていますが、でも普段の実感としては、意外に平べったい丸や弓形として見ているんじゃないでしょうか。
ならばいっそ本当に舞台装置のお月様みたいにべたっと貼ってあるように思って見てみると(上手くリアルに想像出来ると)、ちょっと不思議な感じがします。
それが貼ってある空全体が暗幕みたいに見えてきませんか?眼鏡コンタクトは外して、視界をぼやかします
するとその後ろに拡がる別世界があるように思えてきて、何だか神様の世界が裏側に存在しているみたいに感じてきます。
裏の世界を空想するんじゃないですよ。目の前の夜のとばりをそういう実態として感じつつ見るんです。
暗幕暗幕ぅ〜はい見えてきたぁ〜!
だめ?がんばれ! あ、そう…だめ…。
はいはい。分かりました。逆切れ
じゃあ逆に空に浮かんだ球体と見てみましょう。
もちろんそれは全く科学的な見方でもあるんですが、でも我々は感覚的に、意外とそうは見てなかったりするものです。
だって空中にあんなバカでかい球が浮かんで光ってるって、かなり非現実的な光景でしょ。
本当に満月をこの目線で見ることが出来ると「うわわ ヤバ…」みたいな感じになりますよ。
「そういえば夜いつもあるけど…一体何なの?あれ…」って感じ。
地球に迫り来る巨大な小惑星みたいにも見えて、ちょっと冷や汗かく程の迫力を味わえるんです。こっちは眼鏡かけます
月が巨大な球体である、ということを僕らはよく知っているような気になっていますが、実の所、普段はそんな風に思って見ているワケでもないんですね。
頭の知識と体感の違う所ですが、実は幻を見るようなぼやーっとした感覚の方が、対象をリアルにとらえていたりもするんです。
ね、ちょっと「おお!」ってならない?
これ出来るくらいの人はさらにレベルを上げていくと、もうすっかり白昼夢のとりこです。
丸尾末広みたいに「あれは空に丸く開いた穴だ まぶしい向こう側の世界の光がこちらに漏れてきているのだ」なんていう狂気レベルの発想も自由自在です。
ようこそ。
ところで今、重大なことに気が付きましたが、月が出ている夜にするそれは、果たして白昼夢と言ってもいいんでしょうかね?知るか
あと、その白昼夢のちょうど逆で、明晰夢というものもあります。
聞いたことありますでしょうか?
現実の中で見る夢が白昼夢なら、明晰夢というのは睡眠中に見る夢の中で我に返るようなことです。
これちょっと検索したら、今は意外と注目している人もいるようで、まとめサイトみたいなのまで出来てました。
経験ある人無い人が分かれるかもですが、僕、子供の頃こっちも得意でした。もう現実じゃない世界に生きた方がいいのかも…
ときどき夢の中にいて「あれ?なんかおかしいぞ?コレってもしかして夢じゃないの?」みたいな意識になってくるときがあったのですが、これをいつも意識していると、割と頻繁にそういうタイミングが訪れるようになってくるんですね。
ただ、なぜかその意識はあまり長続きせずに、大抵ちょっとして本当に目が覚めるか、もしくは再び無意識な夢の世界に没入していくかしてしまうのですが、おそらく比較的眠りの浅いレム睡眠の中で、眠りと目覚めの意識が交錯して起こるひとときの現象だからなのでしょう。
大人になってからあまり見なくなりましたが、子供の頃の僕はこの「夢だと気づきながら見ている夢」というものをかなりの頻度で見てました。
で、そんな時に誰でも思ってしまうのは「夢の中なら何だってやりたい放題じゃん いひひひ」という悪魔の欲望だと思いますが、幼い僕も当然のようにそう思ったんですわ。
ところが最初それを思ったとき(夢の中で自分の家にいました)「せっかくだから現実では絶対出来ないことをやってやろう!でも何しよう?」などとあせって、思わずやってしまったのは、あろうことか「家の二階に駆け上がり、服を全部脱いで窓から飛ぶ」という最高にイカれた行動でした。
しかし、その結果、なんと本当にそのまま真っ裸で町の上を飛び回ることが出来ちゃったんですね。
