お手紙のすすめ

2014.07.04 Friday 01:18
0
    暑いですね〜。

    …てか、皆様お久しぶりでございます。
    何と年末以来の更新です。
     
    以前は月一更新でごめんなさいとか言ってましたが、このまま行くと年一更新です。
    いいんでしょうか?こんなブログ。
     
    「もうやめてしまえ」という声も聞こえてきそうですが、でもやめません。

    イイんです、もう…ゆっくりでも進んでればo(T^T)o
    …と考えることにしましたが、でももうちょっと頑張らなきゃですね。
     
    さて、今回は久々にアール座に登場する新企画をお知らせしようと更新しました。
     
    この所しばらく、アール座の方では目新しいことを何も出来ずにいたのですが、本来この店はもっとエキセントリックな空間でなければ…という思いは常に抱いておりまして、で、もういいかげん動かさなきゃという気持ちが臨界点に達してきたので、その第一歩です。
     
    新企画は、題して「お手紙セット」。
     
    あれ?…あまりエキセントリックな感じしないですかね。
     
    これはいわゆるレターセットの販売という意味ではなく、ドリンクに付ける「ケーキセット」のような、ワンドリンク(どれでも)とのセットメニューの名前です。
     
    「お手紙セットでアールグレイショコラ…」みたいな注文になるのですが、要はお茶をしながら誰かにお手紙を書いて出してもらう、という企画です。
     
    やっぱり何だかよく分かんないですね。
     
    今3階のエセルでもお食事とそれにまつわる物語がセットになったメニュー(石垣/午後のランチ)というものをやっておりますが、アール座でもこんなことがもっとエスカレートして「飲食店だか何屋だかヨク分からない店」になってしまうというのは僕の一つの夢でもあります。
     
     
    さて、皆さんはお手紙書いてますか?
     
    近頃ではキーボードを使うことが増えましたので、書き文字の方がちょっと特別な様式のような感じすらありますね。
     
    「ここは一つ手書きで」というようなフォーマルさや逆に砕けたニュアンスを出すのに使われたりします。
     
    若いスタッフの話によると、今でも高校生は授業中に紙切れにいらんこと書いて友達の机に回したりするんですってね。
    メールの普及と共にすっかり失われた文化かと思っていましたが、人って変わらないもんですね。
     
    書籍に関しても「紙媒体はいずれ電子書籍に食われて無くなる」と、もう十年以上前から言われてますが中々無くならないのに似ている気がします。
     
    やはり手作業というものは肌になじむというか、感覚と簡単に切り離せない何かがあります。
     
     
    ただ、僕は「文字は人を表す」という言葉を聞くとお腹が痛くなります。
     
    ブログでは分からないのですが、何を隠そう、僕はちょっと恥ずかしいほど書き文字が汚いのです。
     
    もともとブキっちょなんでしょうか、小学校1年生の時、すでに周りの子達と差があることを感じた記憶があります。
     
    で、3年生位になると、もう恥ずかしくてワザと乱雑に書くようになってましたね。
    無意識にですが「本気で書いてないから汚いんだ」とでも言うように。
     
    でも先生や大人達はそれが分かるから「汚くてもいいから丁寧に書きなさい」と言ってくれます。
     
    所が僕にはこれが出来ない。
    丁寧に書いて汚いとなるともうゴマ化しようがないから、とても恐いんです。
     
    それでも何度も同じことを言われるので、たまに仕方なく丁寧に書きますと、文字は少しマシにはなるのですが、やはり皆よりはヘタクソ。
     
    これに対して大人達は一生懸命丁寧に書いたことを喜んで「キレイに書けるじゃない」とほめてくれます。
    しかしヒネクレた僕にとってはこれも何だかやり切れない。
     
    優等生の子なんかすでに大人のようなキレイな文字を書いているのに、明らかに汚い字の自分が褒められているというのがたまらなく恥ずかしくて、更なる劣等感を覚えてしまうんですね。
     
    大人達にしてみれば良かれと思っての行為なのですが、ヒネた子供は難しいものです。
     
    こんな感じで、その後も勢い良く捻じ曲がりながら蔓草のように絡まった思春期を迎えてしまう僕は、
    「字は人を…」という言葉がいかに言い得ているかを身にしみて知っているワケなんですね。
     
    その後大人になってからペン字を習い、今では立派に…とも行きませんで、未だに乱雑に書いてしまうクセは抜けず、日が経った走り書きのメモなどには解読不能はもちろん、むしろアラビア文字の方に近いフォルムの文面も多いです。
     
    ただ、今ではその原因が分かっていて、とにかく鉛筆の持ち方がひどいんですね。
     
    3本の指先でペン軸を支えるのが理想的なのに対し、僕の持ち方には指が曲がりがちなクセがついていて、長時間書いている時など、気がつくと握りこぶしの親指と人差し指の間にペンを挟み込んだような形になっていたりします。
     
    これを矯正するのに人差し指の指先とペンを輪ゴムで固定するという方法をどこかで知って、長期的にやればこれはかなり良さそうだと思ったのですが、まぁやってません
     
    さて、手書きをおススメしようと書き始めていたのですが、私は一体何の話をしているんでしょうか。
    こんな奴にススメられたくないという内容ですね。
    ムダなカミングアウトをしてしまいました。
     
    こんな僕には幸か不幸か、手紙よりもメールが主流の昨今ですが、それにしても活字でのコミュニケーションってとても難しいですよね。
     
    とにかく細かいニュアンスが伝わりにくく、語尾のイントネーションのとらえ違いで意味合いがずれたり、何よりもその場の空気というものがない。
     
    近頃では皆いらない誤解を避けるために、あらゆる言い方や絵文字や記号を駆使しつつ色々とテクニカルにやってはいますが、でも会話ってそれと比較にならない位繊細で高度なやりとりを無数にしているんですよね。
     
    人の脳は相手の声色とか目線とか微細な要素の情報を無意識レベルで捉えて次々に分析しているらしいです。
     
    どんなに乱暴な言い方をされても「この人に悪意はない」と思えたり、なぜか分からないけど、直感的に「この人ウソついてる」とか感じたりするのって、きっとつじつまよりもこの辺の作業が利いているのでしょう。
     
    実際人間同士のコミュニケーションの中で言語情報が占める割合って20%(だったかな?とにかく思いの他低い)程度なんだそうです。
     
    我々は会話といっても、実は話なんか大して聞いてなくて、動物と同じように仕草や表情や声色から相手の感情や意思を読み取ってるのでしょう。
     
    メールが難しいわけです。
     
    さて、それに対して手紙の話ですが、不思議とこっちの方がメールよりはるかに伝わる気がしません?
     
    同じ文字情報なのですが、なぜだか手紙って紙面から空気や感情がよく伝わってくる感じがするし、誤解もメールに比べて少ない気がします。
     
    手書き文字の様子にある程度書き手の感情的な情報がのる、というのもあるかも知れませんね。
     
    でも、僕はもっと非科学的に「書いている時の気が紙に乗って届く」という風に考えたいです。
    手から思いや気をたらたらと流しながら書いているんじゃないかと…。
     
    この辺は確かめようもない話なのですが、アール座のらくがき帳を読んでいると、そうとしか思えない感覚を味わいます。
     
    昔、よく万博とかで「20年後の自分にお手紙を」などと銘打ったタイムカプセルの手紙版みたいな子供向けの企画があったりしましたが、「あぁ、あるあるこういうの…」と軽くバカにしながら参加したら、20年後に本当に実家に届いたそれを読んでボロ泣きしてしまった奴を知っています。
     
    子供の頃の作文て、当時の自分の姿を思い出させる力が写真より強力ですよね。
    手書き文字の威力をナメていたのでしょう。
     
    なので、手紙です(やっとつながった!)。
     
    汚文字のお前に言われたくないと思われるかもですが、実は僕、手紙は良く書いていたんです。
     
    年賀状等の慣わしものは基本的にやりませんが、誰かに感謝の気持ちを伝えたいと思った時、特に年配の方に対しては手紙を書きます。
     
    この時ばかりは僕も気を鎮めて、人差し指に輪ゴムをかけて、昔大人たちが言ってくれた「汚くてもいいから丁寧に書きなさい」という言葉を今更ながらに思い出して、ゆっくりと一生懸命書きます。
     
    でも、そうするとこれがヘタクソながらも悪くない文字で、中々伝わります。
     
    ヘタでも一生懸命書かれた文字を大人が褒めてくれていたのはウソじゃなかったんですね。
    やはり文字情報ではない、ありのままの何かが紙面ににじむ感じがあります。
     
    所で、よく年配の方が習い事なんかでされる「絵手紙」というのがありますね。
    手すき和紙のハガキとかに水彩画で野菜かなんか描いて一筆添えて手彫りの落款を押すアレです。
     
    絵手紙なんてこうした表現方法の、一つの究極の形かも知れません。
     
    僕は最初あれを、自由気ままで穏やかな老後の趣味のようなものと考えていたのですが、本だったかNHKの講座だったかでそのルールを知って、ガラリと見方が変わりました。
     
    全般的なルールなのかその先生の主義なのかは分かりませんが、その決まり事を要約すると…「絵手紙は、下書きや草案はせず、いきなり絵の具を使って一発本番で一息に(しかしゆっくりと丁寧に)決めて、訂正や書き直しも許されず、更にどんな形に仕上がっても必ずそれをポストに投函しなきゃいけない」というような内容でした。
     
    何とも恐ろしい掟です。
     
    「失敗したならそれこそ今のお前の姿なんだ!」とでも言わんばかりのこの鉄則は、体裁を整えることを許さず、書き手の今のありのままをさらけ出すためのメソッドなのでしょう。
     