起きたときの満足感が忘れられず、それから夢の中でそんな気づきがあると、いつもそれをやる感じになっちゃいました。夢って便利で、階段上がらなきゃと思うと階段が現れます。
「あ…来た!今だ!」ってなると、もう習慣化されたように、わぁ〜って服もパンツも脱いで、とにかく二階に駆け上がってました。夢の中の話ね
で、そのまま、わぁ〜って言って窓から飛び出して、飛べちゃうこともあるし、わさわさーって森の木々の葉の中をゆっくり落ちていくとか違うケースもありました(これも楽しい)が、不思議とズドンと普通に落ちて、いたた〜ってのはなかったです。
だって他に思いつかないもん。その場で出来る、現実には絶対出来ないこととか。
でもこれ出来るようになると、ちょっと楽しいですよ。
夢の中で「あれ?これって…」と気づくときがあったら、ただ思ってないで、まず意図的に動いてみて下さい。
で、もっとマトモなことして下さいね。
僕のは子供の頃の発想なのでギリギリ許してもらえそうな話なのですが、何を隠そう、大学生になって久しぶりに明晰夢を見たときにも、何かしなきゃとあせった末に、ついこれをやってしまい、目覚めてから頭を抱えた経験があります。
「夢とはいえ、もうコレはさすがにダメだ」「次はもっと別のことしよう」「何しよう?」なんて考えた記憶がありますが、なぜかその頃からはあまり明晰夢を見た記憶がありません。
きっと、これでよかったんだ。
さようなら、明晰夢。
クソどうでもいい話で30行使ってしまいましたが、明晰夢も白昼夢も、覚醒している意識とボヤーっとした幻のような意識が同時にあって、この中で思いのままになされる心理作用であります。
この現実と幻の二重構造が織り成す不思議な感覚こそ、僕が白昼夢を愛した要因でした。なんかこんな風に言うとカッコいいな
それは必ず、細部への意識がクリアでない、何となくぼやーっとした感覚の方にいるときに起こり、ハッと我に返ると急に味気ない日常に戻ったように感じたりします。
映画を見終わって、映画館から昼の町に出てくるときに感じる、あの感覚に似てますね。
ああ、また日常だ…っていう感じのね。
素面(しらふ)という心理状態がありますね。
ハイな状態と比較するとよく分かりますが、素面の状態はとにかく理性的で、目の前の物事が細部までよく見えていて、また行動や思考にもちゃんと抑制が効いている感覚があります。
だから普段、我々は裸で窓から飛んだりなんかしないんですね。
逆に、それが弱まる身近な例として「深夜のテンション」というのがあります。
誰かへの感情が高ぶって強い筆跡で書いた情熱的な手紙を、翌朝恥ずかしくなって丸めて捨てるという、何とも人間的で愛すべきあの一連の行動は、そんな意識の移り変わりのなせるわざです。
そんなときに要注意なのはやはり書き物でしょうか。
思いが強くなって、みんな多感なポエマーになれます。
僕はこの手のことはそうそう恥ずかしくもない方なのですが、以前実家で、多分中学生の頃、夜中に書きなぐったと思われる、大人になる前の決意表明みたいな箇条書きの文章が出てきたときは鼻血出そうになりました。
内容は死んでも書きませんが、全ての文章が、オレは…で始まります
何だ。笑うな。
男の決意表明だぞ。。
あと夜中は大勢で盛り上がったりするのも危険ですね。
昼なら全く面白くないような話や言い方がバカうけして、なんかみんなしてあるキーワードにハマってしまい、それを口々に言いながら笑いが止まらない、なんていう異常事態が起こります。
もちろん次の日には、あんなにウケたその言葉を口にする人はもういません。
なんとなく皆で気恥ずかしそうな空気を共有しながらも、無かったことにしていきますね。
ちなみに僕はこういう時だけは妙に冷めていて、大体皆のノリについていけずに、端っこで顔だけニヤニヤさせていたクチなので、翌日はノーダメージです。
でもこういうのって、わざと持っていこうとしてもなかなか出来るものでもないですよね。
こちらの意図とは関係なく、時間帯とか空気とかに持っていかれるものです。