    リセット世代にとっては地獄の掟としか思えませんが、でも確かにこうすることで、余計なものを全て剥ぎ取った今の自分そのものを伝えられる潔くも爽やかな方法です。
     
    結局の所、手紙の目的ってこれにつきるんですよね。
     
    そこまででなくても、手紙には全般的にそんな要素があります。
     
     
    で、ご紹介する新企画です。
     
    「立ち寄った喫茶店にお手紙セットとか売ってたから…」と理由をこじつけて、特に用もないけど最近どうしてるのかな?という人に突然手紙を出してみましょう。
     
    これがうたい文句です。
     
    もちろんこれは利用法の一例ですが、思い返してみると、そう言えば最近どうしてるかなって人いますよね。
     
    久しぶりにその人のこと考えてた翌日に向こうから連絡が来た、なんて話も耳にします。
     
    人と人にはいつでも縁というものがありますので、気になる人や特に何となく言い残してることがある人なんかには生きている間に言葉を伝えておくのは、例え何も起きなくても、生活に何かしらの前進を与えるという意味で良い気がします。
     
    逆に、死んでから「どうしてもこれだけは…」と伝えに行くと、相手にものすごく迷惑をかけます。
     
    最近ではfacebookなんかで疎遠になってた幼馴染と…なんてのもあるようですが、手紙が違うのはそこからコミュニケーションが再開してゆくことを前提にしてない所でしょうか。
     
    僕がオススメするのは、相手のリアクションを期待しない、ただ言葉が伝わればいいなというだけの軽いお便りです。
     
    メールというものが、出した時点である程度返信を要求する意思が入ってしまうのに比べて、リアクションがあってもいいけど、別に返事が来なくてもそれはそれでいいし、という軽い気持ちで何かを伝える場合に、郵便は都合の良いシステムだなぁと思います。
     
    逆にいつも会っている親しい人に、敢えて手紙で改まってみるというのも面白いかもですね。
    「手紙?!何?やだ〜。きゃー…」という恥ずかしい感じも、何か楽しいかと思います。
     
    この最もレベルの高い形が「親にあらたまって感謝を伝える」というやつでしょうか。
     
    すんなり出来る関係の人や、ちょっと言う気になれないという人まで様々な形がありましょうが、この行為一発がその人の今後の人生に与える影響って、出来ない人程デカい気がします。
     
    生きている間にこれが出来る人って何割くらいいるのでしょうね。
    もちろんそれがどんなに気まずい結果になろうとも、当店は一切の責任を負いません。
     
    「所でお前は出来るのか」とか言われそうなので、もうこの話題は終わりにしましょう。
     
     
    「手紙セット」というのは、ワンドリンク(お好きなものどれでも)+レターセット、切手、さらには筆記具のレンタル一式を1000円にまとめたセットメニューです。
     
    詳細は以下の通りです(ショーケースに実物が置いてあります)。
     
    貸出分
    ガラスペン1
    羽ペン1
    インク黒/緑/赤(2色はパフュームインク)
    ペン先、洗浄ボトル等のセット
    シーリングスタンプとワックス、キャンドル等のセット
     
    ご使用分
    封筒1枚と便せん4枚
    80円切手一枚
     
     
    切手とレターセットがあるので手ブラで来ても、思いつきでお手紙出せちゃうし、何と書いたお手紙は店内のポストに投函するとそのまま配達されます(セットをご注文の方のみのサービスになります)。
     
    筆記具は、きっと誰しも一度は憧れたことのあるクイルペン(羽ペン)と書き味が良いと評判のガラスペン(世にも美しいルビナートのベネチアンガラス細工)という最強コンビです。
     
    「買ってみたいけど高価だし、実際使ってみるとどんなもんじゃろ」という方や「インク壺でつけペンってやってみたいけど、管理や維持が大変そう」という方に(CMみたい)、その面倒なトコだけ人にやってもらう、というのもメリットです。
     
    同じくルビナートの美しいガラス壺も使ってみたい心をそそるアイテムの一つです。
     
    インクは黒と香り付きカラー2色のセット。 
    ほんのりとした香りの文字を読んでもらうのも一興です(香りは配達時間によっては薄まります)。
     
    気持ちを込めた手紙が書けたら、最後は蝋燭に火を灯して封蝋をしましょう。
     
    この、人に想いを伝える行為の最後に封蝋印を押して閉じるという行為は、送るものや自分の気持ちも含めた全てを締めるという意味で、僕は最高の方法だと思います。
     
    東西を問わず昔の貴族趣味って本当に、何というか、分かってますよね(ウマく言えない…)。
     
    セットをご注文頂いた方なら、もちろん筆記具やシーラー、便箋などご自分のモノを使われていても配送致します。
     
    後はポストに投函してしまえば後悔してももう後の祭りです…が、店内ポストなら「やっぱりちょっと待って!」というのもある程度通用しますので、そんな時はお申し付け下さい(笑)。
     
    今の所セットは一組みしかご用意がないので、申し訳ありませんが他の方がご利用されている場合はその旨ご了承下さい。
     
    こんなもくろみですが、何となく伝わりました?
    興味ある方は、いらした時にショーケースだけでも覗いてもらえれば何よりです。
     
    いつも長いブログを読んで頂き、ありがとうございます。
    恒例の読んで頂いた方特典で、レンタルセットの木箱の底面にシールセット貼り付けておきます!
    お手紙に使えるものあったらご自由にどうぞ。
     
    それではまた年末に…(ウソです)。
     

    category:今月のおすすめ | by:アール座読書館 | - | - | -

    年末のご挨拶と所信表明に代えまして…

    2013.12.31 Tuesday 02:51
    0
      あっという間に年の暮れです。

      …というか、皆様大変ご無沙汰しておりました。

       
      前回まともにブログを更新したのはいつのことだったでしょう?
       
      いつも気にはなってたんです。
      更新しなきゃ…って。
       
      そして、いつの間にか今年も暮れです。
      もう言い訳もありません。
       
      みなさま今年はどんな一年だったのでしょう?
       
      僕にはなかなか辛くしんどい一年でしたが、目まぐるしい学びの一年でもありました。 
       
      ちょっとナメてたのかもしれません。
      「一店舗の店番をしつつもう一店舗を作る」という計画を…。
       
      ゆっくり楽しみながらやっていければ、という感じでゆる〜く考えていたのですが、まぁそんなに甘いものじゃないんですね。
       
      当たり前だ。
      アール座一軒でも大変だったんだから。
       
      そんな中、営業に関する不手際もあったかと思います。
       
      せわしなく2階と3階を行き来しつつでの営業で、2階のお客さんをお待たせしてしまうこともしばしばでした。
       
      あまりの忙しさに、秋の虫の声のイベントも今年はとばしてしまいました。
       
      色々なお声を頂いて、実は結構楽しみにしてくれていた人がいらしたんだということを実感してしまいました。
       
      そして何よりもブログがこんなことになってしまいました。
       
      諸々の不手際に関しまして、改めてお詫び申し上げます
       
      しかし、それにもかかわらずこの店の姿勢とコンセプトを維持してくれたのがスタッフや店の動植物、そして何よりもお客様方でした。
       
      この春からアール座の営業を一生懸命サポートしてくれているのは(ずいぶんとご紹介が遅れてしまいましたが)フランス文学を学ぶ学生さんで写真が趣味の佐伯さんです。
       
      見かけによらずしっかり者で、ビックリすると目を丸くしてインコみたいな顔になります。
       
      そしてお魚や植物達もこの空間造りを強力に助けてくれています。
      彼らの存在がないと人が心から安らぐことが出来ないのは地球環境と同じです。
       
      しかし、何よりもお客様方がこの店の空気と方向性とコンセプトを維持して下さっていたことを強く感じます。
       
      ともすれば実用的な勉強専用スペースになってしまいがちなこの店の環境を、しっとりと思想的な空気にして下さっているのは、静けさの中で自分を取り戻す時間を大事にし、それをアール座での時間にあてて下さる皆様のお陰という他ありません。
       
      座席ごとに置かれたらくがき帳を見てそう思います。
       
      ツイッターが広まっていなかった5年前、何でも軽くつぶやいてもらう場所があればと始めたあのノートですが、今やそんなもくろみを完全に離れて、内容がもうエラいことになってますね。
       
      僕が若い頃には有名な米文学短篇集「sudden fiction (カーヴァーやらアップダイクやら、米文学の名手達による傑作超短篇オムニバス:アール座書棚一番左、上から3段目)のような鮮やかで技巧的な作品が大好きで「カッコえぇ〜」と憧れていたものですが、今になってあの沢山の人生が詰まったリアルな告白集である「らくがき張」と比較してしまうと、こうしたテクニカルな文学が何だか色あせてしまう感もあります。
       
      皆様がこの空間を本当の自分と向き合うことに利用して頂けることは、何よりもこの店の意義と方向性を導いて頂けるものと感じております。
       
      そしてもちろんお勉強に利用される方も含めて、アール座読書館、そして新店3階のエセルの中庭が今年も沢山の方に利用して頂けましたことを、本当に有難く思います。
       
      アール座を開業した時心に決めた目標があります。
       
      保健所の営業許可の更新です。
       
      それは5年毎にされる規則となっており、つまり「先ずは店が5年続くよう頑張る」という気持ちでした。
       
      そして今年、お陰様で無事初めての更新を果たすことが出来ました。
       
      2013年も当店をご利用いただき、本当にありがとうございました。
      心より感謝を申し上げます。

       
      更に今年はエセルの中庭という妹(姉妹店と言うでしょ)も誕生しました。
       
      来年はアール座をよりコンセプチュアルに充実させると同時にこちらを本格的に作り込んでゆくことを目論んでおります。
       
      こちらにも支えてくれているスタッフ達がおります。
       
      いずれエセルのサイトでご紹介出来ればと思っておりますが、皆個性豊かで責任感の強い優秀なスタッフばかりです。
       
      僕の知らない所でパン袋の上に寝転んだ画像をツイッターに上げて炎上したりは、多分してないと思います。
       
      現在も、スタッフ全員で力を合わせて店を作り上げている最中です。
       
      この店の青写真は今年一年僕の脳裏にへばりついたまま、夢にまで何度も現れました。
       
      しかしなかなか計画は進まず、アール座の企画も止まったままで、正直言ってしまうと最近の僕は精神的に満身創痍で、勢いも自信もイマジネーションも失速しておりました。
       
      それでも、そんな焦りと不安と迷いの中で、不思議と「こんなことやりたい」という火種だけが心のあちこちに残っていて、目の前のことすら出来ていない状況で「こんなことあんなこと」と僕をせき立てるのでした。
       
      こんな状況でこんな思いの火種を一体どう処理してゆけばいいのか、自分の中に浮かんで来る荒唐無稽な幾つもの思いの一体どれが正しいのか、果たして今のやり方で良いのか、などという迷いをひたすら繰り返すうちに、次第に固まってきたある思いがあります。
       
      私事に近い話ですが、来年に向けた所信表明のような感もありますので、久々のブログでこんなお話をしてみます。
       
      昔から幾つもの、何度あきらめても自分の中に繰り返し浮かんでくる「これをやりたい」という気持ちがあります。
       
      作るものや描きたいもの、人にやって見せたいもの、大きいこと、小さいこと等それは色々な形を持っていて、実現したもの、失敗したもの、挑戦しなかったもの、保留にしたもの、諦めたものと、結果も様々です。
       
      僕は比較的こうした自分の思いに耳を傾けて来た方なので、そんな思いを意識することが出来ましたが、でもきっと誰の中にでもあるモノだと思います。
       
      特に意識していない人や別にやりたいこともないと思う人にもきっと心の奥底にあるような気がします。
       
      この年になって僕は、こうした思いに絶対に間違いはなく、一つ残らず向かい合わないといけないと考えるようになりました。
       
      自分の中に度々湧き上がってくる「これをやりたい」という気持ちは、それがどんなにバカなことであっても小さなことであっても絶対に実現出来ると考えて無条件に全力で取りかからなければいけないというなかなか無茶な結論ですが、もしそれが仮に失敗につながることだとしても、この人生においてちゃんとその失敗をしなきゃいけないような気がします。
       
      逆にそもそも自分にとってどうやっても実現不可能なものって本気で思い立つことも出来ないんじゃないかという気もします。
       
      ただ、心の中ではそんなかっこいいコト思っても、実際に思いつきを実行に移すのには根気がなかったり勇気がなかったり迷ったりと悪戦苦闘です。
       
      自分に厳しく批判的な態度を理想とする教育を受けてきた我々は、夢見がちな気持ちで取り掛かる前に「現実はそんなに甘いもんじゃない」と先ずそれが本当に可能かどうか、現実的かどうかを冷静に検討しなければいけない意識がありますよね。
       
      僕も未だにそんな意識との葛藤の中にあります。
       
      子供の頃からずっと間違いを正され続けてきたので、正しいやり方に向かわないと何だか誰かに怒られる気がして、「考えが甘い」「そんなウマく行くワケない」「やめたほうが良い」という批判的な声が、外からも自分の中からも上がって心の中の声にケチをつけ、消しにかかってくるのが常ですね。
       
      無意識にも、自分でまともな方向に軌道修正しちゃってたりします。
       
      でも同時に、無理なことや間違っていることをやらずに、何の問題も起きることなく無事に人生が終わってしまうのもなんだなぁ、とかも思います。
       
       
      大人になって感じるのは、人はその人生でやるべきことを、最初から持って生まれてくるのではないかということです。
       
      だから自分の心の奥の無意識が一番それを知っていて、やるべきことを繰り返し意識に伝えてくるように感じます。
       
      そうなると出来る出来ないとか正しいか間違いかなんて大して重要ではないし、それで人生がどんな風に展開するかなんて誰にも分からないですね。
       
       
      客席を縫うようにライオンが歩き回るカフェをどうしてもやりたいと心の底から思ったとして、それを本気で熱く語ったときに、世間から返ってくる反応というものはまぁ予想がつきます。
       
      でも僕は、幼稚な思いつきや一人よがりの理想、無理に思える計画をあっさり批判する人の「正しい推測」というものが概して浅はかで、人生に何が起こるかなんて絶対に分からないということを踏まえていないように感じます。
       
      例えばそこに向かって挑むうちに動物園の中のライオン舎に併設されたカフェをやることになるかもしれないし、どこか恐ろしく規制のゆるい国があるかも知れないし、アフリカの国立公園の中でカフェをやるハメになるかもしれないし(どうも僕の想像力では真に意外な展開が思いつきませんが)もしかしたら思いもよらない方法で本当に店内にライオンを歩かせられる形があるのかもしれないし、実際にどんなミラクルが起こるのかはやってみないとわかりません。
       
      場合によってはそれを探求するうちにその道は諦めて、ひょんなことからライオングッズの販売業者になって成功するかも知れません。
       
      最初言ってた話と違うという人はきっと出てきますが、そんなのは本当にどうでもいいことで、それが正しい道のりだったというだけのことです。
       
      逆に、基本やノウハウやセオリーばかりにとらわれて自分の中から出てきたもので勝負してない人にはこういう運命的なことが起こりにくい気がします。
       
      想像力にしてもそうです。
       
      仮にどうしてもライオンを歩かせることが難しいという結論になって、ライオンの寝転ぶ草原の映像をプロジェクターで映しつつライオンの剥製を置いておく店になったとしましょう。
       
      最初に無理だといった人は「言った通りだ。そんな店なら出来るだろうが別に面白くもない店だ」と言うでしょう。
       
      何のイメージも持っていないこの人たちが想像するのは真っ白い普通のカフェに映像が流されて剥製が置いてあるだけの一番つまらない店内のイメージを思い浮かべて、そういうことを言っています。
       
      でも本気でライオンを歩かせたいと思い続けてきた人が作るそれは、きっとまるで別のものになっているはずです。
       
      店内に独特の雰囲気の鬱蒼としたジャングルを作り込むか、凄まじい唸り声をサラウンドスピーカーで流すか、剥製の目が光って自動歩行し出すか、大型犬に着ぐるみつけて歩かせるか(うぅ…やっぱりしょぼい発想しか出て来ない…)とにかくもっともっと我々の想像を超えるような環境をそういう人は作り上げたりします。
       
      批判する人やバカにする人は、もちろんいるんです。
      いたっていいんです。

      大事なのは自分がその意見に乗らないことだと思います。
       
      未だ迷いの真っただ中にいる僕でも、「やりたいと思うことをやる」ということは「その方向が正しいか否か」「可能か不可能か」「成功するか失敗するか」という話とは次元の違う重要性を持っているということを強く感じています。
       
      だからこそ、本当に自分の中から出てきたものはその人にとって絶対に間違っていることはないと言い切りたいです(もう少し色々結果を出せていればなぁ…)。
       
      僕はこれでも、昔は結構冷めた心の若者だったんです。
       
      こんなに熱いことを語る大人になって自分でもびっくりです。
       
      アレは良いコレはダメと批評してアイデンティティーを守ってた(あれはクセになるから良くないですね)若い頃の自分の胸ぐらつかんでこれを教えてやりたい気持ちですが、逆に40年後の自分はこんな今の自分をどう思うんでしょう。
       
      「四十代のワシが一番若かったのう…」と、長いアゴ髭をさすりながらつぶやくのでしょうか。
       

      やはり個人的な思いの強い内容になってしまいましたが、久しぶりにがっつりとブログを書いて何だかスッキリした気分にもなりました。
       
      毎月更新していた時はしんどい部分もありましたが、ああいった店で日常的に皆さんとお話が出来ない自分にとって、このブログは何か僕の本音の吐き出し口のような役割を持っていたのかもしれませんね。
       
      読んで下さる方のために…と、愚かにも思っておりましたが、読んで下さる方がいることで自分が癒されてたのでしょう。
       
      今初めて知りました。
       
      皆様の気分を害する内容になっていないことを祈るばかりです。
       
      さて、来年は何回くらい更新出来るのでしょうか(弱気)。

      今年よりはと思っていますが、うん…どうなんでしょう(すごく弱気)。

      来年もどうぞよろしくお願い致します。



       

      3階「エセルの中庭」

      2013.09.26 Thursday 10:01
      0

        3階「エセルの中庭」のサイト立ち上げました。
        まだ簡単な店舗情報のみですが、良かったらどうぞ→「エセルの中庭」


         
        category:今月の営業案内 | by:アール座読書館 | - | - | -

        更新遅れてごめんなさい

        2013.07.12 Friday 00:30
        0
           
          こんにちは。

          アール座ブログ、久しく更新が止まってしまい誠に申し訳ありません。

          この春まで読んで下さっていた方々には、こんな体たらくになってしまったことを大変恥ずかしく、また心苦しく思っております。

          本当に色々な事情(重大なことではありませんが)が重なり、内容のある文章を書く時間と気力が、どうにも確保出来ないままでおります。

          何度かPCに向かいもしましたが、どうも以前のように文章が進まず、「後でもう一段落してから書こう」と逃げ出すことを繰り返しながら、だらしなくずるずると夏まで来てしまいました。