「二時五十分」と言う時刻を、人が最もおかしなテンションになるタイミングとして、その名に冠したハイテンション芸人さんがいますが、昼間に意図的にあのテンションを再現するのって、きっとプロの仕事ですよね(完全にはトンでない)。
番組中のあの人の出番がいつもショートコーナーなのって、それが長くはもたないからなんでしょうか。3分間のリミットを全力で戦い切るウルトラマンみたいでカッコいいです。
しかし普通、あのテンションは夜更けと共に向こうから悪魔のように訪れてきます。
脳生理学的な解釈では、日中活発になる前頭葉の機能が深夜帯には低下するので、思考に対して理性的なコントロールが失われ、感情的で情緒不安定な状態になる、みたいな話になるようです。
これ思うと、ダウナーの方もハイと同じ原理なのかな、と思えて来ます。
夜寝ながら悩んでる事とか考えるとロクな方向に行かないのもこれなんでしょうかね。
そういえば子供の頃って、今ほどは昼も夜も大差なかった気がしますが、きっと大人になると、理性的な感覚で世界を見る素面の方の意識がしっかりと形成されてくるから、この二つの心理状態にはっきりとした差が出てくるのでしょう。
冷めてる時には出すぎたことをしない恥ずかしがり気質の日本人も、この辺のギャップが大きいですね。
逆に感情的な熱量というものが必要なアートや創作、表現に関しては、深夜テンションで進めた方が効果的だったりもします。
深夜でなくとも、普通は暗い室内とか落ち着いた場所とか、社会から切り離されたような環境でそういう心境に持って行きますね。
ファンタジー色の強いウチのような店の企画を考える時でも、やっぱり昼間は意識が社会的になっていて、どっかこもったりしないと、突飛なことが思いつけません。
瞬間的に発想が現れても、すぐに「で、それが何なの?おれ一体何やってんだろう?」ってなりやすいです。「引き出しにジオラマ…」「で?」ってなっちゃう
このブログも深夜にまとめることが多いので、多少恥ずかしいこと書いちゃうこともありますが、まぁ熱量や情の起伏が入る所が良いことだと思っています。
ただ、そういうやり方ってバランスがムズいです。
冷めた意識で作成された平坦な言葉の詩なんて、きっと誰の心も打たないでしょうが、逆に感情が暴走したような、素面とかけ離れたレベルの表現も人の心から離れてしまいそうですね。
難しいのは、人の心に訴えかけるような表現をアウトプットする段階では、素面だと恥ずかしくなるくらいの熱量が必要ですが、実際に出来上がった作品が鑑賞される時は、大概、素面の状態の人々を相手にすることになるんですよね。
お髭を生やした格調高い芸術家先生も、創作中は中学生位の理性になってるんでしょうか。
しかしそんな風に生み出された芸術作品には、それを鑑賞するのが日中の日常的な感覚の中であるにもかかわらず「一体今の自分は何を生きてるんだ」みたいに、ハッと目を覚まさせるような傑作というものが存在します。
こういうときの「我に返る」は夢から覚めるのとは逆の表現で、現実の側から自分の意識の方に目を覚ますワケです。
これってアートの凄さですね。
あの真昼間の強力な現実から、力ずくで引きずり出されちゃうんです。
そう言えば映画館も美術館も窓が無いですが、あの昼か夜か分からないような密閉空間という環境も、それに一役買ってる気がします。
どうしたって昼の外の光景って変なテンションにはなりにくいですね。
視界から入ってくる光の強さが大脳の覚醒に影響を及ぼすからということもあるでしょう。
まぁこういう科学的な説明って自分で発見したものではないので、僕はあまり実感を持たないのですが、もっと個人的に感じるのは夜の風景の印象についてです。
特に街中では夜景の方が圧倒的に幻想的で絵になるし、どこか現実を遠目から見せて、感傷的な気持ちにさせる力があります。
それにホラ、夜って、風景の後ろに宇宙が見えるでしょう?
え?これ書いてる時間ですか?