          少しでも待っていて下さった方がありましたら、本当にごめんなさい。

          もちろんここでブログを終えるつもりではありません。

          お店を通じてお伝えしたいことは以前と変わらずあるのですが、それを表現する余力が残っていない、というのが正直な所です。

          復活したらまた読んでくださいなどと、とても言える状態ではありませんが、本当に一段落したら、またたらたらと能書きをたれてゆく気持ちがあることだけ伝えさせて下さい。

          当面の一番大きな課題が、やはり3階店舗の計画が遅れ気味(普通のカフェとしての基本的な経営は動いておりますことなのですが、これを何とかやっつけて、他の計画にもメドが立つというような状況です。

          なので、ブログの更新もう少し停滞するかもなんです

          月一更新とかほざいてましたので、こんなブログでも更新を待ってくださる方がおられたらと思うとやっぱり心苦しく、そしてあまりにも引っ張りすぎてしまっているので、しょーもない言い訳に一回分使うことにしました。

          でもお店自体はしょーもないものは作りません。

          2軒とも凄いお店作ります。

          頑張りますね。

          もうひと踏ん張りしてみます。

          取り急ぎ、お詫びまで。
          category:- | by:アール座読書館 | - | - | -

          中間領域

          2013.03.17 Sunday 23:49
          0
             

            急に暖かくなりましたね。

            うっかりこの前までの服装をしてしまうと、もう汗だくです。


            慌ただしく過ぎてゆく日々の中で気がつくと、いつの間にか冬が終わっていたという感じです。


            また一つ季節を知らぬ間にやり過ごしてしまったと、隣家の梅の木が風に吹かれて花びらを散らすのを見ながら思っておりました。


            窓際では、日々部屋の中をコロコロ転がっているうちのチビ君が不思議そうにそんな風景を眺めていたりします。


            そんな様子を見ていると、この人達はこの景色に一体何を思っているのだろうと考えてしまいますね。


            感覚的には信じ難いことですが、僕もこんな赤ん坊だったんでしょうかねぇ。


            何だか夢の中にいるというか夢の中から現実をのぞいているような、もしくは現実の風景に夢を見ているような、そんな表情をしています。


            発達心理学では、成長するにつれてそんな夢のような感覚から現実的な感覚に意識が移行してゆく過程があるといいます。


            そしてそのまん中には「中間領域」と呼ばれるエリアがあるのだそうですが、実はこの所、僕の頭の中にはこの言葉が踊り狂っておりました。


            最近知った言葉なのですが、その意味や概念がアール座と3階の「エセルの中庭」が目指す営業コンセプトの核心をつくような非常に深いつながりを持っていたからなんです。


            特にエセルに関しては、そのコンセプトがこの一言に集約されると言っても過言ではない重要なキーワードにもなっており、実は店舗名にある「中庭」と言う言葉も、この「中間領域」を柔らかく言い換えたものなんです。


            なので今回はこの「中間領域」のお話をさせて下さい。


            皆さんはこの言葉を耳にされたことありますでしょうか。


            二つの分野やエリアの隙間にまたがるように存在するスペースに関しての呼称で、様々なジャンルにおいてそれぞれの専門的な意味付けで使用されている言葉です。


            時々耳にするのは建築に関しての用語で、中庭やオープンカフェのテラス席ような屋外と室内の要素を合わせ持った空間とも言えるスペースに対する専門的な呼び方です。


            建築の分野ではこうした空間が人にくつろぎをもたらす要素として最近特に重要視されているようで、こちらの意味でも、エセルで今作ろうとしている新しい空間に完全にハマる話です。


            エセルの空間作りでは、前回お話ししたような屋外が室内に取り込まれたようなイメージを見据えていますが、僕もこれが何か人に根源的な安らぎを与えるものを有しているのではないかと感じています。


            なのでこの部屋はこれからゆっくりお庭になってゆきます。


            この空間は一体何処なのか、なぜそんな風になってしまったのかという詳しいいきさつは、また改めてお話ししますね。


            そしてもう一つは冒頭でお話しした心理学用語としての中間領域です。


            発達心理学の分野でドナルド・ウッズ・ウィニコットという心理学者が提唱した概念で、赤ん坊が成長してゆく過程で通過する領域のことで「移行領域」とか「潜在空間」とも呼ばれるものです。


            最初赤ん坊には、自分とそれ以外の世界を区別する認識がなく、お母さんもお月さまも自分の一部であるような、世界を自分との一体感で感じる感覚でいるらしいのです。


            まるで神のようなこの世界との一体感の中では、自分の意識と世界が一つにつながっているので、思い描いたものは全て存在しており、逆に言えば存在の全てが幻想や空想のように内的主観的なものだけで出来ている世界です。


            「自分の思いが全て」という万能感を持った世界ですね。


            それがあらゆる体験を経てゆく中で、やがて自分の思い通りにはならない「外的現実」という自分ではないモノが存在していることに気付き始め、幾つもの幻滅を繰り返すことで、主観的な幻想の世界と、他者と共有する客観的な外の世界を区別して認識し始めるのだそうです。


            ウィニコットは、赤ん坊の意識の発達を考える上で、この内的な幻想から徐々に外的現実を認識しつつ現実の方に意識が移行してゆく成長過程に注目し、さらにそこにはその両方の世界にまたがる「中間領域」と呼ばれる空想と現実が混ざったようなスペースが存在するとして、これを重要視しました。


            有名な「ライナスの毛布」は博士によると、こうした現実への移行のための足がかりとなるものだということです。


            中間領域の感覚的な説明は難しいのですが、例えば子供が布団を怪獣に見立て自分がヒーローになって戦っている時、夢中になればなる程、彼はそれを本気で怪獣と思い込んで遊びますが、同時に実際にはそれが布団であることも知っていて、遊びが終わればそそくさとそれをたたんだりします。


            これは頭の中だけで広がる全くの空想ではなく、現実のモノに内的な創造力を強く反映させた、空想と現実が混ざったような遊びで、中間領域でなされるものです。


            で、これだけなら大人の我々にはあまり関係のない話なのですが、どっこいウィニコットはこの意識領域が、大人に成長して消えてしまうのではなく、むしろ成人の精神の中核に重要な部分となって残り、芸術や宗教など全ての創造的活動もここから起こるというのです。


            そして、そもそもこの赤ん坊の現実受容の発達行為自体、大人になっても完結するものではなくずっと継続されるものとも言っています。


            こういう概念こそ知りませんでしたが、僕がアール座を営んでいく内に感じるようになったのは、こうした空想や遊びのような主観的内的な意識を持つことの現代生活における重要性です。


            客観視が正しいものの見方と思っている我々大人にとっては、現実が強固な形を持って迫り来る、全く思い通りにならないうちひしがれるだけのものになってしまい、こちらから積極的に働きかける対象でありにくくなってしまっていますよね。


            現実とかシリアスとかいう言葉には、最初から自分の思いを妨げる壁か障害のようなニュアンスがついてしまっています。


            しかし、ウィニコットはこの空想と現実という二つの要素両方を十分に持たない限り、真の意味での遊び、創造、夢見ること、生きることは為し得ないと考え、中間領域を人間が主体的に生きる場所として「可能性空間」とも呼びました。


            我々が本当の意味で生きる上では、赤ん坊の頃に持っていた「万能感」を完全には手放さないことが必要であるという考え方です。


            シロウトの僕にはこんな深い考察は出来ませんが、アール座を経営していて似たようなことを感じていました。


            子供じみた幻想や遊びから遠ざかった大人がこういう社会を生きる上では、もっと自分勝手に事実をとらえたり都合良く現実の状況を解釈してゆく事がとても大事な気がします。


            大人である我々は現実が自分の意志とは別のものと認識してはいますが、それを自分の願望や空想とごちゃ混ぜにして、もっと主観的創造的に生きて良いはずだし、実際には割とそうすることで現実と自己とのバランスを取っているのではないかと思います。


            もちろん打ちひしがれているまっただ中の人がなかなかこんな風に考えられるものではありませんが、抜け出して振り返った時には「現実はシビアなもの」という考えだって人間の思い込みだということが見えると思います。


            アール座のらくがき帳には、厳しい状況に立たされて力を失い悩める人の書き込みも多いですが、それでも最終的には、そんな現実の状況がいつか自分にとって良い方に向かうのでは、向かえばいいと、残された最後の力で考えようとする意思をちらりと見せて終わることも多いです。


            そんな人はきっと、このちらりと光る根拠もない小さな思い込みをゆっくりと少しづつ育てて、やがては大きなものを克服してくれるのだろうと勝手に思ったりしますが、中間領域はこの光が生まれ育つ場でもあります。


            これまでアール座が、心を休める癒しの場として重要視して来た「現実逃避」や「内省」が、それと同時に、こうした積極的能動的に生活を構築してゆく側面も持っているのではないかと近頃では感じるようになっていたのですが、ウィニコットの「中間領域」を知った時には、漠然としていたこんな自分の思いにハッキリと輪郭を与えられた思いでした。


            どちらかと言うと、心を泳がせつつぼーっと過ごしてくつろいで頂こうというアール座に対し、エセルでは積極的にファンタジーを楽しんで、心の中間領域を満足させてもらえる場所になればと思っています。


            そんな新店のコンセプトに関して重要な二つ(建築と心理学)の意味合いが偶然同じ言葉に重なってしまったので、いっそ「カフェ 中間領域」にしてしまおうかとまで最初は思ったりしましたが、馴染むのにかなりの時間がかかりそうなので、やはりもう少し柔らかく「中庭」としました。


            なんか小難しいことばかり語ってしまいましたが、つまんなかったですかね?


            小難しい関連書籍(主に幼児期の発達についての内容)は、アール座のオススメ本コーナーに置いときます。


            そう言えば最近このブログはずっとエセル(3階の店)の話題ばかりでしたね。


            何しろ僕自身そちらにかかり切りだったもので、話の内容もそればかりになってしまっております。


            すみませんが、もう少しお付き合い下さい。


            で、そんなたいそうなコンセプトとは裏腹に、現実はまだまともなカフェにすらなっていない「エセルの中庭」ですが、営業の方は夜だけ(6時〜9時前後)ですが、どうにか連日営業(アール座と同じ定休)を開始しております。

            そして先日、電話機という文明の利器も入りました。


            形が整うまでの間の営業予定やメニュー等のご質問は 03(6383)1974 までどうぞ。


            が、まだメニューが少ない… ので、只今フードメニューを開発中です。


            発売予定の品、先ずはハンバーガータイプのお料理です。


            以前僕は移動販売のハンバーガーワゴンをやっていたことがあるのですが、この時はバンズもパティもピクルスも自家製で結構色々研究しておりました。


            なのでメニュー自体はイイ線まで行ったつもりだったのですが、いかんせん一人づつ焼いて出すハンバーガーという料理そのものがスピードを要求されるランチタイムの屋台営業には向かず、泣く泣く中断して丼もののお店に切り替えました。


            今回の料理はその頃のノウハウが生かされている一品です。


            小さなバーガーを組み合わせたワンプレートなのですが、一つだけご紹介しますと、イタリアン・バジルと名付けたバーガーがあります。


            トマトやパプリカってオリーブオイルに塩コショウでソテーしただけで美味しいですよね。


            そんな具材をハーブで香り付けして、肉と一緒に挟み込みました。


            もう間もなくメニュー化ですので乞うご期待です。

            メニューも内装も未完成ではありますが、もちろんお話も出来ますので、お二人でおこしのお客様などには特におすすめですよ!


            空き地の思い出

            2013.02.18 Monday 00:03
            0
               北陸地方では春一番とか言ってますが、まだまだぜんぜん寒いですね。

              もう2月も後半です。


              あ、そうだ…


              皆様明けましておめでとうございます。


              はい、もう相変わらずですね。
              もう毎年のことなので言い訳はしません。


              アール座ブログの新年は旧正月(今年は2/10)なんです。


              こんなことばかり言ってると呆れられてしまうので、話を変えてしまいましょう。


              唐突ですが、今日は空き地のお話でもしてみます。


              先日、実家(都内の近所ですが)に用があって帰ったおり、駅から家まで向かう途中でふと「子供の頃この路地の奥に面白い空き地があったなぁ」と思い出し、ついつい今はどうなってるのかとのぞいてみたくなったんです。


              昔とのギャップを楽しもうと古い記憶のイメージを起ち上げつつ路地の突き当たりまで入ってみますと、あろうことかその空き地が古い記憶そのまんまの姿でどーんと現れ、僕はあっけに取られてしまいました。

              もう町全体が様変わりして古い建物すら見当たらず、今でもあちこちで建設工事が続く杉並の住宅地で、30年前のままにそれが残っているというのは、実際シーラカンスばりに奇跡的な出来事なんですが…あるもんなんですね。


              ただ、悲しいかな僕自身の感性の方は変わってしまったのか、そこに昔あったような不可思議な雰囲気はあまり漂っていませんでした。


              こんなだったかなぁと思う程、どうにもただの空き地なんです。


              目線が変わってしまったのか周囲の空気が昔と違うのか。


              まぁでも、そんなもんですよね。こればっかりは仕方ないのでしょう。


              だってスゴかったんです、子供の頃に感じた空き地の濃い〜い空気。

              それにしてもイイ年をしてこんな風に幻想的な空間を求めてしまったり、そんな空気を目指したような店を営んでいると、この日常と違うファンタジックな空気を味わうことは何だか自分の一生のテーマのように思えてきます。


              そういえば幼い時分から僕はそんな気持ちになる時間がとても好きでした。


              子供の頃は初夏の夕立の前後とかに外の空気が濃い黄色になる時(分かります?)とか何だか記憶の中にいるみたいでとてもワクワクしたのを覚えています。


              見知らぬ住宅地の迷路のような路地に迷うと、必ず「この路地を抜けたら、きっと別の世界に出てしまうな」と、ため息をついて空をにらみつけていましたし、耳鳴りなんかは宇宙人からの交信だと固く信じていたので、いつも鳴り出した途端に周囲の現実感は遠のいて、僕は怯えながらも必死に解読と返信を試みておりました。


              なかなかイカした少年でした。


              そんな僕がファンタジックな空気を自ら感じたいと思った時に決まって忍び込んだのが、近所の空き地や空き家となった人の住居跡でした。


              昔は東京にも所有者が事実上使用していない土地というものがあちこちにあって、住宅地にもよく、柵があるでもなく開放されるでもなく放置され、木々や雑草が生い茂ってしまっている一角が点在していましたが、野山のない都会でこんな場所は当然のように子供達のワンダーランドになっていました。


              例の近所の空き地こそ奇跡的に残っていましたが、やはり最近は遊んでいる土地というものをすっかり見かけなくなりましたね。


              僕はアール座を始める前にお弁当の移動販売をしていた時期があり、よく都内で軽自動車が一時停車出来るようなスペースを探して回っていたのですが、現代の都会には何のためでもない土地というものが本当にないことに驚かされました。


              特に地価の高い人が集まるような地域では全ての区画に必ず何らかの社会的経済的な存在理由があって、そんな人々の利権がパズルのように隙間なく詰め合わされている地域が都市の姿なんだという印象を持ちました。


              まぁそれはいいですが、とにかく子供時代には空き地や空き家が珍しくなかったので、そんな空気を楽しめる友達と連れ立ったり一人で行ったりして、幻想的で魅力的な時間を日がな一日過ごしたりしておりました。


              ちなみに僕が言う空き地というのはドラえもんに出て来るような土管の置いてある開けた広場ではなく、大抵通りから奥まった場所にあり、おそらくかつては住宅であったろう塀に囲われた区画に雑草や樹木が生い茂る暗い森のような一角です。


              そういう場所は法的には誰かの土地であっても、すでに本当の主は人間ではなく動植物や怪し気な空気が支配している世界なので、よそ者である人間(子供達)は自然と息を殺しつつそこの空気を壊さぬようこっそりと忍び込むように侵入します(まぁ社会的にも不法侵入なのですが…)。


              すると薄暗いその空間にはいつでも独特の濃い空気が漂っていて、踏み入るだけで日常を軽く消し去る強力な地場があり、流れる時間も外とは全く違うように感じられました。


              朽ちた家屋が残っていたり更地だったりもしますが、とにかく全てが植物に覆われています。


              緑が深く生き物の匂いも濃くて、周囲の環境から独立してその区画の中だけで生態系が完成してるんじゃないかと思わせるような存在感がありました。


              人の手が入る庭園と違って様々な雑草がはびこり、多様な種の草木がそれぞれの植生層に従って住み分けをし、まるで小さな原生林のような自然環境が出来ているので、都会にしては昆虫や動物の種類も多く、ぼーっとしていると突然落ち葉の山がガサガサと動いたり、ふいに間近で猫とヘビが戦いはじめたりと、スリリングな事件にも事欠かない所でした。


              時には隣町の入りくんだ場所にこつ然と現れ(?)一度行ったきり二度と見つけられなかったような、今となってはもう幻だったとしか思えない強烈な雰囲気の名スポットに出くわすこともありました(花が咲き乱れ蝶が飛び交う夢のような草っぱらでした)。


              ただ本物の野山と違うのはそういう場所には必ずかつて長いこと人が住んでいた気配というものも残っていて、その人口の跡地に自然がはびこっているという雰囲気が僕にとってのツボで、そこにはもちろん恐怖心もあるのですが、それを凌ぐ不思議な魅力が満ちているんです。


              この微妙な感覚に共感してくれる方がどれ程おられるのか分かりませんが、例えば地面に割れた食器やかつて家財道具だったものの残骸が雑草の中に静かにころがっていたりする、普通なら気味悪く思えるような様子が子供心に不思議と気持ちを落ち着かせてくれたのを覚えています。


              そういえば以前テレビで、学者、専門家の研究に基づいて「もし今人類が滅びてしまったらその後の地球はどうなるか」というテーマで人が居なくなった後の世界をシュミレーションしてゆくようなドキュメント番組をやっていたのですが、結論を言ってしまうと「人が居なくなればあっという間(確か数十年かそこら)に今失われた自然は回復し、高層ビル街はジャングルに没してしまう」という結末が、ツタだらけの廃墟となったビルの中を悠々とトラが歩いている映像とともに語られていました。


              当然番組は人間目線で作られているので、自分たちが滅びてしまうこのオチは殺伐としたニュアンスで演出されているのですが、ぼくはこれを見た時どうしてか「なぁんだ、よかった」というような深い安堵感を感じ、ツタに覆われた無人のビル街のCG映像に何とも言えない親しみを感じてしまったのを覚えています。


              見方によってはニヒリストのようなヤツですが、森に呑み込まれた無人のビル街が、今現実の乾燥した西新宿よりも落ち着いてしまう感受性を持つ人はきっと僕だけじゃない気がします。