今ちょうど午前2時半を過ぎた所です。
いやでもこれ、結構マジで言ってるんです。
夜空の存在って、科学的常識のある我々には「暗い宇宙空間にポカリと浮いてる星の上に今、自分は暮らしている」という、ある意味、社会的現実を遠目から見るようなファンタジックな実感を無意識にもたらしているんじゃないかと思うんです。
昼の空ってコレが見えないですよね。
だから我々が住んでいる環境の外側の広がり(宇宙)が意識されない気がします。
さらにノイズも多いから、余計に自分の感覚や心の声が聞こえない。
無数の生活音の中で、明るく照らされた建物とか乗り物ばかりが目に刺さってくるので、自分が丸い星の上に暮らしているなんて思ってもみません。
そんなことよりも、身近な人間社会のこと〜今やらなければいけない差し迫った用事や約束、タスクのこと等〜がより強く意識され、それこそが向かうべき現実であると突きつけられます。
アール座の大きなテーマの一つである「現実逃避」の中で言う「現実」というワードはこちらの意味ですね。
いつもここで「ちょっと離れて俯瞰から見下ろす時間を作って欲しい」とお伝えしている、あのやっかいな現実たちです。
だからこの、現実を遠目から見せてくれる、夢の中みたいな夜の空気というものは、アール座読書館の方向性にも近いものがあるんです。
ノイズをカットして、自分の世界に没入させていく所、またその流れから、現状を俯瞰から見下ろす心境になる所も、とてもよく似ています。
そんな訳で、アール座も夜になると自然と空気が濃くなるわけで、当然夜はおすすめなんです…が、ただ、今回のおすすめはこっちじゃないんです。
そう、白昼夢の話。
あえてそれを昼間にやる必要性を力説します!
何のためにそんなことするのでしょう?
先程の、夢の中みたいな夜の光景から感じられる「暗い宇宙空間にポカリと浮いてる星の上に今自分は暮らしている」という何だか絵本の世界のようなファンタジックな意識と、日中感じている「社会生活やルール、避けて通れない差し迫った用事やタスク」という身近なリアルをちょっと比べて考えてみたとき、ホントの現実って果たしてどっちなんでしょうね。
ね!よく考えて!
どっちが現実でどっちが思い込み?!
昼間、我々が意識している現実世界では、社会に強いられる沢山の必要事項や沢山のルール、沢山の評価なんかが「目の前の現実」とされているので、我々の頭の中はもうそれでいっぱいです。
でももしも、執拗に自分を追い詰めてくるこれらの意識が、実は我々の思い込みで、勝手に作り上げてる世界だとしたら…平べったいお月様みたいなただのイメージだとしたら…なんて思う隙もありません。
現実に対するこういう疑問って、普段は挟む余地が無いから、我々は疑うことなくこれに追いかけられ続けているんですね。
深夜ならそれがよく分かります。
そういう現実が遠くに感じられる時間帯ですから、朝が来るまでの間は、我に返ることなく昼の意識を客観視していられます。
でもそれは夜明けと共に消えてしまうので、それらと対立することは出来ません。
こんな意識と対立し、場合によってはこれをぶち砕いてくれるのが白昼夢です。
前頭葉をバリバリに機能させながら現実に直面している、夜空の無い昼間に、ふわ〜って思い描いて、ふっと現実に返る…とかやってるのって、ものすごく視点を変えさせます。
あの強固に見える現実の城がちょっとずつ揺らいできたり、しまいには、それも沢山の白昼夢の内の一つなんじゃないか、みたいな気にすらなってきます。タマにはなった方がいいです
こういうのは、理性の生きている昼にやることで意識の変革につながるんですね。
夜更けの物思いとは根本的にその働きが違います。
さらにそんなセンシティブな心理状態から、今自分が星の上に住んでることや、たまたまこういうしきたりの社会に生れ落ちて、さぁその中でどう生きていこう、という自分の状況に思いをめぐらすことにまで入っていければ、それはもう人生の起点になるようなひとときにもつながります。
「白昼夢」それは人生の潤滑油です。
ええ、今ちょうど二時五十分です。
ただ、昼間にそういうことをするには特別な環境というものが必要でしょ。
そう。昼のアール座読書館って、そのために存在しているような場所なんですよ〜。お勉強カフェじゃないんですよ〜
何という喫茶店なんでしょう!
芸術作品と肩を並べる仕事です!ウソ。ホントは慣れれば家でも出来る。
どうだ!みんなお昼に使って!
あ…で…平日ね!! それをするなら…
週末の昼は、もう混雑で、ちょっと空気がアレなんで…汗汗ごめんなさい
と言うお話でした。
どうしても長くなってしまうなぁ…。
夜中に書いてるからかなぁ…
とにかく皆様、ありがとうございます。
皆さんはいつ読んで下さってるんでしょう??これ、昼読んで大丈夫なのかな
あ、しまった!
今、更新のボタン押すと、2時50分に書いてます、とかウソ付いたのがバレる汗
まぁいいや。もう眠いもん。
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