              その手の廃墟は文明が滅んだ後の世界が舞台の未来フィクションにもよく穏やかな描写で出て来ますね。


              名作絵本の「かいじゅうたちのいるところ」で僕が一番興奮するのは怪獣島のシーンではなくその導入部、主人公のマックス少年が部屋の中でうとうとし始めると夢と現実の境がおぼろげになり、床からにょきにょきと樹が生えて来て部屋の中がジャングルと化してしまうというくだりです。


              以前廃墟の写真集なんかが流行った時期がありましたが、ああいったかつての人間社会の興隆が廃れて再び自然に帰してゆくような様を好んで見ていた人達も、きっと不気味さと共に不思議な安堵感を感じていたのではないかと思えるんです。


              子供の頃、とある空き家の居間で床下から畳を突き破って生えて来た樹木
              が天井まで貫いている様を見ていた時、そんな感覚でドキドキと共に心安らぐ心持ちに包まれていたのを思い出します。


              もともと生態系を支えたりリードしたり出来るような存在ではない人間は、きっとそれを積極的に作ってゆく植物や微生物達の傘の下で生きて行くという意識でいるのが一番幸せなんじゃないでしょうか。


              ぐるりを緑に支配され大自然に主導権を取られたまま、枝をかき分け根っこにつまずきながらも結局はその力に守られて生きていた太古の暮らしの記憶が、我々の心の奥に心地良く残っている気がします。


              廃墟のコンクリート壁を木々が力強く砕きつつ人工的な住環境が自然に乗っ取られてゆく様は、そんな意識につながる安堵感をイメージさせていたのかも知れませんね。


              さて今回はなぜこんな話で興奮しているのかというと、実はこんな幼い頃の体験こそが今ウチの3階に誕生しつつある空間が目指すイメージのひな形になっている気がしてしょうがないからなんです。


              空き地のような、屋内の中庭のような空間を思い描いてます。


              題して「エセルの中庭」。


              ファンタジー小説のタイトルではありませんよ。

              何を隠そう3階に出来た新店舗の店名です。


              ヘンな名前でしょ。


              違和感と何のこっちゃ感が残るかもですが、大丈夫です。

              すぐ馴染みます。


              詳しいコンセプトについては追々お話しさせて頂きますが、まぁざっくり言うならやっぱり「中庭のような空間」ということなんです。


              現状はまだそのベースになる洋館風の内装が形になっただけで、植物はまだ数種類の樹木を試験的に植えてあるだけの状態なのですが、いずれはここに枝葉や蔦がはびこり支配するような空間を見据えています。


              ただ、緑が茂るにはもっともっと時間をかけなければいけないので、そういう意味で本当の完成は数年後なのですが、目指すは古い洋館作りの室内が放置され、そこに観葉植物や外の庭木が入り込み、ツタや枝葉が所狭しと広がり収拾がつかなくなってしまったかのような空間です。


              どうか、あと数年待って下さい


              で、肝心の営業の方ですが、2月から仮営業のような形で不定期にですが何とか時々開けております。


              メニューもロクにそろわずドリンク5種類程度のイベントメニューのような形で、時々しかも夜のみ営業というていたらくなのですが、これでもようやっとです。


              長いことお待たせしていた皆様には、予定が大幅に遅れてしまったことをお侘び申し上げます。m(_ _)m


              これからフードメニューなんかも増やして、連日営業を目指して参ります。

              今の所営業は開けられる日は大抵6時〜9時過ぎ位までで、アール座にお電話頂ければその日の予定なら何とかお答え出来るかという感じです。


              通りがかりの際に開いてたら「あ、やってる」なんて感じでお立ち寄り下さい。


              ごめんなさいね、こんな形で。


              イイワケがましいのですが、何だか運命の神様に「まだ開店しちゃダメ」とストップかけられてでもいるかのように、計画にも私生活にも次々と出来事が立ちふさがりどんどん事情が変わってゆくんです(泣)。


              でもがんばる。


              どうか一つ、長〜い目で見て下さい(by小松政夫)→え?ウソ!知らない?!(汗)



              近所の空き地。もっと鬱蒼として4倍位広かった気がする…。

              category:今月のおすすめ | by:アール座読書館 | - | - | -

              らくがき帳と幸せについて

              2012.12.28 Friday 19:52
              0

                さて、あっという間に年の暮れです。

                ひとえに皆様のご利用とご理解の恩恵を賜りまして、アール座読書館は満5歳を迎え、6年目に入ります。

                本当にありがたいのは、この頃ではご来店の皆様がこの店の特殊なコンセプトと事情をご存知どころか以前よりもより深く理解して下さるようになり、お陰さまでアール座読書館は5年経った今でも、その何とも分かりづらい方向性をキープしたまま営業を続けることが出来ております。


                特殊なスタイルで店を経営してゆくということは、ある意味ご利用者様にご協力とご理解を強いるような形でもありまして、これを考えると本当にウチはお客様に頭が上がらない店なんだなぁとつくづく感じます。


                なかなか言葉で表し切れない思いですが、今年もご利用頂いた全ての皆様に
                深く御礼申し上げます。


                貴重なお時間をアール座読書館で過ごして頂き、誠にありがとうございます。

                m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m

                今年は僕とアール座にとって何だか節目の年だったかのように色々な変わり目があり、さらに下半期は一層慌ただしくて、ちょっと焦ったり乱れてしまった所もあったので、今になって色々と反省しております。


                個人的にも僕の大好きな秋をすっ飛ばしてしまったような過ごし方(あまりその時期の記憶がありません)は「その時を感じながら生きる」などという偉そうな僕のポリシーに反する失態でしたが、まぁそれなりの事情もあったので今回だけは許してやろうかと思っております。


                皆様にとって、2012年は一体どんな一年だったのでしょう。

                あまりお客様とお話しする機会の少ない店ですので、お座席のらくがき帳なんかが店にとって皆様がどんなことを考えておられるのかを知る貴重な情報源となりますので、僕もバイトの原君もシメ作業の時に目を通すようにしていますが、はっきり言って二人とも仕事というより密かな楽しみにしております。


                あのノートに記された皆さんの思いに力をもらえるということはしばしば感じることなのですが、これは多くの方が共感されている所のようで、特に一人で悩める方には「悩んでいるのは自分だけじゃないんだな」という心強い安堵感が大きいようですね(スゴくヨク分かります)。


                内容は深刻なものから日常的な悩み、ポジティブな意思表示や呑気なもの、ふと感じたことまで様々ですが、全てに共通するのはその内容が誰に宛てたものでもない、その時の本音そのままであるという所。

                これが力をもらえる所以でもあるのでしょう。

                それにしても人って本当に色々な所に思い巡らせながら生きているんですね。


                「他では言えないけどここでだけ本音を出しとこうか…」という感じの書き込みも多く、皆さん言わないだけで色々抱えておられるんだなぁと感じます。

                ただ、あそこに書き込まれる方が総じてすごいなと思うのは、皆さんがっつり自分と向き合ってご自身の悩みや感情から小さな思いまでをはっきり自覚されているという点です。


                それってすごく大事なことで、アール座のお客さんは普通にそうされてる方も多そうですが、世間的にはどうなんでしょう。


                現代には自分の悩みやストレスに無自覚な人もとても多い気がします。


                無意識にストレスを抱えている人は考えの矛先が自分に向かず、何となく気が重いままやたらと他者や世間に批判的になったり不平を訴えたりしがちですが、自分について悩まなければ自分が変わることが出来ないので境遇も変わりませんね。


                自分の思いや感情に目を向けて考え、気づき、悩み、あがく人は、精神の動きがよどまず心に展開が起こるので、右往左往迷いながらも結局は自分の気持ちが指し続ける方角に進んで行くように思います。


                「自分探し」とか言って旅に出たりすると小バカにされる昨今ですが、場所を変えたり立ち止まったりして自分を見つめ直すことって新しい行動を起こすことと同じ位に重要なことだと感じます。


                だから(深刻な悩みもあるのに軽薄に聞こえるかも知れませんが)らくがき帳を拝見していると、ここに書いている人達は、今苦しい状況であっても、何となく皆大丈夫な人のような気がしてきます。


                人間て他の生き物と違って、本当にそういう風にして生きてくんですね。


                何かを抱え思い苦しみながらも、ちゃんと呼吸して、水飲んで、がんばってご飯食べて、思いを巡らし魂を動かして生きてゆく人間て、なかなかすごい生き物です。


                僕もそんな生き物の一人ですから、これからは「色々悩んでなかなかエライやつだ」と褒めてやることにします。

                悩める人が皆幸せになったらいいのに、とか思っちゃいますね。

                認知心理学にはアファメーションと呼ばれる意識改革法があって、とにかく自分の理想がかなった状態を肯定的にイメージしてゆくことで潜在能力を引き出す自己暗示法で、最近は特に話題になっているようです。


                でも素直に自分の幸せを願うって、何だか慣れてないですね。


                僕はあまりに頭がごちゃごちゃしたり不安感が強くなると、時々家やお寺やヨガスタジオで瞑想のようなことをしてリフレッシュをはかるのですが、その一つ、ヴィパッサナーヨガという流派が行う瞑想に、昔、仏教の修行僧が行っていたといわれる「慈しみの瞑想」という、幸せをひたすら念じてゆく方法があります。


                一定の方法に従って、先ずは自分が苦しみを免れ幸せになることをひたすら心にイメージし、次に自分の家族親族が、周囲の大切な人がと続け、さらには嫌いな人や自分を嫌う人、世界中の人全て、生きとし生ける全てのものにまでと、その姿を思い浮かべながら幸せの願いを広げてゆくという、アファメーション的な要素の濃い瞑想法で、うまく出来るととても穏やかで安定した心持ちになれます。


                感覚的にはまず最初に自分を許して満たされたような気持ちになれると、次にはその気持ちで人の幸せを願えるようになり、それでまた自分も満たされ、という自然な流れでイメージが連想されてゆきます。


                続けているとやがて自分と他人の幸せが同じ一つのものとして感じられるという所まで来るのですが、僕なんかは最初、この「先に自分の幸せから願う」という所が、何だか少し目新しいというか慣れてない感じがしました。


                「願う前にそのための努力とか辛い思いとかは?」とか「自分が先に満たされた後でついでのように人のことも願うって…」みたいな感覚が残ります。

                これは我々が教わって来た道徳的な正しい姿勢と少し違うんですね。


                学校でもテレビでも、昔から日本で賞賛されるのはもっと自分に厳し目で、まず自分の幸せよりも先に人に譲ることや人につくすことが立派な行いで、人のためには自分が我慢したり、時には自分を犠牲にして与えることこそ本物、というニュアンスの教育を何となくなされて来ますね。


                もちろんそれは大事なことで、現実の中でもそうすべき時は多々あり、日本人のそんな性格は度々外国の人々に感動を与えたりするとても尊い精神だと思います。


                でもこの意識を日常的な指針として義務感のように感じながら生きてゆくと、
                実際にはやっぱりキツいし、現代社会のような人間関係や利害が密接にひしめく中を生きてゆくと、もううつ病にもなってしまいますね。


                それはこの捉え方の根底に自分と相手のどちらかしか幸せになれないという構図があるからだと感じます。


                対して慈しみの瞑想では、人に何かしてあげるために先ず自分が幸せにならないといけないと考え、まず自分が大切だという素直な感情が満たされてから、自然と人の幸せも願えるようになり、最終的に人の幸せと自分の幸せの区別が消えて、どちらも同じものであるという感覚に進んでゆくという仕組みのようです。


                恐るべきインド人マジックですね。


                まぁこの手のジャンルは好き嫌いがあるし当たり外れも多いので、別にここでヨガをすすめている訳ではないんです。


                ただこの「第一に自分の幸せを願う」「それを願うことを許す」という気持ちや「本来人の幸せと自分の幸せは対立しない」と考える意識は、今のような社会を自分の理想との軋轢を感じながら生きている我々にとっては何かしらのポイントになる気がします。


                悩み多き人にとっては、辛いことや人のことは先ず置いといて、先ずただ手放しで「幸せになっていいんだよー」「これから幸せになってくんだなー」と自分に思い込ませることから色々始まるのかも知れません。


                きっと世界平和のためにも自分が幸せにならないといけないのでしょう。



                アール座読書館は未だ発展途上ですが、最終的にはお席に着いて深呼吸するだけで、自然とお客さんをそんな気持ちにさせてしまうような場所に出来たらいいなと思っています。


                さて、とりあえず来年は3階のオープンですね。


                従業員の募集も引き続き受け付けておりますので、お声をおかけ下さい。

                ご希望頂いた方(誠にありがとうございます)は、一月中には形を整えてご連絡致しますので、もう少しお待ち下さいね。


                さて皆様、今年もあと数日ですが、年の終わりを穏やかな気持ちで過ごせると、きっと良い来年に続く気がします。

                僕も自分と皆様の幸せを祈りつつ、今年はこの辺で失礼いたします。

                それでは皆様良いお年を。


                洋館のすすめ

                2012.12.06 Thursday 00:43
                0
                   

                  皆様、大変ご無沙汰しております。

                  この所アール座ブログが凍結しかけておりましたが、久々の更新です。

                  だって前回のブログ、スズムシの話とかですもんね。


                  こんなペースのブログをいつも読んでくれている方がいらしたら、お詫びの言葉もありません。


                  これだけ空いてしまうと、もうまともな言い訳も思いつきませんが、とにかくこの所劇的にバタついていて頭の中も処理すべき問題が山積な状態で、いつものように季節の変化を感じることもなく「あれ、何か寒いな…」などと我に帰ると、何と外界は12月になっていて外はすっかり冬の気配に…なんて有様でした。


                  夏の終わり頃から記憶が途切れている感じです(T-T )。

                  日頃アール座で人様に「忙しい日常を忘れて…」とか「秋は素晴らしい季節だから…」などとお勧めしている自分がこんな調子ではどうも話が違うなぁと、3階の内装などやりながらため息をついておりました。

                  はい、まだやってます。内装工事。


                  当初計画表を眺めた感じから、適当に「秋頃オープン!」などと軽くほざいておりましたが、ごめんなさい、ウソでした。


                  近頃は営業を終えるとそのまま3階の現場にこもり、やれどもやれども進まない行程を横目に月日だけがいたずらに過ぎてゆくような中、暗闇で途方に暮れているような心境の毎日でした。


                  が、ようやく最近遠くにちらりと出口らしき光の粒が見えて来た感じです!


                  そういえばアール座を作った時だってなかなかキツくて、後半は後頭部が白髪混じりになってしまったんだっけ。


                  そういえばそうでした…あの時身にしみて学んだことをさっぱりと忘れていました。


                  いかないんだった…計画書通りに…。


                  まだここから細かい装飾や植物の環境づくり、経営に関する計画などやることが山積で、正直もう「いついつ頃開店の予定です」とか言う勇気もなくなってまいりました。


                  楽しみにお待ち頂いている皆様、本当に申し訳ありません。


                  でもなんとか、内装が形になる所までこぎ着けたんです〜(TmT)。

                  基本的にはアール座の色違いみたいな感じの洋館風ですが、さらに植物を濃くしてロマネスク調の中庭っぽい感じにもってけたらと思ってます。

                  僕はこのジャングル化した室内というものに特別な思い入れを持っているのですが、この話は長くなるのでまた今度にして、今回はそのベースになる洋館のお話でもしましょう(これも長くなる気が…)。

                  僕は石造りのヨーロッパ建築や古い日本家屋も好きなのですが、一番好きな空間を作ろうとするとどうしてもこの洋館の形を模倣してしまいます。


                  幼稚園の頃から常に部屋の模様替え中毒(多分人生で100回近くやってます)だった僕は、学生の時あまりにも洋館に住みたくて、ベニヤ板に漆喰を塗りこげ茶色に塗装した腰壁と縁を取付け、格子の出窓をくり抜いた舞台セットの様な板切れを作って、アパートの壁に窓の位置を合わせて立てかけ、床にも薄いベニヤの床板を敷き詰めて、無理やり「洋館の主」になり切っていました。


                  だからアール座を作るときも迷わずそこに向かいましたし、今でも調度品や装飾は出来るだけその方向にイメージを絞っています。


                  アンティーク小物なんか探す時、今どきは全体にカントリー調のものが多くて、良いものだと間違って買いそうになりますが、そこをこらえて、なるべく明治時代のお金持ちの書斎にありそうな貴族っぽいものに向かうようにします(むしろアジア、アフリカの民芸品なんかの方が合う)。


                  皆様はお好きでしょうか、洋館。

                  最近は東京駅舎の改築が話題になりましたね。


                  「洋館」はこの国に西洋文明が流れ込んで来たばかりの明治大正期に、日本古来の建築技術をベースに西洋風の装飾や様式を模倣して作られた和洋折衷(結果的に)の建築物の総称で、現在でも史跡として多くの物件が各地に保存されています。


                  繊細なゴシックや瀟洒なロココ調よりも少し落ち着いた、というか、ちょっとつたない感じがするくらいの欧風装飾がとても可愛らしい感じで、木造に明色のペンキを厚塗りしたような質感や、木材に苦労して細工を施したっぽいモール類、ゆらゆらした吹きガラスの格子窓など、味わい深い魅力に溢れている洋館内部は、僕にとってツボだらけの空間です。

                  きっと在来の木造建築様式で西洋の装飾を真似ようとするから、本場の豪勢で複雑な装飾よりも手作り感が強まって(欧風の複雑な彫刻レリーフを何と左官職人さんががコテで再現したりしたそうです)、冷たい感じがする西洋の城や宮殿とは違った味わい深い趣きが出るのかなぁとか思うんです。


                  そんな洋館は全国各地に一般公開されている物件も多いので、いつでも観覧することが出来ますよね。


                  むろん僕はこれが大好きで、都内はもちろん地方都市に赴いた際も、先ずは旧〜邸とか旧〜学校と名の付いた洋館の史跡を探してしまいます。


                  初めて洋館に出会ったのは修学旅行で行った長崎のグラバー邸だったかと思います。


                  興奮というよりも何だか懐かしい様な郷愁と安心感に襲われ、それ以来すっかりハマってしまいました。


                  その頃僕は、大した事情もなかったのですが、何となく学校の時間割が体に合わず半分登校拒否みたいな状態で、よく授業をサボっては一人平日の昼間から図書館や公開されている洋館、古い喫茶店などに入りびたっておりました。


                  あまりお金がかからないということもありましたが、一番には外の社会との隔絶感から来るあの何とも言えない安心感を求めていた気がします。


                  この何でもない日に授業をサボってアンニュイな一日を過ごすという行為は、今でも本当に魅力的な時間として心に残っていますね。


                  今思えばこの現実逃避しつつくつろいでいた図書館や洋館、喫茶店で過ごした時間の記憶は、後々のアール座空間を作る原型になっている気がしてしょうがないです。


                  出席が自主性に任される大学や専門に入ってしまうともう二度と味わえない開放感なので、高校生でこのブログを読んでいる人がいるとも思えませんが、いたら僕はお勧めしてしまいますね。


                  ああいうリズムの場所が合わないタイプの人(いつどこの場所にも必ず一定の割合でいます)は、高校生にもなったらもうシステムに任せず、時には多少そこから外れても自分の意思で行動を選んで自主的に心のバランスをとっていった方が良い気がします…なんて言ったら怒られるかな。


                  まぁあまりクセになると面倒になるので、ほどほどにね。


                  で、洋館の話でしたね。


                  近場だと「旧岩崎弥太郎邸(やっぱりカッコいい)」や「旧古河邸」や横浜山手の洋館なんかが有名ですが、何といってもオススメなのは、もう少しおとなしめで来客の少なそうな物件(旧鳩山邸や駒場の旧前田邸とか)に、可能なら平日の開館時間に合わせて訪問してみる、という楽しみ方です。


                  常時公開されている公営施設に、そんな時間に訪れるヒマ人は多くないので、大概客は自分一人です(他にいても先にやり過ごしてしまえばOK)。


                  最初は普通に入口から進んで、人のいない館内を造作や調度品などに注目しながらゆっくりと鑑賞します。


                  その間に邸内の、書斎のように椅子のある広間ではない小さめの部屋を一つ目星をつけておいて、見終わったら順路を逆行してそこに向かいます。


                  席に腰を落ち着け、自分は今明治時代の邸宅に住んでいる(客間なら、呼ばれて主の帰りを待たされている)貴族なのだ、と強く思い込んでから、誰もいないその部屋でその気持ちのまま小1時間くらいボーッと過ごします。


                  ウマくすればその間訪れる人もなかったりして、気分は完全にタイムスリップ状態です。

                  このような家屋の真の見所は建物の造りよりも何よりも、そこに漂う近代の空気感なんです。


                  かつて本当に人が暮らしていたような場所は気持ちを落ち着けてみると大抵当時の雰囲気はまだ壁や家具にしみつくように残っていて、少し創造力を働かせれば簡単に入り込めます。


                  ただそんな時に突然他のお客さん(現代人)が入って来ると、ものすごくびっくりします。


                  そして、観覧用施設の一室に一人で座り込み馴染んでしまっているキモチ悪い男に出くわした相手の人はさらにびっくりしたりします。


                  が、そこは落ち着き払って「ちょっと座ってみただけ」みたいなそぶりを貫いて、やり過ごしましょう。


                  もっと人と普通に楽しむなら、逆にウソっぽい(テーマパークっぽい)小金井の「江戸東京たてもの園」や向ケ丘遊園の「日本民家園(洋館じゃないけど)」、府中の「郷土の森博物館の民家園」なんかが、園内全体が昔の村みたいで面白いです。


                  そこでも楽しむコツはやっぱり同じで、多くの人のように写真撮りつつさーっと流すように観覧しないで、いちいち室内のどこかに腰を落ち着けて、話しこんだり窓の外見たり箪笥の引出し開けたり(ジオラマは出て来ないけど)と、ゆっくり空間に馴染んでみることだと思います。


                  古都でお寺見て回る時でも必ず僕は座敷や縁側でこれをしますが、とにかく座ってみると目線が変わりますので、そんな機会があったら是非やってみて下さい。


                  さて、店のブログで僕は一体何のおすすめをしているんでしょう。


                  まあ、そんな洋館を模した3階の店の内装の話でした(うそつけ)。


                  店の方はもう少し形が整ったら、プレオープン的に試験的な営業は少しづつ初めて見ようかなと思っています。


                  実はアール座の最初もそうだったのですが、本格的な開店の前にその準備をしつつイベントメニューのような簡易メニューで断続的に可能な範囲で営業を始めてみる、という気まぐれな形です。


                  なので大変申し訳ないのですが、その間の営業日は決まっておりません。


                  アール座にお寄りかお近くの通りがかりに開店してたら、興味のある方は覗いて行って下さい、というようなスタイルです。


                  不安定な出だしでごめんなさい。


                  3階に電話がつながったら、その日のスケジュールなどはお答え出来ると思います。


                  また、開店に際しましては従業員を数名募集致しますので、興味のある方はアール座ご来店の際にオーナーまでお声をかけてみて下さいね(お電話によるご説明は行っておりません)。


                  今年も残す所…という時期になってしまいましたが、僕はもうしばらく開店準備の方頑張ります。

                  皆様も風邪などひかぬよう気をつけて下さいね。 

                  category:今月のおすすめ | by:アール座読書館 | - | - | -

                  3階 エセルの中庭

                  2012.09.24 Monday 13:48
                  0
                     アール座読書館はコンセプト上、お話とお食事が出来ない(お茶請けのお菓子が少しだけあります)のですが、 お連れの方とお話やお食事をされたい方には、3階の「エセルの中庭」をお勧めしております。

                    本棚はありませんが、アール座と似たような空間です。

                    詳しくはこちらにどうぞ→エセルの中庭
                    category:エセルの中庭 | by:アール座読書館 | - | - | -

                    虫の声 2012

                    2012.09.10 Monday 01:35
                    0
                       

                      夏が少しづつ遠のいてゆくと、次の季節はアール座のベストシーズンです。


                      そして今年もまた虫達の合唱が聞こえます。


                      例によってスズムシ、マツムシ、エンマコオロギ、カネタタキなどが既に店で元気よく鳴いていて、この後カンタンなども入荷予定です。


                      おなじみの顔ぶれなので、虫の種類や鳴き声に関してはこのブログ、去年9月の「秋の虫の音楽会2011〜」や2010年9月の「虫の声」等をご参照下さい。


                      毎年この時期はBGMをあまりかけませんし、空調の音も弱くなりますので、アール座の静寂感がぐっと濃くなる時期でもあります。


                      それも含めて、秋はアール座が最も映える季節ではないかと、毎年勝手に言っております。


                      あまり静かだと、初めての方など、緊張されて忍び足になってしまう方もおられるかもですが、ウチのお店ではある程度続くお声や物音に比べて、一時の足音や床のきしみなどは気にされない方がほとんどです。


                      どうぞ気持ちを楽にして静寂を楽しんで頂けたらと思います。


                      でもこんな風に、都会に住んでいるとこの「静けさ」というものが何か通常ではない特別な事態のように感じてしまいますね。


                      30年程前は東京の夜でも繁華街でなければ深夜営業している店などはほとんどなく、町も静かなモノだったのを僕も覚えています。


                      もっと昔、というよりも元来人間は日が沈んでから、生活の半分くらいの時間を静けさの中で暮らすものだったのでしょう。
                      だからきっと、カラダのつくりもそんな風になっているはずです。

                      比べると現代の暮らしでは、音声を含め感覚を刺激する何らかの要素が常にあって、睡眠以外の時間中は脳が絶え間なく何らかの情報を処理し続けているような生活を強いられますね。


                      さらには強いられなくても、いつも何かしらの情報処理をしていないと気持ちが落ち着かないという感覚に迫られて、やることが無くなるとついつい何かを見たり聞いたりしてしまいます。


                      現代人は神経が疲弊してしまうワケですよね。


                      かくいう僕もそうです。


                      仕事で疲れて家に帰ったら、部屋でぼーっとしていれば良いのに、ついTVをつけてしまいますね。


                      何もしないでいるということが出来なくなっているのでしょう。


                      でも部屋で見てないTVがついてるだけで、無意識に脳はその情報を処理してしまうんです。

                      だから、こういう暮らしの中で本当に神経を休めようと思うと、なかなか難しいんですね。


                      私見ですが、TVや本やPCよりは音楽の方が良いと思います。

                      さらにインストや洋楽の方が、言語情報が入って来なくて良い気がします。


                      でも音楽は感情的な抑揚があるので気持ちを波立たせるのが難しい所です。


                      そういう意味ではもちろん何も聞かない方が情報処理は休まります。


                      ただ、何も見ず聞かずにいると、普通の人は考え事が頭の中でぐるぐると巡り出してしまうというのもありますよね。


                      ヨガや仏教の瞑想でも、そのこと自体はそれ程悪いことではないと言いますが、個人的な
                      悩みなんかに引っかかると、それはそれで疲弊してしまいますよね。


                      禅のお坊さんが雨だれの音を使って心を鎮めるように、やはり何かしらのとっかかりがある方が心を安らげるには良いように思います。


                      雨だれのようにあまり感情的ではない、繰り返される美しい音なんかがあると良いですね。


                      そういえば今の時期だと、虫の声なんかは最適ですね。


                      でも都会ではなかなか難しいです…いや、東京のまん中、高円寺にそれを実現出来るお店が一軒ありますよ!


                      どうです。

                      流れるような展開でお店の宣伝に持ってきました。

                      マスター、ダテに何年もカフェブログをやっている訳ではありません。


                      まぁしょーもないブログにダマされたと思って、ぜひ遅い時間にお店に来てみて下さい。


                      お仕事で来られる方も10分でいいから手を休めて、その間はひたすら虫の声だけ聞いて見て下さい。


                      都会に暮らす現代人には本当に意味があることだと(勝手に)思うので、毎年せっせとこれをやっているんです。


                      感性のある方なら少しの間でも聞いて頂ければ、きっとその意味が分かりますよ。


                      ただ、毎年虫が鳴くのは9月いっぱいくらいまでなので、どうかご了承ください。

                      category:今月のおすすめ | by:アール座読書館 | - | - | -

                      PR
                      Calender
                           12
                      3456789
                      10111213141516
                      17181920212223
                      24252627282930
                      31      
                      << August 2014 >>
                      Selected entry
                      Category
                      Archives
                      Profile
                      Search
                      Others
                      Mobile
                      qrcode
                      Powered
                      無料ブログ作成サービス JUGEM